*--Diary--*
昨日は結社の歌会だった。 その歌会のあとで軽い飲食をしながら話をしていたのだが、 その日の詠草のひとつについて、これは盗作ではないかという話が出た。 その人の話を総合すると、 その歌の題材と同じものを詠んだ俳句がある、だから盗作だ、というのである。 私もその俳句は知っている。 確かに同じ題材を用いている。 しかし、表現も中身も明らかに別のものである。 同じ題材を使っているから盗作だという話が成立すれば、 夜空の月も春の桜も万葉の時代から詠まれているのであって、 およそ殆どすべての短歌が盗作ということになる。 盗作か否かというのは、題材ではなく、 その表現において判断されるものではないのか? 実は、当日の歌会でも別の歌について盗作という言葉が出た。 それはシャガールの絵を詠った詠草だったが、 その評者の意見は、シャガールの絵をそのまま詠っているから盗作だ、というのである。 シャガールの絵は、絵画としての表現である。 それを短歌で表現するのは全く別のものであるはずだ。 ましてその歌は歌の中でシャガールの絵であることを明示している。 明示している盗作というのはありえるのか? シャガールの絵で盗作が問題になるのは、 絵画における表現をそのまま別の絵画に用いた場合であろう。 正直言って昨日たまたま二つあった盗作についての話は、 批評のレベルの低さを思わざるをえないものだった。 盗作という作者の名誉にかかわる発言が、根拠のある指摘としてではなく、 力不足と安易による批評としてなされたということを、 発言者は恥じるべきであろう。 歌会に参加するものは、それぞれの作品を真剣に出している。 批評というに値しない発言を聞きたくて歌会をやっているのではない。
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Date: 2008/10/06(月)
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今日は県への届出と研修会で昼から関内に行っていた。 県の方の仕事が終わり研修会の会場に向かう途中、 道の向こうから見たような顔が歩いてくる。 あれ!?と思ってよく見ると、アーチェリーの仲間だった。 妙なところでバッタリ会うもんだなとしばし立ち話。 彼はしばらく低迷していたのだが、先週の日曜は132点を出したそうだ。 低迷を抜け出したらしい。 実は、私の方もここしばらく低迷している。 射っていてどうも変だと思ったらプランジャーの部品が壊れているのを発見。 それを修理したら、今度はレストが曲がった。 レストを取り替えるとウォーキングが変わるので、 5mから50mまでチェックし直し。 そんなことをしているうちになぜか点数が伸びなくなった。 とりあえずちゃんと射てば矢は真っ直ぐ飛ぶので弓のせいではない。 いろいろいじくっているうちに射ち方がどこか変わってしまったのだろう。 こういうときは基本に立ち返って射つ。 それしかない。 気持ちをじたばたさせるのはむしろ駄目。 仕事が思うようにいかない時と同じであろう。 今週の土曜日、射場で会うことを約して彼と別れた。 ばったり友人に会うのもいいものである。
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Date: 2008/10/01(水)
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世界に激震が走った。 アメリカ下院で成立の見通しだった金融安定化法案が否決された。 どうも、もともと法案の内容にも問題はあったらしいが、 なによりも、ウォール街の尻拭いに国民の税金を投入することに 選挙民が反発することを怖れた議員達が反対に回ったらしい。 この経験はかって日本がやったことである。 日本の場合、公的資金投入までに時間がかかり過ぎ、 その結果、失うものをより大きくした。 アメリカは日本の失敗を研究したはずだが、 議員達を動かしたのは過去の教訓ではなく選挙民の反発と自己の保身だった。 激震はヨーロッパに及びアジア各地にも波及。 法案自体は再審議で形は多少変わるにせよ成立するだろうが、 しばらく混乱は続くのだろう。 これは日本の政治スケジュールにも影響を及ぼすかもしれない。 経済をどうするか、政治はその舵取りをしなければならないのだ。 総選挙どころではないのではないか? 組閣早々、妙な失言大臣を出した麻生政権にとっては、 失言大臣のことを世間が忘れてくれるようなニュースかもしれないが、 失言大臣の任命責任よりはるかに政権の力量を問われる事態であるはずだ。
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Date: 2008/09/30(火)
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その後ろにおのれの棺従えて遺影は進むガザの少年
イスラエルにより封鎖されているガザ。 イスラエルへの攻撃があると、イスラエルはその報復としてこの町を攻撃する。 その結果、戦いには関係のない市民が死ぬ。 イスラエルはそれを承知しているが、報復をやめない。 イスラエルはパレスチナ人の攻撃を「テロ」と呼ぶが、 市民が死ぬことを承知でするイスラエルの報復も「テロ」であろう。 パレスチナにおける憎しみの連鎖はそう簡単に解くことは出来そうにない。 それはまるで、神が約束した救いのない土地のようだ。 これからも罪のない子供達が死ぬだろう。 これからも親を失う子供達が生まれるだろう。 それは、パレスチナもイスラエルも同じである。 そして新しい憎しみが生まれる。
悲劇は、人から忘れられたとき、本当の悲劇になる。 私に出来るのは、忘れないように歌にして残すことだけである。
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Date: 2008/09/26(金)
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台風にも寿命があるらしく、熱帯低気圧から台風になり、 日本に近づいて温帯低気圧になるまで、 平均すると5日程度らしい。 しかし、今回の台風13号はかなり長寿だ。 9月9日にフィリピン沖で発生した台風なので、 既に9日経過している。 で、まだ九州の手前でもたもたしている。 これから関東に来て東北のあたりをかすめて太平洋に抜けるのだろうから、 2週間ぐらいの寿命にはなるのだろうか? ちなみに今までで一番寿命の長い台風は19日であるらしい。 20日の土曜に山岳会の仲間と上越の沢登りに行く予定だったのだが、 どうも台風の直撃を受けそうなので中止した。 大抵、上陸するとスピードアップするのだが、 今回はあまりに台風の動きがゆっくりしていて、 天気の様子を見るのもいやになってきてしまった。 モチベーションを維持できなというやつである。 8月も天気が悪くて山に行けなかった。 これで二ヶ月連続で山はお預け。 来月あたりどこか行けないと欲求不満がたまりそうである(^^;
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Date: 2008/09/18(木)
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ロシアとグルジアの戦争は、 互いが相手の意図を読み違えたとき、 どういうことが起きるかということを示した戦争でした。 とりあえずロシアは戦争には勝ちましたが、 周辺国家からの不信・孤立・外資の流出等、 これからその代償を払うことになるでしょう。
国連難民高等弁務官事務所の外郭団体、 日本UNHCR協会からの情報を転載します。 この情報は転載可のものです。
---------------------------------------------------- 1. 【現場からの報告】 ・グルジア・南オセチア紛争 白戸 純(しらと じゅん)上級保護官から緊急報告 ----------------------------------------------------
グルジア・南オセチア紛争を逃れ避難生活を送る人々への支援に奔走する、 UNHCRロシア連邦北コーカサス事務所 白戸 純 上級保護官 から緊急報告が届きました。 =============== 南オセチアをめぐる紛争に追われ、8月半ばまでに、約3万4千人が、 ロシア連邦南部の北オセチア共和国に避難してきました。 北オセチアには、 1991〜1992年のグルジア・南オセチア紛争を逃れた ものの、いまだに自活するめどが立たず、避難所に暮らす人たちがいます。 多くが高齢者です。政府とともに、彼らのために住居を建設し、 またロシア国籍の獲得などの法的支援を実施するのが、ここ数年の UNHCRの北オセチアでの活動でした。 彼らのほとんどは北オセチアでの定住を望んでおり、このままいけば、 あと2〜3年で、このプログラムも円満に終了できるだろう、と思っていた 矢先の紛争でした。 =============== ▼続きはこちらから http://www.japanforunhcr.org/act/a_europe_georgia_02.html
グルジア・南オセチア紛争で発生した人道危機に対して、 UNHCRは、避難民に対して支援物資を配給するなど、 すぐに緊急援助体制を整えました。
現在、状況は復興支援の段階に進み、グルジアのゴリ(Gori)に 新設された避難所では、およそ4000人の避難民に 配給カードを配布して、温かい食事を提供できるようになりました。 約20人のUNHCRスタッフが、避難民と共に暮らしながら、 支援活動を行っています。
UNHCRは、引き続き、避難生活を余儀なくされている人々へ、 テント、毛布、調理器具セット、水汲み容器といった支援物資の 提供を行っています。
UNHCRは、この差し迫った緊急援助活動に、今後半年間で、 1600万米ドル(およそ17億3千万円)を必要としています。 http://www.japanforunhcr.org/act/a_europe_georgia_01.html
このグルジア・南オセチア紛争の犠牲となって避難を強いられている 人々を支えるために、引き続き皆様のご支援をお願いいたします!
■下記サイトから、「ヨーロッパ地域 : グルジア 南オセチア紛争」を ご指定ください。 http://www.japanforunhcr.org/donate/index_mn.html ※通信欄に、「メールニュースを見て」とお書き添えください。
■ご寄附を郵便局からご送金いただく場合 郵便局 : 口座番号 00140-6-569575 加入者名 UNHCR協会 ※通信欄に、「南オセチア紛争」とお書き添えください。 ※振込み手数料は「加入者負担」です。 用紙が必要な場合はご連絡ください(03-3499-2450)。
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■NHK BS1 アジアクロスロード 日時:9月19日(金)17:15〜 番組コーナー「Asian in Japan亜州人在日本」にミャンマー出身の 渋谷ザニーさんと共に、UNHCR駐日副代表の岸守一が登場します。 http://www.nhk.or.jp/asia-cross/weekly/index.html
■9月5日発売の季刊誌「ロハスキッズ vol.9」に、日本UNHCR協会 事務局長 根本かおるの寄稿が掲載されました。 楽曲『ワンダフルワールド』に込められた「ゆず」の想い、 広がる想いの輪を語ります。 http://www.japanforunhcr.org/act/pdf/080905_about_11.pdf
------------------------------------------- 4. 【イベント・キャンペーン】 ・9/1〜9/30 ユニクロの全商品リサイクルキャンペーン、スタート! ・9/28「第1回EKIDEN for PEACE 2008 富士山チャリティー駅伝大会」 -------------------------------------------
■難民・避難民への衣料支援につながる、ユニクロの全商品リサイクル キャンペーンが始まりました!期間は9月1日〜30日まで。 着なくなったユニクロ商品をお近くのユニクロ店舗にお持込ください。 また、6月〜7月に実施されたエチオピアの難民キャンプ訪問フォトレポートも 合わせてご覧ください。 http://www.uniqlo.com/jp/csr/
■「第1回EKIDEN for PEACE 2008 富士山チャリティー駅伝大会」 元マラソンランナー ・ 瀬古利彦氏の「走ることで社会に恩返しを」という 思いのもと「EKIDEN for PEACE 2008 富士山チャリティー駅伝大会」が 開催されます。 走ることで、世界共通の課題である難民問題に思いを巡らせてみませんか? 2009年2月には「第1回EKIDEN for PEACE 2008 タンザニア難民キャンプ駅伝 大会」が予定されており、富士山チャリティー駅伝大会に参加したランナーの 思いを難民キャンプの人々に繋げます。 日時 : 9月28日(日) 場所 : 山梨県 富士吉田市(滝沢林道) 詳細はこちらから http://www.unhcr.or.jp/event/2008/20080928_mtfuji_ekiden.html
----------------------------------------------------- 5. 【日本UNHCR協会ウェブサイトより】 -----------------------------------------------------
■UNHCRは、スーダン南部のふるさとに帰る人たちに、トラックや バスなどの移動手段を提供し、生活に必要な物資や食糧などの支援を 行っています。現地の様子をフォトギャラリーでご覧ください。 http://www.japanforunhcr.org/act/a_africa_ssudan_02.html
■日本UNHCR協会では、ボランティアの方々の協力のもと、UNHCR本部からの ニュースを翻訳してお届けしています。 ・ブータン難民−希望と不安が混じった、新たな旅立ちへ http://www.japanforunhcr.org/act/a_asia_nepal_n_08.html ・シリアのイラク難民が食糧と原油の値上がりの影響をうける http://www.japanforunhcr.org/act/a_mena_iraqi_n_08.html ・UNHCR、ソマリア・プントランド地方における車両への攻撃を非難 http://www.japanforunhcr.org/act/a_africa_somalia_n_08.html ・スーダン難民5,400人をチャドの難民キャンプへ移送 http://www.japanforunhcr.org/act/a_africa_darfur_n_05.html
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Date: 2008/09/11(木)
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澤村斉美さんの第一歌集『夏鴉』を読み終えた。 言葉がしっかりしている。歌がしっかりしている。 そういう印象を抱いた。 印象に残った歌を幾つか引いてみる。。
逆光の鴉のからだがくつきりと見えた日、君を夏空と呼ぶ
おほかたの友ら帰りし構内に木の椅子としてわれを置きたし
死ののちもしばらく耳は残るとふ 草を踏む音、鉄琴の音
手花火が君の背後を照らしゐしさびしき夏をわれは閉ぢけり
あかいろの稚児はどこまで逃げてゆく霞のいろを谷にしづめて
側溝を魚のすばやく流れたる夜の闇なれどくりかへし思ふ
遠いドアひらけば真夏 沈みゆく思ひのためにする黙秘あり
逃げこめば緑の濃ゆき前一色山ぽつんぽつんと子供がゐたり
時をわれの味方のごとく思ひゐし日々にてあさく帽子かぶりき
不信は長く人を支へてきたといふその人の持つ閑かなフォーク
失はれつつ残るのが記憶ならあらはなまでの数字の記録
ひとつひとつの歌がしっかりと読者に手渡されてくるような気がする。 しっかりとした把握、確かな言葉、そういうものを感じる 読み応えのある歌集だった。 表装も趣きがあり、内容ともども澤村さんの 第一歌集にふさわしい歌集である。 これからの彼女の活躍を期待したい。
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Date: 2008/09/08(月)
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先日、税理士会で会議があった。 広報関係の会議だが、そのなかで租税教室についても話し合いがあった。 租税教室というのは、子供達に税金の大切さを理解してもらおう ということで国が中心になって学校関係者等を集めておこなっているものである。 主に、小学校で特別授業のような形で行われる。 数年前から税理士会も関係団体として参加している。 子供達に税金のことを知ってもらうのは、 税理士会のためにもなるということで参加しているわけである。 いずれにせよ、その会議でおもしろい話があった。 税務署から会議に出席した広報広聴官が、 今年の税理士会の会報に載った記事を取り上げ、 「素晴らしい記事です。これを読んで頂ければ租税教室についての考え方が分かります。 是非読んでください」と言うのだ。 事務所に帰ってからその記事を読んでみた。 租税教室を担当し小学校で授業をやった税理士の体験談というような記事であるが、 私は読んで違和感を感じた。 その税理士の言っていることは「租税教育」についての意見として読むならば正しい。 しかし、税金がなくなれば社会が崩壊するというようなビデオは内容が極端ではないのか? 我々税理士は国の側でもなく納税者の側でもなく、 公正中立の立場に立つはずではなかったのか? くだんの記事はまるで税務署員が書いた記事のようだった。 視点が明らかに国の側によっている。 税理士会は会の事業として「租税教室」に参加している。 当然、会の予算が使われているわけである。 会員が支払った会費は有効に使わなければならないはずである。 つまり、税理士と税理士会にとって有効に使われなければならないのだ。 そうである以上、税理士の視点からの税についての捉え方が授業にあっていいばすだ。 もし国があくまでも国の視点からのみ捉えた「租税教育」をやりたいのであれば、 退職教師を募り税金についての簡単な講習を受けさせてやればいいはずだ。 税理士会に協力を求めるようなことではない。 どうも、現行の租税教室に税理士会がそのまま関わることに私は疑問を感じる。
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Date: 2008/09/05(金)
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月曜の朝、事務所に来ると本が届いていた。 澤村斉美さんから送られてきた歌集『夏鴉』だった。 2006年の角川短歌賞を受賞した人で、 このほど第一歌集を出し、それを送ってくださったのだ。 彼女とは一度、歌会で御一緒したことがある。 同じ結社の人なのだが、彼女は京都なので滅多に歌会で一緒になることはない。 そのときの印象は、大人しそうだがしっかりした批評を言う人、という感じ。 さて、その澤村さんの第一歌集『夏鴉』、今日手にしたばかりで まださらさらとしか目を通していないのだが、 目にとまった歌をひとつだけあげてみる。
時をわれの味方のごとく思ひゐし日々にてあさく帽子かぶりき
まだ若い、しかしそろそろ青春を終えようという作者の感慨が思われる。 この人の歌はふわふわとしていない。言葉がしっかりしている感じがする。 しっかり読ませて頂いてから御礼を申し上げようと思っている。
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Date: 2008/09/01(月)
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湯野上温泉は会津西街道の街道沿いにある温泉である。 南会津の静かな温泉で繁華街などはどこにもない鄙びた温泉である。 会津鉄道の駅があるが、ここの駅舎は全国でも珍しい茅葺の駅舎。 ここからさらに街道を南にゆくと会津田島の街に出、 そこから関東との境の山王峠に向かう。 途中、檜枝岐へ行く道と岐れる。 以前、会津駒ケ岳や尾瀬に行くために檜枝岐に入ったが、 当時は電車で東北本線から会津若松に回り込み、そこから会津田島、さらにバスで この道を通って檜枝岐に行った。鉄道で行く場合はぐるりと大回りしなければ 檜枝岐に行けなかったのだ。 確か昭和50年代の最初頃まで檜枝岐は日本のチベットなどと呼ばれていた。 交通の便の悪さが言わしめたのだろうが、 考えてみれば、会津西街道を通って関東から南会津に入りそこから檜枝岐に行けば、 鉄道で行くときのような大回りはしなくて済むのである。 決して日本のチベットなどと言われるほど遠くはないのだ。 檜枝岐への分岐を通ったとき、 ああ、この分岐だと思った。 以前通ったのは随分昔なのだが覚えていた。 若い頃、山に向かう気持ちは今より純粋だった。 その頃通った道が記憶の底にあったのだろう。 山王峠への道は紅葉の季節であればさぞ綺麗だろうと思わせる道だ。 決して急な峠道ではなく案外すんなりと関東に入った。 昔、旅人や物流を担った人々がこの峠を越えた。 江戸時代と現代では物流ルートが違う。 現代の感覚で言えば、なぜ、こんなところが? という辺鄙なところが、 当時の物流ルートにあったために繁栄していたということがある。 街道は時代の栄枯盛衰を映す。 関東に入り五十里湖を通り、途中から会津西街道を外れて川俣温泉への道に入る。 さらに途中から日光霧降高原方面に登ってゆけば、 子供達の注文通りの大笹牧場。 ここから今市に降り日光街道に出れば旅は終わりである。
会津西街道 http://www.doboku.shimotsuke.net/aidunisikaidou.html
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Date: 2008/08/29(金)
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