遭難の捜索の間を縫うようにしてふたつの歌集の批評会があった。 ひとつは立川目陽子さんの『螺旋のつぼみ』。こちらについては既にこのブログに書いた。 もうひとつは苅谷君代さんの『初めての〈青〉』。 苅谷さんは私がホームグラウンドにしている横浜歌会の立ち上げのときからのメンバーである。 高校生の頃から歌をやっていたというから、かなり歌歴は長い。 『初めての<青>』は第四歌集である。 先天性緑内障と闘い続けた作者のひたむきな姿の伝わってくる歌集である。
メスわれの眼球ねらひ降りてくるそののち乳白色の視界よ 執心のあらはに鬼となるときのわれはかなしき目をしてをらむ 遠くより布団を叩く音がする日翳りゆきて風の吹く日を 夜の底に吸はれてゆけり竹群のそよぎも君が何か言ふこゑも 小魚の群が化石となるまでの時間よどれも口あけしまま
この人の歌は巧い。歴史や古典への造詣も深く、 それに裏打ちされた細やかな歌もこの人の特色のひとつであろう。 批評会でもその辺の話が多く、古典を下敷きにした相聞歌についても語られた。 で、私も発言を求められたので、 目についた幾つかの問題点を指摘するとともに、 教師としての職業詠に良い歌がある旨コメントした。 そういう歌を幾つかあげてみる。
寂寥のたへがたければ教室に白秋の盲ひゆく歌を語れり くちびるを「一」の形にひきむすび盲の少女が選ぶカチューシャ 教室に語る李徴の顛末をいまはわからずともよし、君よ
補足するが苅谷さんは教師をしておられたが、 途中から盲学校で教鞭をとるようになられた。 苅谷さんの職業詠は過剰な思い入れがなく、それでいて対象への愛が感じられる。 いずれもいい歌である。 苅谷さんというと、周囲はことさらに相聞を言い立てるのだが、 正直言って私は苅谷さんの相聞はあまり好きではない。 そういう私の発言に、 批評会を歌集出版のお祝いのように思っている向きは驚いたかもしれないが、 私は歌集の批評会とは、 その歌集をよりよく鑑賞すると同時に、作者の今後の課題を考える場だと思っている。 出版記念パーティーと批評会は違うはずである。 だから遠慮なく言う。 苅谷さんの相聞は全体として抽象的で思いが強すぎ、恋に恋しているイメージである。 古典を下敷きにしたその艶やかさが印象的なので、 周囲は「苅谷さんの相聞」とことさらに言うのだが、 苅谷さんの歌の良さは、職業詠や飾らない自然詠、 あるいは自らの人生に凛として向かい合った歌にこそあるのであって、 相聞ではない。 最後に歌集の名前になった歌を紹介しよう。
水晶体の濁りを砕きしのちの眸に映る空あり初めての〈青〉
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Date: 2010/12/07(火)
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