*--Diary--*
昨日は湘南歌会。気になった歌をひとつ。 例によってまだ誌面に未発表の歌であり、ここには出せないが、 これ以上パンドラの箱を開けないよう・・・配られているティッシュも受け取らない、 そんな歌意の歌である。 何人かの人が批評していたのだが、 町で宣伝のためにくばられるティッシュ、そこにあるいろいろな誘惑とかから離れていたい ために、それを受け取らない、そういう読みが多かった。 私はちょっと違う読み方をしていたので、ふーん、なるほどと思いながら聞いていた。 歌の読みは読者それぞれであるし、 また、作者の製作意図を言い当てるのが歌の読みでもないわけで、 人によって読みが違っていいのである。 ただ、誘惑から離れていたいという方向の読みしか出てこなかったので発言を求めた。 私は、「ティッシュ」を大量消費・使い捨ての象徴として捉え、 「パンドラの箱」は文明がもたらした自然破壊や地球温暖化などを象徴しているように 読んだのである。 無理にそう読んだというわけではなく、 歌をさっと読んだとき、自然にそういう方向で読んでいた。 イヴが林檎の実を齧り、プロメテウスが人間に火を与えてから、 人類は文明への道を歩き始めた。 しかし、文明は明だけをもたらすのではなく、明には当然のように暗が付き添っている。 火を使い道具を使うようになって、戦争はそれまでの単純な殴り合いから大量殺人に変わった。 野生の動物を家畜化するようになり、恒常的に家畜と接するようになってから、 人類は動物から人に感染するように変異したウイルスに苦しむようになった。 便利な生活はその一面、環境を破壊し温暖化はいずれ人類自身を滅ぼすのかもしれない。 文明への道を歩き始めたとき、 人類は既に「パンドラの箱」を開けたのである。 町を歩いている作中主体が、差し出されるティッシュにふと消費社会の限界を感じ、 それを受け取らなかった。 そんなふうに読んだのである。 他の人達のような読みは正直言って、全く浮かばなかった。 もし、ティッシュを世の中の誘惑、それから離れていたい作中主体と捉えると、 この歌はどういう歌になるだろう? 確かに、「ティッシュ」「パンドラの箱」これらの言葉だけに着目すれば、 この歌はむしろそういう歌として読むのが普通である。 しかし、その場合、初句の「これ以上」はどうなるのだろう? 「これ以上」ということは、今まで既にそういう誘惑に引っかかってきたということか? 散々痛い目にあったので誘惑から離れていたい、そういう歌ということになるのだろうか? もしそうなら、単なる間抜けな作中主体しか浮かばないのではないか?(^^; 作者はなぜ「これ以上」と表現したのか? 「これ以上・・・誘惑にひっかかりたくない」 「これ以上・・・こういうことをしていたら、次の世代はどうなるのだろう」 いずれで読んだ方が歌がよりよく味わえるのか。 歌は一首全体で読むと思うわけである。 湘南に限ったことではなく、あちこちの歌会に出ていてなんとなく感じるのだが、 歌を腑分けしてしまい、腑分けした部分部分に気をとられ、一首全体としての歌を見失う。 そういう読みが多い気がする。 ひとつひとつの言葉が歌の中でどう効果を出しているか、 それを吟味することは重要であり、それゆえに歌を一度腑分けしてみることもするわけだが、 最後に再び一首全体としてどうなのだろう、そこに立ち返って歌を読む。 そうしなければ歌は鑑賞できないのではないか。 そんな気がするわけである。
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Date: 2010/06/28(月)
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昨日、車で走りながらラジオを聞いていたら、 日本記者クラブの9党首討論会というのをやっていた。 参院選を控え、各政党の党首達を招いての討論会だったのだが、 その中で消費税の税率を10%にするという件につき問われた社民党の福島党首の話、 「消費税の引き上げには反対です・・・所得税と法人税の税率を10年前と同じに するだけで4.2兆円の財源になります。所得税は年収が100万でも1800万でも 10%なんです・・・・そういう金持ち優遇をやめれば・・・」 えっ!? 10%ってなんの話?(^^; 所得税の税率は課税所得100万なら5%、1800万なら33%だけど...。 すると、4.2兆円の財源が出来るというのは、 話の前提に計算間違いがあるということなのかな? あるいは住民税と勘違いしているのか? でも、住民税がフラット税率になったのも、 所得税と住民税トータルでの税負担は変えずに税目間で調整した結果だから、 それをもって金持ち優遇と言うのはちょっと違うし、 じゃ住民税を増税しろと言うのなら、消費税増税とたいして変わらないよね。 と言うか、住民税増えれば国民健康保険が増えるとか、 いろいろ影響受ける人多いと思うけど...。 高額所得者に対してもっと課税しろという考えは分かるし同感するところもあるのだが、 曲がりなりにも国政について発言するのならば、しっかり事実を踏まえて物を言って欲しい。 聞いていてがっかりさせられるような話を政治家から聞くのはもう嫌なのである。 地に足がつかないままに語られる理想は、 戦後から20世紀後半にかけての余裕のあった日本では通用したが、 そういう余裕のなくなった21世紀の日本では通用しない。 国民はそういうことに気がついてきている。 だからマスコミでも左派の論客は姿を消した。 消費税についても地に足をつけて、しっかり討議してもらいたいものである。 消費税増税についての抵抗感が国民の間で減ってきているのは、 良識ある国民が財政の問題にも気がついているからであろう。 実際、21年度予算を見る限り、消費税の税率を少なくとも20%くらいにしなければ、 この国の借金は減ってゆかないということくらい、多少の見識があれば分かるはずだ。 美味しいものは食べました。 でもその支払いは子供か孫に回してください。 そんな話は通用しないのだ。 国民は気がついてきている。 政治家も現実から目を背けるべきではない。 理想はもういい、現実を語って欲しい。
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Date: 2010/06/23(水)
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国連UNHCR協会からのメールを転載します。 中央アジアのキルギスで大勢の難民が発生しています。 家を追われ荒野に震えている子供達への支援の輪を広げたいと思います。
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国連UNHCR協会メールニュース:緊急支援のお願い
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--------------------------------------------------------------- ■ウズベキスタンに向けて緊急援助物資の空輸を開始 --------------------------------------------------------------- 2010年6月17日
6月10日よりキルギス南部では、多数の死者が出るほど衝突が激化してい ます。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、国境を越えてウズベキス タンへ避難する難民、および、キルギス国内の別の地域に避難している国 内避難民を支援するために、緊急の人道援助活動を開始しました。
ウズベク政府によると、11日から7万5000人以上の難民がキルギスから流 入しており、UNHCRは、この危機的状況の中で難民のニーズに対応してい るウズベク政府に支援を申し出、ウズベク政府は14日、この緊急事態によ り移動を余儀なくされた何万もの市民へのUNHCRの支援の申し出を受け入 れました。
▼詳しくはこちら https://krs.bz/j4unhcr/c?c=1037&m=28&v=a46b8855
http://www.japanforunhcr.org/topnews
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▼ホームページからご寄付いただく場合 下記サイトから、「キルギスとウズベキスタン緊急支援」を ご指定ください。 https://krs.bz/j4unhcr/c?c=1038&m=28&v=78f19015 ※「今回のご寄付のきっかけ」欄で「国連UNHCR協会メールニュース」 をお選びください。
▼ご寄付を郵便局からご送金いただく場合 ゆうちょ銀行:口座番号 00140-6-569575 加入者名 国連UNHCR協会 ※通信欄に「キルギス/ウズベキスタン緊急支援」とご記入ください。 ※振込み手数料は「加入者負担」です。 用紙が必要な場合はご連絡ください(03-3499-2450)。
----- ご寄付でできること(一例) 30,000円=テント2張、10,000円=マット4枚、5,000円=毛布10枚 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
--------------------------------------------------------------- 2004年6月20日「世界難民の日」以来、 メールニュースを発信しています。
本メールニュースは、これまでに当協会にメール アドレスをお知らせくださった方にもお送りしております。 今後受信を希望されない方は、大変お手数ですが info@japanforunhcr.org まで送信停止の旨、ご連絡ください。
本メールアドレス(refugees@japanforunhcr.org)は、 メールニュース発信専用のメールアドレスです。 お問合せは、info@japanforunhcr.orgまでお願いいたします。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 特定非営利活動法人 国連UNHCR協会
〒150-0001東京都渋谷区神宮前5-53-70 国連大学ビル6F TEL:03-3499-2450 FAX:03-3499-2273 e-mail: info@japanforunhcr.org URL: https://krs.bz/j4unhcr/c?c=1039&m=28&v=6fd9f4d5
※2009年4月に、「日本UNHCR協会」から「国連UNHCR協会」に 名称変更しました。
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Date: 2010/06/17(木)
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大原の三千院は京都の北東、若狭へ続く街道の途中にある。 京都からはバスで一時間くらいはかかるのだろうか。 市街地から離れているので、今回のように車で来たときの方が行きやすい。 走っていると朽木とかいう標識が出てくる。覚えのある地名だと思ったら、鯖街道である。 若狭と京をつなぐ鯖街道。 以前、若狭から鯖街道を走り琵琶湖の方に抜けたことがあるのだが、 そのときに花折とか朽木という地名を目にしていたのだ。 昔は若狭の鯖がこの街道を通って京に運ばれたわけで、当時の物流ルートであり、 むしろ今より人の行き来は多かったのかもしれない。 大原も観光客が多いので駐車場に入れるか心配していたのだが、 別にどうということもなく入れた。 というか、一番下の駐車場に入ったのだが、歩いていくと沢山駐車場があり、 しかも登り道なので、なんだ、これならもっと上の駐車場に入れるのだったと思った。 初めて来た人はその辺を知らないので一番下の駐車場に入れるのであろう。 我々が行った日は一番下の駐車場だけが混んでいて上の駐車場はみな空いていた。 三千院がいつ頃建てられたのかは良く知らない。 一番最初は最澄が延暦寺を開いたとき、ここに房を建てたということなのだが、 そのあと移転したり焼けたりいろいろあったみたいで、 なにやらごちゃごちゃして良く分からぬ。 三千院という名前も明治になってから使われるようになったらしく、 それ以前は違う呼び方をしていた。 ここは庭園の美しさで有名である。 苔をうまく使った庭園というのは、特に欧米人にとっては異質なものに違いない。 三千院の写真でよく見るのは、往生極楽院。 苔庭の向こうにある往生極楽院は確かに落ち着いた美しさがあり、 紅葉の季節などさぞ美しいだろう。 往生極楽院の中には国宝の阿弥陀三尊像が座している。平安時代のものであるらしい。 割りと大きな像で、決して大きくはない往生極楽院の建物の中に入れるために、 船底天井という、天井が船底を逆にしたような作りになっていて、 仏像が入るようにその部分の天井を高くする工夫をしている。 国宝の仏像も綺麗なのだが、そういう作りの方に目が行ってしまう。 表面はだいぶ黒っぽくなっているが、作られた当時は天井画などもあったはずで、 おそらくは極彩色の天井だったのだろう。 周りの壁に描かれている諸仏もすっかり黒くなって殆ど見えなくなっていて、 他の観光客は壁にそういうものがあることにあまり気がついていなかったようだ。 ここから進むと苔の庭の中にわらべ地蔵がいる。 苔の庭で遊んでいるようなわらべの地蔵。なにか不思議な空間に出くわしたような 気になる。探したらこういうページがあった。雰囲気が伝わるかどうか。 → http://www.ric.hi-ho.ne.jp/ue5288/hubutusi/warabe.html この先で、お茶をふるまっているところがありそこで一服。 冷水に抹茶を溶いたものを出してくれたが、甘みがあり美味しかった。 写経をしたり、門前の店で食事をしたりして、市街地の方に戻る。 京都駅の近くのパーキングに車を入れ、駅ビルで土産を買う。 八つ橋、漬物、お茶、適当に買い物をして4時半京都発、再び高速を走って横浜に帰る。 行きと違い帰りは多少時間がかかったが、 途中で夕食を食べたり休憩したりしながら夜11時に家に戻った。 早朝4時に家を出ての京都日帰り。出発前の睡眠時間が4時間くらいだったので、 ちょっと帰りの最後一時間くらいは運転していて疲れを感じたが、 睡眠時間さえしっかりとって出かければ車でも京都は日帰りで充分楽しめる。 それにしても今回は暑かった。今度は涼しい時期に行きたい。
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Date: 2010/06/16(水)
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鐘の音の流れてゆくを見ておれば八坂の塔は溶けてゆきたり
以前、結社誌の新樹集に載った歌。 昨年の京都での短歌結社の全国大会の夜、東山のあたりを歩いていて浮かんだ歌である。 全国大会では懇親会に出るよりも京都の街を歩きたかったので、 ひとりで別のところに泊まり、夕方、東山のあたりを歩いていた。 懇親会に出て酒を飲んでいたら、この歌は出来なかったわけである。 その東山のシンボル的な存在が八坂の塔。 夕暮れの京都東山の空に黒々と立つ八坂の塔の存在感は凄いものがある。 大抵の人は、八坂の塔という名前は知らなくても写真などでは見ているだろう。 京都の観光案内などには結構出てくる。それだけ絵になる塔である。 昔、渡来氏系の法観寺という寺があり、そこの五重の塔だった。 法観寺は平安京が作られる以前からここにあった寺であるらしく、 大きな寺だったのだが、寺自体はその後廃れ、 今は八坂の塔を中心に小さなお堂が幾つか残っているだけである。 というか、イメージとしては五重の塔だけが塀に囲まれて残っているという感じ。 三年坂をくだってくると、塀に囲まれた一角に入り口がある。 塀の外から大きな八坂の塔は見えるわけなので、わざわざ中に入る人は少ないようだが、 ここでは五重の塔の中に入ることが出来るので、訪れたら入ってみると良い。 他の寺では塔の中に入れるというのはあまりないだろう。 ただ、門が閉まっていることも結構あるらしい。 我々が行った日は開いていた。 塔の中に入ると暗い堂内に仏像が安置されており、脇の方に狭くて急な階段がある。 この階段を登ると狭くて暗い二階。ぐるりと回ると小さな窓から京都の街を見ることが出来る。 この切り取ったような京都の街の眺めがなかなか風情がある。 塔の真ん中には太い心柱が立っていて高さ48mの塔をしっかりと支えている。 暗い塔の中でそういうものを見ていると、素人なりに建築技術の凄さのようなものを感じる。 白鳳時代の面影を残しているというが、この塔も幾たびかの戦乱で焼け、 今立っているのは室町時代に再建されたものである。 それでも600年は経っている。 今自分がいる空間が600年前にも同じようにあり、 幾多の人がこの同じ小窓から京の町を見たはずだと思うと不思議な気持ちがしてくる。 京を制圧した軍勢の若い兵士、暗闇の向こうを凝視している盗賊、 逢引の相手が来るのを待っている男、あるいは京を去ろうとする若者。 いろいろな人間がこの塔に登り、京の町を見たはずだ。 彼らがいたのと同じ暗がりがそこにある。 落ちそうなくらい急な階段を下りると塔の外に娘が待っている。 「登ってみな、面白いよ」 「やだ、なんだか怖い、仏像がみんな片手」 そう言われて初めて気が付いた。 東西南北を向いて安置されている仏像がみな片手の手首から先がない。 なぜ? 暗い堂内の仏達はかなり古いものであるらしい。 どうしてみな片手の手首から先がない? 八坂の塔から細い道を東大路に出てそこを渡り、 安井金比羅宮、花見小路、建仁寺を歩き、清水に戻る。 ちなみに花見小路はまだ殆どの店が閉まっていた。 昨年の夏、暗くなりかけた建仁寺を抜けて花見小路に出たとき、 暗い世界にふいに浮かび上がったような明るいぼんぼりの並ぶ花見小路が、 とても印象的だったのだが、ここは夕方くらいに訪れるのがいいのだろう。 それにしても東山の界隈は面白い。 犬も歩けば棒に当たるではないが、歩いていると何かが出てくる。 昨年の夏もいろいろなものを見た。 今回も、清水から三年坂への京都らしい町屋の風景、 八坂の塔と片手のない仏達、その他諸々。 それにしてもあの暗がりの仏達は不思議だ。 いろいろ見て歩いたが、清水の駐車場に戻ったのはまだ12時くらい。 ここから大原に向かう。
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Date: 2010/06/15(火)
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早朝4時に横浜を出、東名・伊勢湾岸・東名阪・新名神と乗り継いで、 京都清水の駐車場に着いたのが8時半。 やはり早朝走ると道が空いている。駐車場もまだガラガラ。 娘が京都に行きたいと言うので日帰りで京都に遊びにきた。 高速道路1000円の恩恵を受けるべく今回は車。 茶わん坂を登るがこの時間まだ店は閉まっていて、人通りも殆どない。 正面に清水寺の三重の塔が見え、これだと空いているかなと思ったが、 仁王門に着くと、その脇の石段で修学旅行の一団が記念写真を撮っている。 茶わん坂はまだ人通りが殆どなかったが、清水坂からはもう大勢登ってきていた。 修学旅行の一団の脇をすり抜けて境内に入る。 舞台の方に行くが、ここも修学旅行の生徒達に占拠されている。 昔と違って、今は6月が修学旅行のシーズン。かなり人出が多い。 それはそれとして暑い。 入梅前の好天、この分だと今日は30度は超えそうだという暑さ。 以前来たのは2月で、ちょうど前日に雪が降り、雪景色の清水寺が綺麗だった。 今回は溢れる緑の中の清水寺。ついでに修学旅行の生徒達も溢れている。 彼等を避けてしげしげと堂内を見るが、太い柱を何本も使っている。 坂上田村麻呂が創建したと伝えられる清水寺だが、 その後の戦乱などで焼けては再建ということを繰り返し、 現在の建物は江戸時代初期に建てられたものである。 田村麻呂の時代の清水寺が現在のそれとほぼ同じなのか違うのか、寡聞にして知らないが、 それにしてもこういう太い柱の建物を今作ろうとしたら難しいのかもしれない。 これだけ太い材木を何本も調達するのは大変だろう。 舞台からその後にある地主神社に行く。 縁結び・恋愛成就の神であるらしく、ここは女性の参拝客が多い。 拝殿で手を合わせようとして止めた。 娘「なんで拝まないの?」 私「今さらお父さんが恋愛成就しても困るだろう」 娘「あはは、確かに」 ここから阿弥陀堂・奥の院を経てぐるっと回り、音羽の滝の手前の茶屋に入る。 道を挟んで谷側に縁台がしつらえてあり、 そこでちょっと遅い朝食にそーめんを食べる。 氷で冷やしてありなかなか美味しいそーめんだった。 谷側はもみじの木が沢山あり、紅葉の季節はさぞ綺麗だろう。 音羽の滝は修学旅行の生徒達が水を汲んで飲もうと行列している。 舞台の下を通って仁王門に戻り清水坂を下る。 両側は土産屋が並んでいてかなりの人混みである。 名物の八つ橋を売っている店が多く、大抵試食できる。 以前、娘と娘の友達を連れてきたとき、娘の友達が店から店に試食して歩いて、 結局食べ過ぎておなかをこわしていた(^^; 途中、扇子を扱っている店に入り扇子を選ぶ。 品がいい絵柄だなと思うのは値札を見ると大抵値が張る。 結局、蜻蛉の柄の扇子を買った。 一振り5000円、高いのか安いのかよく分からない。 その先で三年坂に入る。 この清水坂と三年坂の分かれるところにある唐辛子の専門店はいつも繁盛している。 お茶に七味唐辛子?を入れたのが美味しかったと聞いていたので、 店に入って探してみたが、それらしいのは売っていなかった。 別に、お茶用というのがあるわけではなく、 売っている七味唐辛子をそのままお茶に入れるのだろうか? 三年坂は京都らしい雰囲気のある場所である。 いわゆる京の町屋という感じの家々が並んでいる。 この三年坂から二年坂に入ると高台寺の方に出られるのだが、 今日は三年坂をそのまま下る。 八坂の塔に行きたいのである。
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Date: 2010/06/14(月)
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支部の総会が終わると懇親会があるわけだが、 そこで余興があった。 税務署幹部一同によるe−tax音頭(^^; e−taxとは電子申告のことであるが、 電子政府を目指す国は税務部門でもこれを強力に推し進めている。 で、申告の件数のうちの電子申告の割合、その目標を設定し、どれだけ達成したかを 営業成績のように発表して、各税務署で競わせるわけである。 この達成率が出世にも響くのかどうなのかは知らないが、 署長以下幹部一同、かなり必死である。 必死になった成果として出てきたのがe−tax音頭というわけでもないのだろうが、 なんでも税務署の幹部さんが作詞作曲もしたとのことで、 たぶん、税理士会や法人会、青色申告会等々の関係諸団体との いろいろな集まり・懇親会等で、 税務署の幹部一同がこのe−tax音頭なるものを歌い踊るのであろう。 愛される税務署、親しみやすい税務署、どうぞ皆さん便利な電子申告をよろしく。 ま、そういうことなのであろうが、 よくやるよという気もしなくはない(^^;; で、懇親会の席上、電子申告の推進どうぞよろしくと披露されたe−tax音頭。 署長が歌い副署長以下が踊るのを支部の広報として写真に撮らせてもらったのだが、 是非、その写真を欲しいと税務署の方から言ってきたらしい。 それはいいんだけど...。 照明が通常より暗い懇親会の会場で撮ったその写真。 幹部一同の熱意とは裏腹に、なにやら魑魅魍魎の宴のように写ってしまっている...。 まずいな...、この写真どうしよう(^^;;;
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Date: 2010/06/11(金)
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税理士会の支部総会の日、 打ち合わせが終わり、ホテルの地下のレストランから出たら携帯が鳴った。 出ると先日の税務調査の調査官である。 「先日の件ですが、売上が20日締めなので、締め日から決算日までの分が 売上計上漏れになりますね」 「先日も言ったとおり、決算日まで10日、締め日以降決算日までの分は次の月の売上に計上 される。継続してそういう処理をしている。であればそれを認める。通達で認めている処理だ。 だから売上計上漏れじゃないよ」 「先生の仰っていたのは、法人税基本通達2−6−1ですよね。 あれは決算締切日と書かれています。だから費目別にということです」 「どういう意味? 言ってることが分からないんだけど。費目別? 通信費や交通費みたいな一般管理費にそもそも決算締切日という概念あるの? 費目別もなにもあの通達は売上の計上についての通達だよ」 「ですから、費用収益対応の原則から言って・・・」 「重要性の原則だろ。そういう処理を毎年継続しているなら、数年通算したら結果は同じ。 ならば、そういう些細な部分まで原則どおりにやらなくていい。通達の背景にあるのは そういう考え方だろうが」 「売上計上漏れです。実務ではそうなりますから」 「実務ってなんの話だ? 日本は租税法律主義の国だぞ。国の通達を自分勝手に解釈して、 それが実務だ? おたく今までそういう感じで調査やってきたのか!?」 「いや、ですから...。通常の先生はそう説明すれば分かって頂いています」 「通常の先生? すると俺は通常の先生じゃないのか? 通常じゃなかったらなんだ? 今、自分がどういうものの言い方したのか分かってるのか?」 「いや...。今回はこのままで結構です。今回の調査はこれで終了しますが、 今後は気をつけて頂かないと・・・」 「なにを気をつけるんだ? 通達どおりにやってるんだぞ。ちょっと厳しいこと言うようだが、 これからも調査官として仕事をしていくんなら、もっと勉強をしな。おたくのさっきの 訳の分からない話は、おたくが今まで相手にしてきた素人や通常の先生とやらになら 通用しても、ちゃんとした税理士には通用しないぞ。こういうことを言われれば気分悪い だろうが、おたくはまだ若い。おたくのこれからのためだよ。しっかり勉強しなよ」
まあね...。あれだけ言われたら調査官、電話のあと歯軋りしてたかもね(^^; まだ税務署に入って3〜4年かという若い女性の調査官。 調査の最中も首傾げることが幾つかあって、調査官としての能力は仕方ないとして、 社会人としての基本的な部分に疑問符をつけていたのだが、 とうとう最後、あんまり訳の分からないこと言っているので、 遠慮ないところを言ってしまった。 ま、若いうちにそういう経験をするのは本人のためにもいいだろう。 なんというのか、官民ともに仕事の質が落ちている。 人間の質も落ちている。 税務署の調査官は国税専門官として勉強しているはずだし、 研修も積んでいるだろう。 それであのレベルというのは、国民としてちょっと悲しいところがある。 嘘か本当か知らないが、 「税法を知らなくても調査は出来る」 そういうことを言う調査官がいるとかいないとか...。 確かに素人相手なら適当なことを言っても、素人にはその是非が分からない。 言われるままに払う義務のない税金を払わせられる、ということもある。 だから、普段は税理士に依頼していない人も、 税務調査のときだけは税理士に立会いを依頼するとかした方が本当は良いのだ。 ただ、その税理士もあの調査官の言っていた「通常の先生」ではあまり役に立たない のかもしれない(^^;; たぶん、理論武装もなにもせず、税務署に言われれば言われるまま、 そういう税理士もいるのだろう。 租税正義も民主主義も戦うことによって守られる。 そういう信念を持った税理士は確かに少ない。 規制緩和の結果は玉石混交。 ただでさえ勉強している税理士と勉強していない税理士がいるなかで、 規制緩和がその一面、「安かろう悪かろう」という質の低下を招いたのも事実である。 「通常の先生」ではない、ちゃんとした税理士を選んだ方がいい。
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Date: 2010/06/10(木)
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日曜の横浜歌会でのこと。 さて困った。 批評を求められたのはよいが、なんと批評してよいのか...。 例によってここには出せないが、ちょっと変わった歌で、 読み飛ばさないよう見逃さないよう、一緒にいなくてはだめだ。 そんな歌意の詠草。 若い人の歌にたまにあるのだが、 なにかこう、自己完結的というか自閉的というか、 周囲との関係性の中でなにかを表現するのではなく、 自分だけの世界で自己満足的に表現しているような、 そういう歌がたまにあるわけである。 この歌の場合、それに近いものは感じたのだが、それとも違う。 少なくとも「一緒にいなくてはだめだ」という他者がいるわけで、 そう表現するからには、現状は一緒にいられないわけであろう。 そして、そのことになにかしらもどかしさとか不安とか、そういうものを感じている。 決して、自己の世界に閉じこもっているわけではなく、 他者とのかかわりの中で生きている作中主体がいるわけである。 しかし、歌を読む手がかりが得られず、歌の世界に入ってゆけない。 表現の問題であるのだろうが、 なにかこう、読者に分かってもらおうという気もないような...(^^; それが若い人の自己完結的な歌に近いイメージをもたらしているんだと思うが...。 で、いまひとつ読みの手がかりが得られない、そういう歌ですね、みたいな ことしか言えなかったわけだが、 私の発言の後で他の人が 「これはメガネを詠っているのだろう」と発言した。 メガネね...。 確かに、読み飛ばさないよう見逃さないように人はメガネをかけるのかもしれんが、 それをそのまま表現して短歌になるの?(^^;; 総評の岡部史さんも歌意をはかりかねていたのだが、 そこで再度、発言を求めた。 「メールじゃないかという気がさっきからしているんだけど...」 昔と違い、メールで簡単に連絡が出来るようになった。 しかし、それと裏腹に、むしろ昔より希薄になった人と人との関係があり、 若い男女のそういうものを表現しようとしているのではないか...。 しかし、そうだとすると、表現はそのままで歌としてつまらないのかもしれない。 そのあとしばらくコメントの遣り取りがあったわけだが、 正直言って、そういう発言をしながら同時に心の隅に、 「自分は深読みしているのではないか? 無理して読まなくていいのではないか?」 という気持ちがあった。 メガネではないかという迷解釈に対する反応のような形で「メールでは?」と発言して しまったのだが、一方には、そんなふうに読まなくていいのではないか? そういう気持ちがあったわけである。 意味の分かりにくい歌というのは結構あって、 短歌を始めた頃は、歌会でそういう歌が出てくると、それに対する解釈を考えそれを披露し、 それがうまく解釈としてはまっていると、 どんなもんだと、いささか自慢するような気持ちもあった。 しかし、歌というのは、そんなふうに解釈を競うものではなく、 分からない歌は分からないままでいいのだ、近頃はそういう気がしている。 意味は分からないけど、なんとなくこの歌はいい。 そういう歌というのは実際にあるわけで、 そういう歌はそのまま鑑賞すればいい、ことさらに意味を問わなくていい。 近頃はそう思っている。 この歌にしても、メールではないかと意味を探らず、そのまま鑑賞すればいいのではないか? そしてそのまま鑑賞したとき、読者に手がかりがないために一首としては響いてこない。 要はそういうことではないか? 歌会終了後、作者名発表のとき、 その歌の作者は「メガネもメールも考えていませんでした」と言っていた。 岡部史さんは歌会後も「あの歌はメールの歌として読んだ方がいい歌になる」と仰っていたが、 それももちろん、その線で作り直せばの話であろう。 いずれにせよ、やはり、歌は意味を求めようとしなくていい。 いたずらに解釈しようとしなくていい。 そういう気持ちをあらたにしたのである。
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Date: 2010/06/08(火)
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先週の土曜は久し振りに一日アーチェリーをしていた。 3月決算の申告で5月は忙しく、 射場に行ってもお昼から半日だけとか、そういう感じだったのだ。 さて、久し振りに朝から弓を引いていたわけだが、 午前中にファーストとセカンドを回って、127点、115点。 127点は良しとして、115点はちょっと不本意。 で、セカンドを回り終わって練習場に戻ってきたら、 いつも一緒に回っている仲間が来たので、 そのままたいして休憩せずに仲間と再度、コースへ。 結果はファースト97点。 これって、立派に初心者の点数(^^; 最初の打ち上げの的から、ああ疲れてるなぁと思った。 打ち上げだから、弓を構えて的に向かって上げていく。 的まで上がったとたんに射ってしまう。 そこで一度止まり、しっかり狙いを定めないといけないのに、 疲れているのでバッと放してしまうのだ。 そのあとも全くダメ。 押し手が疲れてガチッと定まらない。微妙に揺れたまま射っている。当たるわけがない。 一周一時間程度のコースを三回回り、疲れてしまい、射がバラバラになっているのだ。 うーん...(^^;; 体力は自信あったのだが...。 重いザックを背負って一日何時間も山を歩くようなことを高校生のときからしていたので、 そういう体力には自信があった。 ま、アーチェリーは体力だけでなく集中力も重要だから、 疲れて集中力が落ちれば当たらなくなるということもあるのだが、 それにしても、体力落ちているんだな...。 というか、トレーニング足らんのだな。 考えてみたら、ここ数年、一日に3回コースを回ったということがなかった。 忙しいので昼から来て半日だけ弓を引くとか、そんな感じでやっていたので、 良くてファーストとセカンドで2回。場合によってはハーフ1回回って終わり。 そんな感じだった。 だから、久し振りに一日で3回コースを回って、 こんなに疲れたっけ?ということになってしまったわけだ。 もうちっとマジメにやって鍛えなきゃいかんな(^^ ところで、同じ射場のアーチェリー仲間のO夫妻。 休日の度に夫婦でせっせとコースを回っているが、 大抵、一日に4回か5回回っている。 学校の先生なので、4時限目行ってきます、とか言ってコースに入っていくわけだが、 60代でその体力って凄いのだとあらためて感心した(^^;;;
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Date: 2010/06/07(月)
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