*--Diary--*


雨山峠越え  2009/09/24(木)
海のエジプト  2009/09/19(土)
結社誌その3  2009/09/16(水)
結社誌その2  2009/09/15(火)
結社誌  2009/09/14(月)
話が違う  2009/09/11(金)
読み違えた!  2009/09/07(月)
大勢で来るなよ  2009/09/04(金)
全国大会2日目  2009/09/03(木)
東山界隈その2  2009/09/01(火)


雨山峠越え
丹沢の雨山峠から玄倉川源流のユーシンに行ってきた。
しばらく前、顧問先の社長から、玄倉林道が通れなくなって以降、
ユーシンが渓流釣りのパラダイスになっているという話を聞き、
どうなっているのか、一度行ってみたいと思っていた。
釣りは昔、黒部や利根の源流を歩いていた頃、
仲間の竿を借りて少しやったぐらいで、それ程興味はないのだが、
ザンザ洞、石小屋沢、同角沢、モチコシ沢、かって歩き回った玄倉川の、
その沢登りの拠点だったユーシンが、その後どうなっているのか見てみたかったのだ。
林道は通れないが、表丹沢の雨山峠を越えて玄倉川の源流域に入る昔からのルートがある。
小田急の新松田からバスで寄、そこから雨山峠に向かって歩く。
舗装道路が沢沿いの道に変わり、植林の中を通ったりしながらだんだん高度を上げてゆく。
雨山峠から鍋割山に登ることが出来るので、他にも多少の登山者がいる。
峠の少し手前で左の支沢に入った。
歩いていて奥の方に赤い目印のテープがあったので、そちらに行ったのだが、
すぐに道は消えてしまった。
テープは測量用かなにかのテープだったのだろう。
登山道でないことは分かったのだが稜線はすぐそこである。
ここまで来たら、ここから稜線に出て峠に行ってもたいして変わらない、
そう思ってそのまま進んだ。
これが失敗で、いつもの山岳会のメンバーであれば全く問題なかったのだが、
今回は登山の初心者4人を連れての山行。
稜線直下の急なザレで初心者二人が動けなくなってしまい、
仕方ないので、下に引き返し本来の登山道から峠に上ってくるように伝えて、
ザレを登れた二人と稜線から峠に急ぐ。
二人を峠に残して登山道をしばらく下ると、支沢から戻ってきた二人に会った。
やれやれ...(^^;
雨山峠は静かで小さな峠である。
峠からは細い道が玄倉川の方に続いている。
他の登山者達は鍋割山に向かい、我々はその細い道をくだる。
人があまり通らないらしく、ところどころ道が崩れているところもある。
途中、初心者の一人が道を踏み外して谷の斜面を落ちるというアクシデントがあったが、
幸いたいした怪我もなく玄倉川に着いた。林道をしばらく行くとユーシンである。
ユーシンロッジの手前の林の中で鹿の親子が草を食んでいた。
我々に気付き、軽やかに跳ねるように逃げてゆく。
お尻の白い部分が鮮やかだ。
ユーシンロッジは閉鎖されているのだが、
神奈川県のパークレンジャーの車が止まっていた。
林道は通行禁止のはずだが許可車輌ということで入っているのだろう。
途中の青崩隧道が崩壊の危険があるということだったが、
こうやって車が入っているということは、
今すぐにでも崩れるというレベルではないのかもしれない。
ロッジの前の広場でお湯を沸かし昼食にする。
静かである。
紅葉の季節、ここにベースを置いてこの辺の沢を登ったら気分がいいだろう。
山が好きな人間にとっては、多少不便になっても、
余計な観光客が入れなくなって山が昔の姿に戻ってゆく方がいいかもしれない。
騒々しくない、本来の山が楽しめそうだ。
ロッジの裏に水を汲みに行った仲間が戻ってこないなと思っていたら、
なんでも巨大なスズメバチの巣があって、水を汲むのにしばらく怯んでいたらしい。
シカといいスズメバチといい、人がいなくなって自然が濃くなってきているのだ。
のんびり昼食をとり、再び峠を越えて帰路に着いた。
ユーシンはもともと峠越えをするか玄倉川を遡らなければ入れない秘境だったのだが、
林道が出来て誰にでも入れるところになり、県のロッジが作られた。
中学生や高校生の林間学校などにも使われたのだが、
林道が通れなくなったことで、再び秘境に戻るのだろう。
このまま秘境にもどって欲しい。
そんな気がした。
Date: 2009/09/24(木)


海のエジプト
年に一回のはずが、なぜか先週に続いて引っ張り出された税政連の会議で桜木町へ。
話が違うといつまで言っていても前向きではないので、
会議のついで、みなとみらいでやっている「海のエジプト展」に行ってきた。
古代エジプトの都市、アレクサンドリア、ヘラクレイオン、カノープス。
繁栄を極めたこれらの都市は、八世紀の大地震と津波でアレクサンドリアはその一部、
ヘラクレイオンとカノープスはすべてが海没した。
ナイルのデルタ地帯の一番海沿いにあった都市なので、
ただでさえ地盤は弱かったのであろう。
海の中に沈んでいたために当時の遺物があまり傷つかずに発見されたわけである。
平日だったために行列もなくスムーズに入ることが出来たが、
会場の陳列ケースの前などはやはり行列がつながっている。
仕事の途中でもあるので、さくさくと進みながら適当な所で列の間から陳列品を覗き込む。
休日だとかなり混むのかもしれない。
思ったより陳列品が多く、意外に時間がかかった。
興味深いものが結構あったのだが、
特筆するとすれば、ひとつは「王妃の像」。
前3世紀の石像で、プトレマイオス朝の王妃アルシノエ2世のほぼ等身大の像である。
古代エジプトの様式とギリシアの写実的な芸術が融合したような像で、
薄いショールのような衣をまとった王妃の像は、
ショールを通して裸体が浮き上がるようで、その美しさは見事である。
妖艶でさえある。しかし、嫌らしさは全く感じない気品のある裸体像である。
2300年も昔にこんな写実な裸体像があったのかと驚いた。
ミロのヴィーナスよりも美しい。
もうひとつは、プトレマイオス朝のファラオと王妃、それと豊穣神ハビの巨像である。
会場を進んでゆくと三体の巨像が立っている。
大抵の人はそれまで陳列ケースを覗き込みながら進んでくるので、
その延長でここでもすくそばから見ているが、ここは少し離れて見た方がいい。
5mくらいある巨像が暗い壁を背に三体並んで立っている景はなかなか見ごたえがある。
私も古代エジプトの本物の像、それもこれだけの大きさのものを見たのは初めてだったが、
実物を見て初めて、エジプトの像の片足を前に一歩出している様式の意味が分かった。
そうすることで接地面を大きくして像を安定させることもあるが、
暗い建物の中で片足を一歩前に出した巨像を見たとき、
その像がこちらに進んでくるような気がしてくるのである。
思わず畏怖の念を抱く。
おそらく、そういう効果も考えて作られたのであろう。
こういうことは、陳列ケースの延長のようにすぐそばで像を見たのでは
感じられないかもしれない。
不満を言えば、これらの都市がなぜ海に沈んだのか、その辺の説明が雑である。
八世紀に大地震と大津波があって沈んだ、その程度の説明しかない。
いつ頃、どこを震源とした地震で、どの程度の規模だったのか、
当時、サハラの乾燥化は進んでいたわけだが、
温暖化による海面上昇などは関係なかったのか?
その辺についてもっとビジュアルな形での説明があると良かった。
文字通り、遺物を見せるだけの展示になっているのが残念だった。
見せる工夫はかなり感じることの出来る展覧会ではあったが。
今月の23日まで開催している。

  海のエジプト展 → http://www.asahi.com/egypt/





Date: 2009/09/19(土)


結社誌その3
結社誌をパラパラとめくっていたら、
選者である池本一郎さんの文章が目にとまった。
会員のリレーアンケートという欄で質問に答える形で書かれているものである。
 問      「歌よみで怖いことはなんですか?」
 池本さん  「歌よみでなければよい関係が維持されたであろうに、
       歌よみのゆえにそれが壊れたり狭隘になること。
       詩歌は世俗の弊を排し精神の自由を期しうる場のはず。」
池本さんのような人でも、やはりそういう事を経験しているのだなぁと妙に感心してしまった。
私自身、昨年からの新しい支部歌会立ち上げでそれを経験した。
青いヤツと笑われるかもしれないが、私は、
短歌を詠む人は己を省みる人であり、人としての良識、人として持つべき寛容、
そういうものを備えた人だと思っていた。
そんなことを信じていたということ自体がケツの青い話と言えばそれまでなのだが、
なにげなく手にした本に載っていた防人の歌に震えるような感動を覚えて短歌を始めた私は、
本当にそう思っていたのだ。
しかし、違った。
新しい歌会の立ち上げに係ったことで私は、
自己顕示欲にとらわれた何人かの人を見なければならなかった。
新しい歌会のなかでなにがしかの役なり地位を得ようという...。
見たくないものを見、聞きたくない話を聞かされた。
結局、その歌会は力のある人が歌会の中心として来てくれたおかげで、
無事に結社の歌会として立ち上げることが出来た。
ちなみに歌会の中心として来て頂いた方はその辺の経緯は知らないのだが、
別に知る必要はない。すべて終わったことである。

しかし、歌詠みがかくも俗であるということを知り私は失望した。
ひとつは歌詠みという人々に。
もうひとつは短歌それ自体に。
俗であることは別に悪いことではない。
私の山の仲間やアーチェリーの仲間は普通に俗が服を着て歩いているような連中で、
私はそれを別になんとも思わない。聖人君子である必要はないのだ。
しかし、短歌をやる人達というのは己を省みる人だと思っていたのである。
短歌を作るという行為自体が、そういう営みなくしてはありえないものであるからだ。
しかし、違った。
フツーに俗な人間だった。
というか、気取っている分、フツーより始末に悪いかもしれない。
短歌への失望はちょっとつらかった。
短歌というのは、こんな俗な人間に詠めるものなのか、
俗な人間でも31文字の並べ方さえうまければ歌は作れる。
短歌はその程度のものだったのか、そういう失望である。
先月の全国大会で懇親会に出なかったのは、
ひとつにはそういうことを経験して、
必要以上に歌詠みと付き合いたくないと思うようになったからである。
歌詠みとは歌を通してだけ付き合っていればいい。
必要以上に係わりもつと見たくないものも見るかもしれない。
わざわざ失望するようなことをせんでいい。
もちろん、それだけが理由ではない。大会のついでに京都を歩きたかったというのも理由である。

しかし、歌詠みに失望したり、短歌に失望したりするのは、
やはりそれは違う。
この頃、そう思えるようになってきた。
歌詠みもやはり普通の人間である。
俗な人間もいればそうでない人間もいる。
そういう当たり前のことを受け入れるだけの話である。
短歌にしても、言葉の並べ方だけでないもっと深いものがやはりあるはずなのだ。
一時の怒りで短絡的に失望するのは愚かな話である。
私が短歌を始めるきっかけになった防人の歌。
母のない子供を置いて防人に行かなければならなかった男の歌。
その歌を詠んだとき、男の胸には子供への愛情と悲しみが満ちていたはずである。
短歌とは千数百年の時を越えてそういうものを伝えることが出来る器なのである。
短歌に係わり、そこで多少の俗を見たとしても、
短歌という器はそんなことで否定されるような安っぽいものではないはずだ。
こんな当たり前のことに気付くのにも、
人というのは数ヶ月かかったりするのである(^^;

Date: 2009/09/16(水)


結社誌その2
今年に入って読むのをやめていた短歌結社の結社誌。
まったく読まないというのもマズイということで、
今月から知っている人の歌だけでも読むことにした。
で、パラパラとめくってみたら、自分の歌が新樹集に載っていた。
それを読んで感じたのは、
「俺の歌だけ傾向が違う...」
新樹集には10人が選ばれて載るわけだが、
どうも、自分の歌だけ他の人と傾向が違う気がする。
もちろんすべてがそうというわけではなく、あくまでも全体的な傾向の話だが...。
なんというのか、私の歌は一時代前の歌であるような気がする。
寺山修司とか春日井建とか、あるいは同じ結社で言えば河野裕子さんの若い頃の歌。
その時代の歌。
韻律を重んじ、歌としての様式の強さを持ち、一首として立ち上がってくる歌。
言うならば「立つ歌」。
それに対し現在の主流は、日常の生活の中での実感を力まずフラットに詠うもので、
言うならば「寝る歌」。
新樹集の他の人の歌は概ねその傾向の歌である。
で、自分が「立つ歌」を志向していること自体は歌の好みの問題だから、
それはそれで別にいいのだが、
それが一時代前の歌の傾向であることには変わりなく、
失敗すれば、古くさいとか、先人の踏襲とか、二番煎じとか、そういう印象が出てしまう。
実際、今回の新樹集に乗った八首のうち次の二首、

  悲しみを吾が歌となす夕まぐれ石榴の花は開き初めたり
  木は常に背筋伸ばして立っている「古里」という名の無人駅

この二つの歌は、良く言えば先人の影響、悪く言えば模倣の影、それが感じられる。
模倣自体は決して悪くないのである。
自分の好きな歌人の歌を真似、それを吸収する、そしていつかそれを越える。
歌詠みはそうやって力をつけていくのである。
しかし、模倣の影が消えていないというのは、まだ自分のものにしきれていないということだ。
その辺は今後の課題として、
で、どうなのだろう...。
新樹集の10人の中で自分だけ傾向が違うなと感じたとき、
「立つ歌」を追い求めてゆくのは容易なことではない...としみじみ思ったわけである。
ま、容易でなくてもそれは仕方ないのか...。
歌詠みは自分の歌を詠む。
自分のために詠むのである。
評価を求めて詠むのではない。
自分の歌が主流でなければ主流でないで、
そういう自分の歌を詠んでいくのみであろう。
Date: 2009/09/15(火)


結社誌
私の属している短歌結社では毎月結社誌を出している。
白状してしまうと、今年に入ってからそれを読んでいない。
読む暇がないのである。
歌集も読みたいし、他にも読みたいもの読まなければならないものが沢山ある。
当然、仕事関係の本も読まなければならない、短歌にさける時間はどうしても限られる。
結社誌に載っているのはどのくらいの数の歌だろう?
会員は1000人になったというが、欠詠する人もいるので、
誌面に出てくるのは3分の2くらい?
それでも600人〜700人。平均5首掲載されているとすれば、
3000首〜3500首の歌が載っている。
それ以外に評論などがある。
それを隅から隅までしっかり読めばかなり時間がかかる。
私のように短歌関係の本を読む時間はせいぜい一日一時間程度しかとれないという人間は、
読み終わるのに半月かかってしまう。
それでは読みたい歌集も頂いた歌集も読めなくなる。評論も読めない。
結局、選択肢は結社誌を読むのをやめる、というものだった。
それで今年に入ってから読んでいない。
先月、全国大会に行ってハタと気付いた。
全国大会で会った人が、いまどういう歌を詠んでいるか、全然知らないのである。
結社内でどういう話題が出ているのかも、誌面を読んでいないからよく知らない。
それどころか、普段、歌会で顔を合わせている人の歌でさえ、
歌会に出してくる歌は読んでも、それ以外の歌は知らない。
これはちょっとマズイ(^^;
歌友の歌を読んでいないというのは、歌詠みにあるまじきことである。
そのことにハタと気付いた。
で、今月から、送られてくる結社誌をパラパラとめくり、
少なくとも知っている人、注目している人の歌だけでも読むことにした。
これなら一日あれば出来る。
なんとか時間をとって他の歌にも目を通し、
まだ注目されていないがこれから伸びる人、そういう人を発見できればいいなと思っている。
本来、結社誌にはそういう楽しみもあるはずなのである。


Date: 2009/09/14(月)


話が違う
昨日は税理士政治連盟関係の某会合。
各支部から割り当てで出るわけだが、
前任者の話では「年に一回出れば大丈夫、あとは委員長とかがやるから」ということだった。
で、今回出れば終わりと思って安心して出かけて行ったら、
「みんなでやっていきましょう。17日も出て頂けますか?」
あれ!?
年に一度でOKじゃなかったの?
どうも、昨年までは委員長とかがすべてやっていたらしいのだが、
新しい委員長のもとで遣り方変わったみたい。
ひとりでやらないで、みんなの力でやっていくということかな...。
ま、税理士をめぐる情勢というのもなかなか厳しいものがあるわけで、
政治活動の必要性は充分に認識しているつもりだし、
手伝ってくれと言われれば否と言えない仏のような性格をしているので、
それはそれで結構なのだが、
年に一度出ればOKと聞いていた身としては、
「話がちがうじゃん...」
というしかない(^^;

Date: 2009/09/11(金)


読み違えた!
昨日は横浜歌会だった。
横浜歌会は他の歌会と違い、選歌をする。
出席者が詠草の中から良い歌を選び票を入れるわけである。
票の多かった歌から順番に批評をしてゆく。
当日、私が選んだ2首のうちの1首であるが、
私と歌会の中心である岡部史さんが選んでいた。
例によって掲載前なので出せないが、
「山田君と小島君が国道をはさんで対峙している」
というような内容の歌である。
私は面白いと思った。
「山田君」「小島君」というどこにでもあるような名前も効いていると思ったし、
二人が道をはさんで対峙しているという、たったそれだけのことを詠っているのが面白い。
歌をしばらくやると、ある程度作り方が身につくわけなのだが、
作ろう作ろうとして作った歌は、いかにも「作った感じのする歌」になってしまう。
短歌らしく作ろうとしてしまったり、材料を揃えすぎたり、決めすぎたり、
一首を読んだときの「作った感じ」を払拭できないのである。
「歌はうまくなるとへたになる」と言われるのもその辺であろう。
最近、その辺を自分の課題として痛感している。
この歌のように、道をはさんで二人の男が立っているという、
ただそれだけのくだらない事。
しかし、そのくだらない絵が、ふたりの関係とか、なんで立っているんだろうとか、
想像を巡らせて面白いと思ったのである。
私も歌らしい歌ばかり作ってないで、
もっとこういう、くだらない事を歌わなければならないと思った。
そうでなければ「歌はうまくなるとへたになる」の状態を抜け出せないと思うのである。
そういう事を一通り批評で述べたあと、
もう一人この歌を選んだ岡部史さんが批評を始めたのだが、
まず私を見てクスリと笑い、
「この歌は国道を挟んでヤマダ電機とコジマ電機が立っている、という歌ですね」と仰った。
!!!!!!!
「山田君」はヤマダ電機のことで「小島君」はコジマ電機か...。
商売敵が向かい合っているのを面白く表現している歌。
たはは、見事に読み違えた!(^^;
見事にはまった。
これだけ見事にはまると気持ちのよいものである(^^;;
ヤマダ電機とコジマ電機で面白く作った歌、
その歌を「作った感じのしない歌」と私は評していたのである(^^;;;
うん、勉強になりました。
でもどうなんだろうな...。
そういう謎解き歌って、謎が解けると「なぁ〜んだ」となってしまうんだよな...。
山田君と小島君の二人がなぜか道路を挟んで対峙している、
そういう歌と読んでも充分に面白い歌だと思うんだけど...(^^




Date: 2009/09/07(月)


大勢で来るなよ
今日は昼から税理士会支部の会合。
時間の合間に横浜市の職員がなにやら説明に来ているとのことで部屋に入ってきた。
ぞろぞろと5人くらい。
「やけに多いな...」と思った。
説明というのは「樹林地保全制度」と「バトンタッチ・店舗よこはま」という制度について。
「樹林地保全制度」は市内の緑を保全しようという事業。
固定資産税の減免や相続時の評価減があるので周知をお願いしたいという話。
「バトンタッチ・店舗よこはま」というのは、
商店街などの後継者がいない店と店を開きたいという人の橋渡しをしようという事業。
説明が終わり市の職員達が帰ってから、隣に座っていた知り合いの税理士が話しかけてきた。
 彼 「あの説明をするためにあんな大勢で来たの?」
 私 「仕事の仕方を知らないんでしょ」
「樹林地保全制度」は環境創造局、
「バトンタッチ・店舗よこはま」は経済観光局の担当。
担当が違うから別々にそれぞれの課長が説明していた。
これは当然。
で、資料を配っていたわけだが、ハッキリ言って一人いれば配れるのである。
なんで説明者以外に3人もくる。
彼らは資料を配ったあとは部屋の隅で暇そうに立っていただけである。
支部の会合には時間の合間に、金融機関や保険会社などいろいろなところが挨拶に来る。
新しい商品の説明とか紹介をお願いするために来るわけだが、
新任の担当者の紹介とかで来る時以外はたいてい二人くらいである。
つまり一人が説明し、もう一人が資料を配る。
それで充分なはず。
横浜市にはそれが出来ないのだろうか?
民間なら二人で当たり前に出来ることが横浜市の職員には出来ない、そういうことか?
担当部局が違うから課長がふたり来るというのは分かる。
ひとりの課長が説明している間、もう一人の課長が資料を配ればいいのではないのか?
違う部局の資料は配れない? 同じ横浜市でそんな硬直したことを言うのだろうか?
それとも横浜市の課長は資料を配るような仕事はしない? ならばもう一人だけでいい。
なぜ5人もぞろぞろ来る。
彼らの給料が市民の税金から払われているということに彼らは気付いていないのだろうか?
こういう無駄な人の使い方をさせるために市民は税金を払っているのではない。
この無駄に気付かないこと自体、彼ら公務員の感覚が麻痺していることの証左であろう。
普段から余剰な人員で仕事をしている。
それが当たり前という職場環境で働いているから、
自分達のやっていることのおかしさに気がつかなくなる。
国にも地方にもこういう膨大な無駄が内在しているはずである。
政権が変わり、民主党はこの膨大な無駄にメスをいれることが出来るのだろうか?

Date: 2009/09/04(金)


全国大会2日目
全国大会二日目は、午前中は会員向けの全体歌会、午後は一般公開の講演と鼎談である。
全体歌会は昨日の歌会に出された詠草から、
選者が選んだ歌と会員互選で選ばれた歌を選者が批評する。
選ばれる歌だけあって、いずれもいい歌ばかりで読みがぶれるとか、そういう歌はない。
選者の批評も昨日とはうって変わり、納得のゆくものが多かった。
主宰の永田和宏さんが高く評価した歌に対して、
選者の栗木京子さんがかなり否定的なコメントをしていたのが面白かった。
肯定・否定の二人の批評はともに納得のいくもので、
やはり歌の鑑賞は人によって違うのだなぁとあらためて思った。
正直言って、昨日の歌会で選者の批評に首を傾げることが多かったので、
あるいは自分の感覚の方がずれているのかなとも思っていたのである。
これだけ力のある人達同士でもこれだけ意見が分かれるのである。
歌というのは、やはりそういうものなのだ。
歌の読みや鑑賞に正解というものがあるわけではなく、
それぞれの読者がそれぞれに読めばいい。
より深く鑑賞し歌を味わうには、自分の力を磨くしかない。それだけである。
午後の一般公開のプログラムは900人前後?の入場者になったらしい。
座りきれず会場の後に立っている人も大勢いた。
東京で大会をやってもこれだけは集まらない。
やはり京都は短歌に係る人が多いのだろう。
哲学者であり評論家でもある鶴見俊輔氏の話は飄々として面白かった。
小説家の辻原登・俳人の長谷川櫂・歌人の永田和宏の鼎談も聞き応えがあった。
ただ、地方と東京の話になると、大抵の場合ステレオタイプな東京像が出てきてしまうのが
残念である。ステレオタイプに語られる東京というのは、実は東京の一面でしかない。
熱気のある大会を終え、夕方の新幹線で帰路についた。
歌会での不完全燃焼はあったものの内容の濃い京都旅行だった。
来年の大会は四国である。


Date: 2009/09/03(木)


東山界隈その2
六道の辻を過ぎて人通りのない道を歩く。
京都の市街地も一歩奥に入ると、こんなにひと気のない道がある。
人通りのない夕暮れの街はだんだん色が消えてモノクロの世界になっていくようで、
なにやらそんなモノクロの街を、方広寺の鐘、耳塚、六道の辻と、
死者に導かれて歩いているような気がしてくる。
だんだん暗くなってゆく道を行くと四つ辻にぶつかり、
そのまま道を横切り向こう側に渡ったのだが、
何を考えたわけでもなく、ふっと方向を変え四つ辻に戻り、
北に曲がってそのすぐ先を右に入った。
寺があった。建仁寺である。
あのまま四つ辻を向こうに行っていたら、鴨川にぶつかるか、途中で北に向かって四条通りに
出てしまい、「ありゃ? 建仁寺はどこだ?」ということになっただろう。
日頃のおこないがいいから仏様が導いてくれたのであろう。
ついさっきまで、夕暮れの街を死者に導かれて歩いているような気分になっていたのに、
人間とは現金なものである(^^;
建仁寺の境内から出てくる人がいるので、そこから中に入る。
境内を通り抜ければ花見小路に出られるだろう。
買い物袋を提げた人が数人歩いている。
近隣の人にとっては建仁寺の境内も当たり前の生活ルートの一部なのであろう。
境内の道沿いに行くと建仁寺の北側の門に出た。それ程大きな門ではない。
その門から外を見ると、
夕暮れの通りに明るいぼんぼりが列なって浮かび、人が大勢歩いている。
花見小路である。
先程までのモノクロの街からいきなり異質な明るい世界が目の前に現れたようで、
「千と千尋の神隠し」で、日が暮れて無人だった湯屋の街に明かりがつき、
通りをゆく影が次々と浮かんでくるシーン、あんな感じ。
これで晩飯が食える(^^;;
花見小路というのは食事処や土産物屋の並んだ通りで、
京都の昔ながらの町屋の趣が残っているところである。座敷にゆく舞妓さんも歩いている。
観光客も沢山いる。
さて、ここまで来たのはいいが、宿で教えてもらった京割烹「哲酔」の場所が分からぬ。
出る時にざっと見てきた地図の記憶に、さすがにそこまでは残ってない。
確か建仁寺の北だったが...。
あとで調べてみたら、一度「哲酔」の方に行きかけたのである。
建仁寺の北側の道に入り、そこを少し行ったのだが、
その先には店らしいものが見えなかったので、路地に入り花見小路の方に戻った。
その店らしいものが見えなかった道をもう少し行けば「哲酔」があったのであるが、
地図を忘れてきていたので分からなかった。
ま、食事処は花見小路に沢山あるので適当なところで食べることにする。
が...。
おひとり様15,000円とか20,000円とか...。
お品書きがあるのはいい方で、
ちょっと小綺麗な入り口だなと思うとお品書きもなにも置いてない。
ああいうのは一見さんお断りとか、そういうところなんだろうか?
結局しばらく見て歩いて湯豆腐御膳3,930円というのを見つけてそこで食べた。
食事の内容は...。
ま、かなり観光地価格というか京都価格というか、そういうのが入ってるな(^^;;;
米はもう少しいい米使った方がいいよと言いたかったが何も言わず出てきた。
夕立を遣り過ごせたし、冷たいビールも飲めたから良しとしよう。
適度に酔って四条大橋を渡り鴨川沿いにくだって駅の方に戻る。
その途中でも面白いものを幾つか見たが長くなるので割愛しよう。
懇親会にも出ずに京の街を歩いていたが、予想外のものが見られたりして面白かった。
修学旅行的な観光をしているとああいうものは見られない。
正直言って、宿を出たときはあまりいい気分ではなかったのだ。
「京都くんだりまで来てあの不完全燃焼歌会かよ」
そういう気持ちをいささか引き摺っていたのである。
しかし、歩いて宿に帰ってきたときはいい気分だった。
宿に帰ると仲居さんが部屋にアイスクリームを持ってきてくれた。
京都駅前、旅館通りの「京家」。小さいがいい仲居さんのいる宿である。

結局辿り着けなかった京割烹「哲酔」。
帰ってから調べてみたらHPがあったので紹介しておこう。
宿の人の話では、地元では知る人ぞ知る名店なんだそうである。

 京割烹「哲酔」 http://www.eonet.ne.jp/~tessui/index.html

Date: 2009/09/01(火)


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