今日は澤村斉美さんの第一歌集『夏烏』の批評会だった。 歌集を送って頂き、批評会への招待状も頂いたので出席してきた。 で、今頃は批評会が終わった後の懇親会の時間のはずなのだが、 そちらには出ないで帰って来た。 批評会の出席者は100人くらい。 さすがは角川短歌賞・現代短歌新人賞受賞者の第一歌集の批評会に相応しく 錚々たる顔ぶれだった。パネラーひとりひとりの批評が精緻で内容が深く、 批評会というものに初めて出たのだが、 歌集の批評会というのはこんなふうにやるものかと思った。 聞いていてレベルの違いを思い知らされた。 穂村弘・小高賢・奥村晃作・魚村晋太郎・東直子・斉藤斉藤・川野里子・山田富士郎。 実力者・論客揃いであり、彼らと比べる方が滑稽と言われればその通りなのだが、 彼らの話を聞きながら、 「俺はあと10年短歌をやってああいう話が出来るようになれるだろうか...。」 そう思った。 今までにも結社の全国大会やシンポジウムで力のある歌人の話を聞いたことはある。 ただ、今回は歌集の批評会。 つまり出席者全員が同じ歌集を読み、その歌集について話をするのである。 シンポジウムなどとは違って同じ土俵に立っているのだ。 しかし、ついていけなかった...。 批評会のあとの懇親会は本当は出席するはずだったのだが、 批評を聞いているうちに話についていく自信がなくなり帰って来た。 知った人がいて、懇親会出ましょうよと誘われたが、断って帰って来た。 もちろん、懇親会では難しい話ばかりをしているわけではなく、 出れば出たでそれなりの話をするのである。 しかし、批評会で思い知らされた力の差に、 私は素直にたじろいだ。 定期的に出席している二つの歌会では、 それなりの批評が出来るようになっているつもりでいた。 結社誌の秀歌の欄にたまに自分の歌が出て、いい歌を作れるつもりになっていた。 しかし、それらはみな低いレベルの話で、井の中の蛙だったのだ。 仕事が忙しくて時間がとれないとか、そんなことは言い訳にもならない。 もっと短歌に時間を取ろう。 もっといい歌が出来るように、いい批評が出来るように時間をとろう。 一から遣り直すつもりで短歌に取り組もう。 時に錘をつけ、自分の人生を言葉に刻んで残したい。 いつか子供達が、自分達の父親がどういうふうに生きたのか、 父親の残した短歌で知ってほしいと思う。 もっといい歌を作りたい、もっといい歌を残したい。 そのためにもっと真剣に取り組もう。 そういう気持ちになった一日だった。
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Date: 2009/03/21(土)
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