*--Diary--*


ブログ移転しました  2013/07/22(月)
タイ料理  2013/07/11(木)
横浜歌会  2013/07/08(月)
富士山  2013/07/04(木)
きのこ原木  2013/07/01(月)
読める人には読めるだろうがっ!!  2013/06/27(木)
反面調査  2013/06/24(月)
東京歌会  2013/06/19(水)
浅草  2013/06/17(月)
朱蒙  2013/06/11(火)


ブログ移転しました
こちらのブログは新しいブログに移転しました。
今後ともよろしくお願いします↓
        http://sekino.ldblog.jp/


Date: 2013/07/22(月)


タイ料理
仕事で関内を歩いていたらタイ料理の店があった。
ちょうど昼飯時なので入ってみる。
3月にタイに行ってからタイ料理が気に入っている。
短い旅行だったが、入った店がたまたま良かったのか食事はみな美味しかった。
で、関内でたまたま見かけて入ったタイ料理の店、
店員さんの感じは良く店内もお洒落、昼食の時間はビュッフェスタイルらしい。
ちなみにビュッフェスタイルとバイキングの違いが良く分かっていない。
バイキングは北欧でビュッフェはフランスか?
ビュッフェは立食のイメージあるけど、そのタイ料理屋はもちろんテーブル。
で、おもむろに料理を取りに行った。
えーと、うん? ハッタイと書いてある。
え? これハッタイ?
ハッタイってタイの焼きそばというか焼きビーフンというか、
バンコクで食べたのは具も結構入っていたけど、
目の前にあるのは、具のないきしめんの焼うどんにしか見えないけど...(^^;
うーん、ま、いいか。
えーと、それから、トムヤンクン。
うん? スープだけ?
これ、スープだけなの? 具入ってないの?
トムヤンクンのクンって海老だろ。
トムヤンクンって海老とか野菜とか具の沢山入ったスープで、
タイではカレーみたいに御飯にかけて食べてたぞ。
目の前にあるのは、トムヤンクンらしいスープだけが入っている器で、
そこからカップに掬うようになってる...。
文字通りスープとして飲むだけか...。
うーん...(^^;;
それと、次はカレーがある。
タイらしいグリーンカレーとイエローカレー。
あれっ? 具が茄子しか入ってない...。
普通、鶏肉とかもう少し入ってないか−!(^^;;;
うーん...。
ま、いいっか、なんか釈然としなかったけど、とりあえず、
きしめんみたいなハッタイとスープだけのトムヤンクンと、
あと鶏肉の料理とか揚げた餃子の皮みたいなのとかテキトーに取ってテーブルへ。
釈然としない割りに料理自体は美味しかった。
タイ料理ではなくタイ風料理と思えば、それはそれで美味しく食べられる。
結局、日本料理もそうだが、外国に行けばその国の人の口に合うようにアレンジする
わけだから、本場のそれとは変わってしまうのは仕方ないことである。
でも、まあ、せめてトムヤンクンに海老ぐらい入れろよな...(^^
バンコクで現地の人の食べ方を真似して、
タイ米にカレーのようにぶっかけて食べたトムヤンクンの味を思い出す。
うーん、どこか本物のタイ料理が食べられる店はこの国にはないんだろうか?

来週からブログを移転します。
お読み頂いている方から、字がもう少し大きい方がいいとか、
せっかくどこか行ったのなら写真ぐらい載せろとか、
いろいろ御意見頂いておりましたので、
リクエストにお応えするべくブログを移転することにしました。
今までの日記は旧ブログとしてリンクする形にします。
新しいブログもよろしくお願いいたします。
Date: 2013/07/11(木)


横浜歌会
日曜は横浜歌会。
選者の真中さんも来て出席者は12人。
今回は掛詞を使うという題。
掛詞というのは伝統的和歌の手法で、
ひとつの言葉にふたつの意味をかけるというもの。
掛詞を使った有名な歌としてはこういうのがある。

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに/小野小町

「ながめ」には「長雨」と「眺め」、
「ふる」には「降る」と「経る」が掛けられている。
一首を読んだとき、ひとつの意味は
「美しい花もいつの間にか色あせてしまった、長雨が降り続いていたうちに」
掛けられているもうひとつの意味は、
「私の容貌も衰えてしまった、ぼんやりと世を眺め月日を過ごしている間に」
こんなふうに31文字で複数のものを表現するのが掛詞。
先月の歌会で、来月の歌会の題は掛詞を使った歌、と発表されたとき、
出席者は「ええ〜!」と驚いたらしいが、それも当然。
現代短歌ではほとんど使われない手法である。
意図して使うということはかなり少ないだろう。
作っている過程でたまたま掛詞になるということはあるかもしれないが。
横浜歌会の古典趣味の会員が出したお題なのだが、
当日、その題を出した張本人が欠席というおまけつきだった(^^;
出席者12人と少なかったのは、「掛詞なんて作れないよ〜、休む」という人も
いたのかもしれぬ。何を隠そう、私もそう思ったくち(^^;;
その日、私が選歌した歌はこんな歌。
例によってまだ誌面発表前なので歌意だけ。
飛んでるげきほど飛べない日本のさくらさくらのさくに集まる。
なんか、古典の技法でつくられた歌を歌意だけ口語で綴ると妙な感じだが、
意味としてはこういう歌である。
この歌、掛詞がふたつ使われている。
「げき」が「檄」と「劇」。
「さく」が「咲く」と「柵」。あるいは政策の「策」。
飛んでいる檄が、飛んでいる劇につながり、小泉劇場なども想起できて面白い。
現在の日本の風潮を掛詞をもぐりこませてうまく詠っている。
下句の方がイマイチで、その辺推敲すれば結構いい歌になるのではないかと思った。
普段使わない掛詞に悪戦苦闘した詠草が多く、
なかなか面白い歌会だった。
歌会も長くやっているとマンネリになったりするので、たまにはこういう工夫もいい。
歌会のあとはいつものように二次会、七夕の夜を遅くまで楽しく飲んで過ごしたのだった。
ちなみに、今年の選者派遣、横浜歌会は主宰の永田さんとのこと。
永田さんが来たときの二次会はどこの飲み屋にしようとか、
歌より二次会の場所を気にする横浜歌会ではある(^^;;;
Date: 2013/07/08(月)


富士山
富士山が世界遺産になった。
いろいろ意見はあるようだが、とりあえず目出度い。
20世紀、海外への観光旅行というのは、先進国の観光客が出かけてゆくもので、
発展途上国から見れば一方通行だった。
しかし、発展途上国が豊かになり、一方通行が解消された。
今後、それらの国の経済発展がさらに進めば、
海外へ観光旅行をする人の数は爆発的に増え、
世界は大観光時代を迎える。
観光は農業とともに21世紀の日本の重要な産業になるはずである。
である以上、観光の目玉は多い方がいいのであり、
富士山の世界遺産指定は喜んでいいことである。
ただ、課題はかなりありそう...。
富士山に限ったことではないだろうが、
海外からの観光客を迎える準備は決して整っているとはいえない。
地方の交通インフラでの英語表記の普及は当然しなければならないし、
地方のホテルや土産物屋でも片言の英語くらい話せた方がいい。
韓国のソウルでは、流暢な日本語を話す店員が結構いたりするわけだが、
そういう点は見習うべきである。
マレーシアやインドネシアのようなイスラム圏からの観光客のために、
ホテルやレストランはハラル食が提供できなければならなくなるはずだ。
それと、世界の山では結構おこなわれていることだが、
入山者の規制もしなければならないだろう。
東南アジアの最高峰キナバルも世界遺産だが、一日の入山者を150人に制限している。
そうやって、自然を守っている。
現在の、夏になると五合目から頂上まで行列が出来るという状況は異常であり、
オーバーユースがもたらす糞尿の問題等が自然遺産指定を諦めなければならなかった
大きな原因である。
入山者の制限は山小屋等の営業に直結する問題だが、
関係者の利害調整を優先していると、
いずれ世界遺産登録取り消しの憂き目にあうだろう。
私にとって夏の富士山は、海外への遠征のためのトレーニングで登る山だった。
日本の最高峰に立ったとき、寒冷ゆえに分解されにくく岩陰にそのままになっている
糞尿の汚さと匂いにがっかりさせられた記憶がある。
せっかくこの国を訪れてくれた海外からの観光客に、
そういう残念な富士山を見て欲しくない。
Date: 2013/07/04(木)


きのこ原木
通っているアーチェリーの射場、去年だったか一昨年だったか、
コースの終わり辺りにある小さな切り株にキノコが出ているのを見つけた。
たぶん、ヒラタケ。
昔、スーパーで「しめじ」として売っていたのがこのヒラタケで、
さすがに違う種名で売るのは問題ありということになったのだろう、
最近は本来の「ひらたけ」として売るようになった。
ちなみに、香りマツタケ味シメジと言われる本物のシメジは滅多に手に入らず、
スーパーで売っているシメジ系のきのこは、この「ひらたけ」か「ぶなしめじ」である。
で、射場にほだ木を置いておけばキノコが採れるんじゃないかと思い立ち、
きのこの原木を探してみた。
ネットで調べてみると楽天で、タネ接種済みの原木を売っており、
シイタケとヒラタケの原木を購入、それぞれ三本セットで2835円。
小学生のとき、庭の隅っこにシイタケの原木が一本あり、
時期になると大きなシイタケが繰り返し採れた。
聞いてみると、あの原木は新潟の入広瀬でもらってきたものらしい。
あんなふうに射場の適当な日陰にでも置いておけば、
シイタケやヒラタケが採れるかもしれん。
ちなみにヒラタケの方が好きで、シイタケはそれ程好きではないのだが、
射場の常連のなかに「肉厚のしいたけのステーキ美味しいよね〜」と言っているのが
いるので、ま、付き合いでシイタケも買った。
きのこで怖いのは毒キノコ。
シイタケに似たツキヨタケは中毒で死ぬ人もたまにいる。
ツキヨタケは割ってみると肉の内側に黒いシミがある。
夜、ヒダの部分が発光するのも特徴でツキヨタケの名前もそこから来ている。
ま、シイタケの原木からツキヨタケが出てくることはまずないだろうが、
その辺の見分け方は知っていた方がよかろう。
注文した原木、今週中には届くので今度の週末、射場に持っていこうと思っているが、
さてさて、いつ頃収穫できるか?
ネットでいろいろ見てみると、2〜3年後から出てくるとかいう話もあり、
すぐに収穫できるというわけでもないのかもしれないが、
射場での楽しみがまたひとつ増えそうである。
Date: 2013/07/01(月)


読める人には読めるだろうがっ!!
結社誌の今月号を見たら、秀歌の欄にこの歌が載っていた。

  ことさらに毛など詠みし歌詠みを蔑みてのち羨しみにけり

この歌、以前にもこのブログに書いたが、湘南歌会で出した歌である。
そのときは出席者の全員が「毛」を「け」と読み、
「髪の毛を気にしている人が、ことさらに毛を詠っている歌にいやな印象を抱いている?」
とかいう批評を受け、
早い話、歌の意味が分からず失敗しているとダメだしされた歌。
私はその批評を聞きながら、
「短歌は基本的に57577の定型に合わせて読むのではないのか。
二句は『け』と読むと6音になる。定型に合わせて読むならば『もう』。
そうやって歌の読みを検証していくのではないのか」
と発言したのだが、
「『もう』と読んでも意味分かりませんよね〜」
と一笑に付されたのであった(^^;
この歌は清原日出夫の歌を踏まえている。

  国会デモをめぐる反目に会議終う帰らん帰りて毛を読むべく

                    
60年安保の時代、若者達は政治について熱く語り合った。
そして、社会を憂い、激しいデモに繰り出した。
社会主義の理想を説き、毛沢東の本を読んだ。
ただ、安保闘争がその後世間で言われたような平和主義運動ではなく、
若者達のナショナリズムの高揚であったことは既に自明である。
社会主義への傾斜も、
共産主義がファシズムの一類型であることを看破していたならば違っていたはずであり、
彼等の思考は、戦前の軍国青年に通じる情緒性のなかにあった。
しかし、若者達は真剣だった。
社会を憂い、国を憂うる若者らしい姿があった。
清原日出夫の歌を読んだとき、
そこに、当時の真剣ではあるが時代の雰囲気に呑まれ、共産主義の本質を見抜けなかった
作者の姿を見、しかし、同時に本来の若者らしい姿を思った。
それでできたのが「ことさらに・・・」の歌である。
別に、髪の毛が薄くなった歌がどったらこったらという歌ではない。
で、なにが言いたいかと言えば、
早い話、ほら見ろ〜、読める人には読めるだろうがっ!!
ということである(^^;;
歌会で出席者全員に×評価をもらった歌でも、
自分がそれでいいと思ったら、そのままでいいのだ。
歌は民主主義で作るのではない。
読めない多数の意見より、読める少数の意見の方が貴重ということは、
歌会では当たり前にある。
歌会での意見はあくまでも参考であり、
直すか直さないかは本人が31文字と格闘しながら決める。それしかない。
Date: 2013/06/27(木)


反面調査
反面調査というのは、税務調査で納税者の帳簿等を調べても解明できないものがある場合、
その納税者の取引先等に内容の照会・確認を行うものである。
例えば、納税者が1000万の仕入を計上しているが、どうもお金の動きがおかしい、
納税者の帳簿だけでは確認できないので、仕入先に照会する、みたいなもの。
ある顧問先に反面調査が入った。
すぐに終わるので取引先との幾つかの取引だけ確認させてほしいということで
来たわけだが、2人してやってきたその調査官、口の利き方がいけなかったようだ。
社長曰く「まるで警官が取り調べしているような口の利き方だった」
で、とうとう社長キレタらしい(^^;
「なんなんだ、その言い方は、あんた、不愉快だよ!」
くだんの調査官、怒られてからは口の利き方が変わったらしい。
どうも最近、そういう調査官が多い。
調査の内容以前に、社会人としての態度に問題がある調査官。
そういう調査官が増えている気がする。
国税は終戦後、戦争で親を失い進学したくてもできない若者達を大量に採用した。
彼等のなかには優秀な若者達が大勢いたわけだが、彼等が退官し、国税職員は
かなり若返った。若返ったのはいいのだが、どうも大量退官に伴う新人養成に
問題があったのかどうか、そういう社会人としての態度に問題のある調査官が
ここのところ目につく。
通達も知らないままに言い張る調査官とか、
滞納の督促にきて納税者が玄関をあけたら、なにも言わずに家のなかに押し入って
きた署員とか、
今回の例と同じように社会人としての口の利き方に問題がある調査官とか。
ま、そういう輩に対しては遠慮なく怒る。
質問検査権は納税者にその種の不愉快を受忍する義務を課してはいない。
遠慮なく怒っていいし、怒るべきなのだが、
税理士仲間と話していても、
調査官に対して怒らない税理士は結構大勢いるようで、
調査の内容以前の調査官の不適切な態度について適切にクレームをつける税理士
が少ないということが、あるいはそういう調査官を野放しにしているひとつの
原因かもしれない。
納税者も税理士ももっと怒らなければならないのである。
「よく怒りましたね、それでいいんですよ」とその社長に言ったら、
「いや、先生が以前の調査のとき怒ってたじゃない。それ見てたから」
そうか、そう言えばそんなことがあった(^^;;
うん、もっと怒らねばならん。
民主主義と自由は、権利を侵害されたときに怒りの声をあげる者達によって
維持されるのだから。
Date: 2013/06/24(月)


東京歌会
東京歌会は初めての出席。
所属している結社の関東での歌会としては選者が恒常的に出席し出席人数も多く、
言うならば関東の中心的な歌会なのだが、
私は今まで出席したことがなかった。
理由は出席人数の多さ。
最近は少し減ったらしいが、しばらく前までは30人前後の出席者だったのではないか?
歌会の人数としては多い。
通常、歌会は4時間くらいで20首くらいの歌が批評できるかどうかではなかろうか。
それ以上の歌をやろうと思ったら駆け足になる。
一首一首についてじっくりと意見を戦わせるという感じではなくなってしまう。
だから、20人以上の出席者になると、こちらもセーブしながら発言をする。
言いたいことあるけど、ここで言ったら終わらなくなるだろうな...、そんな風に気を遣っ
て黙っているわけである。
当然、そういう歌会は欲求不満がたまる。
結社の全国大会の歌会に出ないのもそのゆえである。
過去2回ほど出たことがあるが、出席者40人くらいだともはや中身のある歌会としては
成立せず、ホームグラウンドの横浜歌会で、適正人数で意見を戦わせるのが歌会と思って
育ってきた人間にはちとつらいものがある。
実は、この週末は東北で結社の集会があり、最初はそれに行くつもりだったのだ。
しかし、東北の集会、今年は歌会に取れる時間が1時間半しかないということで、
30人からの出席者で1時間半、どうやって歌会をするつもりかと思い、パスした。
で、そこで考えた。
東北の集会に選者が行くらしいし、東京歌会からも何人か行くだろう。
ならば、今月の東京歌会は出席者が少ないはず。
案の定、少なかった。当日の東京歌会の出席者は15人。
近頃まれな少ない出席者らしく、詠草とりまとめの方は、初めて出席する私に、
今月は人数が少ないようです、と気を使ってくれたようだが、
別に気を使ってくれなくてもいいのだ、それを見越して出てきたのだから(^^;
歌会そのものはなかなか楽しかった。
最初に席順で一首について二人ずつコメントし、そのあとは自由発言、結構、積極的な
発言が多く、いろいろな意見が飛び交った。
人数も適正規模なので、15首の歌をしっかり批評できた気がする。
刺激という点から言うと不満は残るが、良い歌会だったと思う。
若い人、新しい人が多く、その人達が積極的に発言していたのが良かったのかもしれない。
歌会にいくつか出ていて思うのは、出席する人が固定してしまうと問題があるということ。
顔ぶれが決まってしまうと、未記名の詠草でもなんとなく作者が分かってくるわけで、
この歌の作者はこの人だろうみたいな感じで批評する人も出てくる。
そういうバイアスのかかった批評はするべきでないと思うのだが、
同じ顔ぶれの気安さがそういうことを許してしまうところもあるわけで、
時に雑談に流れてしまうこともある。
人が固定すれば新鮮な意見を聞く機会も減る。
だから、1か所の歌会に固定せず、幾つかの歌会を渡り歩くような感じで出席するのが、
本人のためにもその歌会のためにも本当はいいのだろう。
ホームグラウンド的な歌会をどこか1か所持つのは良いとして、
あとはテキトーに武者修行のつもりであちこちの歌会に行ってみるのが良い。
居心地のいいところにどっかりと腰をおろしていると、
いつのまにか苔が生えていることに気づかないということもある。
なかには、選者の出席する歌会が一番いい歌会なのだから、あちこち行かなくても
いいのでは、と思う向きもあるかもしれないが、たぶん、それも違う。
どうも選者の出る歌会は、選者に自分の歌を読んでもらいたい、自分の歌について選者の
コメントを頂きたい、そういう人達が集まるような気がする。
はっきり言わせてもらえば、そういう人達には、出された詠草について意見を戦わせると
いうことをあまりしない向きが多く、そうすると、歌会での批評は活発さがなくなる。
短歌教室の感覚で歌会に出られても困るのである。
ま、そんなことはどうでもいい。
帰り際、「またいらしてください」と社交辞令を頂いたが、
そんなふうに歌会を渡り歩いている人間だし、
今回少なかった出席者も来月以降はまた多いのだろうから、
たぶん、当分行くことはないのである(^^;;
楽しい歌会でした。
東京歌会の皆さん、ありがとうございます。
Date: 2013/06/19(水)


浅草
日曜、東京に用があって、ついでにひさしぶりの浅草。
新橋から地下鉄で浅草へ、ホームで降りたら外国からの観光客らしい人達が結構いる。
やはり最近の円安で外国からの観光客は来やすくなっているのだろう。
小雨の降るなか仲見世を歩くが、かなりの人出である。
ここ数年、浅草に来るのは東京平日歌会のついでに来るという感じだったので、
日曜の浅草は歩いていなかったのだが、歩くのが大変なほどの人出なので、
とうとう途中から仲見世を外れて一本外側を歩いて浅草寺へ。
これだけ観光で人が出ているのなら景気回復もまんざら夢ではないのかな?みたいな
気もしてくる。
今年はまだ一度もお参りしていないので、本堂を眺めて素通りということはせず、
ちゃんとお参りする。
お参りしてから見上げると天井の絵がなかなか綺麗。
以前より綺麗になった気がするのは、
数年前の本堂の修理でそのあたりも綺麗にしたのだろうか。
隣の浅草神社にも参拝。
お宮参りだろうか拝殿に着物姿の女性と家族らしき人達が座っていて、
それをこちら側から外人の観光客がしきりに写真を撮っている。
外人さんにしてみれば、かなりエキゾチックな風景なのかもしれない。
そのあと影向堂のあたりをぶらぶら、降りみ降らずみの雨のなかに咲いている紫陽花や
くちなしの花が綺麗である。
本当は今日は六区のあたりをぶらぶら歩いたりしたかったのだが、
出かけるのが遅くなり、あまり時間もないので境内を散策しただけで引き上げる。
混んでいる仲見世を避けて、一本横の通りを行き雷門を抜けて交差点を渡り並木通りへ。
午後から用事があるのでとりあえず昼食。
並木通りをしばらく行ったところに並木藪がある。
混んでいるかなと思いつつ暖簾をくぐってみると相席で座れた。
いつものように天ざるそばとビールを注文。
えびすを注文したらキリンしかないと言う。
確か、以前はえびすだったような...?
あるいは採算を考えて銘柄を変えざるをえなくなったかな?
ま、別にビールの味が分かるようなグルメではないのでキリンをもらう。
座敷も一通り埋まっていて繁盛している。
古くなった店を建て替えたのだが、
どういうふうになっただろうと思って来てみたら、
建て替える前の昭和の生き残りのような店内をそのまま再現して建て替えていたので、
驚いたのだった。
梅雨のむした真昼間、冷えたビールが美味い。
最初の一杯は一息で飲んでしまう。
二杯目からはゆっくりと飲む。
うん、老舗の蕎麦屋で昼間から飲むビールはたまらん(^^
欲を言えばビールのつまみに蕎麦味噌でもつけてくれれば文句ないのだが...(^^;
それにしても向かいの座敷の一番端のテーブルに座っている三人組が風変り。
ちょっとボーイッシュな女の子ひとりと、こちら側に背を向けて座っている若い男ふたり。そのうちのひとりはフツーの青年なのだが、もうひとりの若いのはしっかりと正座して
座っている。今頃、正座して座る若者も珍しい。そのうち足が痺れるかなと思って見て
いたが、結局、食事が終わるまで正座を崩さなかった。
で、なにが風変りかというと、正座もさることながら、この三人、まったく話をしない。
別に見ようと思って見ているのではないのだが、
ビールを飲んでいるとちょうど斜め向かいにその三人が座っているので、
どうしても目に入ってしまう(^^;;
友達か? 友達なら話しそうな...。
仕事? 仕事という雰囲気ではない...。
正座をするというのは、なにか伝統的な趣味の仲間?
謡いとか三味線とか都々逸とか、浅草あたりは今でもそういうお師匠さんがいそうである。
そういう関係の仲間?
そういう伝統的趣味の人って食事の最中、話をせんのだろうか?
そんなどうでもいいことを思いながらビールを飲んでいたら蕎麦がきた。
いつものようにえびとししとうの天ぷらを肴にしてビールを飲み終え、
蕎麦をずずっと啜る。
うん、美味い。
並木藪の蕎麦はそばつゆが辛い。
最近の蕎麦屋で多いのは変にそばつゆが甘いやつ。
蕎麦自体は美味いのにそばつゆが変に甘くてがっかりさせられることが多い。
あれはなんだろう、女性客向けに甘くする傾向があるのだろうか?
鰹節の香がする辛いつゆで蕎麦をずずっと啜る。
やはり蕎麦はそんなふうに食べるのがいい。
ちなみに並木藪は、天ざるそばとビール一本で2400円。
ざるそばが700円となっていたから、
昼食はワンコインで済ませるサラリーマンが多くなったご時世では大変かもしれないが、
こういう蕎麦屋には頑張って欲しいものである。
こちらが食べ終わる前に例の三人組も食事を終えて出ていったが、正座していた若者、
すっと立ち上がり痺れた様子もなく靴をはいてすたすたと出ていった。
うーん、最後まで話をしていなかったが、どういう三人組だったのだろう(^^;;;
ま、どうでもいい。伝統と現代の混在する町、浅草の界隈には
ああいう御仁達も当たり前に歩いているのであろう。
蕎麦を食べ終え、勘定をして外に出る。
雨はもう上がっていて、少し風があるのでそれほど蒸した感じもしなくなっている。
地下鉄に乗り、昼からの用事の浅草橋へ向かう。
Date: 2013/06/17(月)


朱蒙
パルティアンショットで思い出した。
韓国ドラマの「朱蒙」、ソン・イルグク主演で高句麗を建国した東明聖王を描いたドラマ。
韓国で高視聴率を記録し、日本でも韓流ファンの間でかなりの人気だったらしい。
見たことはないのだが、朱蒙を古代韓国史の英雄として描いているらしい。
ま、ドラマだからどうでもいいのだが...(^^;
高句麗は満州南部で興り、朝鮮半島北部をも支配した国で、幾つかの古墳が残っている。
その古墳の壁画のなかにこういうのがある↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/54/Goguryeo_tomb_mural.jpg
狩りの情景、パルティアンショットをしている。
つまり、高句麗の支配層は騎馬民族である。
ちなみに言葉も違う。
現代の韓国語は新羅の系統の言葉で、高句麗の言葉ではない。
ソン・イルグクが演じた朱蒙はドラマのなかで当然韓国語を話しているが、
紀元前の時代に生きた彼は朝鮮語も古朝鮮語も話していない。
韓流ファンのおばさん達はドラマを見て韓国の古代史として疑わないのかもしれないが、
習俗も言葉も違うということは、民族としての連続性に疑問があるということである。
現在、中国と韓国は高句麗の帰属をめぐって争っているらしい。
韓国は、高句麗は韓民族の建国した国であり韓国史の一部であると主張し、
中国は、高句麗は中国の少数民族が建てた国であり中国史の一部であると主張している。
中国の学者は、朝鮮半島全体が韓民族の支配に入ったのは15世紀以降であると
指摘しているが、確かに、古代、朝鮮半島北部に衛氏朝鮮という国があったが、
戦国の乱世を逃れてきた中国人が建国した国で、韓民族の国ではなく、
朝鮮という国号自体、中国人が名付けたもので韓民族とは関係がない。
後世の李氏朝鮮が明との関係で、朝鮮という古代の国名を再使用して以来、
朝鮮と韓民族が結びついたと考える方が妥当である。
いずれにせよ、古墳に残された習俗からも使われていた言葉からも、
どうも高句麗は満州にいたツングース系の騎馬民族の国と考えるのが自然である気はする。
さらに言えば、高句麗もそれに続く渤海も、国制などを見る限り、
多民族国家であったことが窺える。
民族というのは古代から固定しているのではない。
離合集参や融合を繰り返し、現代の民族につながるのであり、
確かに、高句麗滅亡後、朝鮮半島に残った高句麗人はその後北進してきた新羅系の人々と
融合して現代の韓民族を構成したのだろうから、無縁ではない。
しかし、それをもって高句麗が韓国の歴史であると断じるのは無理がある気がする。
それを言い出せば、現代の日本人も大陸や南方あるいは北方からやってきた民族が
融合したのであり、どこまでが日本の歴史か分からなくなる。
どうも、この辺についての韓国の主張には、
もともと満州にいたツングース系の民族の存在を全く無視している奇妙さがある。
高句麗を建国し、渤海を建て、民族の融合を繰り返しながら、やがて女真族として金を建
て、ついには清を建国して中国全土を支配することになるツングース系の民族が
満州には存在したのであり、現在でも1000万人の満州族が住んでいる。
なぜ彼等の存在を無視するのか?
この辺は幕末から明治初期、日本と露西亜が樺太の国境を決められないでいたとき、
アイヌは日本人である。だからアイヌの住んでいたところは日本のものだ。
そう主張した当時の日本の姿勢に似ているかもしれない。
しかし、アイヌの人々の歴史はアイヌの人々の歴史であって、
日本の歴史ではないことは自明である。
高句麗の歴史もまた、彼等、満州にいたツングース系の人々の歴史であって、
中国の歴史でも韓国の歴史でもない気がするのである。
歴史というのは、
現代の国家観や民族感情あるいは願望を投影して語るものではないはずであり、
「正しい歴史認識」という言葉が怪しいものを帯びるようになったのも、
その辺の問題である。
朱蒙はその死後、満州の集安に葬られたが、平壌への遷都に伴って墓は移され、
今は平壌郊外の古墳に眠っている。2千年後の論争を彼はどう眺めているのであろうか。
パルティアンショットの話から歴史認識の話になってしまった。
Date: 2013/06/11(火)


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