*--Diary--*


歌会  2010/06/03(木)
北斎  2010/06/02(水)
鎌倉吟行その2  2010/05/26(水)
鎌倉吟行  2010/05/24(月)
難民支援  2010/05/19(水)
復調  2010/05/17(月)
東京平日歌会  2010/05/12(水)
延納不成立  2010/05/10(月)
八海山  2010/05/07(金)
横浜歌会  2010/05/06(木)


歌会
東京平日歌会、ちょっと気になることがあった。
歌会の最中、ある歌について出席者が自分が作者であることを言ってしまい、
総評の花山さんに自分の歌についてのアドバイスをしてもらっていた。
歌会は通常、作者名を伏せたままでおこなう。
この人の歌だからという予断を入れて歌を読まないためであり、
作者を知ることで批評に無用な遠慮を持ち込まないようにするためである。
たまたまその日の歌会では二人ほどそういう人が続いたために、
世話役の人が注意を喚起していた。
当然である。
出席者がみんなそんなことを遣り始めたら歌会は成立しなくなる。
結局この辺は出席者の自覚に頼らなければならないところではあるかもしれないが、
結社の選者が参加する歌会では、
選者の人に自分の歌を読んでもらいたい、選者の人の意見を聞きたい、
そういう気持ちで出席する人もいるということだろう。
以前、私が東京平日に出るようになった頃にも妙なことがあった。
質問付きの詠草。
詠草に自分の歌についての選者の方への質問がくっついていたという話。
「え〜、この詠草には質問がついています」
と司会が言ってその質問を読み上げはじめた。
それが幾つもあって、選者の花山さんも「まだあるの?」と驚いていた。
質問付きの詠草を出す方も出す方だが、その質問を読み上げる方も読み上げる方だ。
正直、私はそう思った。私が司会ならそんな質問は無視する。
歌会とカルチャーセンターの短歌教室は違う。
歌会とは出席者が対等の立場で出された詠草を批評し意見を戦わせる場であり、
そういうことを通して、自分の力を磨いていくところである。
そうではなくて、著名な歌人に自分の歌を見てもらい意見を頂きたいというのなら、
カルチャーセンターにでも行けばいいのである。
東京平日歌会に参加するようになってちょうど一年たった。
今回のようなケースを見たりして思うのは、
東京平日歌会は歌について意見を戦わせる下地が出来ていないのではないか?
ということである。
私がホームグラウンドにしている横浜歌会は選歌をする。
東京平日歌会は選歌をしない。
選歌をする場合、
その歌を選んだ者と選ばなかった者に当然に分かれるわけで、
一方はなぜその歌を評価したか、もう一方はなぜ評価しなかったか、
それぞれの意見を述べ合うことになる。
安易なことを言えば、そのすぐあとで反対意見がどかっと出てくるわけで、
つまり、意見を戦わせる下地が出来るのである。
選歌をしない場合、
詠草を順番に批評していくことになる。
それぞれが自分の順番に回ってきた歌について意見を述べるのだが、
選歌する時のように、このすぐあとに反対意見が出てくるという緊張感がないせいか、
感想や解釈を述べるだけで終わってしまうというのが目につく。
もちろん選歌をしないというのはひとつの選択であるし、
むしろ、うちの結社の各地歌会では選歌をしていないところの方が多いのかもしれない。
選歌にも問題点がある。
出席者が選歌で少しでも得票することの方に気がいってしまい、
票の入りやすい歌を出してくる。そういう危うさがある。
実際、京都の旧月歌会は、そのために選歌をやめ、
この歌について一言言わせろ、そういう票の入れ方に変えたという話を聞いたことがある。
どういう歌会を志向するかは、それぞれの歌会で決めることであるから、
別にどうでもいいのだが、
やはり意見を戦わせる下地はなんらかの形で作りたいものである。
歌会を運営する立場の人の苦労するところであろう。
Date: 2010/06/03(木)


北斎
毎月第一水曜の東京平日歌会。
大抵、東京の下町を歩いたり、上野あたりで展覧会を見たりしているのだが、
今回は原宿の太田記念美術館に北斎展を見に行った。
太田記念美術館は数少ない浮世絵の美術館である。
原宿の駅から少し歩けば小さな美術館に着く。
なかに入ると、靴を脱いでスリッパに履き替えなければならない。ちょっと変わっている。
明治維新になって、日本の伝統美術は暗い時代を迎えたわけだが、浮世絵も同じだった。
その後、浮世絵が印象派に与えた影響などが評価されるようになるわけだが、
やはりマイナーな印象はある。
そのマイナーな浮世絵に惹かれている。
高校生くらいからだろうか、浮世絵が好きだった。
昔、永谷園のお茶漬けの袋に付録のように小さな浮世絵の紙が入っていた。
安藤広重の東海道五十三次だったり、葛飾北斎の富嶽三十六景だったりした。
それが好きだったのである。
写楽や歌麿ではなく、風景を描いた浮世絵が好きだった。
そのなかで北斎のそれは、構図の秀逸さが目をひいた。
「神奈川沖浪裏」の大胆な構図。
「尾州不二見原」の大きな桶の向こうに見える小さな富士という画面の切り取り。
「東都浅草本願寺」の幾何学的構成。
どう絵を組み立てるか、いかにして全体を構成するか。
その構成力が北斎は卓抜である。
ただ見たものをそのまま描写するのではない。
それを加工し、より印象的な形で画面に再現する。
この技は短歌の世界にも通じるものであるはずだ。
というよりも、それこそが重要なのだ。
見たものを詠むだけならスナップ写真にしかならない。
見たものを自分の中で加工し、新たなものとして読者に手渡す。
そこに初めて表現者としての存在があるはずである。
北斎は奇人である。
生涯に93回の引越しをしたという。
日常生活はかなり奇矯であったらしい。
長寿であったが、老いてなお未来に目を向けていた。
「あと5年あったら、本当の絵師になれるのに...」
彼の最後の言葉は、決して現在の自分に満足せず、高みを目指し続けた人間の言葉である。
九十になろうとしてこの言葉はそれ自体、驚異である。
別に奇人であろうとも思わないし、奇矯であろうとも思わない。
しかし、彼のように未来に目を向けていたいと思う。
Date: 2010/06/02(水)


鎌倉吟行その2
吟行はどうしても嘱目詠になりやすい。
歩き回り歌の題材を探すのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、
今回の吟行では、見えないもの、そこに存在しないものを詠いたかった。
最近思うのは、
そこにあるものだけを詠っていては一線を越えることは出来ないということである。
もちろん、日常を秀逸に切り取っていい歌にすることは出来る。
実際、そういう良い歌は沢山ある。
しかし、それだけではそこから出られない。その線から出られないのである。
そこにあるものからそこにないものを浮かび上がらせる。
見えるものから見えないものを表現する。
そういう歌を詠いたいと思う。
言うは易くでこれが難しい。
若宮大路から八幡宮に行きあちこち見て歩いたわけだが、
どうも、いまいち歌が浮かばない。
1時までには歌を作らないといけないというのにまるで出来ない。
途方に暮れて大銀杏の倒れたあとを見上げていて、ふと気がついた。
大銀杏が倒れたことは大勢の歌詠みが既に詠っているはずである。
しかし、たぶん、倒れた大銀杏に目を向けた歌が多いだろう。あるいは思い出の中の大銀杏。
それは、大銀杏という見えるものを詠っているのである。
そうではなくて、見えないものを詠いたい。
そんなことを思っていたら、大銀杏が存在しなくなったあとの空間が目にとまったわけである。
大銀杏が倒れたあとの空間。その明るさ。
そこに着目して作った歌は歌会では割りと評価された。
しかし、歌会が終わって改めて自分の歌を読んでみると、やはり瑕が目につく。
声に出して読んだときの二句のあたりの調べは気に障るし、
詞書がないと鎌倉の大銀杏だということは読者に通じるのかというのも気になる。
関東の人には鶴岡八幡の大銀杏は知られていても、
関西や他の地域ではピンとこないかもしれない。
ま、それはあとで推敲するとして、
見えないものを詠うという姿勢でまがりなりにも一首作れたことは嬉しかった。
もっとも、ほんとうに自分が志向するものだったかと言えばちょっと怪しい。
見えないものと言いながら、
実は、大銀杏の倒れたあとの空間という見えるものに目をとめて歌にしたのである。
見えないものを詠おうと考えていたら着目するものが見つかったという話。
本当に自分の志向していた歌は作れなかった。つまりそういうことである。
見えないものを詠う。
そこにないものを浮かび上がらせる。
道はなかなか険しい(^^;
Date: 2010/05/26(水)


鎌倉吟行
毎月第四日曜の湘南歌会、今月は鎌倉吟行だった。
4月から会場を藤沢市民会館に変更したのだが、5月は部屋がとれなかったのである。
ならば鎌倉で吟行をしようということになった。
当日の参加者は遅れてきた人も含めて13人。
10時に鎌倉駅に集合し、八幡宮に向かう。
歩くのはちょっと辛いという向きは近くの妙本寺。
他に集号時間に遅れた人数人が、それぞれ鎌倉文学館や段葛などへ行ったらしい。
吟行というのは今までしたことがなかったのだが、
ともかく歩いて歌の材料を探す。
なにかいい歌が作れないかと思案しながら歩き回り歌を作る。
そして午後からは会場に移って、歩き回って作った歌を出し合い、歌会をするわけである。
あいにく小雨が降っていたが、それほどの雨ではない。
若宮大路を歩いていると、古い酒屋の脇に案内板がある。
見ると、県の指定文化財とかであるらしく、昭和2年に建てられた建物だそうだ。
築80年はたっているわけだが、まだ充分にしっかりしている。
木造でもいい建物はこんなに長持ちするものか。
店の横に今はもう使われていないトロッコのレールがあり、奥の蔵に続いている。
昔はこのレールの上を酒を積んだトロッコを押して出荷したのであろう。
歌の材料が欲しくてキョロキョロしているので、
そういう普段なら見過ごすような町の風景にも気付く。
八幡宮の鳥居の前で道路の反対側を見ると、
鎌倉飯店のシャッターが閉まっている。
先月の湘南歌会のときも午前中に鎌倉を歩いていたのだが、
そのときも閉まっていて、ちょっと気になっていた。
放浪の歌人・山崎方代ゆかりの鎌倉飯店。
おやじさんももう結構な年のはずだ。
あるいは店を閉めたのだろうか?
八幡宮では3月に倒れた大銀杏に人が集まっている。
倒れた幹の上と下を切り、もとの場所から5mくらい離れたところに植えてあるのだが、
ぼこっと植えられた太い幹から既に新しい枝と若葉が出ている。
もとの場所に残っている根の部分からも若葉がびっしりと生えている。
凄い生命力である。
実朝暗殺の舞台ということで有名な大銀杏。
なんとか復活してもらいたいものである。
数人で一緒に歩いていたのだが、
それぞれ歌の材料を探しているので、
いつのまにかばらけてしまい、一人で歩く。
ま、午後からは鎌倉商工会議所の会議室で歌会をやることになっているので、
最終的にそこに集合すればいいわけで、
別にばらけてしまっても全然構わないのである。
なんとか大銀杏のあたりで一首作れないかと思案していると携帯が鳴った。
もう歌は作ったから食事に行くという。
うーん、こっちは一首もまだ作れていないのだが...。
鳥居の方に戻り、また数人で合流。昼食をとることにする。
道の向こうを見ると、やはり鎌倉飯店は閉まったままだ。
表通りは混んでいるので裏通りの方に入る。
適当に探していると蕎麦屋があったので、皆でそこに入ったのだが、
文字通りの蕎麦屋で蕎麦しかなく、酒も置いてないという。
最近、たまにこういう店がある。
蕎麦好きが高じた人が開いた蕎麦屋にこういう店が多いのだが、
蕎麦というのは昔から庶民の食べるものであって、
蕎麦を注文してそれが出てくるまでの少しの時間に熱燗をひっかけ、
それからずずっと蕎麦を啜ったのである。
それが粋というもので、
蕎麦は庶民の手軽な食べ物だった。
それをなにやら高尚ぶって、うちは蕎麦だけでやっています酒は置いていません、などと
いうのは蕎麦屋の道に反する(^^;
結社に入ってこのかた、酒の一杯もひっかけないで歌会に出たことはない。
一杯ひっかけて戦闘体勢を整えてから歌会に臨むのである。
酒の一杯もひっかけないで歌会に出るやつの気が知れないというものである(^^;;
せっかくの吟行で昼飯の酒がなかったというのは痛恨事であったが、
蕎麦がくるまでの時間も心のうちで指折り数えて歌を作る。
ともかく1時からの歌会に出す歌を作らねばならん。
蕎麦を食い終わり、ぷらぷらしながら会場に向かう。
みな、蕎麦の量が少なかったことを言っていたが、
それ以前にあまり美味くなかった(^^;;;
天麩羅はさくっと揚がっていなかったし、蕎麦も風味に欠けた。
さて、肝心な歌である。
大銀杏のなくなったところを下からずうっと見ていて、
構想は浮かんでいるのだが、一首にまとまらない。
普段なら、無理して作らなくとも後で歌に出来ればという感じでいられるのだが、
吟行はとりあえず作らねばならない。
ああだこうだと腹の中で歌をいじくりながら街を歩く。
朝からの雨は相変わらず降り続けているがそれほどの降りではない。
空を低く鳶が飛んでいる。
こんなふうに歌を推敲しながら鎌倉の街を歩くのも悪くないなという気がした。
Date: 2010/05/24(月)


難民支援
20世紀は難民の世紀でした。残念ながら21世紀も変わりません。
国連難民高等弁務官事務所の外郭団体、国連UNHCR協会からの
ニュースを紹介します。このニュースは転載可のものです。



1【 DKNY CHARI.TEE 】
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■DKNY CHARI.TEE
 DKNY×道端ジェシカ

昨年20周年を迎えた世界的なファッションブランド「DKNY」。
デザインのインスピレーションを与え続けてくれたニューヨーク、地球
へ感謝の想いを還元するため、昨年チャリティTシャツが発表されました。
今回は日本のスペシャル企画として、DKNYと国連UNHCR協会の毎月倶楽部
サポーターでもあるモデルの道端ジェシカさんのコラボレーションによ
るチャリティTシャツが販売されます。Tシャツの売り上げの一部は国連
UNHCR協会に寄付されます。
(5月26日より全国DKNYショップにて販売予定)

▼道端ジェシカさんの難民支援に寄せるメッセージはこちら
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=941&m=287569&v=cd4ab200


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2【「つぶやき」めざせ10,000人】
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国連UNHCR協会創立10周年プロジェクト「10,000シェルタープロジェクト」
では、Twitterのフォロアー10,000人を目指しています。
ぜひあなたのフォローをお願いします。

▼@shelterproject
http://twitter.com/shelterproject

▼10,000シェルタープロジェクト
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=942&m=287569&v=3f1d5ff8


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3【イベント情報】
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■♪国連UNHCR協会10周年記念チャリティコンサートのお知らせ♪

英国大使館がお贈りする「浪漫の響き〜19世紀合唱音楽の旅〜」が開催
されます。
The British Embassy Choir Tokyo presents
"A Romantic Journey / Choral Masterworks of the 19th Century"

日時 : 5月29日(土) 開場18:30/開演19:00
場所 : 青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂 ※入場無料
出演 : 英国大使館合唱団
協力 : 青山学院大学聖歌隊
お問合せ : bectokyo@gmail.com
会場では、聖心女子大学学生団体SHRETやボランティアによる募金活動が
おこなわれます。
募金は、国連UNHCR協会を通じて、難民支援に役立てられる予定です。

▼フライヤーはこちらです。ぜひ、ご覧ください。(PDF 487KB)
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=943&m=287569&v=d800f96f


■6月20日世界難民の日チャリティーゴスペルコンサート開催

赤坂ル・アンジェ教会(福岡市中央区)では、6月20日(日)にチャリ
ティーゴスペルコンサートを開催されます。
赤坂ル・アンジェ教会のゴスペルクワイヤーが、前向きなメッセージを
世界に届けるべく、美しい歌声を奏でます。
キャンドルの揺らめく光に包まれた幻想的な礼拝堂で、感謝や喜びの気
持ちを歌にして表現したとされるゴスペルを聴きながら、大切な人を想
いゆったりとした時間を過ごしてみませんか。

チケット料金は国連UNHCR協会に寄付され難民援助活動に役立てられます。

日時 : 6月20日(日) 開場18:30/開演19:00 
場所 : 赤坂ル・アンジェ教会(福岡市中央区大手門 1-1-5) 
    http://www.anges-akasaka.com/
礼拝堂料金:1,000円

▼チケットのお申し込みはこちら
http://ticket.pia.jp/pia/event.do?eventCd=1021232

※立ち見の場合もございますので、あらかじめご了承ください。


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4【世界難民の日 登録イベント募集中】
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■6月20日は国連が定めた「世界難民の日」です。

国連UNHCR協会では、2010年「世界難民の日」を記念して、4月中旬から
7月にかけて全国各地で関連イベントを主催してくださる方・団体を募
集しています。
難民問題について考える一歩として、仲間や友達と一緒に参加してみま
せんか? 登録いただいたイベントは下記のページで紹介いたします。

▼詳細はこちらから(PDF)
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=944&m=287569&v=00c38249

▼申込みはこちらから(PDF)
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=945&m=287569&v=e7de24de

▼2010年登録イベント
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=946&m=287569&v=1589c926

▼2009年登録イベント
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=947&m=287569&v=f2946fb1


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5【UNHCR機関誌 REFUGEES】
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■UNHCR機関誌『REFUGEES 5号 日本のチカラ・ありがとうJAPAN』

UNHCR創設60周年、また国連UNHCR協会とeセンター(国際人道援助緊急事
態対応訓練地域センター)にとって、設立10周年という記念すべき節目
にあたる2010年、UNHCR駐日事務所では日本の貢献に感謝する
《日本のチカラ・ありがとうJAPAN》キャンペーンを実施しています。
このキャンペーンにあたり、UNHCR駐日事務所から発行されました機関誌
『REFUGEES 5号』では「日本ならでは」の様々な活動や貢献をご紹介い
たします。

▼《日本のチカラ・ありがとうJAPAN》キャンペーンについて
http://www.unhcr.or.jp/arigato-japan/index.html 

▼UNHCR機関誌『REFUGEES 5号』ダウンロードはこちら 
http://www.unhcr.or.jp/info/magazine_05.html

着払いでの発送も行っておりますので、ご希望の方は
jpntopi@unhcr.org までお問い合わせください。


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6【国連UNHCR協会ウェブサイトより】
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■国連UNHCR協会では、ボランティアの方々の協力のもと、
UNHCR本部からのニュースを翻訳してお届けしています。

・UNHCRが攻撃で家を失ったイラク人たちに新しい家を建てる
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=948&m=287569&v=7f7e392b

・アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官、
 コンゴ東部の国内避難民を忘れないよう世界に強く要請
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=949&m=287569&v=98639fbc

・UNHCRはスリランカ政府による国内避難民の移動制限緩和を歓迎
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=950&m=287569&v=44db0fd6

・大虐殺から逃れ、コーヒー販売に転じた元タバコ農業経営者
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=951&m=287569&v=a3c6a941

・苦難の幼少期に終止符を打ち、カナダでの新しい生活へ
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=952&m=287569&v=519144b9

===============================
国連難民募金にご協力ください。
▼ご寄付はこちらから
https://krs.bz/j4unhcr/c?c=953&m=287569&v=b68ce22e
※「今回のご寄付のきっかけ」欄で「国連UNHCR協会メールニュース」
  をお選び下さい。

■ゆうちょ銀行(郵便局)からのご寄付
専用の用紙をお送りいたしますので、ご連絡ください。
電話:03-3499-2450
e-mail: info@japanforunhcr.org
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Date: 2010/05/19(水)


復調
天気の良かった昨日は、射場で弓を引いてきた。
アーチェリーのいいところは、忙しい時でも半日だけとか2〜3時間だけとか、
そういう楽しみ方が出来ることである。
山はそういうわけにいかない。
近場の山の日帰りでも早朝発で一日つぶれるし、
大きな山なら数日かけて登りに行くことになる。
さて、そのアーチェリー。
今年に入って高得点を出せた時期があって、
肩を痛めたあとの低調からようやく抜け出したと思っていたのだが、
どうもここ数ヶ月、再び低調だった。
そのときそのときで、原因がなんとなく分かるのだが、
低調からイマイチ抜け出せなかった。
で、昨日は127点で、久し振りにまあ納得できる点が出た。
先週もパッとしなかったのだが、
帰りがけ、「リリースが外側に離れてしまうことがある」とこぼしているH氏に、
M氏が「引き手の方の肩甲骨をがっしり決めてないとそうなるよ」と答えていたのを聞いて、
あっ! それだ! と気付いた。
今年になって高得点をしばらく出したとき、自分のチェックポイントを設けて、
それをチェックしながら弓を引いていた。
しかし、人間というのは、最初そうやってチェックしていても、
そのうちそれが当たり前になり、
当たり前になると今度はそれを忘れるのである(^^;
チェックしているつもりが、幾つかのチェックをしなくなってきていた。
弓を引いたとき、引き手の肩甲骨を背中の方でがちっと入れて安定させる。
それをいつのまにかしなくなっていた。
で、昨日はそれを意識してコースを回った。
ファーストは他の部分の問題あって、いまひとつの点だったが、
その問題は自分でもすぐに分かったのでセカンドでは改善して、127点。
ようやくの復調(^^
分かっているはずのことが、当たり前になってしまうとそれを忘れる。
人間というのはそういうものなのだろう。
当たり前になっても忘れないようにするにはどうするか、
仕事でもこの辺は重要なところかもしれない。
それにしてもM氏。
かっての第一人者も人生の円熟期を向かえ、
今は射場に来るととりあえずカンチューハイを飲み、
アーチェリーよりも夕方以降の麻雀を楽しみにしているフシもあるが(^^;;
さすがは往年の第一人者、良いアドバイスをしてくれる。
やはり、人の言聞くべし、というのは本当である。
この酔っ払いめ、などと思ってはいけないのである(^^;;;
Date: 2010/05/17(月)


東京平日歌会
今日は東京平日歌会だった。
普段は第一水曜は休みにさせてもらい、
浅草や東京の下町を歩いたり、あるいは上野で展覧会を見たりしてから行くのだが、
さすがに3月決算の申告月である今月はそうもしていられない。
なんとか予定を調整して午前中は仕事をし、昼から歌会に出席した。
さて、その東京平日歌会。
気になる歌がひとつあった。
例によってここには出せないが、
蝙蝠が飛ぶ空を掠めて鳥の一隊が飛ぶ、というような歌意の歌である。
ちなみに初句は「蝙蝠」で始まり、結句は「鳥の一隊」。
私はこの歌を読んだとき、焦点がぼやけている気がした。
蝙蝠の飛ぶ様子を形容した上句はそれだけで面白く、
それだけで一首が立てられる気がしたのである。
その面白い上句につけた下句。
歌会の場では言わなかったが、問題に感じたのはまず「掠めて迅し」という四句。
芭蕉が「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んでいるが、
そういう優れた先行の歌なり俳句なりがあるせいか、
「掠めて迅し」という表現がどうも定型的というのか、そんな感じがするのである。
それと結句。
「鳥の一隊」という結句はそれだけなら別にああこう言われるものではないかもしれない。
しかし、この歌は「蝙蝠・・」という初句から始まり「鳥の一隊」で終わるのである。
確かに、蝙蝠が飛んでいる空のそれより少し高いところを鳥の一隊が掠めるように飛んでいく
という情景は、絵になるものであって、短歌の題材になりうる。
問題は詠い方である。
「蝙蝠」で始まって「鳥の一隊」で終わる。
こういう詠い方をすると「蝙蝠」と「鳥の一隊」の比重はヒフティヒフティにならないだろうか?
「蝙蝠」を初句に持ってきたとき読者に与えるイメージ。
結句の体言止めがもたらす効果。そして定型的な印象の四句。
歌の構造に問題はないか?
一首に「蝙蝠」と「鳥の一隊」の二つを詠うこと自体は反対しない。
しかし、どちらかに比重を傾けないと一首として成功させるのは難しいような気がしたのである。
総評の花山さんは、「蝙蝠」と掠めて飛ぶ「鳥」の二つの面白さを指摘していたが、
どうなのだろう?
ちなみにこの歌、その花山さんの歌だった。
歌の中での言葉の比重。
これも一首を立ち上げる上で重要なことなのであろう。
そういうことを考えさせる一首であった。
で、選者の歌なれど...(^^;
花山さん、この歌のこの表現の中での四句と結句は私は疑問であります!(^^;;
Date: 2010/05/12(水)


延納不成立
個人の顧問先から電話がかかってきた。
「督促状が来てるんですが。所得税って書いてあります」
「この前の確定申告の分でしょうけど、延納しましたよね。半分は納付しました?」
「ええ、ちゃんと納めています。でも、もう半分もすぐに納めないと加算税がかかる
みたいなことが書かれているんです」
確定申告で納付する所得税については、一定の要件のもとに、
納付税額の半分以下の金額を、本来の納期限の3月15日ではなく、
5月31日までに納付すればよいということに出来る。それが延納。
一括で支払うのは大変、というような場合にこれを使う。
延納の届けはしてあるので、税務署の手違いかと思ったが、
本人が気にしているようなので、コールセンターに電話してみた。
以前は各税務署の管理徴収部門が担当していたが、最近は税務署も事務の合理化とかで
税務署の管轄を越えたコールセンターを設け、こういう督促関係はそこで一括で扱っている。
納税者の氏名・住所を伝えると割りと簡単に話がつながった。担当者がいるわけではなく、
オンラインで情報はすぐに見られるようになっているのだろう。
「この人から督促状が来ていると言ってきたんたげと延納してるよね。なんで督促状?」
「はい、延納の届けはあるのですが、最初の分が3月16日に納められているんです」
「えっ? 16日!」
「はい、16日です」
所得税の延納は申告期限までに税額の半分以上を納付することが要件。
つまり、21年分の所得税の確定申告では、22年3月15日までに半分以上を納付しなければ
ならない。それをしなければ延納の届けはしてあっても延納は不成立になる。
その人の場合、1日遅れたために延納が成立せず、
延納のつもりで納付していなかったもう半分は
単なる納付漏れの状態になってしまったのである。
当然、加算税もつく。
その旨、本人に伝えると、
「ああ〜、そう言えばうっかりして1日遅れて払いました〜」だって(^^;
たった1日の遅れでこういうことになることがある。
納付にしろ各種の届出にしろ期限にはくれぐれも注意。
Date: 2010/05/10(月)


八海山
連休最終日、八海山に行ってきた。
残雪期は日本の山が一番美しい季節である。
仕事やらなんやらで最近は泊りがけの山には行きにくくなってしまっているのだが、
この時期はなんとか都合をつけて残雪の山を味わいたい。
で、山岳会の仲間と出かけたわけだが、
一緒に行く仲間が八海山に行ったことがないので行きたいという。
正直言うと久し振りに券機山あたりに行きたかったのだが、
せっかくそう言うので八海山に行くことにした。
実は去年の4月も行っているし、子供達と五十沢のキャンプ場でキャンブしていた頃は、
毎年のようにこの時期の八海山に登っていたのだ。
しかし、仲間が行きたいというのだからそこでいい(^^
券機は券機でまたいつでも行ける。
八海山ロープウェイで稜線に出る。
八海山のスキー場にはカタクリの花が沢山咲いていて、
それを見に来る観光客もかなりいるらしい。
昨年は残雪が少なく、ゴールデンウィークの時期にはカタクリが終わっていたのだが、
今年はちょうどこの時期に咲いている。
ただ、残雪が多いわけではなく、むしろ今年も残雪は少ないのだ。
雪は少ないが、4月、気温が低い日が多かったので
カタクリがちょうどこの時期に咲いたのだろう。
稜線を辿っていくと女人堂の避難小屋がある。次の週末に山岳会の仲間が
新人歓迎山行に利用するようなことを言っていたので中を確かめる。
綺麗に片付けられていて布団も用意されている。
地元の関係者がしっかり整備しているのだろう、頭が下がる。これなら安心して使える。
例年より少ない雪を踏んで頂上に登る。
何度来ても気分のいいピークだ。
しばし、残雪の越後三山を眺めて下山。
雪の稜線をくだっていくと、眼下には魚沼平野が広がる。
まだ殆どの田は水を張っていない。魚沼の田植えはこれからである。
下山後は五十沢温泉の旧館が水曜で休みなので六日町の中央温泉で汗を流す。
六日町の駅に近い銭湯。銭湯といっても魚沼という場所柄、当然温泉である。
番台におばさんが座っていて大人250円。
浴槽は4人入れば一杯になってしまいそうな小さな銭湯なのだが、風情がある。
熱い。
この辺の温泉はたいてい熱い。源泉が熱いし、循環したり加水したりするような設備もない
掛け流しの小さな共同湯や銭湯なので、
結局みんな熱いのだ。
熱い風呂に入って、遅い昼食を食べて帰る。
これで今年の残雪期の山は終わり。
また来年、春の魚沼を歩きに来たい。
Date: 2010/05/07(金)


横浜歌会
3日は横浜歌会。
通常は第一日曜なのだが、今月は連休のせいか第一日曜の2日が会場を取れず3日になった。
出席者は15人(詠草提出16人)で歌会としては丁度いい人数というところか。
横浜歌会らしい活発な発言が相次いだ面白い歌会だった。
で、その中で気になった歌をひとつ。
横浜歌会では選歌をしているのだが、
今月の最高得票の歌のひとつ(なんと今回は同点が5首あった)で、私自身も選歌した歌。
例によってここに出せないのだが、
われわれと鸚鵡が三回言うのを聞いてそれを静かに憎む、
そんな歌意の歌である。
情景としては割りと簡単である。
鸚鵡がいて、「われわれ」と三回繰り返して言う、それを聞いて静かに憎んだ、
というだけの話だが、内容は象徴的である。
どういうふうに受け取るかは読者次第という歌であろう。
「われわれ」という言葉に連帯を感じる人もいるのだろうが、
「われわれ」という言葉が語られるとき、
実はその根底に危ういものを含んでいることもある。
「われわれ」という言葉でくくられたとき、ふと嫌悪を抱くこともあるだろうし、
そこにプロパガンダ的な匂いを嗅ぐこともあるだろう。
鸚鵡にその言葉を教えた人がいるはず、という評もあり、なるほどと思った。
深い内容を感じさせる歌だと思ったのである。
で、批評の中で出てきたのが、
「鸚鵡」は同じようなことを繰り返し言う人の比喩ではないか、という意見。
確かに、意味もなくあるいは主体性もないままに他人の意見を口うつしのように繰り返す、
そういう人間を「鸚鵡」と比喩することは出来る。
しかし、私はその読みはつまらないと思った。
もし、そういう人を「鸚鵡」と比喩しているのなら、それは比喩として陳腐だし、
そういう人を静かに憎むという歌意自体が、あまりに当たり前のものになってしまう。
「鸚鵡返し」という言葉もあるわけで、そういう解釈はもちろん可能なわけである。
しかし、それは歌をつまらないものにしてしまう読みであり、不必要な深読みである。
「鸚鵡」は素直に鳥の「鸚鵡」として読めばよい。
むしろそのほうが、この歌は深いものを秘めた歌として味わうことが出来るはずだ。
私はそう思った。
で、歌会の終わったあと、お茶を飲みながら話していたのだが、
なんと、「鸚鵡」は同じようなことを繰り返し言う人の比喩、
というのが作者の意図であったらしい(^^;
本人に直接聞いたわけではなく、他の人と話しているのが漏れ聞えてきただけなのだが、
そのようなことを作者の方は仰っていたようだ。
別にそれはいいのである。
作者の意図したものを言い当てるのが歌の読みではない。
歌は読者の前に出されたときから作者の手を離れる。
作者の意図とは全く違う内容に読まれる、ということが短歌の世界では当たり前にある。
作者が意図しなかったものを歌が表現することがあるわけで、
ときに歌は作者を越えることがある。
短歌とはそういうものだ。
作者は意図しなかったかもしれないが、
この歌は、作者の意図を超えてさらに良い歌になる可能性のある歌だろう。
同時に思うのは、
歌の読みは決して読者を越えない、ということである。
歌をどう読むか。
どう読めば、その歌はさらに良い歌として読めるのか。
それは読者次第である。
歌は作者を越えることがある。しかし、歌の読みは決して読者の器量を越えない。
だからこそ、苦しんででもおのれの器量を磨きたい、器を拡げたいと思うわけである。
良い読者でありたいと思う。
Date: 2010/05/06(木)


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