*--Diary--*


全国大会その1  2011/08/23(火)
松本城  2011/08/22(月)
百名山  2011/08/15(月)
恋していたら?  2011/08/09(火)
判断  2011/08/02(火)
『もうすぐ夏至だ』  2011/07/26(火)
朝顔  2011/07/22(金)
妖怪  2011/07/14(木)
東京国際ブックフェア&熱海  2011/07/11(月)
東京平日歌会  2011/07/09(土)


全国大会その1
全国大会の会場に着くと早速、知った顔につかまる。
「関野さ〜ん! はい、これ買って! 300円以上の寄付をお願いしま〜す」
東京平日歌会で一緒の武山千鶴さんの声。
6月に秋田で開かれた東北復興歌会の詠草を本にしたものを売っているのである。
収益はすべて震災復興のために寄付することになっている。
一冊買って寄付箱に千円入れ、歌集販売コーナーで歌集を選んでいると、
「あら、関野さん! 復興歌会の何冊買ってくれた? 三冊? えっ一冊? 一冊で三千円?」
「い、いえ千円」
こちらも東京平日歌会で一緒の三浦こうこさん。
ふたりとも東北出身、今回の震災では自らあるいは家族が被災している。
それにしても二人とも、人の顔見ていきなり本を買え金を出せと元気なものである。
東北の女性が控えめでおとなしいなどという話を私は信じない(^^;
歌集販売コーナーには、昨年亡くなられた河野裕子さんの遺歌集『蝉声』が積んである。
それを含め5冊くらいまとめ買いする。
そのコーナーに立っていたのが以前、横浜歌会に来たことのある小川和恵さん。
「お久し振りです。少し太りましたよね」と挨拶したら、
隣に立っていた永田紅さんが焦ったような身振りをしていた。
あとになって、久し振りに会っていきなり失礼なこと言っちゃったかなと思った。
「ふくよかになりましたね」という意味で善意のつもりだったのだが、
後の祭りである。これだから不良会員はいけない。
会場に入るともう結構座っている。
不良会員としては隅っこで人知れず聞いていたいので、
どこか隅の方が空いていないかと探していたら、
選者の真中朋久さんがこちらを振り向き、よお、いう感じで手を挙げる。
隅っこを探していたのだが、せっかく真中さんが手を挙げてくれているので隣に座る。
ちなみに、9月の最初の週、関東の方に用があるらしく、
9月の横浜歌会に出られるかもしれないということだった。
全国大会初日のプログラムは、
永田和宏・花山多佳子両選者による対談「震災はどう詠まれたか〜短歌のゆくえ〜」である。
アメリカの9・11のテロのとき、永田さんはその事件については詠わないと宣言したそうである。
歌の材料を鵜の目鷹の目で探すように9・11の事件と向き合いたくなかったとのこと。
3・11の震災も当然、そういう姿勢で歌の対象にしている人はいるだろう。
二人とも新聞の短歌欄の選者をしているので
新聞に投稿された歌を中心とした話になったのだが、
震災とは関係ないところに住んでいる人が、
あたかも被災者のような歌を作って投稿してくるというのも多いらしい。
もっとも、短歌には、(自分ではない誰かに)なりきって詠う、という伝統もあり、
そういう意味では否定は出来ないのだが、どうなのだろう。
二人とも難しい問題とは言いつつ、否定的だった。
確かに、花山さんが例としてあげた、
避難所の扉を開けたら小さな子供がいた、という投稿歌。
作者の住所からして、それは想像で被災者になりきって作った歌であるらしいのだが、
そういう歌は、被災地の小さな子供を歌の道具立てにしているような、
そういう嫌らしさを感じる。
ただ、同時に思うのは、住所だけで判断できるのか? ということである。
四国や九州の人がボランティアで被災地を訪れて歌を詠うということもあるだろう。
あるいは、沖縄や北海道に移り住んだ被災者が詠うということもあるかもしれない。
住所だけで判断するというのも、そういう色眼鏡で歌を読むようであり、
問題は詠い方、どう詠うか、そこなのではあるまいか?
実際、私も津波の悲惨な映像を見、その悲しみを詠っている。
映像からイメージを立ち上げて作っているわけで、
被災者でない者が詠っていると言われれば私もそのひとりである。
ただ、私は悲しみをなんらかの形で表現することは当たり前だと思っているし、
私自身が被災者でなくとも、
津波の悲惨な状況を見て私の感じた悲しみは間違いなく私の悲しみである。
私はその「私の悲しみ」を表現することを考えている。
その辺の詠い方、あるいは姿勢というべきか、
そういうところにかかわる問題である気がする。
だから、二人の話を聞いて、
被災者でない人は震災を詠うべきでないと考えた人がいたとしたら、
それは間違いだと私は思う。
もっと、歌に向き合う姿勢としての問題であろう。
いずれにせよ、考えさせられる対談だった。
そのあとは恒例の歌合せと結社の創始者・高安国世についてのインタビュー。
歌合せもインタビューも面白く、
全国大会はこの一般公開のプログラムを聞くだけでも出席する意味がある。
Date: 2011/08/23(火)


松本城
先週の週末、短歌結社の全国大会で長野に行ってきた。
一年に一度、全国大会を開くわけで一昨年は京都、去年は四国松山だった。
全国大会は一泊二日で初日が一般公開のプログラム。
夜、懇親会があって、二日目は会員だけで歌会をやる。
ただ、全国大会の歌会はちょっと通常の歌会とは違う。
人数が多過ぎる。
会場の都合もあり、幾つかのグループに分かれるのだが、
年に一度の全国大会ということで参加者が多く、
ひとつのグループが大抵40人〜50人くらいになる。
歌会をやれる人数ではなく、ひとつひとつの歌を駆け足で批評していく感じになる。
時間がないので言いたいことも言えないという場面がどうしても多くなり、
こう言ってはなんだが、そういう歌会に出ていると欲求不満がたまる。
それで、去年から全国大会は一般公開のプログラムだけ参加して、
二日目は適当に観光するなりして帰ることにしている。
ま、不良会員と言っていい(^^;
そんなわけで宿泊は皆とは別にJALシティ長野に取った。
たまたま来年の四月で有効期限が切れるJALのクーポン券があるのでこれを使う。
いつのまにか溜まったマイルを交換したクーポン券。タダで泊まるようなもんで得をした気分。
ついでに美ヶ原を歩く予定だったが、土曜はしっかり雨である。
雨の高原を歩いても仕方ないので、そのまま中央道を走る。
3時間くらいは高原を歩くつもりだったので、これだとかなり早く着いてしまう。
どこかで時間をつぶそうということで、丁度、通りがかりにある松本城に行ってみることにする。
松本で降り市街地の方に走る。たぶん標識が出てくるだろうと思っていたら、案の定、
「松本城」という標識。割とスムーズに着いた。
城というから高い石垣があるのかと思ったら、
石垣もそれ程高くなく、堀に囲まれた公園のように見える。
平城であり、三重の堀に囲まれている。水で守る城、という感じなのだろうが、
たぶん、昔は堀の向こうの石垣の上には土塀とかが連なっていたのだろう。
そうでなければ無用心過ぎる城である。
なかに入ると広い芝の庭園がある。昔はここに本丸御殿があり政治の場であったのだろうが、
今はその建物はない。その向こうに天守閣が見える。
烏城ともいわれる木造部分の黒が目立つ城である。
天守閣に近づいてしげしげと眺める。
「役に立ったのかい? この建物は...」
というのが実感(^^;;
割と小振りな天守閣である。構造物としては美しい。
しかし、もし籠城戦になったら、この小振りな天守閣は役にたったのだろうか?
松本城の天守閣が建てられたのは1590年代。
当然、鉄砲の時代である。構造物を破壊する大鉄砲なども登場した時代だ。
この小振りな天守閣は横一列に並んだ大鉄砲の斉射を受けたらどうなったのだろう?
鉄砲が改良され、大鉄砲、さらに大筒なども使われるようになると、
天守閣は無用の長物になった。
天守閣に金をかけるよりも石垣を高くし、
要所に堅固な櫓を立てる方が軍事的には重要だったはずで、
その後は天守閣を作らない城が増える。
戦国も終わろうという時代に金をかけてこの天守閣を作った殿様はどういう男だったのであろう?
階段が急で住むのには不便で使えないし、
実際、良くて武器庫、悪く言えば物置にしかならなかったのではないか?
もっとも、予算の無駄遣いであったであろう天守閣だが、その後、国宝になり、
観光客を呼んでいるわけだからその殿様も松本にとっては恩人かもしれぬ。
狭い天守閣の急な階段を昇り降りして見物。
時間をつぶして長野に向かう。
それでもまだ早いので、長野市街から少し外れたところにある裾花峡温泉で
のんびりひとっ風呂浴びる。かけ流しの良い温泉だ。
全国大会の会場は長野駅のすぐ近くのメトロポリタン長野である。
Date: 2011/08/22(月)


百名山
今度の週末、短歌の全国大会で長野に行く。
せっかく長野に行くなら、ついでにどこか山を登ろうとちょっと調べてみたが、
その日のうちに登って降りてさらに1時までに長野市内の会場に行く、という条件付きだと
行けるところは限られる。
最初は久し振りに北アルプスに登りたくて、
常念岳のあたりにでも行こうと思ったのだが、時間的に無理。
で、いろいろ調べて美ヶ原に行くことにした。
ここだと三時間くらい高原を歩くだけなので、早朝3時くらいに横浜を出て7時くらいから登れば、
下山して麓の日帰り温泉で汗を流してからでも長野に1時前には着けそうだ。
ちなみに常念岳も美ヶ原も百名山である。
深田久弥の『日本百名山』。
北は北海道の利尻から南は屋久島の宮の浦岳まで日本の百の名山を紹介している。
初版が昭和39年だからかなり古い本であるが、今も人気があり、
百名山を登るツアーなるものもあちこちであるらしい。
百名山完登を目標にして頑張っている中高年登山者が大勢いるわけで、
本屋に行けば百名山の登山ルート紹介の類の本が結構ある。
ただ、百名山で紹介されているのは一般ルートのみで、岩や沢、冬のルートなどは全くなく、
そういう登山を志向する向きにはそこまでの興味の対象にはならない。
私も若い頃は意識して百名山を登ったことはない。
それでも数えてみると100座のうち53座登っていた。
岩や沢、雪山を登っていたら結果としてそれだけ登っていたという話で、
例えば百名山のひとつ谷川岳などは、岩、沢、雪のいろいろなルートから20回以上登っている。
百名山マニアはそういうことをせず、せっせと別の山を登って完登を目指すわけである。
そんなわけで、若い頃は特に意識しなかった百名山だが、
一般ルートだろうと名山はやはり名山。
歳を重ねると若い頃のような激しい登山は出来なくなるわけで、
のんびり新緑や紅葉を眺めながら残りの47座を登って百名山完登というのも、
悪くないかもしれない。
美ヶ原は山登りというより高原歩きという感じで、
登高の面白みには欠けるかもしれないが景色はいいだろう。
とりあえず今度の週末、天気さえ良ければ54座目の百名山として、美ヶ原を歩いてくる。
Date: 2011/08/15(月)


恋していたら?
他の士業と比べ、成年後見への取り組みが遅れている税理士会だが、
ようやく9月から成年後見支援センターを立ち上げることになった。
一般の人達及び税理士会の会員を対象に成年後見についての相談業務を開始し、
いずれは、法人後見も可能な組織として整備していきたいということらしい。
で、先日、その相談員のための研修の最終回があったのだが、内容は事例検討だった。
それぞれの事例について、どう対応するべきかをチームで検討するわけである。
我々のチームが検討したのは、対象者、80代後半の女性、甲。
10年前に夫と死別。子供や甲の兄弟とはいろいろあって絶縁状態。
一年前に倒れ、現在は老健入所。
サラ金からの借金があり、年金に担保が設定されている。この借金については使い道不明。
知人丙(70代男性)がこの借金とその担保設定にからんでいるらしいのたが、
甲は「丙にはいつも世話になっている」と言って頼りにしている。
そういう状態でケースワーカーから、なんとかならないかという相談があったという内容。
まず、どうすれば甲の生活を守れるかを考えるわけだが、
使い道の不明なサラ金からの借金、それにからんでいるらしい丙の存在が気になるわけである。
そもそも判断能力がはっきりしている状態で使い道不明の借金などするわけがなく、
甲の判断能力を確かめなければならない。
あるいは判断能力の落ちた甲が、それにつけこんだ丙から
経済的侵害を受けていることも考えられる。
親族とは絶縁状態なので、区長申し立てで法定後見、判断能力を鑑定。
その判断能力に応じた後見類型で成年後見をスタートさせ、
丙による経済的侵害があれば、丙を排除して甲の生活を守る。
ま、優等生的答えとしてはそんな感じなわけで我々のチームの答えもそこに行き着いたのだが、
最後にチームのひとりが疑問を呈した。
「甲が丙に恋愛感情を持っていたらどうなるんだ...?」
恋愛感情...?
うーん...。
甲が丙に恋していて、丙の言いなりになっている。
恋している男から金が必要と言われて貢いでいる可能性は?
サラ金からの借金もそのためだったら?
その場合、後見人はどうしたらいいのか...。
成年後見には3類型ある。
判断能力を失っていれば後見。
日常の買い物程度は出来るが重要な財産行為が出来ないぐらいの判断能力ならば保佐。
重要な財産行為は自分で出来るが誰かに代わってやってもらった方がいい程度ならば補助。
甲がどの類型に当てはまるか。
成年後見の基本は本人の残存能力の活用であり、本人の幸せを守ることである。
ある程度の判断能力は残っていて、そして恋していたら...。
人生最後の恋を成年後見のもとで、あっさりと否定してしまっていいのか。
あなたの愛している丙さんは悪党ですという話を甲に懇々と言って聞かせて、
甲は納得するのか?
そういう問題に後見人はぶつかりそうである。
「これが判断能力あったら、恋して貢いでいるんなら放っとけ、という話だよね...」
実際に直面したらかなり戸惑う事案であるかもしれない。
いずれにせよ、支援センターの業務開始は来月から。
たぶん、月に一回は支援センターに相談員として出ることになる。
とりあえず私が相談員として出ている日にはそういうややこしい事案は来ないで欲しい(^^;

Date: 2011/08/09(火)


判断
ここ数日、数年前に山で遭難した仲間のことを考えていた。
なにかきっかけがあったというわけではなく、
脈絡もなく彼のことを思い出したのである。
彼は冬山で死んだ。
3人パーティーで登っていたのだが、
ひとりがかなり疲労してしまい時間がかかり、
雪稜を登り終えて頂上に着いたときは、もう日が暮れていたらしい。
天候が悪化するなか下山、その途中で疲労していたメンバーが尾根から転落。
それを救助するためにザイルで下にくだったのだが、
結局、烈風の中そのまま動けなくなりツェルトでビバーク。
低体温症で3人とも死んだ。
なぜ、引き返さなかったのだろうと考え続けた。
その遭難のときもそうだったのだが、
何の脈絡もなく彼のことを思い出したここ数日、やはりそれを考えた。
なんで、引き返さなかったのか。
頂上に着いた時間を考えれば疲労していたというメンバーは、
その日の行動の早い段階からかなりバテていたのではないか?
なぜ、そこまで歩かせたのだろう?
引き返すことを考えなかったのか?
彼は経験豊富で、仲間への配慮もしっかり出来る人間だった。
その彼がどうして...。
彼のことをいろいろ思い出していたここ数日、ふと別のことを思い出した。
まだ若かった頃、若気のいたりで喧嘩沙汰をしたことがあるのだが、
そのとき、彼もその場にいた。
酔っ払いが女性にからんでいて、見るに見かねて喧嘩沙汰になったわけだが、
彼はそのとき手を出さなかった。
手を出さなかった彼に、よく黙っ見ていられたなという気持ちがその後多少はあったのだが、
今になって考えてみれば、喧嘩までいかなくても違う対応がありそうだった。
彼もそのときそう思っていたのだろう。
しかし、私はそのときはそういうことが考えられなかった。
それと同じことかもしれない。
人は状況に左右される。
現場で判断するということは、状況の影響をかなり受けるわけである。

確かに、頂上を越えた方が山小屋に近いのだ。
天候悪化のなか、雪稜を登りながら時間とメンバーの疲労を彼は考え続けただろう。
たぶん、引き返すことも考えたはずだ。
疲れ果てている仲間をなんの配慮もなく無慈悲に歩かせるような男ではない。
彼は状況を見ながら考えた末に頂上を越える方を選んだのだろう。
実際、彼らは悪天のなか頂上を越えた。そして山小屋に向けて下山を開始していた。
そこからならそれほど時間はかからず、彼らは危地から脱するはずだった。
しかし、思わぬ転落が起きた。

人は状況に支配される。
私がそうだったように、彼もそうだったはずだ。
だからこそ、状況に支配されない意見を聞くことは重要であるわけだが、
山では現場で判断するしかない。
厳しい状況下で彼は判断をしなければならなかった。
あるいはクライマーズハイということもあったかもしれない。
いずれにせよ、彼がぎりぎりの状況の現場で下した判断を、
その状況下にない者が評価することは難しい。
当たり前といえば当たり前のことなのだが、
知るということと理解できるということは違う。
理解できるまでには少し時間がかかった。
ここ数日、何の脈絡もなく彼のことを思い出し、彼の遭難を考えた。
まるで、彼と話をしているような気分だった。
そして、ここ数年心の底にあった「なぜ?」という思いが消えてきたのだった。
Date: 2011/08/02(火)


『もうすぐ夏至だ』
先日の東京国際ブックフェアで買った『もうすぐ夏至だ』を読み終えた。
細胞生物学の権威であると同時に歌人である永田和宏のエッセイ集。
研究やそれに関する思い出話などもあり、なかなか面白い。
また、本前半の、去年亡くなった奥さんであり歌人の河野裕子との日々を綴った
部分は心打たれるものがある。

   一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ

本の題名になった歌である。
末期の癌に苦しみながら最後まで歌を詠み続けた河野裕子。
彼女を見守り続けた家族。
その一日一日は他者には想像しえない密度の濃い時間だったのであろう。
淡々と綴られた文章からは深い思いが伝わってくる。
良いエッセイ集だ。白水社から出ている。
Date: 2011/07/26(火)


朝顔
庭の朝顔が咲いた。
去年、入谷の朝顔市で買った朝顔である。
あのときは買った朝顔をぶらさげて言問い通りを入谷から浅草まで歩き、
そのまま浅草橋まで歩いて歌会に出たのだった。
途中、浅草の並木藪で蕎麦を食べたのだが、
店員さんが、「あらまあ、綺麗な朝顔で。こちらに置いておきましょうね」と
食事の間、店の奥にしまっておいてくれた。
本当は鉢から出して地植えにするのがいいのだろうが、
そのままずっと庭に置いたままだった。
種が落ちて、今年も赤い花を咲かせてくれた。
朝顔は余計な飾りのついていないシンプルさがいい。
清楚な感じがする。
最近、こういう清楚さを感じさせるものが人の世界では少なくなった。
子供の頃、朝顔の花が終わるとその黒い種をせっせと集めた。
箱に入れてしまったおいたものだが、結局、撒くのは忘れるのだった。
そういえば、今年は入谷の朝顔市は中止だった。
震災後の自粛ではやばやと中止を決めたらしい。
朝顔市を自粛することにどれほどの意味があるのかは分からないが、
ま、それはそれで仕方ない。
傍らで遊んでいるゴールデンレトリバーのさくらに「ほら、朝顔が咲いてるぞ」と
言うと、さくらはおもむろに朝顔に顔を近づけ、
あっ!
...。
さくら、朝顔を食っちゃいかん...(^^;
Date: 2011/07/22(金)


妖怪
マスコミでいろいろ言われていることについてはそれを読めばいいので、
あまりこのブログには書かないことにしているのだが、
菅首相の打ち上げた「脱原発」、賛否両論である。
実際、使わなくて済むならそれに越したことはないと思うし、
万一の事故の重大性を考えれば、
「原発に依存しない社会を目指すべき」という言葉は聞き心地が良い。
しかし、聞き心地だけではダメなわけで、
そこにいたるロードマップなり政策の裏打ちなりを示さなければならないのだが、
彼の場合、それがない。
評論家や市民運動家ならそれでいいだろう。
しかし、彼は評論家でも市民運動家でもなく一国の首相のはずである。
原発をすべて止めたとき、日本の製造業はどうなるのか?
それは国内の雇用にどう影響するのか?
二酸化炭素の問題はどうなるのか?
代替エネルギーの開発にはどれくらいの期間がかかるのか?
聞き心地ではなくそういう冷静な思考が今は必要なのであろう。
それに、ひとつ気がかりなのは、
ここまで原発が否定されると原子力を勉強しようという学生がいなくなるのではないか?
日本中の原発を廃炉にするには何十年もかかるのである。
原子力から学生が離れて10年後20年後、それを担当する人材が確保できるのか?
優秀な人材が得られないままにそういう廃炉の工程が進められる。
トラブルへの対応力は格段に落ちているだろう。
それはあるいはとても危険な結果を招くかもしれない。
辞任しろとかしないとかいろいろ言われているわけだが、
周囲の方も、菅直人が辞任すれば現在の状況がどういうふうに変わるのか、
それを示すことが出来ないので、なんなんだろうという感じになってしまうわけである。
ま、ここまでくると、辞任すれば少なくとも今より与野党の協力は出来そうな気はするが...。
彼は逆転サヨナラホームランを打ちたいのであろう。
自らの失政については彼もわかっているはずだ。
サヨナラホームランを打って歴史のなかでの自分の評価をなんとかしたいのであろう。
実際、「歴史が判断する」とかいう言葉を彼はよく使う。
しかし、それは国のことより自分の評価を優先しているということだ。
菅直人は顔が変わった。
野党にあった時代や厚生大臣をしていたときと顔が変わっている。
最近、彼の顔がこの国に取り憑いた妖怪のように見えるのは私だけか?
Date: 2011/07/14(木)


東京国際ブックフェア&熱海
東京国際ブックフェアは年に一度開かれる国内最大の本の展示会。
業者や学校関係相手の展示会であるらしいが、一般公開もする。
子供が行ってみたいと言うので、お台場の東京ビックサイトへ。
駐車場が入れるかどうか心配していたが、
広い臨時駐車場があるのですんなりと入れた。
ビッグサイトのなかの通路を抜けて会場に着くと人人人である。
1200社くらいの出版社が参加しているそうで、ともかくいろいろな本があり、
一般公開のときは、定価の20%引きぐらいで本が買える。
大抵の人が知っている出版社はもちろん、
地方の出版社、宗教関係の出版社、外国の出版社等、
見て歩いているとなかなか面白く、意外な見つけ物もする。
今回も歩いていて、なんとなく平積みされている本に目を落したら、
短歌結社の主宰・永田和宏さんの「もうすぐ夏至だ」が積んであった。
えっ!? こんなところに、という感じで一冊手に取る。
混んでいる会場で何気なく目を落さなければ気がつかなかったはず、
これもなにかの縁と思い一冊購入。20%引きである(^^
ほかにもいろいろ、会場の人にどうぞと手渡されたカゴにぽんぽんと本を入れてゆき、
かなり買ってしまった。あとでゆっくり読むことにする。
子供は将来進みたい仕事関係の本を探していたようだが、
適当な本はなかったようで、普通の読み物を買っていた。
本の他に、ブックカバーや栞を売っている店もあり、
なかなか品のいいものが並んでいた。
ま、ブックフェアに行かなくても本屋に行けば本は売っているわけだし、
20%引きといっても、交通費を考えればそれほど得をするわけでもない。
しかし、一年に一回くらいこういうブックフェアを覗くのも、
それなりの面白さがあって悪くはない。
午前中に行き昼で切り上げ家に帰る。
梅雨明けした空はぎんぎらぎんの夏空である。
家でしばらく休憩したのち、今度はひとりで熱海へ。
今夜、税理士会の関係の慰労会を熱海でやることになっている。
午前中はブックフェアを見に東京に出かけ、午後からは熱海というのも、
なにやら忙しいことしているなぁと思うのだが、
そういうふうに予定を組まれてしまったのだから仕方ない。
みな自由業なものだから、
日曜に泊まって月曜に帰るなどというスケジュールを平気で組むのである(^^;
確かに、熱海で宴会やって一泊、翌日7時くらいに新幹線で帰れば9時には事務所に
出られるわけだから、日曜泊月曜帰りでもその気になれば仕事は出来るわけである。
この近さ手頃さが熱海の便利なところ。
日曜の午後から行くので道路はまったくすいていて、1時間ちょっとで熱海に着く。
ひと頃は廃業したホテルが廃墟のように立っていた熱海だが、
そういうホテルが取り壊され温泉付きのマンションとして分譲されたりして、
近頃はまた綺麗になってきた。
ホテルへの集合時間にはまだ早いので、コーヒーを飲みながらしばらく海を眺める。
子供達がまだ小さかった頃、毎年、伊豆高原のコテージに子供達を連れてきていた。
伊豆は子供を遊ばせるのにちょうどいいところが沢山ある。
子供達が大きくなり伊豆には行かなくなった。
久し振りの伊豆である。
青い水平線の向こうに大島の影が浮かんでいる。
伊豆の海は相変わらず綺麗だった。
Date: 2011/07/11(月)


東京平日歌会
さて、築地に行ったりナイルレストランでカレーを食べたり、
例によって道草を食っての東京平日歌会。
ひとつ気になる歌があった。
誌面にまだ発表されていない歌なので、ここに出すわけにはいかないのだが、
たずさえてのぼる魂かあまたのカモメが吸われる空のまほら、
概ねそんなような歌意の歌である。
この歌が3月11日の震災を詠ったものであることについては歌会の参加者に
異議はなかったが、初句二句の「たずさえてのぼる」の主語は誰なのか?
もし主語がカモメであれば、下の表現と齟齬が生じるわけで、
批評もそこに集中した。
私は指名されないまま黙って聞いていたが、
たぶん、初句二句と三句以降の主語は違うのであろうと思った。
初句二句は、なにか大きな存在によって天に導かれてゆく魂を詠っている気がした。
その大きな存在はあるいは神でもいいし仏でもいい。
読者がそれぞれに受け止めればいいことである。
そして、三句以降は、カモメが空のまほらにのぼってゆく情景を詠っている。
そんなふうに読んだ。
作者は、青い空のまほらにのぼってゆくあまたのカモメを見て、
大いなる神の手によって天に導かれてゆく魂を思ったのであろう。
二句と三句の間にスペースがあれば分かりやすかったのかもしれない。
しかし、そういう工夫があったとしても、主語のねじれは解決できない。
歌の中で主語が変わる=失敗と決め付けるものでもないとは思うが、
かなり気をつけないとやはり失敗する。
で、この歌の場合もそれが歌の瑕になっている。
しかし、私はそれ以前にこの歌には大きな問題がある気がした。
この歌は、3月11日の地震、巨大な津波、その悲劇を観念で詠っている。
魂はもちろん、空のまほらに吸われてゆくカモメも、その把握はいたって観念的である。
悲劇を観念で詠ってもたいていの場合、成功しない。
しかも、この歌は悲劇を美しく詠っている。
短歌に限らず、人はえてして悲劇を美しくする。
悲しみ、哀惜、それが人をして悲劇をせめて美しくしようとする。
神話の時代の悲劇ならそれでいいだろう。
しかし、3月11日の悲劇は多くの人がその恐怖その悲惨を知っている。
それを知っている者はこういう観念的な歌に共感を覚えるだろうか。
なにか絵空事のような、そういう気がしないだろうか。
3月11日の悲劇を短歌として表現しようとした作者の気持ちに私は敬意を表する。
しかし、悲劇は観念で詠うものではなく、美しく詠うものでもない。
そういう基本的なところでこの歌は失敗している。
私はそう思った。

それにしてもここ数ヶ月の東京平日歌会、以前と比べかなりレベルアップした気がする。
参加し始めた頃は物足りない気がしたものだが、
最近はぼんやりしていると恥をかきそうだ。
本来、歌会はそれくらいの方がいいし、そういう歌会でなければ意味がない。
先月も今月も、若い力のある人がいい批評をぽんぽんとしていることが、
歌会全体にいい刺激をもたらしているのだろう。
そういう新しい参加者があらわれることで歌会全体がレベルアップする。
うーん...。
歌会の数を減らして月一度くらいにしようと思っていたのだが、
月二回程度に軌道修正しようか、やはりしばらく月一程度にしとくか...。
うーん、どうしよう...(^^;
Date: 2011/07/09(土)


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