全国大会の会場に着くと早速、知った顔につかまる。 「関野さ〜ん! はい、これ買って! 300円以上の寄付をお願いしま〜す」 東京平日歌会で一緒の武山千鶴さんの声。 6月に秋田で開かれた東北復興歌会の詠草を本にしたものを売っているのである。 収益はすべて震災復興のために寄付することになっている。 一冊買って寄付箱に千円入れ、歌集販売コーナーで歌集を選んでいると、 「あら、関野さん! 復興歌会の何冊買ってくれた? 三冊? えっ一冊? 一冊で三千円?」 「い、いえ千円」 こちらも東京平日歌会で一緒の三浦こうこさん。 ふたりとも東北出身、今回の震災では自らあるいは家族が被災している。 それにしても二人とも、人の顔見ていきなり本を買え金を出せと元気なものである。 東北の女性が控えめでおとなしいなどという話を私は信じない(^^; 歌集販売コーナーには、昨年亡くなられた河野裕子さんの遺歌集『蝉声』が積んである。 それを含め5冊くらいまとめ買いする。 そのコーナーに立っていたのが以前、横浜歌会に来たことのある小川和恵さん。 「お久し振りです。少し太りましたよね」と挨拶したら、 隣に立っていた永田紅さんが焦ったような身振りをしていた。 あとになって、久し振りに会っていきなり失礼なこと言っちゃったかなと思った。 「ふくよかになりましたね」という意味で善意のつもりだったのだが、 後の祭りである。これだから不良会員はいけない。 会場に入るともう結構座っている。 不良会員としては隅っこで人知れず聞いていたいので、 どこか隅の方が空いていないかと探していたら、 選者の真中朋久さんがこちらを振り向き、よお、いう感じで手を挙げる。 隅っこを探していたのだが、せっかく真中さんが手を挙げてくれているので隣に座る。 ちなみに、9月の最初の週、関東の方に用があるらしく、 9月の横浜歌会に出られるかもしれないということだった。 全国大会初日のプログラムは、 永田和宏・花山多佳子両選者による対談「震災はどう詠まれたか〜短歌のゆくえ〜」である。 アメリカの9・11のテロのとき、永田さんはその事件については詠わないと宣言したそうである。 歌の材料を鵜の目鷹の目で探すように9・11の事件と向き合いたくなかったとのこと。 3・11の震災も当然、そういう姿勢で歌の対象にしている人はいるだろう。 二人とも新聞の短歌欄の選者をしているので 新聞に投稿された歌を中心とした話になったのだが、 震災とは関係ないところに住んでいる人が、 あたかも被災者のような歌を作って投稿してくるというのも多いらしい。 もっとも、短歌には、(自分ではない誰かに)なりきって詠う、という伝統もあり、 そういう意味では否定は出来ないのだが、どうなのだろう。 二人とも難しい問題とは言いつつ、否定的だった。 確かに、花山さんが例としてあげた、 避難所の扉を開けたら小さな子供がいた、という投稿歌。 作者の住所からして、それは想像で被災者になりきって作った歌であるらしいのだが、 そういう歌は、被災地の小さな子供を歌の道具立てにしているような、 そういう嫌らしさを感じる。 ただ、同時に思うのは、住所だけで判断できるのか? ということである。 四国や九州の人がボランティアで被災地を訪れて歌を詠うということもあるだろう。 あるいは、沖縄や北海道に移り住んだ被災者が詠うということもあるかもしれない。 住所だけで判断するというのも、そういう色眼鏡で歌を読むようであり、 問題は詠い方、どう詠うか、そこなのではあるまいか? 実際、私も津波の悲惨な映像を見、その悲しみを詠っている。 映像からイメージを立ち上げて作っているわけで、 被災者でない者が詠っていると言われれば私もそのひとりである。 ただ、私は悲しみをなんらかの形で表現することは当たり前だと思っているし、 私自身が被災者でなくとも、 津波の悲惨な状況を見て私の感じた悲しみは間違いなく私の悲しみである。 私はその「私の悲しみ」を表現することを考えている。 その辺の詠い方、あるいは姿勢というべきか、 そういうところにかかわる問題である気がする。 だから、二人の話を聞いて、 被災者でない人は震災を詠うべきでないと考えた人がいたとしたら、 それは間違いだと私は思う。 もっと、歌に向き合う姿勢としての問題であろう。 いずれにせよ、考えさせられる対談だった。 そのあとは恒例の歌合せと結社の創始者・高安国世についてのインタビュー。 歌合せもインタビューも面白く、 全国大会はこの一般公開のプログラムを聞くだけでも出席する意味がある。
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Date: 2011/08/23(火)
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