*--Diary--*


映画「約束の旅路」  2007/02/15(木)
登山靴  2007/02/14(水)
自己嫌悪  2007/02/03(土)
霧氷  2007/01/30(火)
限定その2  2007/01/22(月)
限定  2007/01/19(金)
景気はどうなる?  2007/01/05(金)
歌集  2006/12/29(金)
社内運動会  2006/12/28(木)
ようやく通常の状態に復帰  2006/12/27(水)


映画「約束の旅路」
国連難民高等弁務官の外郭団体として、
難民のための募金のとりまとめをしているのがUNHCR。
そこからのメールを一部コピーします。
どういう映画かは知りません(^^;
興味のある方はどうぞ。

2. ★ブログ募金キャンペーン★
■映画 『約束の旅路』
日程 : 2007年3月10日(土)〜一般ロードショー
場所 : 岩波ホール(東京都千代田区)
『約束の旅路』では、映画が世界を変えるブログ募金キャンペーンを行っています。
ご自身のブログにバナーを貼ったり、記事を書くことが募金につながります。
詳しくは http://blog.cinemacafe.net/yakusoku/ をご覧ください!
また、アフリカキャンペーンへのご寄附も受け付けています。
http://www.japanforunhcr.org/africacampaign.html

Date: 2007/02/15(木)


登山靴
 先日、丹沢に行ったとき、登山靴が壊れた。
モンブランに行くときに買った冬山用のプラスチックシューズ。
かなりの年数がたっている靴である。よく今まで持ってくれた。
プラスチックシューズは経年劣化で破損することがあるが、
幸い、壊れたのは下山して車のところで片付けをしている最中だった。
行動中なら難儀しただろう。
モンブラン、マッターホルンにゆき、キリマンジャロのときは
他の荷物と一緒にアムステルダムに行ってしまった靴である。
ナイロビの空港で、飛行機に預けた荷物が紛失していることに気付いたときは焦った。
結局、スニーカーのままでキリマンジャロに登り、下山してナイロビに戻ると
回収を依頼した旅行会社の事務所に届いていた。
最近ではもう殆ど見かけなくなった古い形の靴だが、やはり愛着はある。
春のような山の麓で、壊れた登山靴の汚れを落とし車に積んだ。
これから仕事の繁忙期になる。
新しい靴を買いにゆく時間もないかもしれない。
今年は確定申告が終わるまで雪山は登れないだろう。
Date: 2007/02/14(水)


自己嫌悪
 確定申告の相談会に派遣された。
税理士会の支部でおこなっているもので、受付等も支部の会員が取り仕切る。
10人程度でチームになり、3人がチーフ・サブチーフとして会場の整理・案内。
他の7人が実際の税務相談を担当する。一人ずつテーブルに座り、相談者の相手をする。
途中、ふっと気付いて後を見ると、申告書の清書用のテーブルに相談者が何人も不審そう
な顔をして座っている。疑問に思い「大丈夫ですか? 申告書作れますか?」と聞くと、
憮然とした顔で「ここに座るように言われたんです。」と言う。
案内役の税理士に言うと、
「あっ! そこのテーブル相談員いなかったんですか?」ととぼけたことを言う。
相談会が始まってしばらくしてから気になっていたのだ。
会場の整理をするべきチーフ達が下を向いたまま仕事をしている。
申告書の収受等をしなければならないので、どうしても下を向くことになるわけだが、
会場の整理・案内をまかされている以上は、時々顔をあげて会場全体の状況を見ていなけ
れば、それが出来ないはずだ。ところが下を向いたまま仕事をしている。
だから、その場にいながらその場の状況がつかめていない。
相談員の税理士が何かあってチーフを呼んでも聞こえない。
顔を上げれば呼んでいることに気付くわけだが、下を向いたままなので気付かない。
仕事というものは下を向いたままでするものではない。
顔を上げて状況を把握しながらするものだ。
さらにイライラさせることが重なった。
会場に用意された電卓が妙に使いにくい。
普通の電卓なら0があるところに00がある。0はそのとなり。
相談に来るのは高齢者だ。ただでさえ電卓は使い慣れていない。そこにもってきて使い
にくい電卓。高齢者達は0を押すべきところ00を押してしまい、何度も計算しなおす。
イライラが昂じているところに、ひとりの相談者が来た。申告書を持っていない。
受付で申告書を貰ってこさせ、申告書の作成を指導していると、
申告書の1表だけで、2表がない。
「なんで2表がないの?」
「申告書くださいって言ったら、これをくれました」
「...。」
受付は税理士ではないのか?
「申告書をください」と言われて1表だけ渡すというのはどういうことだ?
2表も必ず使うことぐらい税理士なら知っているだろう...。
受付に再び取りに行かせるがなぜか話が通じないらしい。
受付の税理士がニコニコしながら、「なんですか? なにが必要なんですか〜」と
やってきた。
この瞬間切れた。
「2表!」
鋭い口調で怒鳴っていた。
あとでしばらく自己嫌悪に陥った。
確かにチーフ達の仕事振りは落第点である。
しかし、とりあえずはもっとソフトに言うべきだったか...。
怒鳴るのはそれでも通じないときか...。
自己嫌悪は自己嫌悪として、あのチーフ達に言いたい。
「仕事は全体の状況を見ながらやれ。」
とりあえずその日は自己嫌悪にひたりつつ酒を飲んだのである(^^;
Date: 2007/02/03(土)


霧氷
 先週の土曜日、丹沢に行ってきた。
前日の晩、雨が降ったので、たぶん霧氷になっているだろうと思った。
案の定、青空の下の稜線は霧氷に覆われていた。
西丹沢の自然教室からさらに奥に入り、用木沢の出合に車を停め、加入道山を往復した。
頂上まで2時間程度。白石峠の手前で雪がすこし増える程度で、全体的に積雪は少ない。
細長い稜線のような頂上で少し早い昼食にする。
さらさらと絶え間なく霧氷が落ちてくる。
標高1500mぐらいの低山なので、天気が良ければ霧氷は午前中に消えてしまう。
見上げると空から光のかけらが落ちてくるようだ。
久し振りの雪山気分。
自然の中で体を動かすのはやはり気持ちがいい。
下山してからもこの数日、なんとなく体調がいいのだ。

Date: 2007/01/30(火)


限定その2
何を呼べる獣の声かゆふぐれに二度のみ聞こゆ上野の森に
                   河野美砂子 塔2006年7月号

 この歌の場合、「獣の声」を「二度のみ」と限定することで、
獣の声の印象をより鮮やかにしている。獣の吼える声が二度だけ
くらい上野の森に響き、そのあとには静寂がくる。だからこそ、
獣の声が際立つのである。これが「ゆふぐれに聞こゆ」だけであれば、
印象はより平凡なものになる。その場合、獣の声のあとの静寂も存在
しなくなる。限定は効果的に使えば、歌をより深いものにすることが
出来る手法である。
Date: 2007/01/22(月)


限定
その頬に手触れるまでの歳月を弥勒菩薩は微笑みており
                         by 関野裕之

 動かぬ仏像の手は決して頬に触れることはないわけだが、
それをあえて「手触れるまでの歳月」と限定して表現することで、
果てしのない時間を表現できると考えた。
こういう「限定」は有効な表現の手法だと思う。
この歌を歌会に出したとき、採ってくれたのは岡部史さんひとりだった。
しかし、私の意図したところを読み取ってくれた批評に感激したのである。
ひとりでも分かってくれる人がいると歌会は楽しい。
Date: 2007/01/19(金)


景気はどうなる?
平成19年が始まった。
いざなぎ超えという景気はどうなるのか?
確かに企業は仕事は増えている。
しかし、特に中小企業の場合、価格競争の中で仕事は増えても利益は少ない。
給与も増えない。だから好景気の実感がない。
いざなぎ景気とは比べものにならない低成長率の好景気なので、
実感がないのも当然なのだが、気になるのは消費が増えないことである。
給与が増えず将来の雇用に不安があるので消費が増えないのもまた当然なのだが、
これは危険な状況である。
内需が国の経済を支えておらず、それだけでなく現在の雇用状況が続けば、
将来的に国内市場が縮小する。ただでさえ人口減少で国内市場は縮小に向かうわけだが、
格差拡大がそれ以上の縮小をもたらす可能性がある。
現在の景気は輸出と一部の大企業が支えている。
輸出に影が差したとき国内市場は景気を支えられないだろう。
自由競争は経済の原則である。
しかし、原則には常に例外があるということも忘れてはならない。
過度の格差拡大は、購買能力の少ない消費者を増加させる。
それは国内市場を縮小させ国の経済を弱体化させる。
ひいては社会に不満を広げる。
戦前の日本は貧弱な国内市場のゆえに満州に目を向けたのである。
たとえ自由競争の原則に背いても、
守るべきところは守らなければ社会は不安定化するだろう。
市場原理は重視されるべきだが、
経済の世界にまで原理主義を持ち込むべきではない。
Date: 2007/01/05(金)


歌集
結社の方から歌集を頂いた。
年末年始に読ませて頂いてからお礼を申し上げようと思っている。
作者の方は病院の託児施設の保育士として長年働いてきた方だ。
歌集の中にもそういう歌が多い。

 母親の勤務どほりに子らは来る日勤・深夜・準夜・半日
                    /山下れいこ(水たまりは夏)

 母親達は看護士として日勤・深夜・準夜・半日の勤務をしている。
その勤務時間に病院の託児施設に子供達は来るのである。
ただ事実を告げるだけの表現から、現実の暮らしの中にいる母と子の姿、
そしてその母子のつながりがしっかりと伝わってくる。
情感に流されず対象を捉える姿勢が感じられるのだが、それと同時に、
歌には子らにそそがれる作者の暖かい眼差しがある。
大きな病院であれば年末年始も看護士は勤務しているはずだ。
あるいは大晦日の夜も託児室で過ごす子らがいるのかもしれない。

今年の日記の書き込みはこれが最後になります。
来年またこの日記でおめにかかります。
それでは良い年をお迎えください。
Date: 2006/12/29(金)


社内運動会
昨日の夜、NHKで某大手メーカーの運動会をやっていた。
その会社では、現場での意思疎通や協力体制に問題が生じ、
それを解決するべく社長の決断で社内運動会をおこなったという。
そのための予算は3億。
番組を見ていてなんとも言えない気持ちになった。
問題の根底に目はいっているのだろうか?
高度成長の時代の感覚で社内運動会をやったとしても、
あまり効果は期待できないだろう。
せいぜい一時のお祭り効果があるだけだ。祭りの余韻が消えれば普段に戻る。
そのメーカーでは、コストダウンのために正社員を減らし、
現場では多くのパート社員・請負会社の社員が働いている。
同じ現場で働いていても立場も待遇もまるで違うのである。
雇用が保障されていた時代とは根本的に条件が違う。
番組の中では、監督を命じられた正社員が、
まるでやる気のないパート社員・派遣社員を相手に苦闘していた。
当たり前である。
時給800円のパート社員にとって社内運動会など迷惑なのである。
運動会の練習の時間の時給がつくわけではなく、練習のために残業も出来ず収入が減る。
正社員が情熱を語ったところで、会社が未来を保障してくれないことを知っている
パート社員に響かないのは当然である。
企業は効率とコスト削減のために人を使い捨てるようになった。
人を使い捨てる経営をしながら、忠誠心ややる気を求めるのは愚かであろう。
使い捨てられる側は忠誠心など持つわけがない。
グローバル化し、利益を求める株主の声が過大になった経済環境の中で、
企業はコストダウンと短期的に目に見える形での成果を求められる。
固定費である人件費の削減をせざるを得ない。
そしてそれは社員の士気と質の低下につながる。
使い捨てられた人々と生き残れた人々の間の格差は広がる。
使い捨ての不安がある以上、人々は消費を抑制する。
それは経済そのものに影を落とし、
格差のさらなる拡大は社会の不安定要素になるかもしれない。
現代資本主義が直面している新たな危機である。
Date: 2006/12/28(木)


ようやく通常の状態に復帰
忙しい日が続き、日記の書き込みが出来なかった。
今月は研修会やその他もろもろで日にちをとられてしまった。
溜まった仕事をひとつひとつ片付け、どうにか通常の状態に復帰してきた。
明日は官公庁の仕事納め。
今月中の提出物を明日中に提出してしまう予定。
12月31日申告期限は、その日が休庁日なので申告期限は役所が開く1月4日になる。
従って、別に明日中に提出しなくてもいいのだが、
やはり今年の仕事は今年中に終わらせて年を越したい。
未提出の申告書を持ったまま紅白を聞きたくはないのである(^^;


Date: 2006/12/27(水)


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