1945年8月6日午前8時15分、 広島市細工町の島病院上空580mに小さな太陽が出現した。 その光球はTNT火薬1万5千tに相当する巨大なエネルギーを放出した。 その結果、広島がどうなったか、 ここに書くまでもなく多くの人が知っている。 現在、爆心地に近い大田川と元安川の間の中州に平和記念公園がある。 そこは原爆投下以前は住宅街で多くの人が住んでいたが、 原爆が一瞬にして建物も人もすべてを消滅させた。 平和記念公園はその巨大な消滅の跡に作られた。 元安川の川沿いの原爆ドームは1996年、世界遺産に指定された。 ここは投下以前は広島県物産陳列館だった。 爆風がほぼ真上からきたために倒壊を免れたのである。 原爆が投下されたときこの建物にいた30人ほどの人は全員死んだ。 近くを走っていた市電は、一瞬にして炭に変わった運転士と乗客を乗せたまま、 慣性の法則に従いしばらくそのまま走った。 60年以上経った現在も正確な犠牲者の数は分からない。 原爆投下直後、数万人の人が消滅し、 その後の死者も含めると昭和20年末の時点で約14万人 というのが定説になっているが、 その後も多くの人が放射能の後遺症により死んだ。 原爆ドームは周囲をフェンスに囲われ中に入ることは出来ない。 決して大きくはないこの廃墟は来る者を沈黙させる。 平和公園の原爆慰霊碑には次のように刻まれている。 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」 かって物議を醸したこの碑文は、 確かにあらためて読んだとき複雑な気持ちにさせるものがある。 私もそのために書くべきことをうまく整理出来ないでいる。
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Date: 2008/11/13(木)
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