*--Diary--*


2008年が終わる  2008/12/29(月)
御犬様騒動  2008/12/20(土)
3年後消費税引き上げ  2008/12/17(水)
耳鳴り  2008/12/11(木)
歌会  2008/12/08(月)
口座引き落としの手続きは忘れずに  2008/12/03(水)
西上州 烏帽子岳北稜・北西稜  2008/11/27(木)
広島その4  2008/11/21(金)
広島その3  2008/11/20(木)
広島その2  2008/11/18(火)


2008年が終わる
2008年がもうすぐ終わる。
いろいろなことがあった一年だった。
経済情勢も大きく変動したが、
正念場は来年以降だろう。
厳しい状況が続くのかもしれないが、
暗い報道ばかりに気持ちを沈ませるべきではあるまい。
どんな時にもチャンスはある。
気持ちが沈めば人は守りに入る。後ろ向きになる。
そういう姿勢でビジネスは成功しない。
プライベートな面でもいろいろなことがあった。
新しい歌会を立ち上げ、それに伴ってもろもろの人間模様も見た。
山とアーチェリーはいつもの通りの一年だったかな...。
ゴールデンレトリバーの「さくら」が来て、新しい家族が増えた。
ちなみに「さくら」は子供達の祖母つまり私の母の命名。
今度オスを飼ったら「寅さん」と名付けるか...(^^;

新しい年を心機一転して迎えたい。
あるいは厳しい年かもしれない。
しかし、どういう状況でも人は胸を張って生きるべきである。
良い年をお迎えください。
Date: 2008/12/29(月)


御犬様騒動
ゴールデンレトリバーが家族に加わった。
犬を飼いたいと子供が言い出したのはかなり前だが、
とうとう飼うことになった。
飼うことになるまで、さらに決まってからも紆余曲折あり、
我が家の御犬様騒動だった(^^;
2ヵ月のメスで名前はまだない。
車の中ではおとなしくしていたが、
家に帰ってケージに入れるととたんにキャンキャン啼き出した。
生活環境が突然変わるので、
最初の数日間はかなり啼くらしい。
このときにいちいち相手をしていると、
啼けば人間が来てくれると思って、啼く癖がつくらしい。
「最初の数日間はどんなに啼いても無視してください」とのこと。
さてさて、どうなることか...。

Date: 2008/12/20(土)


3年後消費税引き上げ
政府の経済財政諮問会議が、税制抜本改革の「中期プログラム」に
3年後の消費税引き上げを明記した。
一方、政府税調は先月、消費税の引き上げについて言及しない形で答申を出した。
なにやらいろいろと混乱しているようで、今日も自民党の一部からは反発の声があがっている。
国全体が高齢化していくなかで将来的に消費税の引き上げが必要なのは自明である。
しかし、問題はその時期だろう。
消費税については既に一度失敗している。
平成9年、誰が考えてもおかしい時期に消費税を引き上げ、
せっかく回復の兆しが見えていた景気の腰を見事に折ったのである。
平成9年の消費税引き上げは、官僚の作った法律で平成9年4月からの引き上げが
早い時期から決められたものだった。
それが決まったとき、「引き上げの時点で景気が後退していたらどうするのか?
数年後の景気が分からないのに引き上げを決めてしまっていいのか?」
という議論はあった。しかし、正論は押し切られ、
景気にようやく回復の兆しが見えたという大事な時期に消費税を引き上げ、
景気の腰を見事に折った。
いかにも官僚国家らしい硬直した政策の失敗だった。
今回の「3年後の引き上げ明記」にも同じ危険を感じる。
さすがに「景気の動向を見て」ということにはなっているらしいが、どうなのだろう?
この官僚国家にそういう柔軟な判断が出来るのだろうか?
同じ失敗を繰り返さないことを祈るばかりである。
Date: 2008/12/17(水)


耳鳴り
しばらく耳鳴りがしていた。
まだ耳が遠くなるような年じゃないだろうと思っていたので、
いささかショックだった。
低い小さな音がずぅっーと聞こえているようで、
人と話していても相手の声が少しこもって聞こえる。
なにかこう、耳が塞がっているような不快感がかすかにあった。
このまま耳が遠くなるのかと不安に思って医者に行くと、
聴力自体は年相応であるらしい。
医者は、鼻の穴をのぞきながら「うーん、アレルギーがあるね」と言う。
確かにハウスダストのアレルギーがあったのだが、
症状がひどかったのは10年以上前で、最近はさしたる症状も出ていない。
医者の話では、今回の耳鳴りはアレルギーが原因らしい。
耳と鼻はつながっているので、鼻の方のアレルギーの症状が耳に影響するのだという。
「それ程悪くありません、薬で治るでしょう」という医者の言葉にホッと一安心。
薬をもらって10日ほど経つが、数日前から耳鳴りが消えてスッキリしてきた。
それにしても、このまま耳が遠くなるのかという不安と苛立ちは結構厳しいものがある。
まわりの音が遠のいてゆくのは、自分自身が世の中から疎外されていくような
恐怖があるということに気付いた。
耳の不自由な人はそういう世界で生きているわけである。
ほんの少し、そういう人達の苦しみが理解できるようになった気がする。
Date: 2008/12/11(木)


歌会
昨日は所属している短歌結社の歌会とその忘年会だった。
その忘年会の席上、歌会の中心である岡部史さんから、
「歌のいいところを見つけるということも大切」ということを言われた。
歌会では出席者の詠草を全員で批評するわけだが、
大抵の場合は、歌の瑕を指摘することになる。
で、私はその歌会ではかなり厳しい評者という評価を受けているらしい。
別にひとの歌をボロクソに言っているつもりはないのだが...(^^;
確かに、瑕を見つけてけなすのは簡単である。
一方、「歌のいいところを見つける」というのは、口で言うほど簡単ではない。
実際、その日の歌会でも、
他の評者が「ここがいい」「この表現が効いている」等評価しているのを聞いていたが、
その評価が的を射ているかというとそうでないケースが多々あった。
本人が「その歌のいいところ」と思ったところが、
実はステレオタイプだったり、表現が曖昧だったり、
読者に頼りすぎた表現だったり、そもそも誤読だったり...。
結局、歌の問題点に気付くだけの力をつけなければ、
「歌のいいところ」は見つけられないのである。
そのことに気がついていなければ、
「歌のいいところを見つける」ということは、
安易な歌の褒め合いに流れてしまう危険も孕んでいるのである。
もしそういう方向に行けば、その歌会の質は間違いなく低下する。
そして、歌会の参加者全員がそういうことに気付いているかといえば、おそらくそうではない。
これは私の属する歌会に限ったことではなく、大抵の歌会の現実だろう。
だから私は今後も厳しい評者でありたいと思っている。
そのうえで、昨日の岡部さんの言葉を来年の宿題として受けとめるつもりだ。
厳しく歌を読むトレーニングをし、自分自身に力をつけたい。
力をつけたうえで、「歌のいいところ」を見出したい。
そうでなければ、本当の「歌のいいところ」は見出せないと思うからである。
Date: 2008/12/08(月)


口座引き落としの手続きは忘れずに
家のパソコンがネットに繋がらなくなった。
故障かと思い調べてみてもおかしいところがない。
さてはと思い、家の電話を試してみるとこれも繋がらない。
「この電話番号はお客様の都合で現在使用出来ません」という音声が流れてくる。
パソコンではなくルーターの故障かと思い、
買ったときのパンフレットを引っ張り出してみたが、さっぱり分からない。
明日、NTTに電話して復旧するしかないかと思っているとき、
ふと思い当たった。
「この電話番号はお客様の都合で現在使用出来ません」という音声が聞こえるという
ことは、電話は繋がっているんだよな?
するとルーターも故障していない、パソコンも故障していない、
なのに繋がらない...?
「あ...!」
テーブルの上の籠に放り込んであった葉書を探した。
あった...。
「10月分の電話料が支払われておりません。
このままお支払いがない場合は12月2日から
回線が使用出来なくなります」...(^^;
7月に自宅の電話をひかりフレッツに変えた。
それに伴い自宅の電話番号が変わったのだが、
電話料の口座引き落としは電話番号で管理しているということで、
電話番号が変わると、あらためて口座引き落としの手続きが必要なのである。
その手続きをうっかりしていて、しばらく払込書で支払っていた。
もう口座引き落としでOKと思い込んでいたのだが、
10月分まではまだ引き落としが出来ないのだった。
その分を支払い忘れていて電話をとめられたのである(^^;;
なにやってんの?と子供にぼろくそに言われてしまった(^^;;;
電話番号が変わったときは口座引き落としの手続きを忘れないようにしましょう。
そうしないとしっかりとめられます(^^;

Date: 2008/12/03(水)


西上州 烏帽子岳北稜・北西稜
西上州の烏帽子岳に行ってきた。
西上州は高い山こそないが、岩と藪の山が多く静かな山域である。
烏帽子岳もそういうピークのひとつ。
下仁田から奥に入り、いかにも限界集落という感じの最後の集落を過ぎ、
林道をさらに奥に入ると大仁田ダムがある。
この少し先が烏帽子岳の登山口である。
ここに車を停め、沢沿いの登山道に入る。周囲は静かな晩秋の山である。
しばらく行くと沢が二俣になり標識が立っている。
烏帽子岳は右となっているが、我々は左の沢に入った。
ルート図には最初の二俣を左となっていたのだ。
標識は右を差していたが、左の沢にも目印の赤布がところどころにあり、
右は頂上への別ルートと思った。
これが失敗だった(^^;
しばらく行くと登山道が消えてしまった。
踏み跡らしいものはあったが、それも消えた。
沢の斜面の森を登ってゆくのだが、歩きにくいので適当なところから左の尾根に出た。
今回は一般ルートから烏帽子岳に登りそこから北西稜を下る予定だった。
我々が登っているのはどう見ても一般ルートではない。そもそも道がない。
標識のところで左に入ったのが間違いで、たぶん降りる予定だった北西稜を
登っているのだろうと思い、そのまま頂上を目指すことにした。
岩稜が出てきたりしてなかなか面白い。
頂上直下の岩稜でハタ?と考えた。
片側はすぱっと切れ落ちていて、
ほんの数メートルの岩場なのだがザイルを付けた方が良さそうだ。
北西稜を下降するとき、ここはどうやって下降するのか?
ルート図にはこんなところはなかった。ひょっとしたらここは北西稜ではない...?
岩場を越え、さらに細い稜線を登ると頂上に出た。
そこで周囲を見渡して初めて分かった。
我々が登ってきたのは北西稜のさらに北側、いうならば北稜である。
北西稜はその隣にあった(^^;;
頂上には一般ルートを登ってきたおばさん達が休憩していた。
「あなた達、どこから登ってきたの? へぇ〜、あんなところ登れるの〜凄いわね〜」
凄くないのだ。
おばさん達の登ってきたのと同じ一般ルートを登るつもりが
間違えて北稜を登ってしまったのだ(^^;;;
昼食のあと、最初の予定通り北西稜を下降した。
ここもルートファィディングが難しく、結局最後はザイルで3ピッチの懸垂下降をした。
周囲は赤と黄色の木立。落ち葉に埋もれている道を登山口に下り、
温泉に入り、名物の下仁田ネギを買って帰った。
Date: 2008/11/27(木)


広島その4
最初に戻ろう。
平和公園には「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という碑文がある。
最初にこの碑文に異議を唱えたのは
東京裁判の裁判官のひとりだったインドのパール判事だった。
彼はこの碑文を読み、
「広島に原爆を落としたのは日本人ではない。
落としたアメリカの手はまだ清められていない」と言った。
その後、この碑文の書き換え・存続をめぐって議論になった。結局、時の広島市長が
「主語は世界人類、この碑文は人類全体への警鐘・戒めである」と発言し、議論は終わった。
美しい話だ。
しかし、この碑文の主語が全人類だと世界の人々は思っているだろうか?
あるいはそれは日本人だけが思っているのではないのか?
主語を言い換えることで糾すべき罪を糾すこともやめたのではないのか?
この配慮はなんなのか?
昭和天皇の「やむをえなかった」という言葉がすべてをあらわしているのか?
昭和天皇は死者に向かって「やむをえなかった」と言えただろうか?
それで本当に世界に平和の尊さを伝えることが出来るのか?
こういう日本人は本当に過ちを繰り返さないことが出来るのか?
広島平和記念資料館も平和祈念館も運営しているのは行政である。
行政は死者に応えているのだろうか?
広島は死者に応えているか?
資料館と平和祈念館を訪ね、再び碑文の前に立ったとき、
私は三橋敏雄のこの句を思い出した。

  あやまちはくりかへします秋の風

広島で思ったことを書くのは今回で終わりにする。
どうもうまく整理出来ないのだ。
広島はこういうブログに書くには重過ぎるのかもしれない。

Date: 2008/11/21(金)


広島その3
広島平和記念資料館の展示も抑制された印象のものだった。
平和祈念館といい資料館といい、この抑制はなんなのだろうか?
来館者への配慮なのか?
1945年8月6日、広島でなにがあったか、
それを伝えるのが資料館の役目ではないのか?
真実を知ることでそこを訪ねる者は平和への思いをあらたにするのではないのか?
広島では毎年8月6日に慰霊祭がおこなわれる。
核実験がおこなわれる度に広島市は抗議の書簡を送った。
しかし、その一方でこの抑制はなんなのか?
中国や韓国のように歴史を政治的に利用しろなどという話をしているのではない。
真実を伝えるのに躊躇はするべきではないという話をしている。
あの日の広島がどんなに悲惨だったか、
それを伝えることが死者に応えることではないのか?
慰霊祭も抗議の書簡もそれがもし儀式でしかなければ、
日本人が考えている程には平和への訴求力はないだろう。
日本人は愚かな戦争に敗れて戦うことを全否定してしまった。
しかしそれは、戦うことイコール侵略という短絡でしかない。
世の中には血を流さない戦いが幾らでもある。
ビジネスの一線に立っている者なら皆知っていることだ。
平和とは儀式によって守られるものでも得られるものでもないだろう。
平和は平和のために戦うことによって守られるはずだ。
繰り返すが、私は血を流さない戦いとして「戦う」という言葉を使っている。
広島で何があったか、
それを世界に伝えることに妙な抑制をするべきではないのではないか?
例えそれが来館者を戦慄させるようなものであっても不快にさせるものであっても、
その悲惨をそのまま伝えるべきではないのか?
その悲惨を伝え続けるべきではないのか?
その悲惨に戦慄を覚えた者は核の使用を躊躇うだろう。
核のボタンを押すとき、
このボタンを押せば神の裁きを受ける、
その恐怖は抑止力になるはずだ。
平和とは儀式によってもたらされるのではない。
真実を伝え、戦慄を伝え、恐怖を伝えることが、
世界の人々に平和への願いを伝えることになるのではないのか。


Date: 2008/11/20(木)


広島その2
平和記念公園には広島平和記念資料館と平和祈念館がある。
広島平和記念資料館は広島市の出資する財団の運営であり、
平和祈念館は国立である。
私は最初、それらの館に入って展示を見ることに躊躇いを感じた。
悲惨な展示があると思ったからだ。
確かに悲惨だった。
しかし、それは意外に抑制されたものだった。
以前、沖縄の摩文仁にある平和祈念資料館を見たとき、
明らかに個人を特定できる死体の写真が累々と展示されているのを見て言葉を失った。
それと比べて広島の展示は抑制されていた。
来館者に不快感を与えないようにという配慮だろうか?
平和祈念館にはこんな言葉があった。
「誤った国策により・・・」
誤った国策により...、
確かにその通りである。
あの愚かな戦争は誤った国策以外の何物でもない。
平和祈念館には原爆を落としたアメリカについての記述はなかった。
確かに誤った国策である。
誤った国策の結果としての原爆は仕方がないということか...?
かって、昭和天皇はこんなことを言った。
「広島への原爆投下は遺憾に思うが、戦争中のこともありやむをえなかった」
やむをえなかった、とはどういうことだ...?
戦争中のことでやむをえなかったというのなら、
アウシュビッツも南京もカチンの森もすべてそうなってしまうのではないのか...?
この論理の行き着くところにあるのは悪の正当化ではないのか?
原爆は正当化されているのか?
平和祈念館は国立である。
その抑制された展示にもしアメリカへの配慮があるのなら、
それは原爆による死者をないがしろにするものではないのか。

Date: 2008/11/18(火)


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