*--Diary--*


習い事  2010/02/24(水)
紅の豚  2010/02/18(木)
バンクーバー  2010/02/16(火)
税務調査  2010/02/09(火)
東京平日歌会  2010/02/06(土)
両国  2010/02/05(金)
亀戸天神  2010/02/04(木)
ヒューズ  2010/02/03(水)
霜柱  2010/02/02(火)
愛鷹山・越前岳  2010/01/31(日)


習い事
空を飛ぶのが若い頃からの憧れだったということを先日のブログに書いた。
このブログは仕事以外の話が多いわけだが、
自分としては、いい仕事をしたいと思うのなら仕事以外のことを知るべきだ、
と信じて疑っていない(^^;
かって、この国の男達は仕事以外にいろいろな習い事をしていた。
夏目漱石は謡を習っていたし山県有朋は短歌をやっていた。
小唄、都都逸、茶道、明治の男達は実にいろいろな習い事をしていたのである。
さらに遡れば、戦国の武将達は連歌をやり茶の道に分け入り織田信長は幸若を舞った。
ヒマだからそういうことをやっていたのだろうと思ったら大間違いである。
ひとつの土俵しか知らない人間は失敗をしやすい。
だから違う土俵を知るのである。
違う土俵で失敗を味わい、おのれの未熟を思い知る、勝手知った土俵とは違う考え方に接する。
そういう経験をすることが実はとても大切なことであるはずだ。
ひとつの土俵だけしか知らず、そこで天狗になっていてもしょうがないのである。
それはいつか失敗をもたらす。
戦前の日本の参謀本部のエリート達の姿でもある。
違う土俵を知り、異質なものに触れ、失敗をし、叱責を受ける。
そういう経験から人は多くを学ぶはずである。
最近の中学や高校では推薦での進学が多いらしい。
その場合、先生達は推薦で落ちないことを優先するのだそうだ。
失敗したら可哀想だと思うのだろう。
それは間違いだ。
人は失敗をして学ぶ。
失敗から学ぶのである。
失敗を味合わないヤツよりも失敗を味わったヤツの方が成功する。
アメリカのビシネス界に、失敗しても再起できる土壌があるのは、
別にアメリカ人が極楽ポンチなわけではない。
彼らが、人は失敗から学ぶのだということを知っているということであろう。
失敗を味わうために、かって、この国の男達はいろいろな習い事をしていた。
だから私も、仕事をしながら山に登り短歌を詠み弓を引いている。
仕事以外の世界で失敗を経験し、自分の未熟を思い知るのである。
仕事でそういう無様な思いをしたくないなら、
仕事以外の世界でそういう事を味わうのがいい。
と、仕事以外のことにいろいろ手を出している言い訳をしてみたが、
年中遊んでいるように思われているらしい私が言っても、あまり説得力ないかな(^^;;
Date: 2010/02/24(水)


紅の豚
バンクーバーはブリティッシュ・コロンビア州で一番大きな都市だが州都ではない。
州都はバンクーバーの対岸、バンクーバー島のビクトリアである。
島といっても九州より一回り小さいくらいの島なので決して小さくはない。
バンクーバーからバスに乗るとそのバスがそのままフェリーに乗ってビクトリアにゆける。
この海峡ではクジラも見られるらしい。
ビクトリアでしばらく遊んで、バンクーバーに帰るために海峡側のナナイモに移動、
海岸をなんとなく歩いていると水上飛行機が係留されているのが目にとまった。
行ってみると、バンクーバー・ナナイモ間の定期便の飛行機で、
30分くらいでバンクーバーに行けるらしい。
日本では水上飛行機というのは見かけない。フェリーで帰るよりこちらの方が面白そうだと
いうことで予定を変更し、水上飛行機で帰ってきた。
片道1万円くらいだったか?
4〜5人が乗れるくらいの小さな飛行機で、
結構揺れるのかなと思ったが意外と安定していて、着水時の衝撃などもそれ程ではなかった。
フェリーで帰るよりあっさりとバンクーバーのダウンタンウに戻ってこられ、
これは便利な乗り物だと思ったものである。
離島が多い日本でも水上飛行機はもっと活用されていいような気がするのだが、
使われていないのはなぜだろう。
飛行場を作らなくてすむということは土木屋が儲ける機会がないということで、
ロビー活動のないことに議員さん達はあまり取り組まないということか。
ちなみにその水上飛行機のパイロットは白髪にサングラスをつけたしぶいオヤジだった。
ちょっと紅の豚に似ていて、格好いいと思ったものである。
で、帰国してそのことはすっかり忘れていたのだが、
数年前、本屋で何気なく手にした航空関係の雑誌。
見て驚いた。飛行機の操縦免許が矯正視力OKになっている。
若い頃、飛行機を操縦してみたいと思ったがメガネでは操縦免許はとれなかった。
法律が変わったのか!?
なんと、メガネOK...。ということは俺も免許がとれる...。
あのバンクーバーの海を飛んでいた紅の豚のようなオヤジが脳裏に蘇った!
飛行機の操縦免許をとって、年をとったら税理士を廃業し、
離島に水上飛行機で荷物や郵便を運ぶ。
なんと格好いいではないか!
紅の豚を気取るわけではないが、
飛べないオヤジはただのオヤジだ...と妄想はひたすら膨らむわけだが、
そこで、はたと気が付いた。
仕事をして短歌をやって山に登りアーチェリーをやって...。
それでどうやって飛行機学校に行くのか???
時間はあるのか...(^^;
そう言えば、アーチェリーの仲間と蕎麦打ちを習いに行こうという話もしていたのだ。
一体、時間はどうするのか(^^;;
ま、いいや。
夢を見るということは大切なことだ。
夢を見ることを忘れたときから人生は色褪せてくるのであろう。
いつか空を飛びたい。
そういう夢を見てもバチは当たるまい(^^;;;
Date: 2010/02/18(木)


バンクーバー
冬のオリンピックが始まった。
テレビに映し出されるバンクーバーの景色を眺めていて懐かしくなった。
バンクーバーは綺麗な街である。
落ち着いていて、アメリカの都市のような喧騒を感じない。
印象的だったのは、公園に大きな柳の木があり、
それが、柳の下に幽霊が出てきそうという日本のものとはまったく違い、
これが同じ柳かと思うほどの大木なのだった。
大陸は柳もでかいのかと思ったものである。
スタンレーパークも大きな公園で、
都市のすぐ近くにこんな原始の森があるということが羨ましかった。
美しい公園で、八重桜がたくさん咲いていた。
ホテルでテレビを見ていると、日本と違い不動産の広告のような番組があり、
日本の感覚では「豪邸」と言われそうな家が1500万くらいで売っていた。
今はどうなのだろう。アジア系の住民がかなり増えたという話なので
少しは値上がりしたのだろうか。
私が行ったときはインド系は見かけたがアジア系は目立つ程には多くなかった気がする。
香港返還ののち、共産党の支配を嫌った香港人がかなりバンクーバーに移住したらしい。
彼らが移住先に選んだのも分かる気がする。住み心地の良さそうな街である。
ただ、これはカナダに限ったことではないが食事は大味だった。
街中にはセルフ式で軽く食べられる店などもあって旅行者には便利だったが、
たいてい甘かった。
大味に飽きると日本食の食べられる店に行った。
海が近いだけあって寿司は美味しかった。
しかし、一緒に出てきた味噌汁がどんぶりのような大きさだったのには驚いたものである。
そのバンクーバーでのオリンピック。
日本のスケート陣が今日メダルを取ったらしい。
別にメダルの数を競わなくてもいいとは思うが、
頑張ってもらいたいものである。
Date: 2010/02/16(火)


税務調査
税務署から電話。
「先生の顧問先の○○商事さんの税務調査をしたいのですが」
「確定申告が終わってからにしてくれる」
思わず冷やかな声で言ってしまった(^^;
「はい、それは承知しています。3月の末あたりでいかがでしょう」
私の冷やかな声に対して調査官の声は結構素直な声であった。
電話の向こうの彼は感じの良い話しぶりである。
冷やかな言い方しちゃったなとちょっと悔やんだ。
確定申告の忙しい時期に法人の税務調査が入ると税理士はかなり大変なのである。
税務署の方も一応その辺は分かっていてくれているようで、
出来るだけこの期間は避けるようだ。
ただ、なかには融通の利かない調査官もいるらしく、
確定申告の忙しい時期に調査とはなんだ、調査するヒマがあったら確定申告手伝え、と
言って怒っている税理士もたまにいる。
税理士やっていれば一年に何回かは調査に立ち会う。
税務調査は好きなのである(^^;;
税務調査は税理士の花道だと信じて疑っていない。
理論武装をし法律論を展開して相手を論破する。
そういう真向勝負が出来るところがいい。
もっとも、最近、そういう真向勝負を嫌う調査官が増えているのは残念である。
マニュアル通りに動いて適当なところで仕事を終わらせようみたいな、
そういう税務署員が増えた。
「特に問題ありませんね」
そう言われると、
なんだ終わってしまうのか、もっと遊ぼうよという気になるのである(^^;;;
税務署と税理士が健全な法律論を戦わせることは、
適正な納税環境のためには必要なことであるはずなのだ。
さてさて、今度はどういう理論闘争が出来るであろうか、楽しみである(^^

   冷酷な遊びにも似てうら若き税吏の論を微塵に砕く

Date: 2010/02/09(火)


東京平日歌会
今回の東京平日歌会、ある歌の批評で首を傾げることがあった。
ドメスティックバイオレンスと片仮名で書いたら他人事めいてさやぐ、
というような歌意の歌だった。
で、その歌についての批評なのだが、
ドメスティックバイオレンス・・・他人事めいて・・・、というのが
かなりの抵抗を引き起こしたらしい。
複数の評者が仰るには、
「自分で経験もしないでこんなことを言うなんて」
「他人事なんて言うべきではない」
「言い換えればDVという重いことが変わるわけではない」
かなり厳しい批評だった。
というより、批評になっていなかったと言うべきだろう。
一般的に考えて上記の言葉は歌の批評ではない。
作者に対する批判である。
評者の一人は自分の親族がDVで苦しんだとのことで、
それによる感情の昂ぶりは理解するところである。
しかし、あえて言うが、歌会というのはまず歌を読むところである。
最後の総評で花山さんも指摘していたが、
「他人事めいて」と言っているということは、他人事ではないということである。
本当に他人事であれば「他人事めいて」とは言わないはずだ。
他人事ではないのにそのように感じられてしまう、それを「他人事めいて」と言うのであろう。
つまり、この作者あるいは作中主体はDVを経験した者であるということである。
もちろん、実際には経験していないことを想像で詠んでいるということはありうる。
しかし、とりあえず一首を読んだときはそう読むべきであろう。
それが読めていれば「自分で経験もしないで・・・」という言葉は出てくる余地がないのである。
この歌の問題は、DVという重い内容に続いて「他人事めいてさやぐ」という軽い詠いぶりで
一首を組み立てていることであろう。これをどう評価するかである。
苦しい経験からある程度の年月が経ち、そういうふうに詠うことが出来るようになったととるか、
表現として軽過ぎるととるか...。実際、この軽さが評者達の誤読を誘っている。
一首では難しいのかもしれない。連作の中に置くべき歌かもしれない。
歌会である以上、本来ならばそういう、歌に対する批評がなされるべきところを、
批評にならない作者批判になってしまった。
作者がDVの経験者であり、それに苦しんだ者であるとしたら、
評者達はその苦しんだ者に対して歌が読めないままに向けた
「自分で経験もしないでこんなことを言うなんて」
「他人事なんて言うべきではない」
「言い換えればDVという重いことが変わるわけではない」
という言葉にどう責任をとるつもりだったのだろうか。
歌が読めないということはある。
かく言う私も歌が読めずに恥をかくことは年中だし、
読めないままにトンチンカンなことを言うこともまた然りである。
しかし、たとえ読めなくても歌を読む努力をするべきであり、
少なくとも、読めないままに歌の批評ではなく作者の批判をするような真似は慎むべきである。

(余計なことを付言するならば、DVの被害者は必ずしも女性とは限らない。
被害者相談センターへの相談実績の殆どは女性だが、
これは被害者=女性ということを示しているのではない。
なぜなら男性の被害者には相談する場さえないのである。
警察の統計では被害者の8%程度が男性らしいが、
これも警察沙汰にまでなった事例だけの数であろう。
欧米では男性のDV被害も女性同様問題視されているが、
そういう点で日本はかなり遅れていて、最近になってようやく
若い男女間でのデートDVにおける男性被害が言及されるようになったらしい。
DVにしろジェンダーにしろ、女性=被害者、男性=加害者という二元論で割り切れる程、
世の中は単純ではないのである。)

いずれにせよ批評を聞きながら、
DVで苦しんだのかもしれない作者に「経験もしないで・・・」とか言って、
しまいには作者が怒り出すのではないかと心配していたのだが、
幸い、最後まで作者は怒らないでいてくれた。
たぶん作者は、歌会ではたまにこういうことがあるということを
百も承知している人だったのであろう。
いやはや、歌会というのもなかなか危ないものではある(^^;
Date: 2010/02/06(土)


両国
昨日の続き。
西に行けば両国である。
割りと直線の道路が多いので迷うことはなさそうである。
途中から南に下りながら歩いてゆく。
両国あたりの地図はおぼろげながら頭に入っている。
ついでに本所のあたりを少し歩いてみたいのである。
赤穂浪士が討ち入った吉良邸があったのが本所一つ目回向院の裏である。
総武線をくぐり京葉道路を渡ってそのまま西に行く。
思ったより遠い。距離的には浅草から浅草橋に歩くのとたいして変わらないと
思っていたのだが、知らない道を歩いているせいか遠く感じる。
街並みは普通の街並みで上野浅草神田あたりのような風情はそれ程ない。
なんとなく歩いていると歩道の脇にレリーフが出てきた。小林一茶とある。
しばらく行くとまた出てきて、今度は芥川竜之介である。
この辺に住んでいた文人を紹介するレリーフなのだろう。
道の向こうに大きなカメラを持った数人が見えてきた。
髪の長い結構いけてる若い女性が携帯でなにか話しながらカメラを持った男に指示を
している。なんだ?と思いながら歩いていると、
こちら側の建物の看板が目に入った。
「大島部屋」
あぁ、ここがあの大島親方の部屋か。
貴乃花親方の立候補で落選した大島親方。
一門から裏切り者が出たとかで犯人探しがどうのこうのという話もあったが、
それで追いかけて写真をとろうということか。
あまりいい趣味とは思えないが、御苦労なことではある。
両国のこのあたりは相撲部屋が多い。
ひとつひとつの部屋は外から見ると案外小さいのだなと妙に感心しながら歩く。
さて、ちょっと南に来過ぎたのだろうか? 回向院も吉良邸跡も見当たらない。
途中から北に行ってみる。京葉道路の手前で木の高札があった。
回向院総門跡とかいうことが書いてある。
それによると、回向院の門はかっては隅田川の方を向いて西向きに立っていたらしい。
ちなみに現在は京葉道路に沿って北向きに立っている。
当時の両国橋は現在の橋よりやや南側にあり、
あたかも両国橋が回向院の参道のように見えたという。
なるほど...。それは知らなかった。こういう意外な発見があるのが街歩きの楽しさである。
とりあえず回向院の場所が分かった。裏から境内に入ると鼠小僧次郎吉の墓がある。
博打の好きな連中が削って持っていってしまうので、
墓の前にもうひとつ別の石が立っていて、「こちらを削ってください」と書かれている。
回向院というのは振袖火事ともいわれる明暦の大火の死者を弔うために建てられた寺である。
死者の数は10万に達したともいわれている。
おそらくは炭化して身元も判別できなくなったであろう夥しい焼死体がここに埋められた。
その後も安政大地震の無縁仏などがここに葬られている。
日本最大の無縁仏の寺と言ってもいいかもしれない。
いろいろな碑が立っている。塩地蔵というかなり古いらしい地蔵の姿が印象的だった。
回向院の場所が分かれば吉良邸跡の場所も分かる。そちらの方に行ってみる。
たいした距離ではなく、本所松阪町公園という名で吉良邸の跡がある。
小さな家一軒分くらいの広さしかなく、中に入ると吉良上野介の首を洗ったという井戸とか、
吉良邸の図面など、幾つかの案内が展示されている。
実際にはこの場所は吉良邸の端っこのほんの一部である。
当時の吉良邸は2550坪の広さがあった。回向院の裏に広がる大きな邸宅だったのである。
さて、そろそろ歌会である、昼飯を食って早く行かねばならぬ。
京葉道路から両国橋に向かう。
両国橋を歩いて渡ったのは初めてだったが、実際に歩いて渡ってみると結構幅があって、
ここに昔、木で橋を架けたのはすごいなという気がする。
明暦の大火のあと、幕府は隅田川の東に無縁仏を葬りそこに回向院を立てた。
さらに幕府は防衛上の理由から千住大橋以外に橋を架けていなかった隅田川に
あらたな橋を架けた。それが両国橋である。
あたかも回向院の参道のように見えるよう橋を架けたのは、
火災後のあらたな都市計画の一環であると同時に、
市街の6割の焼失と10万人の死者という事実を、
幕府が重く受け止めたということを示したのかもしれない。
火災後、江戸の市街には火除け地や延焼防止のための広小路が作られ、
それに伴う移転先として郊外が開発された。隅田川の東側もそのひとつである。
両国・深川のあたりが江戸の市街地として発展していくのは明暦の大火以降である。
何気なく歩いている街にも調べてみるといろいろな歴史があるものである。

Date: 2010/02/05(金)


亀戸天神
東京平日歌会に行くときは午前中どこかを歩いてから行くようにしている。
今回は上野の美術館にでも行こうかと思っていた。
横浜駅で電車に乗ってしばらくドアの上の路線図を眺めていたのだが、
ちょうど千葉行きの電車で、新日本橋・馬喰町・錦糸町・・・と駅名が書かれている。
「錦糸町...、近くに亀戸天神があるはず...、梅が咲いているかな...。」
亀戸天神には行ったことはないのだが、
東京の梅の名所のひとつだということぐらいは知っている。
ということで急遽予定を変更、このまま錦糸町に行き、そこから亀戸天神、そのあとは
西に歩けば両国に出るはず、両国橋を渡れば歌会の会場はすぐである。
錦糸町の駅前で周囲の案内図を見る。行ったことはないがとりあえずそれで場所は分かった。
錦糸町駅から東に向かい川を渡って北上、それほど遠くない。
途中、川沿いを歩いていると亀戸銭座跡という碑があった。
へぇ〜、ここに銭座があったのかと妙に感心。
江戸時代、金貨は金座、銀貨は銀座、銭は銭座で作られていたわけで、
現在は銀座だけが地名として残っている。
そのまましばらく行くと左に橋があり、そこを右に行けば道路の向こうに亀戸天神の入り口。
さすが平日なので人出は少ない。
鳥居をくぐると池があり橋がかかっている。
これを見たとき「あれ?この作りは?」と思った。
橋は太鼓橋のような作りで真ん中が高くなっている。
その一番高いところから境内を見渡す。
池を配置し橋を渡ると本堂がある作り。
この作りは平安時代の浄土式庭園の作りになにか似ているが...。
関東では金沢北条氏の菩提寺である称名寺がその作りである。
鎌倉の鶴が岡八幡も境内に入ると源氏池・平家池があり太鼓橋がかかっている。
そういう作りが当時の作庭の流行りだったのだろうと思うのだが、
源流には平安時代の浄土式庭園があるような気がする。
しかし、亀戸天神が建てられたのは江戸時代の初期。
時代的にかなり違うはずで、
なんでこういう古い様式なのだろうと疑問に思ったわけである。
帰ってから調べてみると、太宰府天満宮がやはりそういう作りなのであった。
太宰府天満宮の池は心字池という名がつけられているらしい。
心字池というのは日本庭園の作庭ではよく作られるものだが、もとは禅宗の影響がある。
太宰府天満宮が建てられたのは10世紀。
禅宗の入っていない時代であり、第一、天神は神であって仏ではないので、
後世になって心字池と呼ぶようになったのではないだろうか?
もともとは浄土式庭園の流れをくむ作庭の影響があったのではないか?
江戸時代になってから建てられた亀戸天神はたぶん、本家本元の太宰府天満宮を模して
作ったので、江戸時代に建てられながら、こういう古い様式になったのだろう。
池の周りは藤の木で覆われている。花が咲く季節は綺麗だろう。
梅はその外側と境内の東の方にちょっとした梅園がある。
橋の上から見ると、本堂よりやや左の方向に建設中の東京スカイツリーが見える。
結構高いところまで既に作っている。あれで半分くらい? あるいは3分の1?
本堂で手を合わせ、梅園の方に行ってみる。梅はまだ三分咲きぐらいの感じで、
今月の中旬〜下旬あたりが見頃なのかもしれない。
蝋梅も咲いている。白梅、紅梅いろいろ咲いているが、
かすかに緑がかっている白梅があり、それに惹かれた。
しばらく梅を眺めて再び鳥居をくぐり両国方面に歩き出す。
少し行ったところで随分と年季の入った店があった。
文化二年創業とか書いてある。
覗いてみると葛餅を売っている。
神奈川の人間には葛餅といえば川崎大師の葛餅が浮かぶのだが、
亀戸天神にも葛餅があったのか。
土産にひとつ買ってゆく。船橋屋という店だったが、
あとで母が言うには有名な店であるらしく、あちこちのデパートにも出店しているらしい。
この先で川を渡り、西に行く。
道は知らないのだが、ともかく西に行けば両国に出るはずである。
Date: 2010/02/04(木)


ヒューズ
先日、久しぶりに雪が降った。
以前は南関東でも冬に何回か雪は降り、特に2月には一度くらい必ず大雪があった。
もちろん、大雪と言っても10cm積もるか積もらないかぐらいなのだが、
雪に慣れていないドライバーが多い南関東では、
それくらいの雪が降っても道路がマヒしてしまうのだった。
温暖化のせいか昨年は一度も降らなかった。
今回の雪もたいした量ではない。
朝、仕事に行くとき車のフロントガラスに雪が積もっていた。
まずいかな?と思いつつ、ワイパーを動かしてみた。
案の定と言うか、ワイパーはちょっと動いただけで雪の重さで止まった。
仕方ないのでフロンガラスの雪を落とし、中途半端で止まっているワイパーをもう一度動かす。
動かない。
やっちまった...(^^;
雪がかぶさっている状態でワイパーを動かすと
雪の重みで負荷がかかりヒューズが飛ぶことがある。
分かっていながらなんでやるんだよ...(^^;;
ヒューズボックスはどこだ?
運転席の下を覗き込む。
若い頃はやはり人並みに車が好きで、分かりもしないくせにボンネットをあけていじくったり、
タイヤのローテーションなども自分でやったりしていたのだが、
最近は全然いじっていない。
分かりにくいところにあるヒューズボックスをようやく開けてみると、
やはりヒューズが飛んでいる。しかし、予備が入ってない。
ガソリンスタンドに行って「ワイパー止まっちゃったんだけど、ヒューズない?」と聞いてみると、
10Aのヒューズがあった。ワイパーのヒューズは15A。
「とりあえずこれ付けてみて動くかどうか調べてみましょう...、動きますね、
やはりヒューズですね。これ差し上げあげますよ。負荷かからなければ大丈夫だから。
あとでオートバックスにでも行って15Aのヒューズ買ってください。」
ということで、とりあえず修理代ゼロでワイパーは動いた。
以前、雪の降ったあとで知り合いが、「ワイパーが動かなくなって修理に出したよ」と言っていた。
大抵はこのパターンである。
修理に出せば、ヒューズの交換でも手間賃は当然だし、
ここがおかしくなっていましたオイルも交換しましょうとか、
いろいろ言われて結局何千〜何万かかるのである。
雪の降ったあとのワイパーの故障は大抵ヒューズ。
ヒューズだけならセットで400円くらいで売っている。
そのくらいは自分で交換できるようにしておいた方がいい。
というか、フロントガラスに雪が積もっている状態でワイパーを動かさない。
横着をしなければいいだけの話ではある(^^;;;
Date: 2010/02/03(水)


霜柱
愛鷹山の登山道、ところどころに霜柱があった。
踏むとざくっざくっと音がする。
気持ちのいい音である。
最近、霜柱をあまり見かけない。
温暖化もあるのだろうし、
舗装されているところが増えれば霜柱を見かけることも当然少なくなるわけで、
横浜あたりでは霜柱を見たことがないという子供達もいるかもしれない。
先日の湘南歌会に霜柱の歌が出ていた。
霜柱をざくざく踏むと学徒出陣の足音が聞こえてきた、そういう歌意の歌である。
割と好評だったのだが、どうも私はひっかかった。
「音の質が違いませんか?」
という私の発言に対し、
「音の質? どういう? 意味ということですか?」と逆に質問されたのだが、
例によって、なにかひっかかる、なにか違う、という段階で、まだ批評として
言語化できないままで発言しているので、うまく言えない。
それを受けて選者の真中さんが、
「『ざくざくと』が大まかなんです・・・」
というようなことを発言されて、なんとなく納得したのであるが、
愛鷹山の登山道で霜柱を踏んでみて、自分のあのときのひっかかりが分かった。
霜柱を踏む音というのは清冽なのである。
静かで気持ちのいい音がするのだ。
考えてみれば子供の頃、通学の途中で霜柱があるとわざとそれを踏んでいったりしたものだ。
踏んだときの音が気持ちいいのである。
それに対し、学徒出陣の足音。
それは文字として表記すれば同じ「ざくざく」かもしれない。
しかし、学徒出陣の白黒の映像とともに聞こえてくるその足音は、
もう誰も手を伸ばすことのできない、そういう遠いところから響いてくるような足音である。
重い足音だ。
文字として表記すれば同じ「ざくざく」であっても、それはやはり音の質が違うのだ。
もちろん、作者がなんらかの重いものを胸に抱いていて、
霜柱を踏む「ざくざく」という音も決して清冽には聞こえなかったということもあるだろう。
作者の内面を反映して重く響いてくるということもあるかもしれない。
しかし、そうであるならば、歌としてはそれを表現して伝えなければならないのであって、
「ざくざくと」だけではそれは伝わらない。
真中さんの仰った「『ざくざくと』が大まかなんです」に通じるだろう。
むしろ、「ざくざくと」という表記だけに着目して霜柱と学徒出陣の足音をつなげたような
歌になってしまっていて、一首を安易なものにしてしまっている。

相変わらずこういう感じで、歌を読んだその場で批評を言語化できないヤツである(^^;
歌会の短い時間内に、感じたことを批評として的確に言語化する。
本当に力のある人はそれが出来る。
私には出来ない。
そんなことを睡眠時間3時間の頭で考えつつ、
越前岳の頂上に登ったのである(^^;;
Date: 2010/02/02(火)


愛鷹山・越前岳
愛鷹山の越前岳に行ってきた。
先週は睡眠時間3時間くらいの日が続き、体は疲れていたが、
一月中にしなければならない仕事が終わったので、久しぶりに雪を踏みたかった。
日帰りで雪山気分の味わえるところに行こうと山岳会の仲間に言うと、
ならば、愛鷹山はどうかと言う。
愛鷹山は広大な富士の裾野の南に隆起する山塊の総称であり、
1200〜1500mの峰が列なり、最高峰は越前岳。
夏は沢登り、冬は雪山を中心に登ってきたので、
静岡のどちらかと言えば低山である愛鷹山には行ったことがない。
雪は?と聞くと、
「...。目の前にはあると思う」
「え?」
「目の前の富士山には雪がある」
温暖化のせいか丹沢をはじめ、太平洋側の山は昔と比べ雪が減っている。
先週は雪を被っていた丹沢も今はすっかり黒くなってしまった。
ま、多少なりとも雪があればと思い出かけてみた。
越前岳の南の谷あいにある山神社の駐車場に車を停め登りだす。
ここに着くまでに眺めた山肌には雪は全く見えなかったので、
登山靴は車に置いてスニーカーで登る。
しばらく谷の斜面を登りコルに出る。
ここからは右に大きな富士を見ながら緩やかな尾根を登る。
なるほど確かに目の前の富士には雪がある。しかし、かなり少ない。
昔ならこの時期、富士は麓まで真っ白に見えた。
目の前の富士は五合目あたりから下には雪がないし、上の方にも黒いところがある。
温暖化で山の景色も変わっていくのであろう。
なんとも言えない気分だ。
睡眠時間3時間のせいか体が重い。
だいたいもって、普通ならそういう時に山に登ろうと考える方がおかしいのだが、
仕事に追われていると、たまには山にでも登らねばやっていられない(^^;
高校生から山を登っていると体がそうなっている。
それにしても天気がいい。
冬枯れの尾根を辿ると頂上に出る。ここまで2時間。
頂上からは富士と太平洋が見える。
海の左側に黒く張り出しているのは伊豆半島だろう。
丹沢でも大倉尾根のあたりからは海が見えるが、これほど大きくは見えない。
北に富士、南に太平洋。
面白い頂である。
期待した雪はしばらく前に積もった雪が僅かに氷になって残っていただけだったが、
天気も良かったし眺めも良かったからよしとしよう。
朝6時半に横浜を出たのだが、12時には山神社の駐車場に下山し、1時半には横浜に帰った。
東名を使えば静岡の山々も案外近い。
Date: 2010/01/31(日)


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shiromuku(u2)DIARY version 2.71