柴又の帝釈天の裏の方に回ると江戸川がある。 徳川幕府が利根川を銚子の方にへし曲げるまでは利根川の本流だった川だけあって、 河川敷はかなり広い。 柴又の街よりも高い堤防の土手を越えると緑の河川敷があり、 その向こうに江戸川がゆったりと流れている。 川沿いの木立の中に矢切の渡しがある。 徳川幕府が定めた渡しのひとつで、つまり官営の渡しだった。 現在も週末だけ観光客相手に渡し舟が通っている。 伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台になったところであり、 細川きよしの「矢切の渡し」で歌われたところである。 「つれて逃げてよ... ついておいでよ... 夕暮れの雨が降る 矢切の渡し...」 演歌というのは不思議である。 今時、この歌詞のようなふたりがいるのであろうか。 たぶん、いないなと思いながら、渡しの水面を見ていると、 今でもそういう天然記念物的なふたりがいても世の中悪くないよなという気もしてくる。 それにしても、柴又の駅前の寅さんの銅像、その碑文。 「江戸っ子の...」とはよく言ったものだ。 この矢切の渡しの向こうは下総の国。 柴又というのは武蔵の国の端っこなのであって、 昔の感覚で言えば、柴又あたりの人のことを江戸っ子とは言わない。 江戸っ子というのはある程度限定された地域で生れた人を言うのであり、 はっきり言ってしまえば寅さんは到底江戸っ子ではないのである。 寅さんを江戸っ子のひとつの典型のようにしたのは山田洋次の虚構である。 しかし、寅さんのきっぷの良さ、聞いていて気分のいい啖呵。そして人情。 あれは江戸っ子の特質と言っていいもので、 寅さんは江戸っ子ではないなどという野暮なことは言わなくていい。 たゆたう流れをあとに堤防の方に戻る。 「男はつらいよ」でもこの江戸川の堤防の土手は何度か出てきた。 足元を見るとたんぽぽが咲いていた。 柴又の参道に戻り、昼飯の食えそうなところを探す。 「とらや」という店があり、映画でも使われた店なのだが、 覗くと壁際に自動券売機が並んでいる。 おばちゃん、それをやっちゃおしまいよ。風情もなにもあったもんじゃない。 で、その先の「やまとや」という店先で天麩羅をあげている店に入った。 この店は映画の撮影の時、スタッフの休憩所などに使われた店で、 この店の主人自身もエキストラとして映画に出たりしたらしい。 店自体が寅さんの映画に出てきそうな店である。 ビールとこの店の名物という天丼を頼む。 店には、寅さんや俳優達との記念写真が張ってある。 その写真も既に古びていて、昭和は遠くなりにけりという気分になる。 店先で揚げた天麩羅をタレにつけた天丼を持ってきてくれるのだが、ちょっとタレが濃い。 しかしまあ、寅さんも撮影の合間にこの天丼を食ったのかもしれない。 そんなことを思いつつ食事を終えて、外に出る。 「ありがとうございま〜す」と店の人の挨拶が気持ちいい。 さて、歌会である。 柴又から高砂に出て、そこからは電車一本で浅草橋に行ける。 駅前の寅さんの銅像を見上げて改札に入る。 何十年振りかの柴又だった。
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Date: 2009/12/04(金)
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