今年の全国大会、初日は道後温泉の子規記念博物館で、 講演、歌合、シンポジウムのスケジュール。 とりあえず昼食である。道後温泉本館の近くの店に入り、 子供達とこの辺りの名物の鯛めしを食べる。 普通の御飯と鯛の刺身が出てきて、その刺身を御飯の上に乗せてタレをかけて食べる。 ちょっとタレが甘い。 関東ならもう少しタレを辛くするだろうなと思いつつ食べるが、それでも美味しい。 このあと子供達はホテルのチェックインの時間まで自由行動、 私は会場の子規記念博物館へ。 会場でまずは、久し振りに会った何人かの人と挨拶をする。 自分から進んで顔を売る方ではないので、挨拶するのもほんの数人の知り合いだけ。 あとは顔は知っていても、先方から話しかけられなければ特段話しかけもしない。 全国大会は滅多に会えない会員同士の親睦を深める場、というのが第一義であるらしいが、 それよりも、いい歌に触れいい話を聞きたいと思っているので、 親睦の方はどうでもいいと思っている(^^; 講演は博物館の竹田美喜館長の正岡子規についての話だったが、 語り口が巧みで、内容よりもそちらの方に聞き惚れてしまった(^^;; 教師をずっとやってきた人であるらしく、話すのはお手の物なのであろう。 結社の全国大会恒例の歌合は毎回のことだが、 いいコメント、苦しいコメントがあって、聞いていて楽しい。 ともかく自分のチームの歌はどんな歌であっても褒めなければならず、 相手の歌はどんなにいい歌でも問題点を指摘しなければならない。 相手の歌の方がいい歌だなと心の中で思っていても、 自軍の歌を褒め、相手の歌をけなさなければならないわけで、 なかにはエッ!と思うような迷コメントもあるわけだが、 その辺はお互いに承知の上でやっているので結構笑える。 一人当たりの発言時間の制限があり、 肝心なところを言おうとしてチーンと鐘が鳴ってしまうことが何度もあった。 発言している方は尻切れトンボになってしまって、うーん、という感じなのだろうが、 聞いている方は、こういうことを言いたかったんだろうなとニヤニヤしながら 聞いているわけである。 それはそれとして、両者の発言機会の公平を保つためにも 発言の時間制限はやはり必要であろう。 しばらく前、横浜歌会でも歌合をしたのだが、 時間制限をしなかったため、その辺の公平は確保できていなかった。 歌合の中でひとつ面白い歌があった。 中国の西域の方の都市、そこの泉のほとりにザックをおろした息子を見て、 息子のはらわたはまだ乾くのか、という歌意の歌。 私は最初、親子で一緒に旅行していて、 泉のほとりで休憩して水を飲んでいる息子を見て詠っているのか、 と思った。上句がいかにもそういう感じだったのだ。 上句の表現には問題を感じたが、 下句の、息子のはらわたはまだ乾くのか、という表現は面白いと思った。 最初の会場での判定のとき、私はその歌の方に札を挙げた。 瑕はあるがいいところのある歌の方を採った。 会場の大部分は相手側の歌の方に札を挙げていた。 そのあとの評者達の批評。 「息子がこうやって世界を放浪している。そういう息子の精神の乾きをうまく表現している」 その評を聞いてハッとした。 そうなのだ、作者は息子と一緒に旅をしているわけではないのだ。 この歌の情景は、息子が旅先から送ってきた写真を見ているのだ。 西域の都市、そこの泉のほとりにザックをおろしている息子の写真。 息子はまだ世界を歩き回らなければ気がすまないのか、息子のはらわたはまだ乾くのか。 写真を見つめる愛情と素朴な心配の入り混じった親の気持ち。 そういう歌だったのだ。 ああ、読めていなかった、と思った。 ただ問題はやはり上句である。 この上句では、一緒に旅をしているという印象が出てしまう。 その辺を推敲すればこの歌はいい歌になる、そう思った。 最後の判定で再びその歌に札を挙げた。 会場の判定は圧倒的に相手方の歌だったのだが、 私の前に座っていた江戸雪さん、横の方に座っていた澤村斉美さんも、 私と同じ歌の方に挙げていて、 分かる人には分かるのだと、ひとりで勝手に納得したのである(^^;;; 最後のシンポジウムはちょっとイマイチだったかな..。 もっとも、テーマが「よい歌とは」といういかにも抽象的なテーマなので仕方ないのではある。 ただ、例にあげられた歌のひとつひとつの評については、 もう少し深い評を聞きたかった気はする。 横浜歌会で岡部史さんのもとで学ばせてもらい、 岡部さんの、深いところから一首を読んでくる批評、 一首のよって立っている根底のあたりから歌を批評するような...、そういう批評。 もちろん、いわゆる深読みとはまったく違う、そういう批評を聞いて勉強してきた者には、 ちょっと表面的な評に思えた。 そんなこんなの初日のプログラムだったが、なかなか面白く参加して良かったと思った。 最後に挨拶をした花山多佳子さんが、亡くなられた河野裕子さんのことに触れたとき、 少し言葉をつまらせたのが印象的だった。
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Date: 2010/08/26(木)
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