東京平日歌会のついでの下町歩き、今回は築地を歩いてきた。 厳密に言えば下町ではないが、その辺はどうでもいい。 新橋から地下鉄を乗り継いで築地、駅を出て少し行けば築地場外市場である。 海産物の店や食い物屋が所狭しとならんでいて活気がある。 平日だというのに、観光客もそれなりに歩いていて、 あちこちで、牡蠣を焼いたり魚や肉の串焼きなどを売っている。 休日はもっと凄いのだろう。店員達も威勢がいい。 ちょっと横の方に入ると昔ながらの狭い路地があり、 なにやら懐かしい気分になる。 小学校1年まで、そういう狭い路地の街に住んでいた。 だから、こういうところに来ると妙に懐かしくなるのである。 築地というのはもともとは「埋立地」という意味の普通名詞だった。 明暦の大火で浅草の本願寺が焼け、佃島の門徒達がその移転先にここの海を埋め立てた。 作った築地(埋立地)の地名をそのまま「築地」にしてしまうところが江戸っ子らしい。 江戸っ子にはそういう即物的というか単純なところがある。 寿司屋も沢山あり、覗くと午前中だというのに、鮨をつまんで飲んでいるのがいる。 美味しい寿司屋がたくさんありそうで、 この次は築地で鮨を食べて一杯ひっかけてから歌会に行きたいものだが、 それをやると歌会の会場に着いたときには出来上がってしまっているかもしれない(^^; それにしてもこの辺のサラリーマンは幸せである。毎日美味しい鮨や魚の定食が食えそうだ。 店をのぞくと、にぎり1000円とか、刺身定食850円とか、 メニューはかなり豊富である。 活気があり猥雑。古い東京の匂いがするような、場外市場のあたりはそういう一角だ。 場外市場から太い道を渡ると築地本願寺。 築地本願寺は異形の寺である。 正面から見たとき、これが日本の寺かと思う。 関東大震災のあと、浄土真宗本願寺派の法主大谷光瑞が、建築家の伊東忠太に依頼して 作った当時としても珍しい鉄筋コンクリート造りの寺院。 古代インドの仏教建築を模したという建物で、 両側に立っている塔はあきらかにストゥーパ(仏舎利塔)を意識している。 狛犬も翼のあるライオンである。 中に入ると大きな講堂のようになっていて、仏像などは置いていない。 ここで僧侶が仏法の話などをするのであろう。 仏像を拝むのではなく、僧侶が信徒と向き合うことを前提にした作りである。 見るとパイプオルガンもあり、キリスト経の教会のようにさえ見える。 大谷光瑞は西域の探検などもやっていて、ちょっと面白い人物であるが、 この異形の寺を見ると、日本的な伝統とかにとらわれない人間だったのかと思えてくる。 彼についてはいずれもう少し詳しく調べてみたい。 さて、本願寺を出て銀座へ歩く。 実は今日は銀座で行きたいところがあり、そのついでに築地に立ち寄ったのだ。 暑い日差しのもと銀座四丁目に向かった。
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Date: 2011/07/07(木)
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