*--Diary--*


たけのこ  2011/05/09(月)
八海山  2011/05/06(金)
右左口村  2011/05/02(月)
湘南歌会  2011/04/28(木)
釜揚げしらす丼  2011/04/27(水)
大仏  2011/04/26(火)
関野杯  2011/04/18(月)
チャリティー花見  2011/04/11(月)
マイル  2011/04/08(金)
自粛  2011/04/02(土)


たけのこ
日曜、アーチェリーの射会のあとで今年最後の筍を採ってきた。
時期的には筍もそろそろ終わりで、
先週やはり射場で採った筍は先月のものと比べて少し硬かった。
もう採らなくていいと思っていたのだが、
射会でコースを回っていたら足下に鶏冠の黄色いいい筍を見つけた。
ちなみに筍には雄と雌がある。
鶏冠と言っている穂先が黄色いのが雌、緑が雄である。
雌の方が柔らかくて美味しい。
4月の末に山梨に行った帰り、
高速のSAの売店で筍を売っていたのだが、みな鶏冠が緑色をした雄だった。
おそらく鶏冠の黄色い雌の筍は割烹とか旅館とか、そういう得意先に行ってしまい、
SAの売店に並ぶのは二流品ということなのだろう。
野菜の良し悪しは分からないのだが、
筍がそうであれば、他のものもそうなのかもしれない。
今年は筍がちょっと遅かった。
4月の中旬あたりからようやく採れだしたという感じだったが、
筍御飯、焼き筍、筍の煮物、結構楽しめた。
今日は家に帰ってから、昨日採ってきた最後の筍を食べる。
掘り出してみたらなかなか形の良い筍だった。さぞ旨いに違いない。
こんなふうに季節を楽しめるのは嬉しいことである。
Date: 2011/05/09(月)


八海山
八海山に行ってきた。本当は巻機に行く予定だったのだが、
関越を走っている途中から腰が少し痛くなってきた。
前の日にゴールデンレトリバーのさくらのシャンプーをしたので、そのためだろう。
どうしても前屈みの姿勢になるわけで、それが腰に悪い。
腰というやつは一度悪くしてしまうと再発しやすい。やっかいである。
無理しない方がいいなと思ったので八海山に変更した。
あそこはロープウェーがあるので楽に上がれる。
高速道から見ると今年の八海山はそれなりに雪がある。決して少なくはない。
新緑と桜が綺麗な道を走りロープウェイの駐車場に着く。
ロープウェイに乗り山頂駅。いい天気で、残雪の上を歩いてゆく。
のんびり歩いて、途中でルートを外れて谷の斜面をくだってみたり、ぶらぶらする。
無雪期は藪に阻まれてこういう歩き方は出来ない。
残雪期はこういうふうに好きなところを歩けるのがいい。
山に登るというより、残雪を楽しんで歩く、という感じ。
そんなふうに歩いているとルートの脇の小ピークが目に入った。
無雪期なら誰も登らない登山道の脇の小さなピーク。
たぶん、あのピークに立てば、水無川の谷や越後駒が見渡せる。
ルートを外れ残雪の斜面を登ってそのピークに向かった。
ピークに出たとき、あれ?と思った。人がいた。
同好の士と言うべきか、ルートを外れて歩き回る変人と言うべきか、
とりあえず人がいたので、こんにちはと挨拶して周囲を見る。
案の定、水無川の谷も駒ケ岳も良く見える。
オツルミズ沢の滝もはっきり見える。なかなかいい展望台である。
同好の士あるいは変人は、双眼鏡で八海山の頂上の方を見ている。
「女人堂の下の方、急だな〜」とか言っている。
あそこは急に見えるが行ってみればそれほどのものでもない。
しばらく彼と話をする。私と同じ横浜の人間だった。
実家がこちらの方で、ここ数日、こうやって山を歩き回っているのだそうだ。
昨日と一昨日は黄砂で眺望はいまいちだったらしい。
腰が不安なので今日はこんなふうに残雪の上を歩き回って楽しめればいい。
それ以上上にはのぼらず、景色を堪能して同好の士と別れ下にくだる。
下山して、八海山神社の脇の八海会館で昼食に蕎麦を食べる。
ここの蕎麦は新潟のへぎそばである
へぎそばはつなぎに海草を使っている蕎麦で喉越しがつるりとしているのだが、
ここの蕎麦は蕎麦の実を全部つかう田舎そばなので、ちょっと固い。
そのせいか、へぎそばらしいつるりとした喉越しがない。
蕎麦はいまいちだったが、こごみと蕗の薹の天麩羅は季節感があって良い。
食事を終えて、五十沢温泉に行ってひと風呂浴びる。
田んぼのなかの地元の人が入る銭湯のような温泉で硫黄の匂いがする。
風呂の窓を開けると、まだ代掻きの済んでいない田んぼの向こうに新緑の尾根があり、
そのさらに向こうに残雪の巻機が見える。
やはり残雪の山はいい。
天気もいい、ともかく気分がいい。
気分がいいので、そのまま高速に乗ってしまうのが勿体なく、
一般道を湯沢まで行き、土産の笹団子と今夜の酒に久保田の碧寿、
駅の隣の寺泊直送の魚屋で刺身とホタルイカを今夜の肴に買って帰った。
楽しい春の一日である。

Date: 2011/05/06(金)


右左口村
ゴールデンウィーク直前の平日、所用あって山梨に行ってきた。
天気が良いので用事が終わってから、右左口村に立ち寄ってみる。
右左口(うばぐち)は甲府と静岡をつなぐ中道往還にある宿場町。
甲府盆地が尽きて駿河に続く山に登っていくあたりが右左口である。
歌人の山崎方代の故郷でもある。
放浪の歌人といわれた山崎方代、大正3年にこの右左口村で生まれた。
生涯独身で酒と歌を愛し、一時期鎌倉に住んだ。
彼の故郷の右左口にちょっと立ち寄ってみようと思ったのである。
用事を終えて、甲府南のインターから帰るのだが、
ちょっと寄り道すれば行けるはずである。
畑の中の道を走っていくと、「みたまの湯」という案内がある。
うん、天気いいから一風呂浴びて帰るか...。
寄り道のまた寄り道という感じで立ち寄る。
桃が少し咲き残った丘を登っていくと「みたまの湯」があった。
いわゆる日帰り温泉。
明日からゴールデンウィークだが、平日なので空いている。
ここは露天風呂からの眺めがいい。
風呂から見て正面に八ヶ岳、左に残雪の南アルプス。
八ヶ岳の右には奥秩父の山並みが続いている。
その下には甲府盆地が広がっており、
もう二週間くらい早ければ桃が綺麗だっただろう。
景色はこんな感じ↓
   http://www.mitamanoyu.jp/
ちょっと露天風呂がぬるいが、なかなかいい風呂だった。
所用で山梨に来たついでに道草を食っているわけだが、
9時から5時まで拘束されているサラリーマンではない。
引き受けた仕事をどう終わらせるかはこちらの裁量。
余った時間をどう使うかは自由である。
道草は楽しい。
道草を食っていると思いがけないものを発見したり、新しいヒントを見つけたり、
いろいろな収穫がある。
だから、東京平日歌会に行くときは東京の下町で道草を食い、
湘南歌会に行くときは鎌倉で道草を食う。
そうやって道草を食っているから大抵、歌会に遅刻することになる(^^;
しかしまあ、道草も食えないようなヤツは、
仕事が出来ないか人間の奥行きが足らぬか、どちらかであろう(^^;;
さて、右左口である。
温泉を出て畑の中の道をさらに走ってゆくと、そこはもう甲府盆地の端っこ。
その先は駿河との国境の山である。このあたりまで来ると、道のほとりにお地蔵さんが
並んでいたり、よく分からないが小さな石碑のようなものがあったり、
なにがしかの雰囲気がある。ここが右左口、昔の中道往還の宿場である。
今は甲府盆地の端っこの田園地帯という感じ。
なんというか、見通しの良い空の広い村である。
ここで山崎方代は生まれ少年時代を過ごした。
決して恵まれてはいない人生だったが、沢山のいい歌を残した。

  右左口の峠の道のうまごやし道を埋めて咲いておるらん

右左口の里というのがあり、そこの民芸館に方代の資料があるらしいので、
そちらに行ってみる。キャンプ場の一角にある小さな建物で、
まだゴールデンウィークになっていないので、誰もいない。
民芸館も閉まったままだ。見ると入り口の右にチャイムがあり、
御用の方は押してくださいとある。
チャイムを押してしばらくしたら、左の方から管理人らしい人が来た。
「見学できますか?」と聞くと、ええ出来ますよと答えて鍵を開けてくれた。
「これだけしかないんですよ」と言って、方代の展示を案内してくれた。
それほど大きくない部屋の一方の壁側に方代自筆の歌とか、原稿、
それと写真が展示されている。それだけ。
なるほど確かに少ないのだが、方代自筆の原稿は読んでみて面白かった。
短歌について書いたものだったが、「省いて省いて省いた末に本質が見えてくる」。
確かそんな内容のことが書かれていて、なるほどと思った。
管理人としばらく話をしたが、以前、方代がブームになった時は結構人が来たが、
今はあまり来ないという。礼を言って外に出、来た道を戻る。
山崎方代が生まれた右左口村は今も静かな農村である。
桃の季節はさぞ桃が綺麗だろう。

  ふるさとの右左口郷は骨壷の底にゆられてわがかえる村

彼の追憶のなかの右左口はどんな風景だったのだろう。
田園風景のなかを甲府南のインターへ向かった。
Date: 2011/05/02(月)


湘南歌会
世間では短歌をやっているというと、なにやら高尚な趣味を持っていると思うらしい。
実際、私も短歌を始めた頃はそれに近い感覚を持っていて、
始めて歌会に出た時は、
この人達はクソもオナラもしないのではないかと思ったものだ(^^;
もちろん、そんなはずがあるわけはなく、
歌人も当然、フツーの人間なわけである。
というか、フツーより俗かもしれないと最近は思っている(^^;;
なまじ高尚ぶっているから余計始末に悪いということもあるわけで、
以前、歌会で「歌詠みの俗・・・」という言葉を使った歌を出したら、
「ここにいる人達は俗ということとはかけ離れたところにいるから」という批評があり、
まさか、「嘘つけ」と言うわけにもいかず黙って聞いていたことがある(^^;;;
表現というのは自己実現のひとつの方法だと思うが、
自己実現と自己顕示はどこかで危うくつながっているのかもしれない。
湘南歌会は立ち上げから3年ぐらいになるのだろうか。
立ち上げの時もちょっとした行き違いがあったのだが、
それは性善説を信じて立ち上げを進めたのがいけなかった。
もっとドライに、性悪説を前提にするべきだった。
なぜこんな話をするかと言えば、今回、湘南歌会でくだらないトラブルがあったのである。
くだらないと言っても、一部の人は支部解散の危機とも受け取ったようなので、
中身はくだらなくても、影響は大きいものだったのかもしれない。
確かに、くだらない疑心暗鬼を支部の中にばらまいたのだから、
それをした者には深く反省してもらわなければならないのだが...。
今回のことを受けて、いろいろと考えた。
多少...メンバーが減っても気にすることはないのではないか。
おそらくそういうのは一時的なもので、
中身のある歌会をやっていれば、自然に新しいメンバーが集まるだろう。
固定したメンバーで仲良し共同体のような歌会はやらない方がいい。
どうも最近、湘南歌会にはそういう傾向が出ているようで気にはなっていた。
ま、今回のトラブルと直接関係はしない話かもしれないが、
もう少しメンバーが流動してもいいのかもしれない。
歌会のなかの人間関係が濃すぎると、問題が生じることもあるかもしれないということである。
Date: 2011/04/28(木)


釜揚げしらす丼
由比ガ浜から住宅地を抜け、極楽寺坂の切通しに向かう。
極楽寺坂の切通しは鎌倉七切通しのひとつで、
新田義貞の鎌倉攻めでは激戦地になった。
義貞は結局この切通しを突破できず、稲村ガ崎を迂回する。
切通しは現在は片側一車線の道路になっている。
鎌倉の切通しはみなそうだが、心持ち暗い道である。
この切通しの海側にある成就院は紫陽花で有名だが、咲くのは6月。今日は素通りする。
坂を越えて向こう側に下ると橋がかかっている。桜橋。
橋の向こうに江ノ電の極楽寺の駅のホームが見える。
単線の小さな駅である。なにやら昭和を彷彿とさせる。
歌会にはまだ時間があるので、桜橋を渡ったところにある極楽寺に行ってみる。
昔は大きな寺だったらしいが、現在は小さな寺である。
山門の脇の潜り戸のようなところから入る。
参道の両側に散り残った桜があり、向こうには八重桜が咲いている。
なかなか綺麗だ。
観光客の少ない寺だが落ち着いた感じがいい。
寺を出て、さて昼食を食べて行こうと思ったが、
この極楽寺の駅の前には店も何もない。
寺の脇の道の方を見るとラーメンの幟が出ている。しがないラーメン屋という感じだが、
ま、歌会のある藤沢もそれほど旨い店があるわけではないので、そのラーメン屋に行く。
店の前まで来てふと見ると隣に「釜揚げしらす丼」という幟が立っている。
よく見るとラーメン屋の隣に小さなスナックのような店があった。
「そうか、しらすの季節だな...」
店を覗くとカウンターだけの店で客は誰もいない。
たぶん、昼は食堂、夜は地元の人が飲みに来るスナックという店だろう。
なんでもいいやと入ると、水商売風のママが、
「いらっしゃい、お食事はしらす丼しか出来ませんけどいいですか?」と聞く。
そのしらす丼を食べに入ったのだから、そのまま座る。
どこからどう見ても場末のスナックという感じの店。
釜揚しらす丼とビールを注文。
テレビで震災のニュースをやっていたので、
ビールを飲みながらママと地震の話をする。
大仏殿を流した津波のことも知っていて、
結構この辺にも昔話で津波の話が伝わっているようだ。
いつの時代の津波か分からないが、
相模湾を渡ってきた津波が葉山のあたりの海岸にぶつかって向きを変え、
そのまま海岸沿いに鎌倉に流れ込んできたことがあるのだとか。
そんな話をしているうちに、しらす丼が出来た。
湘南のしらすは割りと有名だが、
江ノ島あたりだと茅ヶ崎の方に採りに行くのだそうだ。
鎌倉のこの辺りは目の前の海で採るのだそうで、
茅ヶ崎あたりのしらすよりも鎌倉の海のしらすの方が大きいのだという。
なるほど、確かに少し大きめ。
一口食べてみると、ふっくらとした食感があって美味しい。
「今日採れたしらすですから、美味しいですよ」と
しらす丼を出すときにママが言っていたのだが、
なるほど確かに旨い。
ぱくぱくぱくとあっという間に食べてしまう。
地元の人とその土地の話をして美味しいものを食べられると、
旅はこのうえなく楽しくなるもので、
今日のような歌会前半日のちょっとした歩きでも、それは同じである。
勘定をすませ、「今日は海が綺麗ですから楽しんでください」というママの声に送られて
駅に向かう。場末のスナックのような店だったが、思わぬ美味しいしらす丼を食べた。
いい気分でのんびり歩いたので目の前で電車を乗り逃がし、
花を眺めながら次の電車を待って、藤沢に向かった。
Date: 2011/04/27(水)


大仏
毎月第四日曜は湘南歌会、先月は震災で中止になったので、久し振りの歌会である。
で、湘南歌会のときは午前中に鎌倉を歩いてから歌会に行くようにしている。
今回は長谷の大仏。
顧問先の建設業者から震災以来、湘南の方では物件を買いたいという客が一気に減り、
戸建建築の予定がみなストップしてしまったという話を聞いた。
南関東で大地震があれば鎌倉や湘南にも津波がくるのであろう。
三陸の津波を目の当たりにして、客が一斉に引いてしまったということである。
そういう話を聞いたので現地を見てみようと思った。
それで選んだのが長谷の大仏。
奈良の大仏は大仏殿に入っているが鎌倉の大仏は露座である。
しかし、もともとは鎌倉の大仏も大仏殿に入っていた。
15世紀の津波で大仏殿が流され、今のように露座になったらしい。
大仏は由比ガ浜から700〜800mぐらいのところにある。
大仏の場所の海抜は18mくらいか。
もっとも、関東大震災などその後の地震で鎌倉や湘南のあたりは隆起しているので、
15世紀の津波のあったときは今よりも海抜は低く、海ももっと近かったのかもしれない。
ちなみに関東大震災のときも鎌倉には津波が来たが大仏までは届かなかった。
ただ、地震で隆起した地盤というのは、
いずれ、地震で沈下するということもあるのだろうか?
専門外なので知らないが、
今回の震災では三陸のあたり地盤が70センチぐらい沈下したらしい。
湘南も次の大地震で地盤が沈下すれば、想定よりも奥まで津波は押し寄せるのかもしれない。
江ノ電の長谷の駅で降りぷらぷらと歩く。
お土産屋が多く、女の子の好きそうなミサンガとかが並んでいる。
10分くらいで高徳院。
ここの境内に大仏はある。
天気が良く初夏のような明るさ。新緑も美しい。
境内に入り、大仏の前に来たとき、あれ?と思った。
昨年、修学旅行以来で奈良の大仏を見たとき、あれ?こんなに小さかったか?と思った。
今回、鎌倉の大仏を久し振りに見たとき、こんなに大きかったか?と思った。
しかし、実際には奈良の大仏の方が少し大きいのである。
屋内にある奈良の大仏と違い、露座の鎌倉の大仏は広々とした青空を背景にしている。
あるいはそれが鎌倉の大仏を大きく見せているのかもしれない。

  鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

与謝野晶子の歌である。
確かに、鎌倉の大仏はいい顔をしている。
奈良の大仏とは作られた時代が違うこともあるのかもしれないが、
ちょっと雰囲気の違う顔をしている。
横に回りこんで見上げると大仏の首がかなり前傾していることに気付く。
つまり、鎌倉の大仏は俯いているのである。
これは大仏を下から見上げたとき、大仏がその人を見守っているような雰囲気を
出すために俯いて作ってあるらしい。
あるいは鎌倉の大仏が美男に見えるのは、
俯いているがゆえに漂う幽かな翳りのためかもしれない。
奈良の大仏の顔にはこういう翳りはない。
気持ちのいい青空の下で久し振りに見た大仏の美男具合を確認し、
周囲を適当に見て外に出る。
長谷観音が近く、そこも大勢の観光客の行くところなのだが、
今日はパスしてそのまま来た道を戻り由比ガ浜に歩く。
今日は観光ではなく仕事がらみでこの辺の様子を見に来たのである。
踏み切りを渡りしばらく行けばもう海の匂いがする。
右に曲がりすぐに左、海岸道路に出られる。道路の向こうが由比ガ浜である。
砂浜に出て堤防の高さを見るとせいぜい2m。
この辺で想定されている津波の高さからは2mもあればということなのだろうが、
3月11日以来、想定外ということを想定しなければならない時代になった。
大仏殿を押し流した15世紀の津波は、南海、東南海などが連動した巨大地震だったという
説もあるらしい。現在の堤防は、
そういう連動した巨大地震は想定しているのだろうか?
これだと、テレビで三陸の津波を見た人達は一歩も二歩も引く。
この地域の物件の買い手は躊躇するはずだ。
たぶん、湘南も三浦も防災計画を見直さなければならなくなるだろう。
海岸沿いには観光客相手の店も沢山並んでいるが、
いずれこの辺のそういう建物はピロティー式のものに変わってゆくだろう。
今回の三陸の津波では木造住宅はひとたまりもなかったが、
鉄筋コンクリートの建物は大丈夫だった。
鉄筋コンクリートで一階がピロティー式になっている建物は、
津波がピロティーの部分を抜けてゆきその上は無事だったというのが結構あったらしい。
一階を駐車場などにしたピロティー式の鉄筋コンクリートの建物を作り、
最悪の時は海岸にいた人がすぐに避難出来るようにする。
海岸に近い一般住宅も木造は減りピロティー式の鉄筋コンクリートが増えるだろう。
ただ、ピロティーは一階に壁がないので耐震性は充分考えて作らなければならないはずだ。
そういうニーズを掴んでいけば、ビジネスチャンスはあるのではないか。
少なくとも、従来型の木造住宅はもうこういう地域では売れない。
そんなことを考えながら、津波が来たら一発でやられそうな海岸沿いの住宅街を抜け、
極楽寺の方に歩いた。
少し長くなった。続きは次にしよう。
Date: 2011/04/26(火)


関野杯
以前にこのブログにも書いた関野杯、昨日開催。
繰り返すようだが、関野杯といっても私のことではない(^^;
コンパウンドの名手でアーチェリーの団体の切り盛りを一手に
引き受けてくれていた関野晃さん。
昨年亡くなられたのだが、人柄も立派で周囲から好かれていた。
その関野さんを追悼しての関野杯。参加者24名、天気も良く盛会だった。
最初は賞品を出す予定だったのだが、
震災を受け、賞品は無しにして余ったお金は義援金に回そうということになった。
とりあえず参加者には飲み物だけ用意したのだが、
射場と有志から賞品の提供もあり、それなりに格好がついた。
ちょうど筍のシーズンなので、射場で採れた筍を入れた豚汁を全員に振舞った。
これがなかなか美味しくて好評。
また来年も試合をしようという声があちこちから聞こえた。
今回の準備をしてくれたS氏、Nさん、そして30人分の豚汁を作ってくれたM氏に、
心から感謝したい。
試合が終わってからは筍掘りに専念、
今年は昨年と比べて筍が少なく、しかも成長が遅いようなのだが、
それでも中ぐらい1本と小3本をゲット。
ここの筍で作る筍御飯はとても美味しい。
焼き筍なども酒のつまみにいい。
ちなみに余ったお金は約15000円。被災地への義援金に回す。
被災地にも桜が咲いたらしい。どんなときも春は必ずやってくる。
Date: 2011/04/18(月)


チャリティー花見
日曜、首突っ込んでいるNPOで毎年やっているお花見に行ってきた。
場所は弘明寺公園。
石原都知事が花見は自粛するようにと言っていたが、
過剰な自粛は被災地を苦しめるだけなので、
そんな自粛はせず、例年と同じように花見を開催。
天気も良く、桜はちょうど満開という感じ。
毎年、大岡川プロムナードを歩いて弘明寺公園に行っているので、
今年も京浜急行の日の出町から歩く。
大岡川沿いに桜が続いていて屋台も並んでいる。
震災で南区のさくら祭りが今年は中止ということだったので、
屋台も少ないのかと思ったが、
あにはからんや屋台は例年と全く変わりないし、人出はむしろ多いくらいだ。
ようやく過剰な自粛は止めようという雰囲気が広がってきたのかもしれない。
時々、川をレガッタやカヤックがゆく。
先日の石垣島ではジャングルの中の川でカヤックを楽しんだのだが、
桜に包まれた川をカヤックで行くのも面白そうだ。
レガッタは大学の部活だろうか、結構本気で漕いで練習している。
のんびり桜を眺めながら歩いて一時間半で弘明寺着。
ここでNPOの仲間と合流して買出し、そのあと公園で花見を始める。
ちなみに今回はチャリティー花見。
震災の義援金を集めようということで、
募金を入れる皿を置いておき、缶ビール一本開けたら100円玉を募金の皿に入れる、
そんな感じで義援金を集めた。
面倒くさいので千円札をぽんと入れて飲んだり、
ワインをコップに注ぐ度に金を入れたり、結構集まった。
花を楽しみ、仲間との話を楽しみ、酒を楽しみ、ついでに義援金も集める。
で、最終的に幾ら集まったかというと、
記憶が消えているので分からない(^^;
途中までは覚えているのだが、
何時ごろお開きにしてどうやって帰ったのか全然覚えていない。
気がついたら家で寝ていた(^^;;
財布を見たら100円玉がひとつもなくなっていたので、
たぶん、缶ビールや缶チューハイ、ワインに日本酒、次々と飲んでは募金の皿に
100円玉を放り込んだのであろう。
ま、幾ら集まったかは覚えてないが、
集めた募金はNPOから寄付することになっている。
石原都知事も花見自粛などと言わず、
上野公園の花見に募金箱を持たせて都の職員を派遣するくらいの機転を利かせて
欲しかったものである。酒が入れば人間気が大きくなるのであり、
さぞかし義援金が集まったはずだ。
Date: 2011/04/11(月)


マイル
大震災から一月近く経つ。
あれ以来、このブログへの書き込みも硬いものばかりだった。
そろそろ変えよう。
福島の原発はまだ片付いていないが、
何ヶ月か何年か、
たぶん長い付き合いになるのだろう。
危機との長い付き合い。
戦後の日本人が経験してこなかったことだが、
それをこれからの日本人は経験することになる。
少しは明るい話をするように心がけていないと、
たぶん、ビジネスの世界でも鬱が増える。気をつけた方がいい。
自粛とかしていないで明るくしていないと長期間の危機とは付き合えないだろう。
危機との付き合い方が重要になる。
で、少しは明るい話。
マイルが貯まった。
案内のメールが来るのだが、今まで気にも留めずに読み捨てていた。
試しにマイルを確認してみたら、30,000以上貯まっていた。
しかも、そのうちの半分近くが、数ヶ月内で期限が切れる。
調べてみると、クーポンに変えればそのあと13ヶ月有効になるとのことだったので、
20,000ポイント交換して、30,000円のクーポンを手に入れた。
来年の春まで飛行機のチケットの支払いに使える。
カードで買い物をして案外ポイントが貯まっていたのだ。
それ以外に飛行機に乗れば当然マイルが貯まるわけだから、
考えてみたら一年で国内便の飛行機片道のチケット分くらいは貯まるわけである。
今まで気がつかないで放っておいたので、
有効期限切れになったマイルも結構あったのかもしれない。
ということは、
買い物は出来るだけカードでしてせっせとマイルを貯めていれば、
二年に一度くらい、金を払わず貯まったマイルで北海道や沖縄あたりに行けるわけである。
うん、せっせと買い物をしてマイルを貯め、旅を楽しもう(^^
Date: 2011/04/08(金)


自粛
沖縄に行ってきた。石垣と竹富島。
地震前に飛行機のチケット等を予約してあり、
さすがにどうしようかと思ったが、
結局、行くことにした。
行って驚いた。
春休みの時期の沖縄には何回か行っているのだが、
今までこんなに人が少なかったのは初めてだ。
向こうで話をした人も口を揃えて、
「春休みで普通ならもっと人が多いんですけど、今年は本当に少ないです」と言っていた。
石垣の公設市場の辺りの商店街も閑散としていて数える程しか人がいない。
竹富島への船も随分空いていたし、白保の宿も観光客は我々だけだった。
自粛ムードで各地の観光業界が大変な状況になっているということは聞いていた。
箱根のホテルでは宿泊の80%がキャンセルされたという。
箱根は関東の客が多いのだろうが、
沖縄あたりでそれだけ影響が出ているということは、
この自粛ムードは地震や原発の影響を受けている東日本だけではなく、
全国的なものだということである。
これは重大なことだ。
地方の経済に占める観光業の比率は大きい。
こんな状態が続けばこの国の観光業は危機に陥り失業者が増える。
それに伴う消費の低迷は当然、他の産業にも波及する。
経済が動かなければ被災地の復興はない。
地震と津波。
その後の被災者救援や原発への対応の不味さが二次災害を招いていると言われているが、
過剰な自粛がもたらす経済の沈下は言うならば三次災害である。
この国の人々はなにを考えているのか。
無用な買いだめをして被災者に物資が行きにくくし、
次は過剰な自粛で経済を沈めるつもりか?
それでどうやって被災者を救うのか?
三次災害の担い手になるつもりか?
私はそんな担い手になるつもりはない。
だから、迷いはしたが予定通り沖縄に行ってきた。
今、この国の経済を沈めないためにはひとりひとりが金を使うことだ。
だから、金を使ってきた。
沖縄に行き店で買い物をして、義捐金の寄付箱があれば釣り銭をそこに入れてきた。
金が動かなければ経済は動かず、経済が動かなければ復興はない。
花見についての東京の石原都知事の発言に蓮舫節電担当大臣が噛み付いている。
精神論のレベルで花見を遠慮すべしと言った石原も石原だが、
蓮舫の反論はまるで子供だ。
花見を自粛することが経済にどういう影響をもたらすか、それを言うべきところを、
石原にスーパー堤防の廃止について言われたことの意趣返しみたいなレベルで
ものを言っているから情けなくなる。
危機に直面したとき、その人間のレベルも透けて見えるということであろう。
三春の滝桜、弘前城、東北には桜の名所が多い。
四月末には東北新幹線が復旧する。
桜は東北の観光の大きな資源である。
自粛して東北の観光業を壊滅させ、どうやって東北を救うつもりか。
金には使う時というものがある。
今こそ、金を使うときであろう。
今使う金は、この国を救う生き金になるはずだ。
Date: 2011/04/02(土)


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