*--Diary--*


税務相談  2013/03/05(火)
仏像  2013/02/27(水)
神田藪  2013/02/20(水)
逡巡  2013/02/18(月)
飯坂温泉  2013/02/16(土)
福島歌会  2013/02/15(金)
ナイルレストラン  2013/02/12(火)
天気予報  2013/02/07(木)
GPS  2013/02/04(月)
湘南歌会  2013/01/30(水)


税務相談
確定申告、この時期、税理士は無料税務相談等に引っ張り出される。
税理士法に定められた税務支援、ということなのだが、
一番忙しい時期に引っ張り出されるのはやはりきつい。
そんな税務相談での一コマ。
相談会場、隣に座っていた税理士に相談者が質問。
「乳児の予防接種は医療費控除で引けますか?」
「ええ、大丈夫です。医療費控除になります」
ありゃりゃ...、そんなことを言っていいのかい(^^;
乳児・幼児の予防接種もインフルエンザの予防接種と同じで医療費控除の対象外。
そもそも医療費控除の対象は法に限定列挙されており、基本的には病気や怪我の治療。
予防は治療ではないので対象にならない。
さらに言えば、健康保険が適用されていれば対象になると思っている人が多いのだが、
基本的には保険の対象・対象外も関係ない。保険医の指定を取り消された医師の治療も
医療費控除の対象だし、健康保険が適用されない交通事故の怪我の治療も
通常はないだろうがもし自己負担があれば控除できる。
納税者の聞いているところで横から「それは違いますよ」と言うのもなんなので
黙っているが、結構こういうことって多い。
先日もとある相談会の会場で、少額の自用分しか作っていない農業所得の赤字が損益通算
できると仰っていた先生がいた。
他に販売せず自用分しか作っていない農業というのは事業と言えるか?
それは事業所得ではなく雑所得である。
事業所得の赤字は他の所得から損益通算できるが雑所得の赤字は損益通算できない。
農業所得という区分は所得の計算技術上の区分に過ぎず、要は事業所得か雑所得かで
ある。農業所得だから損益通算できるというのは間違い。
自己研鑽していないとこの仕事は厳しい。
こんなことを書いているが、
実は先日の相談会で冷や汗をかいた。
午前中の相談が終わり、他の相談員と一緒に昼飯を食べながら話していた。
「最近は減価償却とかソフトで自動計算するからね。昔と違って手計算してないから、
計算の仕方忘れるよね。相談者にいきなり聞かれたら戸惑うかもしれないな」
そんな話を笑いながらしていたのである。
午後からの相談。最初にやってきた相談者の質問がその減価償却についての質問だった。
「これで計算は合っているでしょうか?」
「ええと...、残存価額引かないで計算してるね、計算違ってるよ。
あっ! 平成20年取得? え〜と平成20年は...、あ、そうだ、
19年4月以降取得は旧定額法じゃないんだ、うん、じゃ、合ってるよ」
プロが戸惑ったような説明していてどうするんだろうね、まったく(^^;;
やはりたゆまぬ努力と研鑽が必要なのだ(^^;;;


Date: 2013/03/05(火)


仏像
以前、山岳会の集会のあと飲み屋でわいわいと飲んでいたら、
仲間のある一人がふいに、自分は在日であるということを言い出したことがある。
そのとき我々は、韓国がらみの話をしていたわけではなく、
山の話や他愛のない話をしていたのだが、
彼はなんの脈絡もなく、ふいに真面目な顔でそういう話を始めた。
我々は彼の話を聞いて、韓国の山の話や食べ物の話をした。
そのときのことはそれで終わり、我々はその後も山の仲間であり続けた。
彼が在日であるということを知って彼との付き合い方を変えた者は一人もいなかったし、
そんなことは皆、考えもしなかったのではないか。

対馬の寺から盗まれた仏像が犯人の手で韓国に運ばれ、
犯人は逮捕され仏像も回収されたが、
その仏像は倭寇が朝鮮半島から盗んだものに違いない、だから日本に返すな、
という話が出たらしい。
で、韓国の裁判所に仏像を他に移転することを禁ずる仮処分が申し立てられていたらしい
のだが、裁判所がそれを認める決定を下した、というニュースがあった。
ネットで調べてみると、判決理由としてこんなことが書いてあった。
「返還するには日本側がこの像を正当に取得したことを証明しなければならない」。
読み過ごしてしまうと、それまでだが、
これは実はかなり怖ろしいことを言っている。
つまり、推定有罪ということである。
盗んだものでないということを証明できないのなら盗んだものだ。
そういう論理である。
我が家には古い壺がひとつある。誰がいつ買ったのか分からないが昔からある。
正当に取得したことを証明できなければその壺は盗んだものだ。
そう言われても私はなんの証明も出来ない。
近代法の基本は推定無罪である。
その壺が盗んだものであるというならば、その証拠を示さなければならない。
有罪を宣告しようとするならば有罪の証拠を示さなければならず、
無罪を証明できないから有罪だということは有りえない。
ネットニュースでしかも翻訳なので、どこまで正確にニュアンスが伝わっているのか
分からないが、これはかなり危ない話である気がする。
九州や西日本のように昔から朝鮮半島との交流が盛んだったところでは、
当然、朝鮮半島から渡ってきた仏像なり文化財がかなりあると思われるわけで、
そのなかには確かに倭寇が略奪してきたものもあるのかもしれないが、
交易や移住者が持ってきた、つまり平和裏にこの列島にやってきた仏像や文化財も
当たり前にあるはずである。
しかし、おそらく大部分のものは「正当に取得したことを証明」できないだろう。
何百年も前の仏像の領収書なぞたぶん残ってはいまい。
そうすると、そういう地域の村などでは集会を開いて、
対馬の寺のように村の寺の御本尊が盗まれないよう対策を講じなければいけない
ということになるのか...。
竹島は見えない島だった。
最近、いろいろとニュースに出るようになったが、それまで長い間、見えない島だった。
それに対し、韓流や韓国のアイドルはテレビや映画で見える存在だった。
しかし、村の寺の御本尊が盗まれるかもしれない、返してくれと言っても、
盗んだものでないということを証明しろ、出来なければ盗んだものだと言われる。
さあ、どうしよう、そんな対策の集会があちこちの村で開かれるようになったら、
どうなるのだろう?
島根の漁民の方には申し訳ないが、多くの人にとって竹島は自分にとって関係ない話だった。
しかし、村の御本尊が盗まれるかもしれない、という自分に関係のある問題が、
見える形で出てきたとき、
ネット右翼とかナショナリズムとかに縁のない普通の人達の間に、
嫌韓・反韓感情が次第に広がってしまうのではないか...。
今回の仏像のニュース。
そういう意味でかなり怖いニュースである。
韓国の人達はそういうことに気が付いているのだろうか?

山岳会の飲み会の席でなんの脈絡もなく、自分は在日だという話を始めた仲間のことを
思い出し、彼はどういうふうにこのニュースを聞いているだろうか?
そんなことを思ったのだった。
Date: 2013/02/27(水)


神田藪
夜、仕事の合間の気休めにネットニュースを眺めていたら火事の写真があった。
火炎の明るさを受け暗がりに古びた門構えの店の形が浮き上がっている。
「どこかで見たような店...」と思った。
門の横にはぼんぼり風の外灯があり、小さく「やぶそば」とあるのが読めた。
「えっ!? 神田藪? 燃えちゃったの!!」
ニュースを読んでみると神田の蕎麦屋、神田やぶそば、昨夜、従業員用食堂から
出火して火事になったとのこと。20人くらいの客がいたらしいが、
幸い怪我人はいなかったらしい。
藪は、砂場、更級と並ぶ蕎麦屋ののれんである。
その藪のなかで御三家と言われているのが、
神田の神田藪、上野の池之端藪、浅草の並木藪。
藪の本家、蔦屋が相場に手を出して失敗し廃業して以来、
神田藪がのれんの中心的存在であったらしい。
あの建物も関東大震災後の建築で空襲にも生き残った古いもので、
東京都の歴史的建造物にも指定されていたはず。
神田の街中で昔からの風情を残した感じのいい建物だった。
あの神田藪が燃えちゃったの...、ええ〜...。
夜の夜中、確定申告の仕事をしながら、蕎麦屋の火事でショックを受けているというのも
変わり者と思われるかもしれないが、
あの店構え、あの風情、うーん、残念な話。
二三年前の正月、背広姿の初詣客で埋まる神田明神を出て、神田藪に行ったことがあるが、
案の定、行列はしているし、黒塗りの車数台が店の前に停まっていたりで、
かなり混んでいたので入るのを諦めて素通りした。
それ以降は行っていない。
ま、怪我人がひとりもいなかったらしいし、店はいい立地にある。
建て直して再起は可能であろう。
そう言えば浅草の並木藪も店が古くなって建て替えた。
ビルの狭間で昭和を引き摺ったような古い木造の店だったのだが、
あるいはのっぽのビルでも建ててその一階でやるのかと思っていたら、
なんと、建て替える前と殆ど変らない昭和を引き摺ったような外観で店を建てた。
入ってみたら店の内側まで以前と同じ造りだった。
のっぽビルでも建てて上を賃貸すれば儲かるのだろうが、
いい店はこんなふうに頑固であって欲しい。
神田藪にも是非、昔通りに復活して欲しいものである。
Date: 2013/02/20(水)


逡巡
2月18日、確定申告が始まる。
今年は16日が週末なので税務署の案内などは2月18日からとなっているが、
本来は2月16日から3月15日が所得税の確定申告の期間。
これからの一か月、大抵の税理士は仕事に追われる。
この時期にヒマにしている税理士ならあまり信用しない方がいいかもしれぬ(^^;
それはそれとして、今回の確定申告に関して、
先月、いささかほろ苦い思いを抱いた。
東日本大震災があり、被災地ではその損失を申告する必要のある人が大勢いる。
家や家財を流された場合、雑損控除の適用があり、
通常の場合のそれとは別にいろいろな手当がなされた。
前年の所得からその損失を引いて前年の所得税の還付を受けられるとか、
損失の繰越とか申告期限の延長とかもろもろ。
当然、そういう申告をする人達がまだ大勢いるわけだが、
現地では税理士や税務署が被災したケースもあり、
納税者に対応できる人員が不足している。
そのため、各地税理士会から東北税理士会に応援で相談員を派遣することになり、
東京地方会からも二名派遣することになっていた。
講習含めて三日間、場所は仙台。
報酬はなし、ボランティアである。
会のホームページでこの募集を見たとき、どうしようかと思った。
日程は確定申告の真っ最中。
他の時期ならいざ知らず、確定申告の真っ最中に三日間空けられるだろうか...。
三日間空けて自分の仕事は終わるのか...。
逡巡した。
ノブレス・オブリージユ。
人はその力に応じて責任を果たさねばならない。
自分の仕事だけやっていればいいというものではない。
金儲けだけやっていればいいということではないのだ。
しかし...。
それは分かっているが、この時期、三日つぶせるのか...。
逡巡した挙句、メールで会に問い合わせた。
「もし、まだ定員が揃っていないようなら応募します」
翌日、会から「既に定員に達しました」という回答が来た。
正直、ホッとした。
同時に思った。
「逡巡しない先生がいたんだ...。俺は逡巡した」
ノブレス・オブリージュとか頭では分かっていても、
いざという時、逡巡したのだ。
そういういささかほろ苦い思いが胸をよぎったのだった。
Date: 2013/02/18(月)


飯坂温泉
福島の飯坂温泉、昔は「西の別府、東の飯坂」と言われた名湯である。
言われた、という過去形のところが微妙ではあるが...(^^;
新しい温泉や観光地に押されてやや鄙びてはいたが、
そこに追い打ちをかけたのが原発事故。
福島の農産物が敬遠されたり、福島への修学旅行がキャンセルされたり、
なんでこういうことに、という気持ちにもなる。
放射能どうのこうのと言う向きもあるが、
福島では当たり前に人々が生活し、飯坂温泉も昔のままの良い温泉なのだが...。
福島歌会のあと懇親会でいささか飲み過ぎ、飯坂線の切符を買ったのも記憶にないのだが、
なぜかしっかりと宿にチェックインし、露天風呂に入ってちらちらと降る雪を眺めていた。
すべては翌日、目を覚ましたのちの記憶の世界だが...(^^;;
今回は山岳会の仲間と山に行くはずが仲間の都合で中止になり、
急遽予定を変更し福島歌会に来たのだった。
直前になって宿を探したが、
歌会と飲み会のあと午後10時〜11時のレイトチェックインOKで一人泊、
飯坂温泉でそういう条件で泊まれるところは少なく、赤川屋という宿に泊まった。
歌会で地元の人に聞いたら「老舗だった」ということで、
これも「だった」という過去形がついているが、
なるほど温泉街を流れる赤川の川沿いの建物はいささか古さの目のつくものではある。
しかし、一晩の宿としては全く問題のないホテル。
宿をとるときネットの口コミ評価などを見たら、
「掃除が行き届いてない、清潔感がない」とかの書き込みがあったのだが、
実際行ってみると必要最低限の掃除はしてあり、
建物の古さはいかんとも仕方ないものなので、その辺でそういう評価にもなるのであろう。
というか、宿に期待するものが違うということか。
歌会が終わって飲んでから遅い時間にチェックインできて温泉に入って寝れれば、
それだけで充分という人間にはなんの不足もない。
確かに壁は薄いようで隣の部屋の話し声とか朝になると聞こえていたが、
夜中はどうせ酔っぱらって寝ているので、その辺も別に気にはならぬ。
風呂はそう大きくもないのだが、「老舗だった」というだけあって、
源泉かけ流しの風情のあるものだった。
朝食付き一泊7059円でこれなら文句はない。
ちなみに一人一室ということでの追加があってこの金額、一室二人だと4959円。
しかも持ち込みOKなんだそうだ。
朝食もビジネスホテルの朝食と思えば腹も立たぬ。
宿に求めるものがレベル高いとかなり問題あるが、使い方によっては良い宿であろう。
ちなみに三階のワンフロアをデイサービスに貸し出しているようで、
朝、チェックアウトして外に出たとき、デイサービスの車が玄関まで来ていた。
それにしても飯坂温泉、鄙びた感じは否めない。
今頃、射的場のある温泉街というのも少ないのではないか?
あの射的場、客が入るのであろうか?
昭和の雰囲気を醸した温泉街として整備すれば、その鄙びた感じを売りにすることも
できるのだろうが、ま、その辺は地元の人達の考えることである。
個人的にはこういう鄙びた温泉街、むしろ好きである。
帰りがけに芭蕉も入ったという鯖湖湯に立ち寄った。
飯坂温泉には七つの外湯がある。
そのひとつ鯖湖湯は日本最古の木造共同浴場なんだそうで、
結構熱い温泉だが素朴で雰囲気は良い。
こんな感じ→http://www.fckk.co.jp/sabakoyu/index.html
熱い湯で体を温め、飯坂温泉駅で電車が来るまでの間、川に浮かぶ小さな黒い鴨の群れ
を眺める。キンクロハジロか?
なんともいえぬのったりとした時間。
歌会を楽しみ温泉を楽しむ、このパターンすっかり気に入っている。
各駅停車20分程で福島に戻り、新幹線で帰ってきた。
ちなみに、今回泊まった赤川屋はこちら→http://akagawa-ya.com/
12月に泊まった摺上亭大鳥はこちら→http://www.surikamiteiohtori.com/
高級感を求めるなら摺上亭、使い勝手とリーズナブルさなら赤川屋。
旅の目的に応じて使い分ければ、どちらも良い宿である。
Date: 2013/02/16(土)


福島歌会
先日の日曜は福島歌会。
選者の小林さんも参加されて出席者10名、批評も活発でいい歌会だった。
で、例によって誌面発表前なのでここには出せないが、
裸木に鳥の影がひとつだけあるその簡潔に冬の日がどうのこうの、
私の出した詠草はこんな歌意のもの。
この歌の批評で「その簡潔に」について批評が集中。
初句から三句までが「簡潔に」を言うためのものになってしまう、
そういうところがある。
確かにその通りで、手法としては割りとある。
序詞とは違うが、何かを言いたいために言葉を並べて、それを言いたいことにつなげる。
それが見えてしまうと歌は失敗する。
最近の誌面に載っていた論評とも重ねて小林さんがその辺を指摘。
それ自体は的確な批評だと思ったのだが、
ひとつ不満があった。
この歌で一番問題になるのは、「その簡潔に」の「その」ではないのか?
「簡潔に」を言いたいために初句から三句があると言われてしまえばその通りなのだが、
「それを言いたいために初句から三句がある」ような感じをもたらしているのは、
「簡潔に」ではなく「その」であろう。
推敲していて、ここが一番気になったのである。
「簡潔に」という言葉自体は生かすことの出来る言葉だと思うのである。
初句から三句までを受けて「その」でつなげてしまっていることが、
問題なのではないか?
もろ、言いたいことは「その」の次ですよ、
みたいな言葉の並びである。
その辺が気になって推敲していたのだが解決できずそのまま歌会に出した。
当然、その辺について意見を聞きたかったからだが、
「その」についてはなし。
ま、「その簡潔に」という三句が問題という指摘に「その」の問題も含んでいるのである、
と解釈すればいいのかもしれないが、
批評の流れはそうではなかったな...。「簡潔に」は生かせる言葉ではないのか...。

この部分が気になる、意見を聞いてみようと歌会に詠草を出す。
しかし、その部分についての指摘は全くない。
あるいはそれは、私が歌のなかでここが問題と思っているものが的外れなもので、
他の人から見れば、そこが問題なのではなく違うところに問題がある、ということ
なのかもしれない。
だから、あまりどうこう言うことでもないのかもしれないのだが、
これがしばらく前から私のなかに生じている、歌会への物足りなさの原因ではある。
以前からこういうことは当たり前にあったのだと思う。
ただ、最近、そういうのが気になってきたというか...。
どこの歌会がということではなく、
どこに行ってもそういう物足りなさを払拭できない。
この物足りなさをどうしたらいいのか、
ちょっと悩んではいるのである。

歌会が終わってからは懇親会。
飲んで話して楽しいひと時を過ごした。
Date: 2013/02/15(金)


ナイルレストラン
土曜、所用あって銀座へ。
新橋から都営浅草線に乗り東銀座。
用事を済ませる前に昼飯。久し振りにナイルレストランへ。
確か去年あたりこのブログにも書いた銀座のインド料理店。
初代のA.M.ナイルの名を取ってナイルレストランで、エジプト料理ではない。
インド独立運動に参加してイギリスの官憲に睨まれ、兄が留学していた日本に来た
A.M.ナイルは、その後も独立運動に加わり、太平洋戦争中にドイツからUボートで
日本に渡ってきたチャンドラ・ボースとともに活動したりしている。戦後は東京裁判で
インドのパール判事の通訳などもした。1949年に銀座でインド料理店を開業、
それが現在のナイルレストランである。
東銀座の駅の出口からそれ程遠くないところに店はある。
大きなビルに挟まれた二階建ての古い建物で、はっきり言って外観は冴えない。
土曜なのでサラリーマンの客は少ないだろうと思ってきたのだが、
中に入ってみると一杯である。1人だと告げると上にどうぞと言われたので
行ってみると丁度テーブルがひとつだけ空いていた。
座るとボーイが来て、「ムルギーランチ? メニューいりますか?」と聞く。
ここのお勧めは鶏肉のカレーのムルギーランチで、常連は大抵それを頼むのであろう。
一応、メニューをもらって目を通すが、
やはり久し振りにムルギーランチ、インドビールも頼む。
インドビールは日本のビールより、気持ち、味が濃いかもしれない。
最初の一口がそういう感じがする。
客層は平日だとサラリーマンが多いのだが週末は家族連れとアベックが多いようだ。
窓の外側には花の咲いた鉢が沢山並べられているのだが、
その並べ方もなんというかイマイチ雑。
ま、見てくれとか外観でこの店を評価してはいけない(^^;
店の奥の方にはインド独立運動に加わった初代A.M.ナイルの写真と本が飾ってある。
ムルギーランチが来た。
じっくり煮込んだ鳥の腿肉のカレーで、持ってきたボーイがフォークでその腿肉を
ほぐしてくれる。
あとはしっかりかき混ぜて食べる。
個人的にはこのかき混ぜて食べるというのが、最初は抵抗あった。
日本食というのは、作るときにかき混ぜることはあっても、
出されたものをかき混ぜて食べるというのは少ない気がする。
納豆はかき混ぜるがあれは単品で、一皿全体をかき混ぜるということはあまりしない。
韓国のビビンバなどもかき混ぜて食べる。
この辺、食文化の違いか。かき混ぜると見た目はごちやごちゃとして悪くなるわけで、
あるいは日本人の美意識に合わないのかもしれない。
しかし、ムルギーランチはかき混ぜて食べた方が美味しい。
鳥の腿肉はすっかり柔らかくなっていて、カレーも適度にスパイシー。
パクパクと食う。天気が良いので窓の外が明るい、窓辺の黄色い花はパンジーか?
久し振りのムルギーランチ、完食して満足。
勘定をして店の外に出ると10人ぐらい行列していた。
入ったときはまったく行列はなく、あとから二階に来た客は一杯で断られていたので、
ちょうどいいタイミングで入ったのだろう。
食事を終え所用を済ませ、そのあとしばらく銀座を歩いて帰った。
ナイルレストランのホームページはこちら↓
              http://www.ginza-nair.co.jp/

Date: 2013/02/12(火)


天気予報
昔と違って天気予報は気象庁の独占ではなくなり、民間企業が参入している。
長期的な見通しやきめの細かい予報の提供は、いろいろなビジネスに重要なわけで、
60社程が事業を展開しているらしい。
さて、それはいいのだが、複数の天気予報の会社があると、
会社によって予報がかなり違うということもあるらしい。
今度の三連休、山岳会の仲間と出かける予定だったのだが、
仲間の都合が悪くなり、天気もイマイチのようなので中止した。
で、ネットで天気予報を見ていて、かなり予報が違うことに気付いた。
長野県中部のこの連休の天気予報を見ると、
ビッグローブのそれでは曇り時々雪マークが並んでいて降水確率も高い。
それに対し、気象庁の予報を見ると、晴れ時々曇りだったり、曇り時々晴れだったり。
MSNの天気予報も試しに見てみたが、こちらは気象庁の予報をそのまま使っている感じ。
平地で曇り時々雪くらいだと、天気の変わりやすい山岳地帯はもっと天気悪くなる。
山に行くのはやめようかという気になるわけだが、
他の予報を見ると、晴れ時々曇り...?
ちょっと予報が違い過ぎる。
試みに、気象庁の予報で白馬岳のあたりの天気を調べてみると、
そちらは曇り時々雪マークが並んでいる。
つまり、気象庁の予報でも長野県北部は悪天、南部は好天、ということのようで、
悪天と好天の境がどの辺か、
ビックローブの予報と気象庁の予報はその辺の見極めが違うのであろう。
行こうと思っていた場所は長野県中部なので、ちょうどその境のあたり。
もう中止してしまったので、どちらの予報が当たってもいいのだが、
プロの予報士さん達には当然プライドもあると思うわけで、
さて、どちらが当たるのであろうか?
次に山行くときは当たった方の予報を信頼することにしよう(^^;
Date: 2013/02/07(木)


GPS
山岳会の後輩、登山用品の会社に就職し頑張っている。
先日、彼とその会社の仲間が南アルプスの甲斐駒に登った。
鋸岳から甲斐駒というルートだったらしいのだが、
2770m付近の岩稜帯で遭難者の遺体を発見し携帯で警察に連絡した。
昨年暮れに入山した登山者であったらしく、一か月を経過しての発見だったらしい。
登山用のGPSを持っていたので、遺体発見現場の座標と高度を確認し、それを警察に
連絡。その情報があったので翌日、松本空港を離陸した警察のヘリは強風が吹くなか、
40分後には遺体の収容が出来たという。
我々が若い頃は登山用のGPSなどはなかった。
決して安いものではないが、こういう道具は出来るだけ持っていく方がよい。
やはり、現在地点をかなりの精度で確認出来るということはメリットが大きい。
今回のようなケースに限らず、
自分達が遭難した場合も、携帯がつながるところであれば、
座標を伝えることで救助のヘリはピンポイントで現場に向かうことが出来る。
ちなみにその遭難者は北沢峠にテントを張っていて甲斐駒と仙丈を登る予定だったらしい。
おそらく甲斐駒からの下山で誤って鋸への稜線に入り遭難したのだろう。
ホワイトアウトでルートを見失ったのかもしれない。
精度の高いGPSを持っていれば北沢峠への下山ルートを確認できたかもしれない。
自分のように長く山をやっている人間ほど、新しい道具にはそれ程気が向かず、
なくてもいいや、今までもなしでやっていた、
そんなふうに考えてしまうものだが、
それはやはり違う。
山も仕事も、有益な新しいものを導入することに後ろ向きであってはならない。
Date: 2013/02/04(月)


湘南歌会
湘南歌会、気になった歌、というより気になったことについて。
例によって発表前なのでここには出せないが、
毛を詠った歌詠みを蔑み、蔑んだのち羨ましく思う、そんな歌意の歌。
この歌の批評、出席者の全員が「毛」を「け」と読んだ。
「うーん、髪の毛が薄くなったことを詠った歌人を軽蔑したという意味?」
「『毛』じゃなくて『髪』にすれば二句を7音定型に出来ますよね」
そんなふうな批評。
で、発言した。
「『毛』を『け』と読むと二句が6音で字足らずになる。
 基本は57577の定型に合わせて読むのではないのか?
 ならば『毛』は『もう』と読むのではないのか?」
しかし、
「『もう』と読んでも意味通じないないですよね」
カチンときた(^^;
意味通じないですよねじゃなくて、はなから読もうとしていない。
「毛」を「け」と読み、髪の毛かあるいは他の体毛か、そういう歌だと頭から
決めつけて読んでいて、そこから批評がスタートしている。
最初に思い込んだところから自分が動けないでいることに気が付いていない。
短歌は57577の定型詩である。
字余り字足らずは当たり前にあるので、かならずしもそれに拘束されるわけではないが、
複数の読みのある漢字にルビが振っていない場合、
歌の意味に合わせて読むのが自然であるわけだが、
同時に57577という定型に合わせて読んでみることも大切である。
「毛」を「け」と読んだとき6音で字足らずになり、しかも意味が取りづらいなら、
定型の7音に合わせて読んでみる。
「もう」で読んで意味が通じるかどうかを考える。
短歌を読むときは、そうやって読みを検証していくのではないのか?
ちなみに、この歌の「毛」は毛沢東の毛(もう)であった。
清原日出夫の60年安保の時代の歌。
  国会デモをめぐる反目に会議終う帰らん帰りて毛を読むべく
その歌を踏まえた歌だった。
安保闘争の時代、学生達は毛語録を読んだ。
本屋には赤い表紙の毛語録が平積みされていた。
思想を鍛える、という現代ではあまり聞かない言葉が通用した時代であり、
清原日出夫もそうやって毛を読んだのであろう。
毛沢東が20世紀の怪物であり、いかに多くの人々を死に追いやったか、
そういうことを知っている時代の人間から見れば、
安保闘争の時代の青年達の認識は、
戦前の軍国青年とたいして変わらぬ情緒性と時代迎合のなかにある。
しかし同時に、そこには純粋さと、
時代と社会のなかで格闘し苦悩する本来の若者の姿がある。
くだんの歌の作者は清原日出夫の歌からそういうことを思ったのであろう。
「毛」を「け」と読んだとき字足らずでしかも意味が通じない。
ならば57577の定型に合わせて読んでみる。
そういう当たり前の読みの作業をしていけば、
くだんの歌が髪の毛やどこかの毛を詠った歌ではないと分かったはずである。
それを面白おかしく、これは毛(け)を詠った歌に違いないという決めつけから
一歩も出られずに批評をする。
批評になってない。
その日の歌会では、他にも首を傾げることがあった。
水耕のグラジオラスを詠った歌だが、
「グラジオラスは水耕にしない。水耕するのはヒヤシンス。
 作者はグラジオラスとヒヤシンスを間違えたのではないか?
 ヒヤシンスだと1音足りなくなるのでグラジオラスにしたのかもしれない」
歌会では出された詠草はそのまま読むのである。
出された詠草が「水耕のグラジオラス」ならそれはグラジオラスなのだ。
それをなぜ自分で勝手に、「これはヒヤシンスの間違い」だなどと決めつけて読むのか?
試しにネットで調べてみたら、
確かにグラジオラスは背が高くなるので一般的に水耕はしないが、
NHKの趣味の園芸などでグラジオラスの水耕が紹介されたりしている。
水耕して大きくなったので鉢に移し替えたという話もネットにあった。
なぜ自分の経験や知識だけですべてを決めつけてしまう?
リアリティーが問われるのは表現の問題であって題材の問題ではない。
水耕のグラジオラスという題材だからリアリティーがないということはないはずである。
自分はヒヤシンスしか水耕したことがなかったとしても、
世の中にはグラジオラスの水耕を試す人がいるのであろう。
詠草が水耕のグラジオラスとなっているのなら、そのまま読むのが歌の読みである。
これも批評になっていなかった。
その日の湘南歌会、選者派遣で京都から前田康子さんが来られた。
前田さんの話では、なんでも結社の方では湘南歌会は手強い歌会と言われているらしい。
しかし、残念ながら先日の湘南歌会はこれっぽっちも手強くなかった(^^;;
Date: 2013/01/30(水)


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