*--Diary--*


嘘は本当らしくつけ  2006/12/12(火)
踏み込み  2006/12/05(火)
税務調査  2006/11/20(月)
企業の品質低下  2006/11/09(木)
歌の読みは読者の人間を越えない  2006/11/06(月)
忙しいのがようやく終わった  2006/10/28(土)
北の核実験と韓国経済  2006/10/10(火)
歌のパターン化その2  2006/10/04(水)
歌のパターン化  2006/10/02(月)
四十肩  2006/09/28(木)


嘘は本当らしくつけ
 先日、テレビで「ラストサムライ」をやっていた。
なんとも荒唐無稽な映画だった。ま、娯楽作品だからどうでもいいのだが(^^;
ハリウッドの日本理解というのはいまだにあの程度なのだろう。
中国の映画みたいに人間が空を飛んでいくシーンが出てこないだけマシかもしれぬ。
しかし、映画を作る側はなにを表現しようとしたのだろうか?
サムライの姿? 激動する時代のなかの人間像?
どうもそういう感じはしない。結局はある種ステレオタイプな「異国物」でしかなく、
それが作品を、使ったであろう予算の割には底の浅いものにしている。
嘘はいかにも本当らしくつかねば意味がない。
黒澤明の「乱」はシェークスピアの作品を日本に置き換えたもので、歴史的事実ではないが、
黒澤は「お歯黒」にまで気を使い、「いかにも本当らしく」仕上げた。
もっとも、その黒澤の「影武者」では、若い武士が「風林火山」の意味を子供に説明する
シーンがあり、その説明にぶっとんだ。
黒澤は「風林火山」が「孫子」に出てくる言葉であることは知っていたと思うが、
映画の流れの中で、そちらの方が面白いと思ったのだろう。全然違う意味の説明を
若い武士にさせている。これはどうなのだろう?
「風林火山」の意味を知っている観客はそれを無条件に受け入れただろうか?
違和感を感じなかっただろうか?
違和感を感じさせれば、映画の鑑賞に影響しないだろうか?
それを甘くみたのだとしたら、それは製作者の側の驕りではないのか。
虚構のなかに人間の真実の姿を浮かび上がらせるというのは、ひとつの表現の技法である。
しかし、虚構が見え透いてしまえば、舞台装置そのものが効果を失うだろう。
表現における「嘘」は徹底的につかねばならない。
いかにも本当らしく虚構の世界を構築しなければ、浮かび上がらせたいものも浮かんではこない。
これは短歌にも言えることだ。
フィクションの歌であっても、いかにも本当らしく詠わねば歌は立ち上がらない。
Date: 2006/12/12(火)


踏み込み
いきなり踏み込んで来た。
今日、会社に2人、社長自宅に2人。事前通知もなになく調査官来襲。
社長夫人から連絡を受け、そのあとで調査官の一人から電話。
「いま、調査にお伺いしてます。」
「事前に連絡もないというのはどういうことだ。」
「いえ、そういう調査もあります。」
「現金商売をしているわけでもない。
現況で踏み込まなければならないどういう理由がある。」
「いえ、それは...。」
「質問検査権の範囲を逸脱しているだろう。」
「いえ、ですから先生に協力をお願いしています。」
「質問検査権は納税者に協力を要請して調査をするものだ。
いきなり踏み込んで協力とはどういうことだ。」
「いえ、ですから...。」
「これから行く、待ってろ。」
「はあ、つまり○×○×・・・ ガチャン!
11時過ぎに行ったら、4人いたけど帳簿もなにも出てなくて、
実質、調査に着手していなかったみたい。
「これはどういうことですか?」
「現況の確認が必要だと思いましたので、云々云々。」
「銀行はおたくら調べられるだろう、あとは社長に立ち会ってもらって
聞けばいいだけだ。それでなんでいきなり踏み込む必要がある。」
「いえ、保管状況とかいろいろ。」
「銀行の取引記録はどこにも逃げやせんぞ。なにが保管状況だ。
日をあらためろ。」
と、穏やかな話し合いの末(^^;
日をあらためるということで午前中でお引取り頂いた(^^;;
調査官には必要な調査をする義務があり、
納税者には正当な事由がない限り、調査に応ずる義務がある。
しかし、それはすべて妥当なルールに基づいておこなわれなければならないはずだ。
はてさて、この後どうなるか?(^^;;;
Date: 2006/12/05(火)


税務調査
税務調査があった。
どうも調査官の調べているところがおかしい。
普通なら調べるところを調べず、
普通なら気にしないところをえらく気にしていた。
怪訝に思っていると、調査官曰く
「3800万で土地を購入していますよね。
売った方からそういう資料が出ているんですが。」
これで分かった。
確かに土地は購入している。
市街化調整区域の40坪にも満たない土地を資材置場に使うために
購入した。価格は一千万に満たない。
「市街化調整区域で家の建てられない土地だよ。
3800万の値打ちがあるならすぐに転売するね。
その資料を出した会社の単純ミスか妙なことをやっているか...。
そっちの会社を調べてもらった方がいいんじゃない。」
くだんの調査官、えっ!という顔をして沈黙してしまった。
おそらく支払調書だと思うが、
いい加減な支払調書を出されると、相手がとばっちりを受けて迷惑をする。
つまり、3800万の財源を探しにきたわけである。
なんのことはない、とばっちりの税務調査だった。
非違を引っ張り出せると思ってやってきた調査官、
さぞかしガッカリしただろう。
Date: 2006/11/20(月)


企業の品質低下
仕事でいささかの取引をしている会社でミスがあった。
どこそこに送れと言っておいて書類が届いていない。
送り先からの問い合わせがあって、会社に確認したら、
送るのを忘れていたという単純ミスである。
今回に限ったことではなく、その会社はそういうミスが多い。
大手の会社である。優秀な新卒が入るはずだ。
そういう会社でなぜ、こんな初歩的なミスが何度も起きるのか。
あるいは、その会社だけの問題ではないのかもしれない。
日本の企業はバブル崩壊後、人を減らした。
余剰な人員を減らすのであれば、それは健全なリストラだが、
多くの企業は健全なレベルを超えて人を減らした。
正社員を減らし、派遣やパートを多用することで、
固定費を削減し利益を出す形にしたのである。
その方が株式市場ではうけがいい。
しかし、その結果、リストラを生き残った社員達の仕事量は増えた。
今まで3人でやっていた仕事を2人でやれば、1人あたりの仕事量は
当然増える。その結果は慢性的なオーバーワークである。
そして、それは間違いなく仕事の質の低下をもたらす。
目先の数字のみを追って、人を減らし、派遣に頼る。
派遣社員は短期的には有効だが、長期的な視野に立てば、
それは決して企業の戦力にはならないものだ。
技術力とその承継、仕事の品質、それらに影を落とすのである。
株式市場のうけばかりを意識した経営は、
いずれ企業経営に深い問題を突きつけるだろう。
企業も株主も、そろそろ目を覚ますべきときだ。
Date: 2006/11/09(木)


歌の読みは読者の人間を越えない
先月で短歌結社の批評欄の担当が終わった。
結構きびしい半年だった。
月の半ばに結社誌が届き、担当の選歌欄を繰り返し読む。
いいと思った歌に印をつけていく作業を十日間ほど繰り返す。
ぱっと読んで選ぶ人もいるようだが、
自分の読む力の不足で良い歌を採り落としているかもしれないと思うので、
根気よくこの作業を続ける。
これが結構苦痛だった。
いい歌も沢山あり、同時にそれ程でない歌も沢山ある。
そのすべてを毎日繰り返して読むというのは思ったより大変な作業だった。
繰り返して読んでいるうちに、目に止まった歌についての感想が頭の中で
まとまってゆく。残り五日間ぐらいで、その感想を批評のレベルのものに変えてゆく。
歌会などではたまに、
感想しか言っておらず批評になつていないというコメントがある。
感想は批評の出発点であるが批評ではない。
なぜ、その歌が良いのか、その歌のどの表現がどのように効果を出しているのか、
そういう批評を書こうと思うわけだが、これがなかなか難しい。
自分は本当に批評と言えるものを書いているのだろうか?
この半年間、そういうことを思い続けた。
そして、この半年間そういうことをしてきてひとつ確信を得たのは、
歌の読みは決して読者の人間を越えることはない、ということである。
半年の担当が終わり、納得のゆくものが書けたという気持ちはない。
Date: 2006/11/06(月)


忙しいのがようやく終わった
 今月は忙しくて日記への書き込みが出来なかった。
それにしても忙しいときに限って臨時の仕事が次々と
舞い込むというのはどういうことだろう?
ま、閑古鳥が鳴いているよりはいい。
しかし、予定していた妙義での沢登りが出来なかったのは残念。
山岳会の仲間が会のMLに妙義の写真を流していた。
好天に恵まれたらしい。紅葉はまだそれ程ではないようだ。
短歌結社の選歌欄評も今月で担当が終わる。
正直言ってホッとしている。
来月からは自分の歌つくりの時間がとれるだろう。

  批評欄など引き受けるのでなかった月の半分歌がつくれぬ

Date: 2006/10/28(土)


北の核実験と韓国経済
北朝鮮が核実験をした。
北東アジアは新しい時代に入るのだろう。
あまり気持ちのいい時代ではないのかもしれないが、
とりあえず、今回の核実験が韓国の経済にどういう影響を与えるのか
考えてみたい。
韓国経済はいま微妙なところにある。
ひとつには現政権の失政があるわけだが、
もうひとつの要素として中国との関係がある。
韓国経済の仕組みと中国のそれとは似ているところがある。
部品を輸入し製品を完成させ輸出する。
そういう部分において中国と競争すれば、
規模の利益とコストの面において韓国は中国と太刀打ちできない。
韓国は自国の経済をより付加価値の高いものに移行させなければ
ならないわけだが、それが遅れている。
そして今回の核実験である。韓国のカントリーリスクが高まる状況下で、
外資は韓国から引き揚げるかもしれない。
少なくとも新しい外資の導入は今までよりも困難になる。
さらに韓国は今後、防衛費負担が急増するだろう。
北の核実験以前から、韓国はアメリカと交渉し、アメリカが持っていた
韓国軍の戦時作戦統帥権を取り戻すことになっている。
戦時作戦統帥権の問題は軍事上の見地から検討されるべきものだが、
ノムヒョンは民族の自主という観念的な思考のもと、拙速にこれを進めた。
米韓の連合体制は揺らいでいる。韓国は自主国防を確立するための整備に、
かなりの防衛費を支出しなければならなくなる。
そこにもってきての北の核実験である。
防衛費負担の急増は韓国経済に影を落とすだろう。
あるいは我々は、経済大国の地位を降り社会不満が鬱積していく韓国を
見ることになるのかもしれない。
韓国はどこに行くのだろう。
Date: 2006/10/10(火)


歌のパターン化その2
 その歌会で私が票を入れなかった歌は、最高得点の歌だった。
出席者19名。うち一人は作者なので、18人中10人が票を入れた歌である。
確かに秀歌だった。しかし、私は入れなかった。
まだ誌面に出されていない歌なので、ここに紹介するわけにはいかないが、
日常の風景をうまく切り取った歌である。
しかし、私はその歌にパターンを感じた。
日常の歌というのは着眼と切り取りが命だと思うわけだが、
そこに作者なりの創意なり発見がないと、ただ切り取っただけの歌になる気がする。
切り取りが大事ではあるが、それだけではダメだと思うのである。
創意や発見もなくただ切り取るだけなら、上手なスナップ写真と同じであろう。
スナップ写真は当事者には思い出になるかもしれないが、
当事者以外には、ただの写真である。
で、日常の歌というのは、切り取りが命であるだけに、
淡々と情景を切り取るというパターンにおちいりやすい気がする。
その歌の場合、さらに「茶髪」という言葉が使われていた。
「茶髪」というのは、そういう若者をある種パターン化した表現である。
歌全体にパターンを感じる中で、そういうパターン化した言葉は目につくのである。
一首の中に作者なりの創意工夫のある歌であれば、「茶髪」という言葉が使われて
いても、この辺は薄らいだだろう。
私はさらに結句の「左官屋」という表現も気になった。
一首を読んで私は、「これは左官屋か? 大工か鳶ではないのか?」と思ったのである。
「左官屋」というのはア音が多くリズムのいい言葉なので使い易い言葉である。
通常なら、左官屋か大工か鳶か、などということは気にならない事であるし、
実際、その歌では判断することも出来ない。
短歌は事実でなくてもいい。実際は大工でも左官屋と表現して構わない。
通常なら全く気にならないことだ。
しかし、歌にパターンを感じ、「茶髪」にパターンを感じて読み進んだとき、
最後に出てくる「左官屋」に私は安易な言葉選びをかすかに感じてしまったのである。
これは「負の相乗効果」であろう。
パターンは決して否定できないものである。
短歌を志す者は、そういうパターンを覚え身につけていくことで、
歌を学んでいくのである。しかし、パターンのみになれば、歌に命は宿らない。
パターンをひとつの技術として身につけ、そこに作者なりの肉付けをすることで
本当の良い歌は生まれてくるはずである。
特に日常詠のような歌は、ひとつひとつの言葉選びなどもぎりぎりのところまで
やらなければ、結局、パターンが目につく歌になる気がするのである。
そういう歌は90%の秀歌にはなっても、
100%の歌にはならないのではないだろうか。
Date: 2006/10/04(水)


歌のパターン化
夕映えに人の渡らぬ橋ありて人の渡らぬ川に架かれり

 昨日は結社の歌会だった。
歌会が終わってから話をしていたのだが、
そのとき仲間の一人から、
「関野さんの歌は、助詞や助動詞の使い方でなんとなく、
ああ、これは関野さんの歌だろうなと分かります」
と言われた。
うーん...。
どう受け取るべきか、しばし考えた。
あるいはパターン化してしまっているのだろうか...。
その辺を言った当人に聞いてみたが、
当人も首を傾げるのである。
もし、パターン化しているとしたら、
たいして歌歴も長くないのに、もう同じスタイルでしか
作れなくなっているのかもしれない。
このパターン化については、その日の歌会に出された他の人の
歌に感じていたもので、その辺はまたこのブログに書いてみたい。
Date: 2006/10/02(月)


四十肩
 肩を痛めた。
車の運転席から後部座席に置いてあったものを取ろうとした瞬間、
強烈な痛みが走った。
医者に行くと四十肩だという。
手を後ろ方向に伸ばしたりすることがキッカケになる事が多いそうだ。
比較的軽症だということで、湿布だけでそのうち治るだろうと言われたが、
クライミングもアーチェリーも肩を使うので、いささか気になる。
そう言えば以前にも肩を痛めたことがある。
そのときは五十肩だと言われた。
ぎりぎりまだ三十代だったので、さすがにショックだった。
今回は四十肩。
年相応ということか(^^;
四十肩と五十肩は症状が違うのだろうか?
ま、どちらでもいいのだが、あまりカッコのいいものではない。
Date: 2006/09/28(木)


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