*--Diary--*


くじ運  2009/06/11(木)
ラトビア  2009/06/09(火)
東京平日歌会  2009/06/06(土)
そば猪口  2009/06/05(金)
阿修羅  2009/06/04(木)
ユニオン  2009/06/02(火)
歌稿  2009/05/30(土)
ちょっと一息  2009/05/28(木)
質問  2009/05/20(水)
回転寿司  2009/05/13(水)


くじ運
自慢ではないがくじ運はない。
子供のときからである。
駄菓子屋でくじが当たるともうひとつ同じものが貰えるという菓子があったりしたが、
そういうものも滅多にあたらなかった。
アイスクリームにもそういうのがあった。
ペロペロなめて最後に棒のところに当たりと書いてあるともう一本貰えるわけだが、
これは一度も当たらなかった。
大人になってからもくじ運の悪さだけは自信があって、だから宝くじなど滅多に買わない。
なぜか、息子はくじ運がいい。
子供の時に駅前のスーパーの籤引きで一等の商品券5万円を当ててきた。
籤引きで一生の運を使い切ってしまったんじゃないかと心配したものだが、
そのあともくじ運はいいらしいので、その心配は外れたらしい。
昨日は税理士会支部の定期総会。
総会のあとには懇親会があり、大抵ビンゴゲームをやる。
賞品も結構沢山用意されているのだが、
今まで総会の懇親会で賞品をもらったことがない。
リーチまでいくのだがビンゴにいかないのである。
最高記録は4リーチを残してビンゴしなかったというのがある。
どうせビンゴしないと思って、それを笑い話にしながら酒を飲んでいるわけだが、
なぜか、昨日はビンゴした。
もう賞品がなくなるな、というところでのビンゴで7等。
税理士会に入って苦節23年、ようやく手にしたビンゴの賞品は小さなクッキーの箱だった。
私の隣に保険会社の女性社員がいて、彼女もビンゴゲームをしていた。
なぜかカードを3枚もっていて、その全部でビンゴ。
なんで、こんなに違う(^^;
やはり、くじ運はないのである。


Date: 2009/06/11(木)


ラトビア
ラトビアが危ない。
バルト3国のひとつ。
ソヴィエト崩壊により独立を回復し、
その後、西側からの資本が入ってバブルを呈したりしたが、
金融危機で資本が引き上げ、経済はかなりのマイナス成長になっている。
国債を発行したが引き受け手が現れず、デフォルトの危機にあるらしい。
もし債務不履行になれば、ラトビアに融資しているヨーロッパ諸国の銀行にかなりの
貸倒れが出る。融資しているのは主にスエーデンとドイツの銀行であるらしい。
金融危機に伴う資本引き上げでひとつの国の経済が破綻するというのは珍しいことではない。
つい昨年もアイスランドが破綻し、ロシアから融資を受けた。
今回はどこが助けるのだろうか?
バルト3国は微妙な位置にある。
プーチンをして「20世紀最大の地政学的悲劇」と言わしめたソヴィエト崩壊。
バルト3国を失ったことでロシアはヨーロッパの海への出入り口のかなりの部分を失った。
ロシアにとっては、バルト海の港の大部分が他国の港になり、
さらにバルト3国のNATO加入は、
サンクトペテルブルグの目と鼻の先までがロシアの仮想敵の領域だという状況を作り出した。
それはロシアの安全保障を根本から見直さなければならない事態であり、
ロシア人のナショナリズムを少なからず刺激した。
エストニア・リトアニアも経済的には厳しい。
バルト3国の経済危機に対してEUは手を貸すだろうし、IMFも動くのだろう。
しかし、この危機の影響はあるいは、アメリカ発の金融危機では他の地域と比べて
ダメージが少なかったと言われるEUの経済に影を落とすのかもしれない。
それだけではない。
ヨーロッパの金融機関の経営が悪化すれば、
それらの金融機関は他の地域から資金を引き上げる。
それはまわりまわって、世界のどこかに新しい危機をもたらすのかもしれない。
ドイツ騎士団、スエーデン王国、ポーランド、ロシア・ソヴィエト、ドイツ帝国。
周囲の勢力の間でバルト3国は翻弄されてきた。
その微妙な位置ゆえに、今回の危機への支援でも各国の思惑が交差するのかもしれない。
経済危機の中でバルト3国はどういう道を進むのだろうか。


Date: 2009/06/09(火)


東京平日歌会
私の所属している短歌結社は関西が中心なのだが、
関東でも、東京・東京平日・横浜・埼玉・茨城・湘南の六会場で歌会を開いている。
一番出席者が多いのは東京で30人前後の出席であるらしい。
歌会にも適正人数というものがあり、
15人から20人くらいが丁度いい人数ではないだろうか?
30人ともなると多すぎて、その人数で限られた時間内に歌会をやろうとすれば、
出された詠草をザッーと撫でるのが精一杯で、
一首一首について突っ込んだ議論は出来ないのではないか?
私が東京歌会に興味を持たないのも、その出席者の多さのゆえである。
東京への集中を緩和するべく東京平日歌会が作られた。
平日に出席できる人はこちらの方にどうぞ、というわけである。
最初は出席者が増えなかったようだが、
会場を今年の4月から中央区産業会館に移して以降、出席者が増えてきたらしい。
歌会の批評のトリは結社の選者である花山多佳子さんがしておられる。
的確な批評をされる方で、東京平日歌会には以前から出たいと思っていた。
しかし、税理士会の会務に引っ張り出されたりして日程的に無理だった。
東京平日歌会は毎月第一水曜日に開催されるのだが、
ちょうどそのあたりが所属していた部会の会合の日だったのだ。
激務で知られた税理士会のその部会、そちらの仕事も今年3月で任期が終わり、
5月で税繁期も終わった。それでようやく出席できることになったのである。
阿修羅展で思いの外時間がかかり、初参加でいきなり30分の遅刻。
照れ笑いしながら着席、挨拶をして詠草に目を通す。
東京平日は横浜と違い選歌をしない。
出された詠草を出席者が順番に批評してゆく東京歌会方式である。
出席者は23人、他に詠草を出したが当日欠席という人が1人。
東京平日も出席者が増えてきたようで、
当日も初参加者は私を含めて3人。ちなみに遅刻したのは私1人(^^;
割りと新しい人が多いようで、批評は案外おとなしい。
座席順でまわってきた歌を批評し、あとは司会者が他の人に意見を求め、
最後に花山さんが総評をする。
花山さんの批評は歌の問題点をわかりやすく示してくれる。
ちなみにその日私が出した詠草については、
「後の方にこういう抽象的な言葉を持ってくるのなら、上に納得させるものを持ってこないと」
「二首目の方は、上と下のベクトルが同じ、少し変えないといかにもということになっちゃう」
なるほど、納得。
ちなみに花山さんはよく透るいい声で批評をされる。
批評の順番が回ってきたので、いつものように批評すると、
司会者から「辛口なご意見が出ました」と言われた。
別に辛口で言っているつもりではなく、
いつもの横浜歌会と同じ感じで言っているのである(^^;;
他の歌会に出てみて気がついたが、
横浜歌会は談論風発、かなり遠慮なくものが言える歌会である。
そういう雰囲気を維持し、しかも楽しく歌会が出来ているのは、
横浜歌会の重鎮、岡部史さんと千名民時さん両人の力なのだと改めて感じた。
歌会は4時半で終わる予定だったが、出席者が23人と多かったため5時までかかった。
それでも時間内に、ひとり二首の詠草で全部で46首の批評を終わらせることが
出来るのは、やはり選歌をせず批評に徹するからであろう。
横浜だと選歌をし、採った者と採らなかった者がそれぞれ意見を述べ合い、
さらにあちこちからも意見が出るので、同じ時間でも出来るのはこの半分である。
一首でも多く批評するか内容の濃さをとるか、
どちらの方法が良いのかは一長一短かもしれない。
初めて出た東京平日歌会、楽しい時間を過ごさせてもらった。
来月以降も出来るだけ出席したいと思っている。

Date: 2009/06/06(土)


そば猪口
午前中に阿修羅を見て、
午後からは短歌結社の東京平日歌会に出るつもりだった。
阿修羅を見るのに2時間半かかり、これだと1時からの歌会に遅刻するのは確実なのだが、
とりあえず腹が減っては戦は出来ぬし、
歌会の前にはビールを一杯飲んで口を滑らかにするのが習慣になっている。
アメ横に入り、途中から左に折れて上野藪に行った。
上野藪は藪蕎麦の名で知られる老舗蕎麦屋の一件である。
神田藪とか並木藪とか上野池之端藪などが知られている。
ところが、行ってみると定休日の看板。
なんと水曜は定休日だった。
東京平日歌会は毎月第一水曜。
うーん、歌会の曜日を変えてくれないと、うまい蕎麦が食えないではないか(^^;
仕方ないのでそのまま御徒町に歩く。
上野と御徒町はすぐそばで、御徒町から電車に乗った方が会場に早く着くだろう。
このあたりの街並みは猥雑で活気があり、歩いていて結構面白い。
近代的な東京のイメージではなく、私の少年時代の東京のイメージに近い。
どこかで昼飯と思って御徒町の駅で周囲を見回すと「富士そば」という看板があった。
そこでいいかと思い行ってみると、ショーウインドーに富士山のように山盛りになった
蕎麦があり、その名も富士山そばとあった。
それを見たとたん、そこで食べる気がなくなった。
だいたいもって山盛りにするにも限度というものがあるだろう。野暮にも程がある。
味に自信のある蕎麦屋ならそんなふざけた山盛りなどするはずはない。
あらためて見回すと、道の反対側に萬盛庵という蕎麦屋があった。
なにか古色蒼然とした木造家屋で、あきらかに周囲の景観のなかで浮いている。
しかし、時間がないのでとりあえずそこに入ってみた。
入ってみると、それなりに混んでいる。品書きを見て、天せいろとビールを注文。
ビールを飲みながら店の中を見回すと、内装もかなり古い。
創業もかなり古いらしく、老舗であるらしい。
出てきた蕎麦は色の濃い目の二八蕎麦か?
ビールのつまみに天麩羅を食べ、最後に蕎麦をズズッと啜るわけだが、
あれ? そば猪口がない。周囲を見ると皆そば猪口を使って食べている。
すると自分の分だけ、そば猪口がないのか?
そば猪口のかわりに、口の広い器がひとつあり、それが天麩羅用であることは分かった。
なるほど、天麩羅がついている場合は、その天麩羅用の器で蕎麦も食べるわけだ。
それはないよ(^^;;
蕎麦はそば猪口で食べるんだろうが。
時間もないし怒ってもしょうがないので、そのまま食べだした。
それはないよと思いつつだったが、食べてみると天麩羅は結構おいしかった。
天麩羅を食べるのに天つゆなどに付けて食べるのは野暮である。
天つゆで食べると天麩羅の味で食べているのではなく、天つゆの味で食べることになる。
天麩羅は目の前で職人が揚げたものに、軽く塩をふって食べるのが一番うまい。
その食べ方だと天麩羅本来の味で食べられる。
だから私は蕎麦屋で天麩羅を食べるときは汁を使わない。
だいいち、汁を使って食べると油の入った汁に蕎麦をつけて食べることになってしまい、
蕎麦の風味がそこなわれる。
気の利いた蕎麦屋では塩を盛ってきたりするので、
それで食べるか塩がなければそのまま食べる。
結構おいしかった天麩羅を食べ終えて、蕎麦にとりかかる。
これもコシがあって悪くない。のど越しもいい。
ただ、汁が甘いのが残念。
せっかくのおいしい蕎麦なのに、なんでそば猪口がない?
江戸っ子は蕎麦はそば猪口で食べるんじゃないのかい? と思いつつ
歌会の会場に向かったのである(^^;;;
Date: 2009/06/05(金)


阿修羅
昨日、阿修羅展を見てきた。
平日なら空いているだろうと思って行ったのだが、
上野に着いたのが10時で阿修羅に辿り着いたのが12時半だった。
上野駅に「一時間半待ちです」という案内が出ていたが、結局2時間半かかった。
国立博物館前の長蛇の列に並び、ひたすら待つ。
曇っていたので良かった。あれでギンギラギンに日が照っていたら倒れる人続出だろう。
会場に入ると最初の方は興福寺のいろいろな所蔵品の展示である。
ここは適当に斜めに眺めて先に進むと八部衆の立像がある。これがなかなかいい。
力強い造形である。阿修羅を見る前にしっかりとこちらも見た方がいい。
阿修羅立像は展示会場の最後の方で、周囲を観客が取り囲んでいる。
係員が「動いてくださ〜い」と一生懸命言っているのだが、
一歩も動かずに立像を見ている人が沢山いるような状態
他の八部衆の立像と比べると小さくて1m50cmくらいか?
天平の昔、光明皇后が作らせた阿修羅の立像は少年の面影をしている。
帝釈天と戦った神・阿修羅。
いろいろな言い伝えがある不可思議な神である。人間的な神であると言っていい。
その眼差しにはなにか悲しみのようなものさえ感じられる。
いわゆる仏像とは明らかに異なるリアルな少年の面差し、姿。
1300年前、この立像が作られたとき、おそらくモデルがいたはずだ。
仏師はそのモデルの姿を写し取り、この阿修羅像を作った。
長い歳月の間に色が落ちているが、阿修羅像の髪の毛は金髪である。
シルクロードを越え、唐の都・長安、さらに海を渡ってきた金髪の少年。
その少年がモデルだったのではないだろうか?
どういう少年だったのだろう?
ペルシャ商人が連れてきた少年だろうか?
彼の家族だったのかもしれず、あるいは奴隷だったのかもしれない。
遠くを見るようなその眼差し。
阿修羅のモデルになった少年はその時なにを見ていたのだろう。
Date: 2009/06/04(木)


ユニオン
GMが破綻した。
株価は上がった。
悪材料は出尽くし、GMの破産手続きが開始したことで、
むしろ破産させない場合よりもすみやかな再生が出来ると期待されている。
確かに、GMは一度つぶすしかないということは、もう以前から言われていたことで、
今さら驚く人はいないだろう。
破産することで、引きずっているものを一度整理しない限り再生が困難であることは
誰の目にも明らかだった。
終身雇用、退職者への手厚い保障。
アメリカの製造業が世界をリードしていた時代に企業の安定をもたらしたそれらの施策は、
製造業の中心がアメリカから離れた時代、GMの首を絞めるものに変わった。
GMの労働組合(全米自動車労働組合)は実はGMの大株主だった。
このユニオンという大株主は異形の株主である。
通常の株主とは異なる行動をする。
本来、資本家は株主への配当性向を高めるために、企業の労働分配率を抑えようとする。
しかし、ユニオンという株主はそれに反対する。
労働分配率を引き下げることはユニオンの構成員達の賃下げに他ならない。
他の株主の労働分配率引き下げを求める意見は、大株主のユニオンによって否決される。
不採算部門の整理、工場の閉鎖も、それが組合員の解雇を伴う以上、否決される。
アメリカ国内でも「特権」と批判されたお手盛りも大株主ゆえに可能だった。
まるで組合社会主義のような会社。
それがアメリカの資本主義を代表する会社の実像だったというのは皮肉としか言いようがない。
かくして、GMの退職者も含めた人件費負担はトヨタや日産よりもかなり大きくなり、
それが会社の経営を圧迫した。高い固定費率のために利益率を追求しなければならず、
そのために大型車にこだわった。
一度、ユニオンとの関係に大ナタを入れなければGMは再生出来ない。
日本の企業は派遣法の改正で労働分配率を引き下げ業績を回復した。
しかし、同時にそれは若者の3人に1人が正規労働者になれないという歪んだ社会を作った。
労働組合は資本主義の暴走への歯止めという役目を担う重要な存在である。
しかし、その労働組合が大株主になり労働組合への歯止めがきかなくなると、
GMのようになる。
社会主義の失敗が明らかになった現代、
組合運動というのは曲がり角に来ているのではないか?
組合運動は新しい理論の提示が必要なのではないか?

Date: 2009/06/02(火)


歌稿
歌稿の整理を始めた。
こんなことを書くと、歌集を出すのかと勘違いする向きもあるかもしれないが、
そういうわけではない。
結社に投稿して没になった歌にもう一度目を通したいと思ったのである。
私の属している結社では毎月10首の歌を投稿する。
選者の選を経て、そのうちの何首かが誌面に載るわけで、
あとの何首かは掲載されない、つまり「没」になるのである。
その没になった歌にもう一度目を通してみたい。
で、それをするついでに、結社に出した歌のデータベースを作ることにした。
結社に入って以来の誌面に掲載された歌をワードに打ち込んでおけば、
しばらく前に作った歌を出すときなど、その歌を既に投稿しているかどうか、
検索機能を使えばすぐに調べられる。
もちろん、その程度の歌稿の管理は大抵の歌人はやっているはずであり、
それをやっていなかった私が並外れていい加減なのである(^^:
調べてみたら、私の歌が最初に結社誌に出たのは2003年1月号だった。
すると、もう6年半くらい短歌をやっているわけである。
それにしては、十年一日のごとくだが...。

 ポーターの祈りの声がもれ響くキリマンジャロの白き夜の底

初めて結社誌に掲載された6首のうちの一首である。
最初に出した10首は、アフリカのキリマンジャロに登りに行ったときの
ことを詠った一連だった。
初めて結社に出詠し、10首出して1首も載らなかったらどうしよう、と
随分心配していたのである。結社誌への掲載は出詠してから三ヶ月後なので、
その三ヶ月間そういう心配をしていた。
もし、1首も載らなかったら、恥ずかしいからすぐに結社を辞めよう、などと
真剣に考えていた。
それだけに、2003年1月号が届き、10首のうちの6首が載っているのを
見たときは、嬉しいというより、ともかくホッとしたものである。
ちなみに、私の属している結社では投稿して1首も載らないということはない。
少なくとも1首は掲載される。
まだ小さい子供達を抱え、結社の歌会に出ることも出来ずに歌を詠んでいた私は、
そういうことも知らずに、マジメに、1首も載らなかったら、と心配していたのである。
歌会に出ていれば先輩達から話を聞いて、
少なくとも1首は載るのだと安心していたはずである。
そんな心配をしていたのは6年前か、となにやらしみじみ思いつつ
自分の歌を読み返してみた。
さて、上記の歌、2句の「祈りの声が」の「が」はどうだろう?
「が」という助詞は強い印象を伴う助詞で、一首の中ではえてして目立つ。
今ならあるいは「祈りの声の」にするかもしれない、
しかし、そうすると「の」の多用がうるさい感じもあるか...。
微妙かな、どうだろうか?(^^

Date: 2009/05/30(土)


ちょっと一息
法人の三月決算の申告が終わりちょっと一息ついた。
法人はやはり3月決算が集中するので、
税理士にとって5月は確定申告と並ぶ繁忙期なのである。
だから年末から5月あたりまでを税繁期といい、他の季節を税閑期という。
この税繁期にヒマにしているような税理士なら、あまり仕事を頼まない方がいいかもしれぬ(^^;
仕事は、忙しいヤツに頼む。
ヒマなヤツには頼まない。
ヒマなヤツというのは仕事の出来ないヤツということが往々にしてあるからである(^^;;
幸いにして今のところ忙しくしていられる。
忙し過ぎるのも考えものだが、忙しい忙しいと言っていられるのは幸せなのだろう。
さて、景気の方だが、大臣に言わせると日本の景気は底を打ったらしい。
しかし、油断は禁物である。
アメリカの景気の動向次第で大きく変わるだろうし、
大手が回復してきても、それが川下の中小零細企業に回ってくるまでには数ヶ月かかる。
川下はその数ヶ月を耐え忍ばなければならない。
体力に余力がなければ生き残るのは難しい。
ちょっと一息ついたとき、そういうときは自分の力をもう一度点検してみるのがいい。
人間ドッグのように自分の会社の点検を一年に一度はするべきである。
点検し、補修が必要なところは補修し、さらなるスキルアップを怠らない。
そうやって余力をつけてきた者は生き残るだろう。
Date: 2009/05/28(木)


質問
税理士会支部と税務署とは二ヶ月に一度くらいのペースで連絡協議会を開いているのだが、
先日、その連絡協議会で質問をした。
ことの起こりは、私の顧問先A社への税務署員の訪問である。
A社は現在の不況のなかで税金の支払いが遅れている。
その滞納分については毎月支払える金額を支払い続けているのだが、
ある日、会社の本社兼社長自宅の玄関の呼び鈴がなった。
奥さんがインターホンに出ると「○○税務署です」という。
税金を滞納しているので、奥さんが驚いて玄関を開けたところ、
二人の男が「失礼します」の一言だけ言って、いきなり玄関で靴を脱ぎ、
奥のリビングまでずかずかと入ってきた。
その家の人間の承諾も得ずに家の奥まで入ったわけである。
奥さんがビックリしたのは言うまでもない。
税務署は滞納した税金の差し押さえ等の調査のために、
納税者の家宅を「捜索」することが出来る。
この「捜索」は警察の「捜査」とは異なり、令状は必要としない。
しかし、「捜索」をする場合、税務署員は「捜索」である旨を告げ、
捜索終了後は「捜索調書」を納税者に交付しなければならない。
私の質問に対して、連絡協議会で答弁した担当者は「捜索」について
一生懸命説明していたが、私が質問したのはそういうことではない。
そもそも今回の件は「捜索」ではない。
A社を訪ねた税務署員は「捜索」である旨を告げていないし、捜索調書も交付していない。
滞納者に対する通常の訪問による督促である。
税務署が滞納者を訪問し督促するのは当たり前の仕事である。
しかし、他人の家を訪ね、家の中に入るときは当然、家人の承諾を得なければならない。
それをせずに他人の家に勝手に入れば犯罪が成立する。
「失礼します」の一言を言えば他人の家に入っていいと思っているなら勘違いである。
「失礼します」の一言で他人の家に入れるのなら、
押し売りは玄関で座り込む必要はないのである。リビングで座り込めばいい。
ま、そういう話なのだが、
4月から支部の新執行部がスタートして初めての連絡協議会である。
いきなり「それって犯罪じゃないの?」という言い方も気が引けて、
二度とこういうことがないよう要請するにとどまった。
もっと言うべきだったかな...?
連絡協議会が終わってから総務課長が来て、厳重に注意します、と言っていたから、
意思は通じたと思うが...。
現場の署員達も確かに大変なのである。
A社のような善意のある滞納者ばかりではない。
現実に悪質な滞納者はいるだろう。
訪問したら鼻先でいきなりバタン!と玄関を閉められたとか、
彼等はそういうことを沢山経験しているはずである。
市役所に勤めている友人は以前、住民税の係だったが、
滞納者の中には怖い筋の人もいるわけで、
二人で督促に行き、もう一人に「30分たって出てこなかったら警察に電話してくれ」と
言い残して外に待機させ、滞納者の家に督促に入ったりすることもあったらしい。
しかし、理由はどうあれ、社会人として守るべきことは守らなければならない。
もし、一方的に入って、家の中で婦人が着替えをしている最中だったらどうなるのか?
ただごとではすまなくなるはずだ。
もちろん、そういうことがなくても、他人の家に一方的に入る、という行為自体が
最早ただごとではないのである。
現場の仕事の中で、いつのまにか社会人として守るべきものを忘れているのだとしたら、
それは重大なことである。


Date: 2009/05/20(水)


回転寿司
子供が回転寿司を食べたいというので、先日、食べに行った。
以前入ったことがあって、そのときは割りとおいしかったのでその店に行ったのだが、
あれ?と首を傾げた。
レーンには商品の写真と金額の書いてある札の載った皿が回っていて、
肝心な寿司はあまり回っていないのである。
客の少ない時間帯であれば、そういうのも分かるが、
休日の昼時、本来なら客の多い時間である。
たまに回ってくるのは軍艦巻きとか納豆巻きとか稲荷とか、
あるいは、サラダを巻いたようなヤツで、
つまり鮮度が落ちてもそれがあまり目立たないものが回っている。
他のものを食べたければ注文しなければならないわけだが、
回転寿司というのは、レーンを回ってくる寿司から好きなものを選べ、
かつ普通の寿司屋よりも安いということで客を集めたのである。
客層にファミリーが多いのも、回ってくる寿司が子供達にうけたからであろう。
ところが肝心な寿司が回ってこない。
これでは普通の寿司屋で注文して食べるのと同じであり、
同じであれば、普通の寿司屋の方が品質がいいような気がする。
回転寿司が宿命的に抱える問題点は、商品の廃棄が多いということであり、
確かに、レーンに寿司を回さなければ商品の廃棄は少なく出来る。
しかし、それでは回転寿司の「売り」がなくなる。
品質や職人の腕で普通の寿司屋と競えるだろうか?
価格の面では、最近出てきた「立ち寿司」と競えるだろうか?
回らない寿司屋を子供達は喜ばないだろう。どういう客層をターゲットにするのか?
仕入力のある一部大手だけが低価格を武器に生き残るような、
そういう業界になっていくのかもしれない。
たまに回ってくる寿司の中でネギトロの軍艦巻きばかり目に付くと、
売れ残りのマグロをネギトロにしているのかと詮索したくなってしまう。
こういうことをしていれば客は離れる。
帰りに1000円のサービス券をくれたところをみると、店は集客に必死であるらしい。
しかし、1000円のサービス券を配るよりも、
もっと基本的なところで戦略の再構築をしなければ、あの店は潰れる。
ビジネスは小手先ではないはずだ。

Date: 2009/05/13(水)


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