*--Diary--*


あけましておめでとうございます  2010/01/04(月)
攻める  2009/12/29(火)
今年最後の歌会  2009/12/28(月)
角平  2009/12/25(金)
特殊支配同族会社の役員給与の損金不算入制度  2009/12/24(木)
地震雲?  2009/12/18(金)
へぎそば  2009/12/15(火)
3年間返済猶予  2009/12/14(月)
プレゼント  2009/12/10(木)
東京平日歌会忘年会  2009/12/05(土)


あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。
2010年が皆様にとってより良い年になりますように。

さて、仕事始めである。
まずは年末調整。
殆どのところは年が明けてから年末調整の計算をする。
大企業や官公庁は大抵、12月の早いうちに年末調整をするわけだが、
配偶者特別控除が出来てから、本当はそんなに早いうちに出来るわけはないのである。
奥さんがパートで働いていて非課税を越えるくらいの収入がある場合、
その収入金額が確定しなければ配偶者特別控除の計算が出来ない。
奥さんの収入金額が確定するのが大抵年末だから、そんなに早く出来るはずはないのである。
ところが、大企業や官公庁は早く年末調整をする。
以前、市に勤めている友人に、どうすればそんなに早く計算出来るのか? と聞いたことがある。
彼の答は、「扶養控除申告書に奥さんの収入金額がなければ収入ゼロで計算しちゃうよ」。
なるほど、本人の申告を信頼するということか。
でも、パートで働いていて非課税越える奥さんだっているでしょう、その収入金額の確認は?
と重ねて聞くと、「うーん、書いてなきゃそのままやっちゃうな〜」。
なるほど、自己責任に任せていると言うべきか、遣り方がルーズと言うべきか?(^^;
以前と違って給与支払報告書の提出基準が厳しくなったので、
その友人の言っていた遣り方が今でも通用しているのかどうかは知らないが、
大企業や官公庁って、結構ルーズなところがある(^^;;
ま、われわれ税理士はそういうルーズなこともやっていられないので、
いたって小市民的な真面目さで、必要な資料が揃ってからおもむろに年末調整の計算を
始めるわけである。
今年も真面目に生きていきたいと思う(^^;;;
Date: 2010/01/04(月)


攻める
先週、顧問先の社長が事務所に訪ねてきた。
社長 「受注はなかなか厳しいです。社員の賞与も昨年よりは減らしていますから、
   私の報酬を引き下げようかと思うんですが、どうでしょう?」
私  「現在受注している仕事で荒利は〜〜万円。あと今期中に〜〜万円の荒利が
   必要なわけですが、見通しはいかがですか?」
社長 「五分五分でしょうね...。不可能な数字ではないと思いますが、
   今の経済状況ですから。先が読めません。」
私  「ならば引き下げしないでいきましょう。」
社長 「えっ!?」
私  「五分五分なら攻めましょうよ。」
おそらく社長は引き下げる方向で考えていたのだろう。
そういう社長の判断は決して間違ってはいない。
しかし、判断は判断として、気持ちが守りに入ってしまうのは危うい。
先の見えない時代、誰でも慎重にならざるをえない。
しかし、慎重ということと、気持ちが守りに入ってしまうということは違う。
守るべきときは守っても、攻めるべきときは攻めなければならぬ。
気持ちが守りに入れば、攻めるべきときも攻められない。
守りに徹して負けるサッカーの試合になってしまっては話にならない。
攻めなければ点は入らない。
試合は負けてもそれですむかもしれないが、
会社は負ければ社員が仕事を失う。その家族が路頭に迷う。
今、この国の社会全体が守りに入っているような雰囲気がある。
しかし、そういう姿勢から未来は生まれない。
新しい年がどういう年になるかは分からない。
厳しいこともあるだろう。あるいは機会もあるかもしれない。
気持ちが守りに入っては、機会も掴めまい。
五分五分なら攻めるべきだ。
そういう姿勢を保持したい。

今年のつれづれ日記への書き込みは今日で終わります。
今年一年お世話になり厚く御礼申し上げます。
来年が皆様にとってより良い年でありますように。
それでは良い年をお迎えください。
Date: 2009/12/29(火)


今年最後の歌会
昨日は湘南歌会、今年最後の歌会である。
ここしばらく仕事に追われ、また他にもいろいろ面倒なことがあったりして、
気持ち的にはかなりわさわさとしていた。
短歌もある程度の気持ちの落ち着きがないとやはり作りにくいもので、
歌が作れない日が続いていたのである。
昨日の歌会の詠草も、締め切りの日にパソコンの前に座り30分ぐらいで作って、
投げるように送信してしまった。
先日も他の人に「最近、流しているような歌があるね」と言われたのだが、
その通りなのだ。
時間に追われ、詩心が湧いてこないまま、適当に流して一首を作ってしまう。
ある程度歌をやっているとそういうことが出来るようになってしまい、
そういう歌が自分でも嫌で、
このまま短歌が作れなくなってしまうのではないか?
そんな気持ちにもなったし、
こんな歌を作っているくらいならやめた方がいいという思いもふっと頭をかすめた。
結社に入って数年たつが、
結社誌を読んでいて、いい歌作っているなと思っていた人が今までに何人も姿を消している。
いい歌を作れる人は、自分で納得のいく歌が作れないとき、かなりつらいわけである。
自分の歌の瑕が見えてしまい、こんな歌しか出来ないならもうやめようという気になるのだ。
しばらくそんな日が続いて、昨日、今年最後の歌会に出た。
歌会で他の人の歌を読み、批評しながら、
楽しいと思った。
短歌に触れていることを楽しいと思った。
短歌を始めた時のような気持ちで、もう一度、短歌と向き合いたいと思った。
仕事に追われて、ここしばらく、ちょっとペースを乱されているような感じがあったのだが、
仕事の方も一段落してきた。
自分のペースを取り戻して、再び短歌と向き合いたい。
今年最後の歌会でそういう気分になれたのは嬉しいことであった。
Date: 2009/12/28(月)


角平
23日の天皇誕生日、野暮用があって昼から横浜。
せっかくなので久し振りに角平で蕎麦を食べてから行くことにする。
相鉄の平沼橋で降りて横浜の方へ歩く。
大学を卒業して初めて勤めた会計事務所が平沼橋だったので懐かしい場所である。
当時は小さな商店や工場などもが結構あったのだが、今ではだいぶビルが多くなっている。
京浜急行の高架をくぐった交差点のところに角平がある。
平沼の交差点の角だから角平という、いたってシンプルな命名である。
暖簾をくぐって中に入るとかなり混んでる。
座れないかなと思ったら、座敷の小さなテーブルがひとつ空いていた。
店の雰囲気はいかにも昭和の蕎麦屋という感じ。
老舗である。
壁に大野伴睦や岸信介が店の座敷に座っている写真がある。
昭和30年代の写真でその頃から角平はこの平沼で店を開いている。
中ジョッキとつけ天を注文。
ここに来た客は大抵「つけ天」を注文する。
つけ天というのは、
丼に暖かい汁と海老の天麩羅が入っていて、
せいろに盛られた蕎麦をそれにつけて食べるというもの。
他では見かけない。
暖かい汁に冷たい麺を入れて食べるというのは、
今でこそ「つけ麺」という形がラーメンにもあるが、
この角平のつけ天がそういう食べ方の走りであるらしい。
仲居さん達はきびきびとしていてなかなか気持ちがいい。
雰囲気は江戸の蕎麦屋の雰囲気。
ジョッキを飲んでいると、つけ天が来た。
丼の暖かい汁の中に大きな海老の天ぷらがひとつ頭を突っ込んで出てくる。
それとせいろ。
海老を肴にジョッキを傾け、それが終わると蕎麦にとりかかる。
汁は濃い目で藪蕎麦あたりと違って甘い。小さな柚子が浮いている。
もりそばみたいに汁はすこしつけるだけで蕎麦の風味を楽しむというのではなく、
濃い目の甘い天かす入りの汁にからめて食べるという感じ。
うん、これはこれで旨い。
あっという間に食べてしまう。
品書きを見るとあなごの天ぷらとか3時以降ということで鴨などもある。
客の少ない時間帯に来てのんびり酒を飲んでみたくなる。
それにしても藪蕎麦もそうだが、なんで旨い蕎麦屋というのは、
昭和のままの古い店構えを変えようとしないのだろう?
周囲に合わせるのを拒否して昔のままでいるような、
旨い蕎麦屋には結構そういうところがある。
しかし、街のどこかに昔のままで変わらない場所があるというのもなかなか悪くない。
横浜の角平。いい店である。
さて野暮用がある。
勘定を済ませ、昼からのビールでいい気分になって横浜の方に歩く。
Date: 2009/12/25(金)


特殊支配同族会社の役員給与の損金不算入制度
平成22年度税制改正大綱が決まり、
特殊支配同族会社の役員給与の損金不算入制度が廃止されることになった。
社長とその同族関係者が会社の資本金の90%以上を保有する会社では、
社長の給与のうち、給与所得控除相当額を損金に算入しないという規定。
平成18年の政府税調で、年末のもう審議が終わるというときになって
財務省が改正案のなかにもぐりこませて作った規定だという話がある。
審議する日にちもあまり残っていなくて審議らしい審議もされなかったという話で、
法人会等も法律が改正されてからその影響の大きさに驚いて反対運動を始めたという、
いわくつきの規定。
審議が終わるときになって新たに改正項目に追加してくるというのは、
審議をさせないためか?
形式的に審議を通ればそれでよしというのなら、
それは民主主義の否定である。
いずれにせよ、成立後広範な反対運動を巻き起こし、
翌年には早速部分的な改正がおこなわれた。
しかし、内容からしておかしな法律であったため、
部分的改正ではなく廃止を求める運動は続いていた。
民主党はマニフェストにこの規定の廃止をあげていたのだが、
つい先日まで、財源の問題から廃止は見送るという話だったのである。
それが一転して廃止に決まった。
その辺の経緯については分からないが、なぜ一転して廃止になったのか?
少なくとも税理士会の運動のおかげではあるまい(^^;
税理士会も廃止を求めてはいたが、なにやら足並みの乱れがあり、
反対しないという声も多少聞こえていた。
政府が勲章制度を有効に使っている効果なのかどうかは知らないが、
税理士会ではたまに「高度に政治的な判断」という意味不明な言葉が使われるのである(^^;;
法人会や商工会議所もこの規定の廃止を求めて運動を続けていた。
あるいはそちらからの声が大きかったのかもしれない。
税制改正の要望を税理士会は毎年おこなっているわけだが、
特に問題のあるものについては法人会や商工会議所等、外部と連携して運動することが
大切なのではないだろうか?
税理士会の政治力がたかが知れている以上、
その辺の連携というのは重要なのだろう。
Date: 2009/12/24(木)


地震雲?
三日程前、仕事を終えて帰宅しガレージの戸を開けるために車の外に出たとき、
異様な雲に驚いた。
夜空を横切りまっすぐ伸びる大きな雲。
南西から北東へ天を貫いていて、
その北側に平行してもう一本、それよりはやや小さいが、
やはり南西から北東に夜空をまたぐ雲がかかっていた。
形は飛行機雲なのだが、
あんな大きな飛行機雲は見たことがない。
夜目にもはっきり見える異様な雲を見上げながら、
「近いうちに地震でもあるのか?」
と思ったのだが、
昨日の夜から今朝にかけて伊豆で震度5の地震があった。
伊豆は我が家からは南西の方角。あの異様な雲が伸びてきていた方角である。
地震雲というやつか?
地震の前に異様な雲が出るということがあるらしく、それを地震雲というらしいが、
なぜそういう雲が出来るのか、そのメカニズムは分かっていないらしい。
仮説としては、地下で断層が動くときに電磁波が発生しその影響で、とかいう話が
あるらしいが、あくまでも仮説である。
単なる偶然で雲と地震にはなんの関係もないという説もあるらしい。
四川の大地震の直前にも空に虹色の雲が現れたということで、
ネットで調べればその映像があるらしいが、真偽は知らない。
いずれにせよ、先日見た雲が普段あまり見かけない異様な雲だったのは確かである。
うーん、地震雲というのはやはりあるのだろうか?
まだまだ科学で説明できないことは世の中に沢山あるのかもしれない。
Date: 2009/12/18(金)


へぎそば
「へぎそば」というのは新潟魚沼あたりの蕎麦である。
「へぎ」というのは魚沼あたりの方言で「剥ぐ」という意味で、
木を剥いだ板に蕎麦を盛ったので「へぎそば」というらしい。
ざるに盛ったのをざるそばというのと同じである。
ただ、普通の蕎麦と違うのはつなぎに海草の布海苔を使う。
そのためか、普通の蕎麦よりもつるつるとしたのど越しで、
食べたときに弾力があるというのか、しこしこしているというのか、そういう食感。
魚沼は学生時代から歩き回っていた上越の山稜の新潟側山裾であり、
子供がまだ幼い頃から毎年ゴールデンウィークにキャンプに訪れていたところである。
その時期、キャンプ場から見上げる残雪の山と雪国の遅い桜が美しい。
「天地人」の直江兼続で多少知られるようになったが、
私にとっては若い頃から通い慣れた懐かしい土地なのである。
で、その魚沼のへぎそばだが、店によって当たり外れがある。
例えば越後湯沢の駅の周囲にもへぎそばの店が幾つかあるのだが、
一度入ったらもういいという店もあるし、それなりに美味しい店もある。
新潟以外でへぎそばはあまり見かけない。それでも東京には幾つかあるらしい。
先日、横浜歌会の忘年会があったのだが、それが新潟以外では珍しいへぎそばの店であった。
その店自体は今回で使うのは三回目くらいか?
多分、店は忙しかったのだろう(^^;
座敷に入ったら、テーブルの上に鍋と天麩羅が並んでいた。
天麩羅は客の顔を見てから揚げるものである。
食べてみたら、何時間前に揚げたんだというくらい冷たくなっていた。
で、宴会の〆で出てきたへぎそば。茹でてしばらく置いてあったらしく、少し固くなっていた。
そのせいか、へぎそば特有のつるつるとしたのど越しも弾力のある食感もなかった。
忘年会参加の皆様、
新潟に行く機会があったら、本場のへぎそばを食べてみてくださいませ。
私の通い慣れた魚沼。
その魚沼の名誉のために言います。
魚沼のへぎそばはもっと美味しいです(^^;;
そりゃ、店によって当たり外れはあるけどさ...。
それにしてもせっかく我が師匠・岡部史さんが予約してくれたというのに...。
あの店ちょっと許せん(^^;;;


Date: 2009/12/15(火)


3年間返済猶予
亀井静香がぶちあげた三年間返済猶予。
法案は成立したが、蓋を開けてみたら、
信用保証協会を使った融資は適用除外、日本政策金融公庫からの融資も適用除外。
これだと中小企業はあまり使えない。
使えるとしたら、プロパーで融資を引き出せる企業と個人の住宅ローンぐらいか。
いろいろと批判のあった返済猶予だが、
現在の状況下ではある程度やむを得ないものと思っていた。
というか、それなりに意味のあるものと思っていた。
しかし、これでは使い勝手が悪すぎる。
大企業の数字はとりあえず下げ止まった。
最悪期は脱したという声も多少は聞える。
しかし、大企業の回復はえてして下部の企業に皺寄せをしてのことである。
コストダウンは下請けを徹底的に叩くことで実行される。
下請けの犠牲とリストラの上に大企業の業績回復はある。
日本の社会というのは、弱いところに皺寄せをもっていく社会であるが、
少しは皺寄せをされる方に手を差し伸べてもいいはずだ。
どうにもならなくなった中小零細企業の救済として、
返済猶予はひとつの方法だと思っていた。
もちろん、大部分の会社がそういうものを利用しようとしないことは分かっている。
銀行に白旗を揚げるようなことは大抵の経営者はしない。
三年猶予してもらったところで、そういう会社は三年後につぶれるのかもしれず、
冷徹な経済の論理から言えば、半端な救済は問題を先送りするだけであり、
あるいは傷をもっと深くするのかもしれないということも知っている。
しかし、別の視点もある。
今、日本の製造業は危機に直面している。
世界に知られた日本のメーカーも、その製品をすべて自社で作っているのではない。
下請け企業がそれを支えている。
その製造業の下請けが崩壊しつつある。
その結果のひとつは技術の消滅である。
日本の製造業を支えてきた技術が今危機に瀕している。
狭い国土に多くの人口。
そういう国が生き残るために技術は必要不可欠である。
日本のような条件の国が金融やサービス業だけで立国できると思うのならば、
それは幻想である。
日本の製造業、その技術を支えている中小企業、それを守り、さらに技術の深化を促す。
そういう政策は必要なはずだ。
返済猶予も現在の状況下ではそういうことに少しは役立つかと思った。
セーフティネットもいろいろな形があっていいはずなのだ。
しかし、蓋を開けてみたら骨抜きだ。
優勝劣敗だけが経済社会の真理ではない。
上を支えているのは下部である。
その下部を支えなければいつか社会全体が崩れる。



Date: 2009/12/14(月)


プレゼント
我が家の住人、ゴールデンレトリバーのさくら。
9日の日、ポストにプレゼントが入っていた。
咥えて遊ぶ犬のおもちゃである。
一緒に手紙が入っていて、見ると子供の字で、
「さくらちゃん、おたんじょうびおめでとう・・・」
ということが書いてある。
裏を見ると、お母さんの字で、
「子供が、フェンスから顔を出しているさくらちゃんが好きで、
どうしても誕生日のプレゼントをしたいということなので、
100円ショップで買ってきたものです。使って頂ければ...」
とのこと。
我が家では天気の良い日はさくらを庭で遊ばせている。
フェンスから顔を出して、道を通る人に尻尾を振っているわけである。
自分を可愛がってくれる人の顔は覚えていて、
そういう人が通ると、飼い主にも見せないような嬉しそうな様子で尻尾を振っている。
ところで、なぜ12月9日を誕生日だと思ったのだろう?
さくらの誕生日は10月18日。うちに来たのが12月である。
まだ12月9日頃は家の外には出していなかったはず。
なにか、12月9日が誕生日と勘違いするようなことがあったのかもしれぬ。
あるいは、「何歳ですか?」と聞かれて「ちょうど半年です」とかいい加減に答えたのを聞いて、
それから計算したのかな?
いずれにせよ、犬にプレゼントが来るとは思っていなかったので、ちょっと驚いたが、
ありがたく使わせて頂くことにした。
お母さんの手紙にはこんなことも書かれていた。
「不景気で、暗い気持ちで出勤する途中、さくらちゃんに励まされた人が大勢・・・」
うーん、さくらはそういう存在であったのか...。
少なくとも飼い主より周囲の人に愛されていそうである。
たぶん、プレゼントしてくれたお子さんとお母さんがこのHPを読んでいることはないと思うけど、
御礼申し上げます。




Date: 2009/12/10(木)


東京平日歌会忘年会
東京平日歌会では今まで忘年会はやっていなかったらしい。
歌会そのものが東京歌会の一部的な位置付けだったので、
忘年会をやりたい人は東京歌会の忘年会にどうぞ、ということだったとか。
それがなぜか今年から忘年会をすることになった。
場所が丸の内から浅草橋に変わったのもひとつの理由かな?
浅草橋に変わってメンバー的には8割程度入れ替わったらしい。
人も変わったし場所も変わったから、東京平日独自の忘年会をということかもしれぬ。
当日の歌会は出席者16名。
今年最後ということで選者の花山多佳子さん、小林幸子さんが来られている。
いつものように順番に批評し、あとは自由に発言。
今年の5月あたりから参加させてもらい、そのとき感じたのは、
この自由発言が少ないということ。
あまり積極的な発言がないな、と思いつつ黙って聞いていたのだが、
この頃、発言が活発になってきて、いい感じ。
歌会の最後に小林幸子さんも、活発になってきたということを仰っておられた。
忘年会は浅草橋の駅の近くの寿司屋。
出席者は13人で男は3人だけ。
横浜歌会だと男女比は半々なのだが、他の歌会は女性の方が多いらしい。
寿司の味はいまいちだったが(^^;
別に食事が目当てなわけではないので、短歌談義に花を咲かせる。
そのうち、ひとりひとり挨拶をということになり、順番が来たので、
「今年の5月くらいから参加させて頂きました。
最初の印象は紳士淑女が多いなと。横浜とはだいぶ違いますよね(^^;;
大人しい歌会だなと思いました。これ言わなくていいのかなとか、
ここのところ指摘しなくていいのかなとか、そういうことが結構あったんですが、
最近は意見が活発になってきて、とてもいい感じになってきましたよね〜」
みたいなことを挨拶...。
あとになってゆっくり考えてみたら、これって、つづめて言ってしまえば、
結社の選者である花山多佳子さんや小林幸子さんを前にして、
「ぱっとしない歌会でしたけど、この頃良くなってきましたよね〜」
と言っているのと同じだよね...(^^;;;
まずかったかな...(^^;(^^;;(^^;;;


Date: 2009/12/05(土)


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