*--Diary--*


ナマステカトマンズ  2012/02/08(水)
お見舞い  2012/02/04(土)
玉川温泉  2012/02/02(木)
確定申告無料相談  2012/01/28(土)
仙台歌会その3  2012/01/23(月)
仙台歌会その2  2012/01/20(金)
仙台歌会  2012/01/12(木)
仙台城  2012/01/10(火)
アーチェリー初射ち  2012/01/04(水)
良いお年を  2011/12/29(木)


ナマステカトマンズ
先週の東京平日歌会に行く折、東京駅から会場の浅草橋まで歩いてみた。
日本橋、人形町、東日本橋、そんな経路で歩けば着けるはず。
頭の中に大雑把な地図を入れて東京駅の八重洲口を出る。
もともと下町歩きは好きなので歩くことは苦にならない。
テキトーに歩いていると向こうに川がある。たぶん日本橋川。
川沿いに歩いて日本橋に出る。
近頃、映画の舞台にも使われた日本橋であるが、この川沿いの方角から来たのは初めて。
真正面から来るとのと違って横から来ると、
首都高の下の橋の欄干の飾りがよく見えて日本橋もなかなか綺麗だ。
上にかぶさっている首都高さえなければ、
日本橋は確かに日本の道路起点にふさわしい立派な橋なのだ。
東京オリンピックに間に合わせるためとはいえ日本橋の上に首都高を通すなど、
ずいぶん無粋なことをしたものである。
ここを渡って日本橋、三越の正門の獅子の像はなかなか貫禄がある。
この辺から右の方に行かないと東日本橋の方には行けないはずと思いつつ歩いていると、
地下鉄の入り口があった。歌会に年中遅刻している人間なので、
ちょっと途中をはしょり地下鉄に乗り隣の水天宮へ。
水天宮は都会の一角にでんと残ったような神社である。
周囲をコンクリートでがっちり固めたような感じで、たいして広くはなく、
境内には木立もほとんどない。
子授けの神であるらしく、女性の参拝客が多い。
今さら子供を授かっても困るよな、と思い手を合わせるのをためらっていたら、
中年のサラリーマン数人が来て参拝して行ったので、その後ろについて手を合わせた。
あの中年サラリーマン達も子供が欲しいのであろうか?(^^;
ここから人形町を経て東日本橋に出る。
人形町には甘酒横丁という江戸の下町情緒の残る通りがあるということだったが、
行ってみるとたいしたことはなかった。
下町歩きがブームになって、たいして風情があるわけでもないところを、
ことさらに宣伝する向きがあるのであろう。
たぶん、あちらの方角と見当をつけて人形町を東の方に抜けてゆく。
地図はもってないが方向感覚は割りといい。
しばらく歩いていると電柱に東日本橋の地番表示が出てきて、
そこをさらにテキトーに歩いていくと、
薬研掘り不動尊の赤い幟が並んでいるのが見えてきた。
歌会の会場はこの薬研掘りの道路沿いにある。
ここまで来ればもう道は分かるので、歌会の前に昼食である。
もちろん食事だけではだめなわけで、ビールの一杯も飲めるところでなければならぬ。
歌会の前には酒を一杯ひっかけ、戦闘態勢を整えてから歌会に出ることにしている。
言うならば禊のようなものである。禊もしないで歌会に出るなどもっての外である(^^;;
ただ、この薬研掘りの通り、食事処は少ない。
歩いていてようやくあったと思うと付近のサラリーマンで一杯だったりする。
会場の近くに蕎麦屋とも洋食屋ともつかぬ奇妙な店はあるのだが、
他で食べたいなと思い、テキトーに歩いていると両国橋の近くに、
ナマステカトマンズというネパール料理の店があったのでそこに入る。
店の中にはヒマラヤの写真とかいろいろ飾ってあり、ネパールの?音楽が流れている。
メニューはカレー料理が中心、酒はネパールビール、インドビールなどいろいろあった。
とりあえず、その日のランチとネパールビールを頼む。
注文を聞きにきた女性はネパール人らしいが日本語が上手。
ちなみに若くて美人である。
窓に向いたカウンターに座ると両国橋の向こうにスカイツリーが見える。
カウンターの隅には、ネパールに学校を作るという寄付の箱があった。
ネパールビールを飲みながらしばらく待っていると、カレーとナンが来た。
チキンとおくらのカレーで、生姜が入っているのが変わっている。ネパール風なのか?
食べてみると、なかなか美味しい。
ただ、思ったほど辛くはなく、日本人向けにアレンジしているのかもしれない。
ナンを千切ってカレーにつけて食べるのだが、ナンがでかい。
食べきれないと思ったが、結局、食べてしまった。なかなか美味しかった。
会場の近くにはあまりいい食事処がないと思っていたのだが面白い店を見つけた。
少なくとも、いつも忘年会で使っている、
洋食屋の入り口から入り蕎麦屋の出口から出るという奇妙な店より気にいった。
この次はライスでカレーを食べてみよう。カレーの種類はいろいろあるようで、
あの日本語のうまい店員さんに聞けば、
日本人向けにアレンジしてない本物のネパールカレーを教えてくれるかもしれない。
Date: 2012/02/08(水)


お見舞い
顧問先の社長のお見舞いに行ってきた。
昨年の暮れ、大動脈剥離で倒れた。
医師からは助かる確立は10%以下と言われたが、
一ヶ月後、意識を取り戻した。
意識を取り戻したとき、子供の顔が分からなかったという。
話している言葉もまるで外国語のようで理解できなかったらしい。
それから一ヶ月、まだ退院できる状態ではないが危機は脱し、普通に話せる状態になった。
病室を訪れると、元気そうな顔をしていた。
「運が良かったですね。誰もいないところで倒れていたら大変だった」
「ええ、間違いなく死んでたでしょうね。よく生きてるなって」
「会社の方は動いていますから大丈夫ですよ。心配しないで体直してください」
「よくやってくれてます」
「以前から血圧は高かったの?」
「それで禁煙して、歩き始めたりしてたんですが...」
「一度死にそうになって死ななかった人間はその後は簡単には死にませんよ。
運がいいんだから大丈夫ですよ」
「ええ、そういうふうに考えようと思ってます。
みんな来てくれて...。涙腺弱くなっちゃって...」
中小企業の経営者は体が資本である。
倒れたら会社が倒れる。
会社が倒れれば、働いている従業員達が路頭に迷う。
人間、必ず年をとる。
ある程度の年になったら年に一回の人間ドッグや検診は必ずするべきである。
社長だけが会社のお金で人間ドッグに行けば役員賞与だが、
従業員全員と行く分には社長の分も含めて福利厚生費。
勤労者の労働が以前より過重になっている現代、
社員も経営者も健康の管理が今まで以上に大切である。
Date: 2012/02/04(土)


玉川温泉
雪が降っている。
豪雪である。
各地で被害が出ているが、秋田の玉川温泉では雪崩で3人の死者が出た。
ニュースを聞いたとき、聞き覚えがあると思った。
「玉川温泉...、ああ...、あの玉川温泉」
三島由紀夫をして現代の定家と言わしめた歌人、春日井建。
「未青年」で鮮烈なデビューをし、新鮮な歌を詠んだ。
中部短歌の主宰として活躍、現代短歌のなかで大きな存在だった。
その春日井建が生前、癌に効くと人に勧められて湯治に行った温泉である。

    大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき
    童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
    われよりも熱き血の子は許しがたく少年院を妬みて見をり
    白球を追ふ少年がのめりこむつめたき空のはてに風鳴る
    火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて跳ぶ
    若き手を大地につきて喘ぐとき弑逆の暗き眼は育ちたり
    与へあふいのちなき夜のわれのため彫られてありしラオコーンの像

春日井建は青春を詠った歌人である。
それも豊かな様式性と美しい韻律で詠った。
私が短歌を始めたとき惹かれたのは寺山修司であり春日井建だった。
平成16年、65歳で癌のために逝った。
歌集『井泉』には、湯治で訪れた玉川温泉の歌がいくつも入っている。

     井泉に堕ちしは昨夜か覚めしのち生肌すこし濡れてゐたりき   
     時じくの香菓の実われの咽に生れき黄泉戸喫に齧り捨つべき
     ダイ・インに似たらずや熱の岩盤に伏す仰むける生きざらめやも
     湯に首を打たせてラドン吸ひながら屋根の雪おろす人を見てゐつ

歌にもあるとおり、ここの岩盤浴が癌に効くといわれ、
多くの湯治客が訪れる温泉であるらしい。
春日井建の歌は、枯れた地に流れる水のように私のなかに沁みてきた。
歌は美しくなければならない。
私はそれを春日井建の歌から学んだ。
春日井建が湯治に行った玉川温泉。
いつか行ってみたいと思っていたが、
こういうニュースで聞くとは思わなかった。
雪はまだ降り続くのであろう。
被害が広がらないことを祈っている。
Date: 2012/02/02(木)


確定申告無料相談
確定申告の季節が始まった。
早速、税理士会主催の確定申告無料相談に動員される。
例年、わっと相談者が来るのだが、今年の無料相談は異変があった。
相談者が少ない!?
今年から年金収入が400万以下でそれ以外の所得金額が20万以下の人は
申告不要になったのである。
そのためか...。
会場には閑散と相談者が座っていて、それを引き受ける我々相談員もいたって楽。
税理士になってこの方毎年動員されてきた確定申告の無料相談で、
人が少ないというのも異様な光景といえば異様な光景ではある。
相談者が会場に溢れて殺気立っていた時代を知っていればなおさら。
ただ、所得税は申告不要になっても住民税は申告が必要なのである。
それに本来、その所得税の方も一度計算してみないと、
還付が出るかどうかが分からない。
還付が出るなら当然申告した方が有利なわけだが、
果たしてそういう計算をしたうえで相談者は来ないのか...?
あるいは申告不要ということだけを聞いて申告に来ない人が大勢いるのかもしれず、
これから住民税の申告の方が大変になるのかもしれない。
ちなみに保土ヶ谷税務署は2月1日以降、税務署では確定申告の相談は受け付けず、
すべて桜木町の特設会場での受付になる。
税務署としては事務の効率化なのかもしれないが、
相談者、特に高齢の相談者にとっては、今までは保土ヶ谷に行けばすんでいたのに、
今年からは申告するためには遠くまで行けという話で、
たぶん、トラブルが起きるんだろうなと税理士仲間は噂し合っている。
国税としては、急速に高齢化していく時代のなかで、
高齢者の申告をこれ以上行政サービスでやってやるわけにもいかず、
相談会場の集約も年金収入400万以下申告不要もそれで打ち出したのかもしれないが、
もしそれで同じ収入金額の給与所得者や事業所得者との間に負担の不公平が
生じるなら問題であろう。
今回の年金収入400万以下申告不要は、計算してみて税額が発生しても申告しないで、
いいというものである。給与所得者や事業所得者との税負担の公平は?
租税の応能負担の原則はどこにいったのかという話になる。
あるいは高齢者は弱者だというのか?
しかし、それ自体が社会的ステレオタイプではないのか?
年金収入400万の高齢者と給与収入400万でこれから子供達を進学させなければ
ならない勤労者とどっちが経済的弱者なのか?
その辺がどうも釈然としない。
税理士は税理士法で税務支援義務を負っている。
義務を果たすことにやぶさかではないのだが、
ほんとうに支援を必要としている人達に支援をしたい気がするわけで、
釈然として義務は果たしたいと思うのである。
Date: 2012/01/28(土)


仙台歌会その3
今日の新聞に石巻の大川小学校の記事が載っていた。
3月11日、地震のあと、教師達に誘導され堤防に向って避難する途中、
生徒の多くが津波に巻き込まれて死んだ学校である。
事件から10ヶ月たった今になって、石巻市教育委員会は避難誘導に問題が
あったことを認め遺族に謝罪したという。
石巻市の教育長は人災の側面があったことを初めて認めたが、
なぜ、これだけの時間がかかったのだろう。
大川小学校については去年の11月、仙台歌会のあとでその跡を訪ね、
現場と周囲の状況を見てきた。
現場を見て、あらためて幾つもの疑問を感じた。
そのときのことはこのブログにも書いている。
第三者も入れて事件を検証するということである。
当然のことだ。
むしろそれを決めるのになぜこれだけの時間が必要だったのか。
子供達はなぜ死ななければならなかったのか、
事件を検証し真実を明らかにする、そして二度と悲劇を繰り返さない。
せめて、そういう努力がなされなければ子供達の死は無になるのである。

仙台歌会に出された、
潅木にちぎれた靴がある、幼の足はどこに行ったのだろう、という歌から、
震災詠について考えてみた。
震災詠については震災詠だけを特別なものと考えることにそれ程の意味はないのかも
しれない。大切なのは歌詠みの姿勢と歌の質であり、
それは震災詠に限らず、本来すべての歌に言えることである。
津波の直後、たぶん、あの歌会に出された歌そのままの情景があったであろう。
靴や服の切れ端を残し流されていった幼い子供、そういう子供達が大勢いたのである。
私はそういう子供達のことを忘れたくないのだ。
大川小学校の跡にも行った。
あの日突然命を奪われた子供達。
私は彼等のことを忘れたくないのである。
そういう子供達がいたということを覚えていたい。
死者は忘れられたとき本当に死ぬ。
そして人々の記憶から消える。なにもなかったように。
私は覚えていたい。
3月11日、東北でなにがあったか、
私は覚えていたい。
だから私はこれからも東北に係わっていきたい。
ひとりの表現者として、いずれ彼等のことを表現したいと思っている。
私は安易な震災詠に賛成しないと同時に、
震災を詠わない詠うべきでないという話にもあまり関与しようと思わない。
ひとりの表現者として震災に向き合いたいと思っているし、
それは表現者であることを選んだ者の務めであると私は思っている。
短歌の根源は慟哭であり祈りである。
震災を題材に良い歌を作ろうという気持ちは持ちたくない。
歌詠みの姿勢として、ただの題材を見るような目で震災を見たくはない。
私は彼等に祈りを捧げたいのだ。
Date: 2012/01/23(月)


仙台歌会その2
仙台歌会の続きはどうしたとある人からメールを頂いた。
いかんせん、業界用語でいうところの税繁期、仕事に追われて書く暇がなかった。
知り合いの税理士などは私のブログを読んで、
「あっちこっち行ったりいろいろ書いたり、いったいいつ仕事してるんだ?」
と言うのだが、どっこい、仕事なら人一倍している(^^
人一倍仕事をして仕事以外の時間を作る。
よく働くためにはよく学びよく遊ばなければならぬ。
およそ、よく遊べぬ者がよく働くことなど出来るはずはないと勝手に信じている(^^;
ちなみにここでいう遊びとは、人生のなかで生きる遊びであって、
くだらぬ遊びのことではない。
閑話休題、仙台歌会の続きである。

歌会の後の懇親会ではこんな話もあった。
なんでも俳句の人達から言われているそうである。
短歌を作る人達は浅ましい、震災とかあるとここぞとばかりに震災の歌ばかり詠む、と。
確かに俳句から見ればそう見えるかもしれない。
俳句は物に託して表現する。いうならば現象を詠んであとは読者の想像にまかせる。
短歌は情を詠む。それはときには慟哭であり、祈りである。
それを表現するのが短歌である以上、震災のような悲惨な出来事があったとき、
それを詠うのは当たり前といえば当たり前なのである。
対して、俳句は震災のようなものは表現しにくいだろう。
ただ、皆が一斉に震災を詠い、そういうものが溢れると、
それに対する反応が出るのも当然で、
こんなふうに震災を詠っていいのかという疑問が出てくるわけである。
この辺については時事が反映されやすい新聞歌壇の影響もあるだろう。
特に、評価される歌を作りたいという一心で、
被災者でない者が被災者のふりをして詠うとか、
そういう類の歌が目につけば、疑問を通り越して不快を感じるわけである。
被災者の悲しみは被災した者でなければ分からないはずで、
それを分かったように詠うのも、読んでいて不快を覚える。
そういう歌が多く出てくれば、
こういうのはおかしいとか、
題材を鵜の目鷹の目で探すように人の悲劇を見ているとか、
被災者でない者は詠うべきでないという話も出てくるわけである。
それと、歴史的に時流に流されやすい歌詠みの姿、そういうものが垣間見えると
確かにあまりいい気持ちはしない。
かって、戦争の時代、多くの歌人が時流に阿った。
時流に流されるままに戦争を賛美し愛国を詠った。
敗戦とともにそれは厳しい批判を受けたわけだが、
そういう時流に流される風潮というのは、別に戦前の歌人だけにあったわけではなく、
実は、現代の歌人もなんら変わってはいないのである。
アメリカの9・11同時多発テロを題材にした歌には、
テロが恐ろしいとか、なんでこんなことに式の歌もかなりあったわけだが、
9・11とその後の論調のなかにあった問題に目がいかないままに詠まれた
それらの歌はただ安易な歌にしかならなかった。
湾岸戦争も同様である。
湾岸戦争は歴史上初めて戦場の映像がリアルタイムでお茶の間に入ってきた戦争だった。
そして、その映像を見て多くの歌詠みが歌を詠んだ。
映像を見て詠うこと自体は決して否定されるものでないにしろ、
その映像が送り手というフィルターを通したものであることに気付かない歌詠みは
大勢いたわけである。
歌詠みは戦前も戦後も別に変ってはいない。
常に時代に流されて歌を詠んできたのが大部分の歌詠みである。
今回の震災についての歌も、そういう流れで大量生産されている向きはあるわけで、
根底に時流に流される歌詠みの姿を感じた者は、嫌なものを感じるかもしれない。
でも、どうなのだろう。
短歌はつまるところ人の慟哭であり祈りである。
巨大な自然災害に向き合ったとき、
悲しみや怖れを人は当たり前に覚えるのであり、
それを表現しようとする、あるいは表現しないではいられない、
それは人として当たり前の営みである。
多くの歌詠みがそれを詠もうとするのは当然のことであろう。
9・11や湾岸戦争の歌が持っていた問題とは少し次元が異なる気がする。
悲劇を歌の題材を見るような目で見たくないというのも、
本来は個々の歌詠みがおのれの内側で向き合うべき問題であり、
震災詠の問題はつまるところ、
歌詠みの姿勢と歌の質の問題なのではないかという気がするのである。
Date: 2012/01/20(金)


仙台歌会
仙台歌会は昨年11月に続いて二度目の参加、その仙台歌会で気になった歌。
例によって誌面に発表前なのでここには出せないが、
灌木にちぎれた靴がある、幼い子の足はどこにいったのだろう、
そういう歌意の歌である。
一読して震災詠だということは分かった。
子供の靴が灌木にひっかかっているのを見れば、順当な表現としては、
その子はどうしたのだろうということになるわけだが、
この歌の場合は、その子の足はどこにいったのだろう、という即物的な捉え方になって
いる。こういう意外な捉え方が表現の工夫になっていていいという意見があったのだが、
私は異議をとなえた。
私は3月11日の津波の直後の被災地を見たことはない。
しかし、たぶん、この歌そのままの光景があったのではないだろうか。
灌木にひっかかった靴や服の切れ端、それを身につけていた人は波に攫われ、
そういうものだけが夥しく残っている。
そういう光景が実際にあったと思うのである。
その後の討論でもやはり、「あのときは本当に沢山のものが木に引っ掛かっていましたね」
という話があった。この歌の表現しているものが、あの震災直後の被災地の光景そのまま
だとしたとき、その表現に詩を感じることは出来るだろうか?
もちろん、物事を美しく表現するのが詩ということではない。
しかし、事実をそのまま31文字にしただけで、それは詩になるだろうか?
悲惨な出来事を表現するとしても、そこに表現として昇華されたものがなければ、
それは人の心に響かないのではないか?
私は悲惨な状況をそのまま31文字にしたような表現に怯んだ。
この歌のどこに詩があるのか? 私はそう問うた。

歌会後の懇親会で、作者はその歌について、あえて問うために出した、と言っていた。
その作者は結社誌にも震災の一連を出し、意欲的に取り組んでいる。
歌壇のなかに、震災を詠うことについて批判的な向きがあることに対し、
あえて問うために歌会にそういう歌を出したということだった。
確かに震災詠についてはいろいろな意見がある。
歌の題材を鵜の目鷹の目で探すようにして震災を詠む向きも確かにあるわけで、
そういう姿勢に対する批判が出るのは当然である。
一方、だから震災は詠まない、という姿勢もなにやら一方に偏ったもののような気がする。
アメリカの9・11同時多発テロのときも同じような話があった。
ショッキングな出来事を目の当たりにして、
題材を眺めるような目で悲惨な出来事を見たくない、詠わないという意見があった。
ただ、3・11と9・11にはひとつ決定的な違いがある。
3・11は巨大な自然災害であったが、
9・11は政治性が濃厚にからむものだった。
実際、9・11以降、「テロ」という言葉は以前より遥かに「犯罪」というイメージと
結びつくようになった。
第二次大戦で侵攻してきたドイツ軍と戦ったロシア民衆のパルチザンを、
ドイツ軍は「テロリスト」と呼んだ。
抑圧されたパレスチナの人々の抵抗も「テロ」と呼ばれた。
他に戦うすべのない人々のぎりぎりのところでの抵抗。
本来、「テロ」にはそういう一面があるわけだが、
間違いなく、9・11以降、「テロ」という言葉は単なる犯罪の意味で使われるようになり、
政治的に利用されるようになった。
「テロ」「テロリスト」と断罪することで、
いとも簡単に正当性を主張できるようになり、
マスコミも人々もそういう言葉の変化に疑問を持たなかった。
中国が抑圧されたウイグルやチベットの少数民族の人々の抵抗を、
「テロ」という一言で片づけることにも以前より疑問を呈さなくなったのである。
9・11はそういう政治性が濃厚にからむ問題であったわけで、
マスコミや世界の論調に対し、表現者は安易に流されない視点を持っていなければ
ならなかった。そういうことに気付かないまま詠んだ歌は、
時代の風潮に流された安易な歌にしかならなかったわけである。
しかし、3・11は違う。
それは政治性とかそういう問題とは別の巨大な自然災害である。
長くなるので、続きはまた書く。
Date: 2012/01/12(木)


仙台城
8日〜9日で仙台に行ってきた。
8日の仙台歌会に出て仙台で一泊、9日朝の新幹線で関東に戻り横浜歌会に出るという、
いささかハードスケジュールではあるが短歌漬けの連休。ついでに仙台城を訪ねてきた。
新幹線の窓から眺めていると福島あたりは雪が積もっているのだが、仙台は雪がない。
北に行けば行くほど積もるというわけでもなさそうだ。
それにしても新幹線で窓の外の景色を眺めていると結構、歌が作れる。
強いて作ろうとしていたわけでもないのだが、仙台に着くまでに四首ほど歌が浮かんだ。
これが車で行くと、そうも作れないわけで、
やはり運転という作業をしているときと、
車窓を流れてゆく景色を静かに眺めているときとでは違うのであろう。
若い頃からどこかに出かけるのは行動の自由が利く車の方が多かったのだが、
これだけ歌が作れるなら鉄道での旅も捨てたものではない。
これからはもう少し鉄道を利用するようにしてみよう。
10時前に仙台着。歌会は午後からなので午前中に仙台城を見にゆく。
駅前のバスプールで仙台城方面に行くバスを探すが、見ると次のバスは10時40分。
だいぶ時間があるので、近くにあった案内所で聞いてみたら、
るーぷる仙台という周遊バスで行くのが一番早いというので、それに乗る。
横浜の赤い靴号と同じような、市内の観光地をめぐるレトロなバスである。
3月11日の震災で仙台城の石垣の一部が崩れたので普段とは違うコースを走るという、そのせいか思ったより時間がかかった。途中、東北大学のキャンパスがあるのだが、
おそらく震災のときのものだろう、壁の一部に崩落があった。
仙台城は大きな城である。
江戸城に次ぐ規模で敷地面積は大阪城より大きい。
伊達家が62万石の大藩であったとしても、分不相応に大きいと言っていい。
しかも、仙台城は山城である。
現在の仙台城は平山城だが、それはその後の修築によるもので、
伊達正宗が築城した当時は山城だった。
戦国の世が終わろうというときに正宗はなぜかくも大きな山城を築いたのか。
伊達正宗は戦いにも外交にも秀でていた。
見栄で分不相応に大きな城を築いたわけではあるまい。
彼は、軍事力は外交力の裏打ちであるということをしっかりと認識していたのであろう。
徳川家の天下のもとで、どうやって生き残るか。
幕府に忠誠を誓えば御家安泰というわけではないわけで、
伊達家を滅ぼすのはちと面倒だという気持ちを相手に持たせなければいけないわけである。
抑止力を持つものは交渉でそれなりの地歩を確保する。
だから正宗は戦国が終わろうというときに、巨大な山城を築いたのではないだろうか。
ちなみに仙台城には天守閣はない。
正宗は幕府に遠慮して天守を作らなかったというが、
既に大砲の時代になり天守閣は軍事的な意味を喪失していたのである。
去年、短歌結社の全国大会のついでに松本城を訪ねたが、
仙台城とほぼ同時期に建てられた松本城の天守閣は、
たいして大きくもない松本藩が見栄で作った天守である。
正宗は抑止力としての巨大な山城を築いたが、
軍事的に意味のない天守を見栄で作るつもりはなかったのではないだろうか。
正宗は、仙台城を築き、城下を整備、さらに、北上川の流れを変え河口をつけかえる
という大土木工事を行い、広大な湿地を肥沃な農地に変えた。
金が入り用だったはずで、
無用な天守にまで手が回らないということもあったかもしれない。
城跡からは仙台の街が見渡せ、その向こうには海が見える。
津波が押し寄せた海である。
海岸近く茶色い土地が広がっているのだが、
もともと農地で冬枯れて茶色になっているのか、
津波に襲われてなにもなくなり茶色い土地が広がっているのか、
肉眼では確かめられない。
観光写真で有名な正宗の像の周囲では記念写真を撮っている人達が大勢いる。
凛として、各地に幾つかある戦国武将の像のなかで一番気品があるかもしれぬ。
正宗は時代を見通したリアリストだった。
彼が生きていたら、震災からの復興に手間取っているこの国をどう見るのであろう。
その騎馬像は海の方向を向いている。
しばらく辺りを歩いたのち、るーぷる仙台で駅に戻り歌会に向かった。
Date: 2012/01/10(火)


アーチェリー初射ち
年が明けて正月二日は毎年恒例のアーチェリー初射ち。
焚火に大きな鍋をかけ、
餅、鶏肉、白菜に、射場の畑から採ってきた大根も入れて雑煮を作る。
20人程集まったので餅が足りるかと心配したが、どうにか大丈夫だった。
焚火で暖まりながら雑煮を食い、これも毎年恒例の獅子舞見物。
昨年、獅子を見て泣いてしまった会員のお孫さん、今年は泣かない、全然大丈夫と
胸を張っていたが、獅子がやってきたらあっさり泣いてしまった(^^;
来年あたりはそろそろ大丈夫かな?
雑煮を食って獅子舞を見たら今年初めてのコースに入る。
昨年は早射ちの癖がついて不本意な成績に終わったのだが、
今年はリベンジにいささか燃えている。
的が目に入った途端射ってしまう癖がついているので、
あえて的を外したところで構え、しっかりと射形を整える。
それからおもむろに的の中心へ矢先を持ってゆき、エイミングして射つ。
本来は構えてから動かすようなことはしない方がいいわけだが、
とりあえず早射ちを直す次善の策。
とりあえずこの方法でやると早射ちは止まる。
止まると自信がついてくるわけで、自信がついてくると、
だんだん最初から的を狙って構えても早射ちしなくなる。
やはり、何事も自信をつけることが大切。
根拠があろうとなかろうと、とりあえず自信を持つ。世の中なんとかなる。
昨年の暮れからこの練習を繰り返しているのだが、
効果が出てきているようで、点数はまだイマイチだったが、
手応えはあった。
風もなく天気の良い気持ちのいい一日。
さて、今年も仕事に遊びに頑張るぞ(^^
Date: 2012/01/04(水)


良いお年を
今年も残すところ僅かになりました。
いろいろなことがあった年でした。
多くの人の記憶に刻まれる一年だったと思います。
個々の人にとってもこの国にとっても、
2011年は忘れることの出来ない年になるのでしょう。
今年一年あったことを心に刻み、新しい年を迎えたいと思います。
皆様にとって新しい年がよりよい年であることを祈念してやみません。
今年のつれづれ日記への書き込みは今日で終わります。
また来年、お目にかかります。
それでは良い年をお迎えください。
Date: 2011/12/29(木)


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