*--Diary--*


肉筆浮世絵  2013/01/29(火)
研修会  2013/01/24(木)
仙台歌会  2013/01/21(月)
晩翠草堂  2013/01/16(水)
「366日目」  2013/01/11(金)
新年会  2013/01/07(月)
にぎり福  2013/01/04(金)
幸庵  2012/12/28(金)
福島歌会  2012/12/26(水)
納射会  2012/12/25(火)


肉筆浮世絵
日曜の湘南歌会、午前中は大抵、鎌倉を歩く。
ここしばらく仕事で帰りが遅いので寝過ごしてしまい、出かけるのも遅くなってしまった。
幸いバスと電車の接続が良くて家を出て35分で鎌倉に着いたが、
いかんせん今日はあまり時間がないので、
八幡宮に行き、ついでに八幡の敷地内にある鎌倉国宝館に行くことにする。
確か、肉筆浮世絵展をしているはず。
天気が良いせいか鎌倉は随分と人出が多い。
八幡で今年の厄除けとかをやっていたので、あるいはそれで来た人が多かったのか?
大銀杏が倒れて随分と明るくなってしまった石段を登り、とりあえず本殿で手を合わせる。
八幡は今年初めてのお参りである。
石段を降り、白幡神社の方に行けば鎌倉国宝館がある。
肉筆浮世絵というのは、版画ではなく、絵師が一枚一枚描いたものである。
大量生産できる版画の浮世絵が庶民向けだったのにたいし、
肉筆浮世絵は特別注文で描かれた富裕層向けの浮世絵。
中世ヨーロッパでは絵といえば金持ちの注文で描かれるものが多かったわけだが、
肉筆浮世絵はそれに近い。
花魁や遊女の絵が多いのは、パトロンが女の気を引こうとして金をたたいて描かせた
のかもしれず、あるいは置屋が宣伝のために女達の絵を描かせたりするようなことも
あったのかもしれない。
展示されている浮世絵を眺めていくと、女達の絵に変わり、雀とやまかがしの絵があった。
やまかがしの鱗までひとつひとつ描かれた写実的な絵である。
色も鮮やかでなにより構図がいい。
葛飾北斎だった。
なるほど、こういう構図はやはり北斎である。
北斎はなんとなく絵を描いているのではなく、
構図を計算し尽して描いている。
小憎らしいくらいそれが上手い。
ネットでその絵を探してみたがちょっと見つけられなかった。
これに似ているが構図が逆で傾き加減や鳥の様子もちょっと違う、色ももっと鮮やか↓
http://homepage2.nifty.com/tisiruinoe/SnakeCurlingAroundBamboo.gif
短歌でもいかにして読者の脳裏に鮮やかな情景を浮かばせるかは大切なことで、
こういう絵画的なセンスもたぶん必要なのである。
北斎には学ぶことが多い気がする。
広重の絵などもあり、小さな国宝館の小さな展覧会だが充分楽しめた。
あまり時間もないのでテキトーなところで切り上げ、今日は江ノ電を使わず、
手っ取り早くJRで歌会の会場に向かう。
土産に八幡の境内で売っている焼きぎんなんを買っていく。
Date: 2013/01/29(火)


研修会
東京中野で研修会。本来は東京会の研修会なので東京地方会の会員は参加しないのだが、
昨年、実施した成年後見の研修で東京会の成年後見支援センターの相談員を講師に
招いたりした関係で、地方会の支援センターのメンバーも出席できることになった。
中野サンプラザの大きなホールでの研修会で、
講師は東日本大震災で自らも被災したという仙台の弁護士。
震災直後の高齢者や身体障碍者の保護についての生の話が聞けて有意義だった。
地震があったら津波が来る、家族のことも考えずともかく逃げろ、
という「てんでんこ」という言葉は震災以降、知られるようになったが、
「てんでんこ」では助からない人達がいるわけである。
それが高齢者や身体障碍者。
自分のような雑な考え方をする人間は、
退避困難者は退避が必要なところに置かない、そういう施設は津波の来ないところに
作ればいい、という感じで簡単に割り切るわけだが、
実際にはいろいろ問題があるわけである。
何十年も暮らしてきた集落を離れたくない、死ぬならここで死にたい、
そういう人は当然いるわけで、
津波のこないところに施設を作っても、
本人が行きたがらなくて困るという話もあるだろう。
それにしても、震災直後数日のなにをどうしたらいいのか分からない状況のなかで、
自分の車で新潟まで行ってガソリンを大量に買い付け、それを積んで被災地に戻り、
通れない道路をなんとか迂回したりしながら、それぞれの地域の社会福祉士の安否を
確認し、要支援者を保護する体制を整えるために動き回ったという社会福祉士の
話には驚いた。
そういう行動力・判断力のある人がいるんだな...。
やはり、この国はエリートはダメでも現場は優秀なのだ。
研修会のあとは、各税理士会の成年後見支援センターの連絡協議会。
ちなみに税理士会は、全国15の単位会に分かれていて、それをまとめるような形で
日税連というのがある。
その全国15の単位会の成年後見支援センターの責任者の会議で、
それに各センターの相談員が陪席するような感じで出席して60人程。
それぞれの地域で家裁の対応などもかなり違うのだなという話もあって面白かった。
ただ、相談員としては、相談員だけでより実務的な情報交換の場が欲しいなという気は
するわけで、責任者の協議会と相談員の協議会は別々にやってもいいのかもしれない。
協議会のあとで懇親会もあったのだが、仕事の忙しい時期なのでそちらはパスして帰った。
Date: 2013/01/24(木)


仙台歌会
仙台歌会で気になった歌。
例によって発表前なのでここには出せないが、
梅毒を極めながらも春を売っている女が川柳にあって走ってくる、
というような歌意の歌。
一読、意味がとりにくいが、
梅毒を極めながらも春を売っている女性を詠った川柳、
それを読んだとき、その女が走ってくるような気がした。
そんなふうに読んだ。
読んだとき、「極めながらも」というのが気になった。
昔、梅毒は治療の困難な病気だったわけで、
口減らしのために売られた女性が性病にかかり、それが進んでなお春を売っている。
それは生きるためかもしれず、梅毒が進んで狂気に陥っていたのかもしれない。
実際、そういうケースはあったと思うわけで、
もとの川柳を知らないのだが、情景として浮かべたとき、悲惨というか、怖い句である。
その川柳を読んだとき、その女が自分の方に走ってくるような気がした、というのは、
作者の覚えた戦慄であろう。
そういう戦慄の表現として面白い歌だとは思ったのだが、
どうも「極めながらも」が気になる。
道を極める、という言い方があるが、
「極めながらも」というと、自己の意思で極めているような感じが多少出てしまう気が
する。この辺を変えるだけでかなり一首として整ってくる気がするのである。
あと三句から四句へのつながりも少し気になったのだが、
この辺は仕方ないのかな...。

当日の仙台歌会は出席者13人。
歌会はこれくらいの人数が互いに遠慮なく発言できていい。
題詠と自由詠あわせて26首を順次批評し、歌会後は新年会へ。
新年会の席では、昨年出した震災の歌集『366日』の続編をどうするかという話に
なった。関東の人間で被災していない私はその歌集については部外者なので、
専ら聞き役になっていたのだが、話としてはこれからも毎年発行していこうということ。
聞いていて、それは大変だな...と思った(^^;
もちろん、どういう位置づけで毎年、歌集を出すのかによって変わるわけで、
同人誌的な感じで出すのならそう大変なことではないかもしれないが、
被災地からの発信ということに軸足を置いて出すのなら、
今後も毎年続けるというのはかなりのエネルギーを要する。
そういうエネルギーを要する営みを通して人は実力を身につけていくわけだから、
それはそれでいいのだろうが、
間違いなく、かなり大変。
部外者としては、頑張ってくださいと応援するのみである。
新年会のあとは皆と別れて松島の温泉へ。
先月の福島歌会のあと飯坂温泉に泊まったのが気分良かったことに味を占め、
今回は松島温泉に宿をとった。
仙台から松島は東北本線で30分かからない。
松島駅からタクシーに乗り松島センチュリーホテル。
ここの温泉は海の眺めが良くて気持ちがいい。
松島はいくつも浮かんでいる島が防波堤の役目を果たしたようで、
他の地域と比べ、震災の被害は比較的少なかったらしく、被害の跡は気が付かなかったが、
このセンチュリーホテルも震災のときは一階が津波で水没したらしい。
翌日は朝から雪。
だんだん降り方が激しくなってくるし、テレビでも大雪とか言っているので、
松島見物等はせずに早めに帰ることにした。ホテルの車で駅に送ってもらい、
仙台からの新幹線も早い時間のものに変更して帰ってきたのだが、
結局これが正解だったようで、最初乗る予定だった新幹線で帰っていたら、
その日の関東の大雪でだいぶ遅れたのだろう。
東京駅に着いて以降、多少の混乱はあったが、帰宅難民になることもなく無事に帰った。
Date: 2013/01/21(月)


晩翠草堂
仙台は昨年の六月に平泉に行く途中に立ち寄って以来。
駅に着くとまず土産を買ってそれぞれのところに送る。
牛タンと鐘崎の笹かまぼこ。
この笹かまぼこがアーチェリーの仲間には好評。
ぶあつい大きなかまぼこで旨い。「大漁旗」とかいうネーミング。
ちなみにホームページ探してみたらあった。↓
            http://www.kanezaki.co.jp/
歌会に出るために来たのだが、少し時間があるので、例によって道草を食う。
駅で周囲の案内など見ていたら、晩翠草堂というのがあった。
青葉通りを歩いて行けばそれ程遠くない。
時間的にちょうどよさそうなので、そこに行ってみる。
仙台の成人式は13日の日曜日であるらしく、
歩いていると晴れ着姿の若い女性がちらほらといる。
空は若者達の門出にふさわしい良い天気。
15分くらい歩いただろうか、ビル街の一角に古い家が見えた。
土井晩翠。
詩人であり英文学者。
滝廉太郎の「荒城の月」の作詞者だが、
あちこちの学校の校歌を作詞した人でもある。
その晩翠が晩年を過ごした家をその後、有志が保存したのが晩翠草堂であるらしい。
昔懐かしい昭和の建物。
「公開しています」という札が出ていて、見学の人は呼び鈴を押すようになっている。
呼び鈴を押して玄関を開けると、横の事務室から男の人が出てきて、
どうぞどうぞと案内してくれる。
公開されているのは二間だけで、晩翠の詩や歌や写真が展示されている。
奥の部屋には古いベッドが部屋の真ん中に置いてあり、案内の人の話では、
晩翠が使っていたものを当時のまま置いているのだそうで、
最後はそのベッドで亡くなったらしい。
見るだけならすぐに終わってしまう小さな記念館である。
なんでもここの敷地はもともと晩翠の屋敷があったところで、現在の数倍の広さが
あったらしい。しかし、昭和20年の空襲で焼けてしまい、住むところがなくなった
晩翠のために、旧制二高の教え子達がここに家を建て、晩翠が住めるようにしたらしい。
妻子を亡くしていた晩翠は、その最晩年を教え子達の作ってくれた家でひとり暮らした
わけである。周囲の善意はありこそすれ、寂しい晩年であったかもしれぬ。
案内の人と庭を見ながら少し話をした。
この付近は昔、敷地の広い屋敷がたくさんあったあたりで、現在の青葉通りもそういう
屋敷町のなかの幅5mくらいのフツーの道路だったのだそうだ。
それがその後の都市計画で全く様変わりしてしまったという。
旅先では地元の人の話を聞くのがいい。
案内や本に書いていないいろいろな話が聞ける。
礼を言って外に出る。ちょうど入れ違いにカメラを抱えた男性がひとり来た。
私がいる間、他に訪ねて来た人はいなかったので、休日でもそう人は多くは来ないので
あろう。ちなみにこういうところ↓
http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/POI/miyagi/bansuisodo.htm
駅の方に戻り、ハピナ名掛丁商店街をぶらついて昼飯。
ついでにビール一杯ひっかけて歌会モードに切り替え、歌会の会場にゆく。
Date: 2013/01/16(水)


「366日目」
「366日目」は東北在住の歌人達の手で東日本大震災から一年を経て編まれた歌集である。
前段階として「99日目」という歌集があり、
これは震災の直後に詠まれた歌を集めたものだったのだが、
同じメンバーでその後の一年の月日のなかで詠んだ歌をまとめたのが「366日目」。
歌の他に、東北在住の歌人・佐藤通雅と東北と縁のある花山多佳子が「99日目」の
評も書いており、後段では、震災を詠うことについての座談会が載っている。
去年、購入していたのだが、忙しくて読む暇がなく、
年末年始の休みにようやく読むことが出来た。
巨大地震、津波、原発事故という未曾有の体験から発信された歌は、
ひとつひとつの歌をおろそかに読むことは出来なかった。
座談会も、人間の生の感情の推移が窺われて読み応えがあった。
同じ被災者でありながら、自分よりも酷い被害を受けた被災者に負い目を感じたり、
あるいは放射能の風評被害のなかでの綺麗事ではない心の動き、
そういうものを今後どう表現していくのか。
大きな課題であろう。
ただ、読後、かすかな違和感が残った。
佐藤通雅が「99日目」の評のなかでも書いている、
「・・・このとき被災直下にいて歌の心得のある人は、生の証を刻みたい、
死者の無念に寄り添いたいという思いで作りはじめた」
この「死者の無念に寄り添う」。
座談会のなかにそういう話が殆ど出ていなかったような...。
それが私にはかすかな違和感だった。
命への眼差し、というのが、
短歌を詠むときのひとつの大きな背景としてある気がするのである。
命への眼差しがあるから、人間を詠い、愛するものを詠い、家族を詠い、
愛するものを失ったときの悲しみを詠う。
命への眼差しは死者への眼差しにもつながるはずである。
私も震災について詠っている。
私は被災者ではない。
震災の犠牲者のなかに親戚や知人がいるわけでもない。
しかし、思いがけない死を迎えなければならなかった数多の命。
それを知ったとき、ひとりの人間としてこみあげてくる悲しみがある。
その悲しみのゆえに、私は死者に寄り添いたい。
それはひとりの人間として、自らのなかの悲しみと向き合うためであり、
ひとりの表現者として、もはや自ら伝えることのできない者の悲しみに向き合うためである。
だから震災を詠っている。
佐藤通雅の言う「死者の無念に寄り添う」。
それは今回の震災だけの特殊なことではないはずで、
短歌という表現の根底にあるもののひとつであろう。
しかし、座談会ではそういう話はなかった。
自分自身が震災とどう向き合うか、向き合ったか、それが話の主だった。
もちろん、未曾有の経験をしたとき、
まず自分自身がどうそれと向き合うかということは重要なことであり、
当然のことである。
しかし、ひとりの表現者として、
自らはもうなにも伝えることの出来ない死者の無念にどう寄り添うのか、
そういう話がほんの少しあっても良さそうな気がしたのである。
今度の連休、
「366日目」を出版した人達の歌会に出るため仙台にゆく。
Date: 2013/01/11(金)


新年会
昨日はアーチェリーの新年会。
で、今日の午前中は二日酔いでちとつらかった(^^;
飲み屋で目の前に座ったH氏、やり手の経営者で公私ともにお盛んな方だが、
この人、なかなか気配りの細かい人で、
こういう気配りの細かさも仕事を成功させる要素のひとつかなと思ったりする。
で、その気配りの細かいH氏が目の前に座って酒がなくなるとすぐに注文して
くれるのだが、他にも飲む人いるだろうと常に多めに注文する。
結果、いくら飲んでも目の前にウーロンハイが常時三杯ぐらい置いてあるような状態で、
気が付けばかなり飲んでいた。
二軒目でカラオケに行ったりしたが、そこでも飲んでいたのかいなかったのか、
記憶がいささか曖昧。
年末年始に帰ってきた息子には、翌日に残るような飲み方はするなと説教していたのだが、
うーん、ちと反省。
酒の席で気配りの細かい人のそばに座るのも良し悪しである(^^;;
それにしても最近、新年会はあまりやらなくなった。
景気のいい時代は大抵の会社、忘年会も新年会もやっていたが、
今では忘年会はやっても新年会はやらないというところが多い。
近頃はそういう酒の席を敬遠する若い社員もいるらしく、
ノミュニケーションというのが崩壊したという話もある。
ま、酒を通じてコミュニケーションするのはいいとして、
酒はやはりほどほどに。
二日酔いの体には今朝の朝食が七草粥だったのがありがたかった(^^
Date: 2013/01/07(月)


にぎり福
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今年が皆様にとって良い年になりますように。


世間では4日の金曜を休みにして6日の日曜まで正月休みというところも
あるようだが、当事務所は本日4日から通常通りの業務。
というか、早速仕事始めないと終わらないという...(^^;
今年の正月は元日に家の近くの神社にゴールデンレトリーバーのさくらを連れて
初詣に行き、2日はアーチェリーの初射ち、という感じで、
特別出かけるようなこともせずに過ごした。
以前なら子供達を連れてスキーに行っていたのだが、
ある程度の年になるともう父親と遊んでくれない(^^;;
それは仕方ないとして、もう少し正月らしいことをしようかなということで、
昨日は鎌倉へ。
元日と比べれば人出は少ないようだが、車両進入禁止になった若宮大路はかなりの人出。
八幡の境内は行列になっているようなので、
人の多いところは避けて細い横道をくねくねと歩き、荏柄天神へ。
ここは小さな神社だが、鎌倉で一番早く咲くとかいう紅梅がある。
行ってみるとさすがに正月でここも参拝の行列。
とはいえ、観光客でごったがえす八幡あたりと比べればこういう小さな神社の行列は
かわいいもので、40分ほどでお参りできた。
本殿の右に梅の木があるのだが、寒い日が続いたせいかまだ蕾は小さいまま。
よく見ると上の方にひとつだけ少し大きくなった蕾があり、その紅の色が春らしい。
参拝をすませたあと、お札の返納の場所に家にあったお札やお守りをまとめて納める。
というか、これが目的で来た。
さらに言えば、あちこちで毎年お札やお守りを買ってくる母に頼まれて来た(^^;;;
お札とかお守りとかは本来は買ったところにお返しするのだろうが、
いちいち買ったところに行っていられるわけもなく、
こうやって正月にどこかの神社にまとめてお願いする。
ちなみに荏柄天神で買ったお札やお守りはひとつもないのだが、
他で買ったお札はだめだとか、日本の神様はそんなケチなことは言うはずがない。
そのかわり、お焚きあげ料はちゃんと納めてくる。
荏柄天神を出て、やはり人通りの多いあたりを避けて宝戒寺へ。
ここは鎌倉幕府滅亡後、北条氏の菩提を弔うために建てられた寺。
北条の分家の分家の裔あたりに連なっている身としては、
正月ぐらい手を合わせていこうかという気にはなるわけで立ち寄る。
ここは比較的空いていた。
宝戒寺から南へずうっーと歩いていくと、日蓮の辻説法の跡などがあり、
さらに行くと本覚寺がある。
ここは商売の神のえびすさんがいるので、それなりの人出にはなっている。
手っ取り早くお参りをすませて、お守りを売っているところでしばし探し物。
あった。
にぎり福。
こんな感じ→http://hidens.blog.so-net.ne.jp/2011-01-03
今日は荏柄天神に古いお札を納め、本覚寺にこれを買いに来た。
この辺りの素朴なお守りである。
毎日一度にぎると福が来るとか。
かわいいお守りなので、子供達に買ってゆく。
ほんとに福が来るのかどうか知らないが、
正月くらいこういうお守りを買っていってもよかろう。
曇ってきたので鎌倉駅に戻り昼食をとり、
普段使う江ノ電は混んでいると思うので寄り道せず素直にJRで帰った。
Date: 2013/01/04(金)


幸庵
珍しく娘が一緒に食事をしようというので出かけた。
遅刻厳禁と言い渡されて駅で待ち合わせ、
横浜あたりで食事したいのかと思っていたら電車を乗り継いで藤沢。
藤沢は月に一度歌会で来ているところ。
なんだ藤沢か、美味しい店なんてあったかな? と思っていると、
娘はスマホで店の場所を探しながら歩いてゆく。
南口に出ていつも歌会をやる市民会館とは反対の方にしばらく歩いて店に着いた。
ビルの一階、日本料理店らしい。品のいい木の看板に幸庵とある。
「今日は今年一年の感謝で私が奢るから」
えっ!?
奢ってくれるの...(@@
てっきり、奢らされるんだと思って来たんだけど(^^;
娘が先頭で店に入る。
仲居さんが出てきて、「お待ちいたしておりました」。
なにやら高そうな店である。
店内は落ち着いた感じで静かな音楽が流れている。
客が何人か入っているがいずれも静かに話していて騒がしい感じはなし。
奥の方の感じの良いカウンターに席が用意されていた。
あとで知ったが、ここは完全予約制なのだそうだ。
仲居さんが挨拶と今日のコースの説明をして奥に行った間に娘に聞く。
「なんか高そうだぞ、大丈夫か?」
「大丈夫、今日はそのつもりで来たから、まかせといて」
とりあえずビールで喉を潤す。
懐石のコースで、順番に出てきた料理は見た目も綺麗で品が良かった。
ひとつひとつの料理を説明してくれたのだが、
これを書いている段階では細かいことは忘れてしまった(^^;;
覚えているのは美味かったということ。
綺麗だったということ。
使っている器が凝っていたということ。
途中でビールから日本酒に変えたのだが、米の芯という銘柄。
この前飲んだ島根の王禄のようなさわやか系とはまた違い、
まろやかというのか豊潤というのか、旨い酒だ。
酒の器も感じがいい。江戸切子の銚子だろうか?
飲みながら、奢ってくれるなんてどういう風の吹き回しだと聞くと、
一年の感謝を込めて、ということなんだそうな。
なるほど...。
確かに今年はいろいろあった。
子供は思い通りには育たない。
それを思い知った一年だった。
しかし、こんなふうに父親に奢ってくれるとは思わなかった...。
わざわざネットでこの店を探したらしい。
世界で103店しかないミシュランの三ツ星。湘南ではこの幸庵だけらしい。
かなり高いんだろうな...、酒の分だけは出してやろうなどと思いつつ、
ついつい旨いので酒のおかわりをしてしまう。
落ち着いた雰囲気のなかで美味い料理を食べ、旨い酒を飲み、
最後はデザートが出て、抹茶が出る。抹茶の器は織部だった。
勘定は席ですませる。横で見ていたら24000円。
「大丈夫か? 酒の分はお父さんが出すぞ」
「大丈夫、あいつは飲むからなと思って3万支度してきた」
うーん、よく分かっている(^^;;;
帰り、店の外に出て歩きながら何気なく振り返ると、
板さんと仲居さんが並んで見送ってくれている。
東京あたりのそれなりの店ではたまに見かけるが藤沢にそういう店があるとは
知らなかった。
藤沢の幸庵、完全予約制、いい店である→http://www.kouan.info/
話をしながら年末の街を駅に歩く。
そういえば、今年、結社誌の新樹集に出た歌はこの子を詠ったのだった。

   ほのぼのと夕陽まといて陸橋を渡りくるなり背きたる子は


今年のつれづれ日記への書き込みは今日で終わります。
一年間ありがとうございました。
来年が皆様にとって良い年になりますように。
Date: 2012/12/28(金)


福島歌会
先々週の話になるが、福島歌会が立ちあげられるというので行ってきた。
去年、三陸の震災のあと、結社誌に載っている東北の会員の人達の、
未曾有の経験のなかから発信してくる歌に惹かれ、
仙台の歌会にたまに出るようになった。
そのとき、歌会後の酒の席でこんな会話をした。
「東北は歌会少ないですよね。仙台も隔月にしかしないし」
「東北は会員が少ないから歌会があまり出来ないんです」
「会員が少ないから歌会をしないというのは勘違いですよ。
歌会をしなければ会員は増えない。少ない人数でも歌会をやる。
そうすれば、いずれ会員は増える」
酒の席のそういう話を真に受けたのかどうかは知らないが(^^;
今年になり、福島で新たに歌会を立ち上げることになったという。
ま、けしかけた方としては、
第一回目の歌会くらい行かないとまずいかなという気はするわけで、
新幹線に乗って福島に行ってきた。
歌会は午後1時から。福島に着いたのが11時くらいだったので少し時間がある。
せっかくなので福島の街をちと歩いてみる。
福島県庁の南の方に御倉亭というのがあって、
昔、日銀の支店長の役宅だったものを歴史的建造物として一般公開しているらしい。
時間もそれほどないので散歩がてらそこに行ってみる。
ちらほらと雪が舞っているので傘を差して歩くのだが、
歩いている地元の人は殆ど傘を差していない。
うーん、東北の人は多少雪が舞うぐらいでは傘を差さぬものかと妙に感心する。
確かに傘を差すよりフードでも被っていれば充分なような降り方ではある。
県庁を過ぎて少し行ったところに御倉亭があった。
入ってみると、玄関のあたりに和服の御婦人達がいる。
歴史的建造物というのを拝見しようと玄関の方に行くと、その和服姿の御婦人達が、
「いらっしゃいませ、どうぞ、ちょうど茶会が始まるところですから」
「え!? いや、あの、建物を見に...」
「どうぞ、どうぞ、こちらです、まあ、寒い中をようこそ」
「ええ、あの、建物を...」
「お荷物はこちらに置いて頂いて結構ですよ、さあさあ、茶会が始まりますから」
そのままなかに引き入れられてしまう。
感じのよい庭を望める廊下の先に男性がひとり立っていて、
どうぞと言って障子を開けてくれる。
八畳くらいの部屋二間を通しで使って茶会をしているようで、
着物姿も交えた14〜5人の御婦人達がきちんと正座して座っている。
あ〜あ、入っちゃった、建物見に来ただけなのに...。
勧められるままにすべてを諦めた者のように畏まって端っこに座る。
ちょうど目の前にストーブがあり、
そこは暑いですよと他の人達が詰めてくれた。
窮屈そうに正座しているのに気が付いたのだろう隣の御婦人が、
「もう挨拶が終わりましたから男性の方は胡坐でいいんですよ」と言ってくれた。
正座地獄で仏様に会ったような気分で足を崩させてもらう。
茶会というのは出たことがなくて礼儀作法を知らない。
師匠らしき人の話を聞き、茶を点てる様子を見、
他の人達の真似をして畏まってお茶を頂く。
飲み終ると他の人達のしているように、しばし手にした器を鑑賞する。
よう分からんが感じの良い器だった。
師匠の娘さんとお孫さんらしき三人の女性が茶を出席者の前に運んでいた。
お孫さんは小学2年生と言っていたが、着物を着てしっかりとした感じ。
最後にその子が目の前に座って、いかがでしたか?というようなことを聞くのだが、
その辺の作法を知らないので、「とても美味しかったです、ありがとうございました」と
恐縮して頭を下げる。
生まれて初めて茶会というものを経験してしまったが、
頂いた抹茶は確かに美味しかった。
終わってホッとして外に出、阿武隈川沿いを水鳥を眺めながら歩いて駅の方に戻る。
茶会で時間をつぶしたので歌会の開始時間に少し遅れたのだが、まだ全員揃っておらず、
第一回目の福島歌会でいきなり遅刻ということにはならずに済んだ。
出席者8人で各自2首提出の歌をじっくり批評することが出来、いい歌会だった。
人数の多すぎる歌会だと、歌会の進行を邪魔するのが気になって、言いたいことも言わず
に辛抱してしまうことがあるのだが、このぐらいの人数だと皆が言いたいことを言えるか
らいい。ただ、やはり10人から15人は欲しいところ。
出席者が少なくてしかもメンバーが固定化すると、
無記名でも作者がだいたい見当ついてしまい、
批評に余計なバイアスがかかる。
福島歌会がこれからいい歌会になってくれるといい。
歌会終了後は忘年会。
楽しく飲んだあと飯坂線の最終で今日の泊まりの飯坂温泉へ。
駅に着いたらタクシーが一台もおらず、しんしんと降る雪のなか宿まで歩くことに
なったが、ひさしぶりに歩いた雪の夜道なかなか風情あり、いい温泉だったので文句なし。
福島で歌会を楽しみ、歌会後は適度に飲んで締めは飯坂温泉で温泉を楽しむ。
くせになりそうである(^^
Date: 2012/12/26(水)


納射会
23日は通っているアーチェリーの射場の納射会。
一年の射ち納めに午前中はコースを回り、昼からは毎年恒例の餅つきをする。
試合ではないので、テキトーに何人かで組んで順次コースに入る。
女性陣はレディースと称して女性だけで組んでコースに入ったが、
やかましいのなんの...(^^;
射場の森に響いた魔女のごとき高笑いにペースを乱された会員も多かったはず(^^;;
餅つきは例年、子供達がくるのだが、いつも子供を連れてくる会員が用事で来られなか
ったりで、今年はちょっと子供達が少なかった。
蒸したもち米を次々につきあげ、ちょうど来合わせたビジターさんにも振る舞う。
つきたての餅は柔らかくて美味しく、
餡子や黄粉をつけたり、焚火で作った豚汁ならぬ鳥汁に入れて雑煮にしたり、
ついつい食べ過ぎてしまう。
午前中は天気がイマイチで寒かったが午後からは陽が差してきた。
たらふく餅を食って午後から再びコースに入ったが、
人間満足してしまうとそれで終わりで、それに応じた点数(^^;;;
やはり人間はハングリーでなければならぬのだと納得。
夕方からは場所を変えて忘年会。
楽しい一日を過ごした。
Date: 2012/12/25(火)


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