*--Diary--*


誕生日  2012/10/18(木)
南カドナミ沢  2012/10/15(月)
横浜歌会  2012/10/12(金)
ネパールスタイル  2012/10/10(水)
東京平日歌会  2012/10/09(火)
お伽草紙  2012/10/05(金)
ヒューマンシネマフェスティバル2012  2012/10/01(月)
湘南歌会  2012/09/28(金)
英勝寺・寿福寺&仲の坂  2012/09/27(木)
マナスル  2012/09/25(火)


誕生日
今日は、さくらの誕生日。
ゴールデンレトリーバー、4才。
初めてうちに来た日、不安そうにしていたので抱き上げてやると、
脇の下に顔を入れてじっとしていたが、
今は抱き上げるなんてとても出来ない。なにしろ30kある。
ちょっとダイエットした方がいいので、
ここしばらくダイエット用の餌を食べさせているのだが、
どうもそれがあまり美味くないらしく、
時々、餌をやってもそっぽを向いて外に行ってしまう。
しかし、その甲斐あってか、気持ち痩せた気はする。26kぐらいがベストかな?
避妊をしていないので、半年に一度、生理がくる。
犬の4才は人間ならお年頃なのだが、
ゴールデンレトリーバーは一度に7〜8頭の子供を産む。
引き取ってくれる目当てがあれば考えてもいいが、
7〜8頭の引き取り先を探すのは半端ではない。
ならば避妊させた方が病気にかかりにくくなり長生きするらしいのだが、
人間の都合で避妊したり去勢したりすることがどうも嫌で、そのままにしている。
いずれ歳をとったら大変だなと思う。
人間と同じで犬もボケたり歩けなくなったりする。
そのとき30kの犬をどうやって病院に連れていけばいいのか?
近ごろ小型犬がブームなのもよく分かる。
ま、歳とったら歳とったでそのとき考えるしかない。
犬を飼う前は、たかがペットと思っていた。
犬を飼ってみて、ペットは家族の一員ということがよく分かった。
家族の一員が歳とったら面倒みてやるしかあるまい。
さくらが私のもとにいるのはゴールデンレトリーバーの平均年齢からすると、
あと8年くらいなのだろうか。
人と犬の時間は違う。
さくらの時間は私より早く流れる。
当人はそんなことどこ吹く風で、
涼しくなったこの頃は大抵、庭のどこかでひっくりかえって寝ている。
今日は雨が降っているので外に出られず、家のなかでつまらなそうにしているだろう。
帰りにペットショップに立ち寄って、
誕生日のケーキでも買っていってやろうと思っている。
Date: 2012/10/18(木)


南カドナミ沢
南カドナミ沢は、関越トンネルを越え新潟に入ったところで車窓の右側に見える尾根に
食い込んでいる谷である。
隣に北カドナミ沢がありさらに隣に荒沢がある。
上越線の土樽駅から魚野川を挟んでちょうど向かいにあり、
アプローチのいい谷だ。なにしろ沢の出合まで車で入れる。
久し振りに山岳会の仲間と上越の沢登りに出かけた。
前夜に仕事関係の懇親会があって、いささか寝不足&二日酔いだったが、
家の近くの駅まで車で来てもらい東名、環八、関越道と走り継ぐ。
湯沢で降りて土樽方向に戻り、林道に入って南カドナミ沢の出合に着いたのが9時40分。
ま、それほど大きくない沢なので、この時間から登り始めても問題はなし。
沢の入り口に炭焼き体験できますという看板があり、
行ってみとる小屋がある。そのさきに炭焼きの窯もあるのだが、
どうも昔からの炭焼きというより、趣味でやっている炭焼きのようだ、
その窯のわきを尾根を登ってゆく踏み跡がある。
たぶんこれがカドナミ尾根の踏み跡で、今日は沢を登って、この尾根を降りてくる予定。
ここから沢の方に藪をくぐるようにして入り、しばらく木のかぶさった沢筋を登る。
そのうち小滝やナメがあらわれ、両岸からのうるさい藪もなくなって沢登りらしくなる。
割りと小さな滝が多く、一番大きな滝で4段15mなので、
技術的にはたいしたことはない。
ゴルジュ状になったところもあってなかなか面白い。
すたすたと高度をあげて奥の四つ股に登り始めてから1時間半で着いてしまう。
この上にはスラブ状の岩場があり、ルートは一番左の沢沿いに登るはず。
景色のいいところなので、ここで昼食。向こうを見ると谷川連峰北面の尾根と谷が
広がっている。日差しを受けて白く光って見えるのは西ゼンのスラブである。あそこは
三回ぐらい登っている。隣の東ゼンも豪快で面白い谷だ。
あの辺の稜線も雪の時期に何度も歩いていて、見ていて懐かしくなる。
眼前にあるのは若い頃に歩いた谷と尾根である。
久し振りにホームグランドに帰ってきた気分。
休憩ののち稜線に向かって登り始めたが、ここからがくせ者だった。
細く続いている沢を登り、最後は根曲がり竹の藪を漕いで稜線を目指すのだが、
傾斜がきつく、根曲がり竹を鷲掴みにして体を持ち上げても足が竹で滑ってしまい、
登りづらくて閉口した。四つ股までは随分早く登ったので、簡単に稜線に出られると
思ったのだが、かなり時間がかかり、
結局、ルート図通り、出合から稜線まで四時間かかった。
蓬峠から荒沢岳に続くこの稜線は以前にも歩いたことがあるが、
えっ!と思うぐらい細いところもある稜線で、登り着いたのもかなり細いところだった。
うっかりしていると反対側に落ちそうな岩の稜線に腰かけてしばし景色を眺める。
足もとには関越道と土樽の駅が見える。
今年は紅葉が遅いのだろう、稜線まで登ってようやく少しだけ紅葉が見えた。
下山はカドナミ尾根。登山道はない。
この辺の沢を登る人間が下山路に利用してそのかすかな踏み跡がついているだけ。
分かりにくい踏み跡を探し、かなり急なカドナミ尾根を下る。
途中、踏み跡を見失いかけだが、
尾根の伸びている方向さえ見誤らなければ踏み跡をまた見つけることが出来る。
下の方に行くと地元の人が山菜やキノコを採りに入るのだろう、
踏み跡もしっかりしてきて、
一時間半ほどで例の炭焼き小屋のところに出た。
久しぶりの上越の沢登り、小さな谷だったが充分楽しめた。
やはりたまにはこういう少々ワイルドなことをしていないと体がなまる。
越後湯沢で温泉に入り汗を流し、
土産の笹団子と今夜の酒に久保田の萬寿を買って帰った。
Date: 2012/10/15(月)


横浜歌会
先週の日曜は横浜歌会。気になった歌。
例によって発表前なので出せないが、
憎しみを持ち続けるなど出来ないので雨が降る夜に・・・、
というような歌意の歌。
一読して「など」が気になった。
例えば、憎しみを持ち続けることは出来ないので、というような表現ならばどうだろう?
その場合、上句の表出は個人に回収され、作者の思いとして素直に受け取れる。
この部分を「など」としてしまうと、微妙に変わる気がする。
「など」にした場合、憎しみを持ち続けるという行為を一般化してしまう感じがする。
なんらかの具体的な憎しみを抱きながら、それを越えようとする作中主体というより、
憎しみを持ち続けるということに概念的な抵抗感を抱いている作中主体、
そちらの方に振れてしまう気がするのである。
それに、妙に「など」が強い。
妙に強いので、そこに作者の思いがこもっていそうなのだが、
この強さが、あるいは御仕着せ的で、これも概念的な方向に歌を引っ張るかもしれない。
ちなみにこの歌を選歌したのはふたりで、
ふたりとも素直に上句を個人に回収して読んでいた。
その批評を聞きながら思った。
「人は現実のすべてを見ているわけではない、大抵の人は見たいと欲するものしか見ない」
そういう言葉があるが、
これは歌にも当てはまるのかもしれないと。
つまり、「人は必ずしも歌を読んでいるのではない、読みたいと欲するように読んでいる」
この歌を読んだとき、
この歌の上句の表出を個人に回収して読むのが、一番この歌を良い歌として
鑑賞できる読みである。
選歌したふたりはそう読んだ。
しかし、あくまでも歌を読んでいれば、
その表現のなかに個人への回収を阻害してしまうものがあることに気が付くはずである。
それに気が付かないのは、
具体的な憎しみを抱きながら、それを越えようとする作中主体、
そういうふうにこの歌を読みたいからであり、
その「読みたい」というところから批評がスタートしてしまっているからであろう。
必ずしもそういう読みを否定はしない。
この歌はこう読んだ方がいい、あるいは、この人のこの歌はこう読みたい。
そういうものはあってしかるべきなのだが、
歌会は歌の読みを訓練する場である。
歌の読みを訓練し、それを通して作歌の力を高める場である。
そうである以上、歌会では、
出された歌についてその表現のままに歌を読まなければならない。
読みたいと欲するように読んでいては、表現の問題に配るべき目が曇る。
選歌したふたりの批評を聞きながらそんなことを思ったのだった。
もっともこれはなかなか難しいことなのかもしれない。
歌をそのまま読むのではなく、読みたいと欲するように読んでしまう。
その歌への好感があればなおさらそういう方向で読みそうな気がして、
表現の問題に気づかなくなってしまうことは結構ありそうである。
ちなみに、その日の歌会に出した私の歌などは、
表現が大掴みだとか類型的だとかいう批評があってしかるべきものだったのだが、
初句から結句まですべて抽象の歌だという批評で、
首を傾げて聞いていたのだが結局分からなかった。
あの歌、すべて具象・実景の歌なんだが...(^^;
読みたいと欲する方向で読んでしまうとその歌の本来の問題に気がつかないのである。
Date: 2012/10/12(金)


ネパールスタイル
三連休の一日、射場に行ってみるとどこの国の言葉か外国語で賑わしい。
聞くと、ネパール人の団体がビジターで来ているらしく、
初心者用の弓で射っているのだが、
10数人いて、誰かが当たると仲間同士で歓声をあげたりして随分楽しそうである。
全員男性で東京で働いているらしい。
一番長い人でもう10年以上日本にいるとのことで日本語も割と達者である。
働いているところはそれぞれ違うらしいが、
同じ村と近在の村の仲間達なんだそうで、
おそらく久し振りに国の仲間と会ってはしゃいでいるのだろう。
昼飯は射場でまとめてガストに注文したが、
500円以下のものにしてくれと言っていたそうで、
たぶん、稼ぎの大部分を国の家族に仕送りし、自分達は倹約した生活をしているのだろう。
貸し弓の矢をなくしたり壊したら一本1000円のペナルティーだと聞いたら、
「センエン、センエン」と随分気にしていたらしく、
途中何度か全員で的を外れた矢を探していた。
ネパールでも弓は盛んらしく、100人くらい集まっての大会もあるとか言っていたが、
見ていると射ち方がちょっと変わっている。
ネパールスタイルとでもいおうか、
弓の引き手の肘がアーチェリーの場合と違って、ぐっと下がる。
そして、射つ時に押し手で弓を押し出す。
アーチェリーは的に対して横を向いて立つが、
それより少し的の方を向いて立つ感じなので、
なにかこう、密林のなかで獲物に近づいて弓を射るような、
そんなイメージの射ち方である。
ネパールはヒマラヤだけでなく熱帯のジャングルも広がっているので、
そういうところでの狩猟の伝統を受け継いだ射ち方なのかもしれない。
試しに真似をして射ってみたが、引き手の肘をさげるので、
そのまま射つと普通に射つより上に飛んでしまう。
射つとき押し手をやや下に押し出すようにしてその辺を調整しているのだろうが、
始めてではその辺の塩梅が難しい。
それでも国でそうやって弓を射ている人達なので、
コースを回ってみると、変わった射ち方なのだがそれなりの点を出していた。
それにしても遠い異国に来て、家族のために働いている。
背負っているものは多いはずで、立派なものである。
こういう人達が沢山この国に入ってくればいいのだ。
これから日本は高齢化し人口が減り働き手が減る。
当然スペースが空くのだから、空いたスペースに海外からどんどん人が入ってくればいい。
20世紀は難民の世紀だったが、それは21世紀になっても変わらない。
アジア、中南米、アフリカ、各地からの移民や難民をどんどん受け入れればいい。
実際、かってこの列島は難民達のフロンティアだった。
高句麗や渤海が滅びたとき、海を渡って多くの難民がこの国にやってきた。
百済が滅び、新羅が滅び、その度に多くの難民が海峡を渡ってきた。
秦の時代、徐福は3000人の子供達を連れてこの列島に渡ってきた。
彼等もつまり、秦による統一直後の混乱を逃れてきた難民であろう。
日本は単一民族の国というのは、この国の成り立ちを理解していない者の言である。
現在の日本人を構成したのは、そういう多様な人々だった。
かってこの列島は難民達の希望の土地だったのだ。
現代も安心と希望を求める難民や移民は世界中にいる。
高齢化し人口の減る日本に難民や移民を受け入れる。
そして彼等に教育の機会を与える。
この国の未来を担う人材が、
あるいはそういう難民や移民の次の世代から現れるかもしれない。
ネパール人達の明るい声を聞きながらそんなことを思ったのだった。
Date: 2012/10/10(水)


東京平日歌会
東京平日歌会、気になった歌。
例によって発表前なのでここには出せないが、
夜中、フラダンスをひとりで踊っている、掻き込むように手を動かして、
というような歌意の歌。
下句の「掻き込むように」というあたりに作者の表現があるわけだが、
ひとつ気になったのは、踊っているのは作者自身なんだよね? 違うのかな?
というところ。
短歌の基本として、主体について特に示されていない場合は「吾」が主体として読む。
従って、この歌も「吾」が踊っていると読むのが普通。
ただ、一首を読んだとき、対象をかなり客観視している印象があった。
この歌の眼目である下句の、掻き込むように手を動かしてというあたりに、
そういう客観的な視線を感じるのである。
その客観的な視線のゆえに、
ひょっとして、誰か他の人が踊っているのを見てる? そういう歌?
というかすかな疑問を抱いてしまった。
カルチャーセンターのようなところで、フラダンスの練習をしている人を見ている、
ひょっとしたらそういう歌?と。
私のそういう疑問に、
「窓か鏡に映っている自分を見ているのではないか?」
というコメント。
なるほど、そういう情景を思い浮かべると、
かなり対象を客観視した印象も説明がつくわけで、
あくまでも主体は「吾」ということで読める。
確かに、鏡に映った吾というのは私自身詠ったことがあるが、
なにか自分ではない何者かを見るように詠うことが出来るものである。
しかし、そうやって考えると、
この歌って少し中途半端なのかな...。
そこまで吾を他者のごとく捉えているわけでもなさそうで、
作歌の過程で、自分の踊る姿も客観視してしまう歌詠みの性がはしなくも出てしまった、
そういう歌であるような気もしてくる...。
窓や鏡に映っているのなら、むしろそれをどこかで感じさせた方が歌が生きて
くるのではないだろうか...。
うーん、どうなんだろ。
ちなみにこの歌は選者の栗木さんの歌であった。
Date: 2012/10/09(火)


お伽草紙
毎月第一水曜の東京平日歌会、歌会は午後からなので午前中に
サントリー美術館へ行ってきた。今、「お伽草紙」の展示会をやっている↓
                              http://www.suntory.co.jp/sma/
六本木はあまり行ったことがないので、おのぼりさんのようにミッドタウンで
キョロキョロする。サントリー美術館の表示をようやく見つけてそちらへ。
展示は酒呑童子絵巻、長谷雄草紙、百鬼夜行絵巻など室町時代から江戸時代にかけての
お伽草紙。
平安時代まで物語は貴族のものだったわけだが、
室町以降、経済力の向上とともに庶民の間に物語が流行り、
言うならば短編小説のようにお伽草紙が愛読された。
それらの展示である。
最初に目を引いたのは酒呑童子絵巻。
大江山の酒呑童子の物語が鮮やかな色で構成されていて、なかなか見応えがある。
源頼光の一行が大江山に赴き、酒呑童子と配下の鬼達に酒を飲ませて酔って寝ている
鬼達を退治して、捕えられていた姫達を助けるという物語。
長谷雄草紙や浦島太郎の絵巻も絵を追っていくとなかなか面白い。
ただ、大抵の絵巻物は絵だけでなく物語が書かれているわけだが、
それが達筆というのかなんというのか、早い話、まるで読めない。
ひらがなが多いので草書を知っていれば読めそうな気もするのだが、
縦書きで書かれている絵巻物のすらすら流れるようなひらがなは、
それを横にしてアラビア文字だと言われたら、そう見えそうである。
昔の庶民はこんな難しい字を読んだのかと感心してしまった。
何度か読もうと試みたのだが無駄だった(^^;
下ネタ的なお伽草紙もあり、お伽草紙が庶民のものであったことがよく分かる。
百鬼夜行絵巻などは百鬼が夜行する絵だけで構成されていて、
基本的には付喪神なのだが、こういう化け物を考える発想が面白い。
童話もそうだが、お伽草紙も背景に意外と深いものがあったりして、
そういうものを知った上で鑑賞すると、また面白さが変わるかもしれない。
酒呑童子の物語にしても、ヤマトの王権に征服された人々、抑圧された人々の声が
伝承成立の背景にあるはずである。古来、まつろわぬ人々は鬼とされたのである。
酒呑童子は礼節を持って源頼光の一行を遇している。
それに対し、ヤマトの王権の具現である頼光らのとったのは酔わせて寝込みを襲う、
いわば騙し討ちである。
首を斬られたとき酒呑童子は叫ぶ、「鬼に横道なし」。
鬼はよこしまなことをしない、そう叫んで酒呑童子は死ぬ。
酒呑童子の叫びは、征服され抑圧された者の叫びである。
そういう理解があるのとないのとでは、こういう絵巻物の鑑賞も違ってくるだろう。
以前、酒呑童子を詠んだ歌を結社誌に出したことがある。

  生きて負う悲しみなれば諾わず酒呑童子を鬼と呼ぶこと

この歌も背景に目がいく読者でなければ読めない。
背景に目がいく鑑賞者なら、酒呑童子絵巻から酒呑童子と鬼達の悲しみに思いを
馳せることも出来るはずである。
なかなか面白い展示で時間がすぐに立ってしまった。
最後にミュージーアムショップで絵巻物の本を買って美術館を出、
また分かりにくいミッドタウンを日比谷線の六本木駅を探して歩く。
銀座で丸ノ内線に乗り換え東京へ。改装なった東京駅をしばし眺めて歌会へ向かった。
Date: 2012/10/05(金)


ヒューマンシネマフェスティバル2012
国連難民高等弁務官事務所の外郭団体、国連UNHCR協会から、
今年のヒューマンシネマフェスティバルの案内が来ました。
世界には多くの難民がいます。
故郷を追われ、家もなく荒野をさまよう女性や子供達がいます。
彼等のことを少しでも知ってもらうために、
難民をテーマに扱っている映画の紹介をするのがヒューマンシネマフェスティバル。
興味のある方は以下のURLへ↓
    http://humancinemafestival.org/

また、国連UNHCR協会について知りたい方は以下へどうぞ↓
http://www.japanforunhcr.org/index2.html?utm_expid=3811140-4&utm_referrer=http%3A%2F%2Fhumancinemafestival.org%2Fmailnews%2Fmn20121001.html
Date: 2012/10/01(月)


湘南歌会
湘南歌会、気になった歌。
例によって発表前なのでここには出せないが、
稲のうえをトンボが光りながら渦まいている、というような歌意の歌。
一読して違和感があった。
トンボが渦巻くように飛ぶだろうか? そう思った。
アキアカネなどは夏が終わると山から里に降りてくる。
夕空に群れをなして同じ方向を向いて飛んでいる赤とんぼが大抵それである。
ただ、それは同じ方向を向いて飛んでいるわけで渦巻いているわけではない。
トンボは肉食昆虫なので、里に降りてきたアキアカネは集団で田圃や野原の上を飛び
回って小さな虫を獲っていたりする。個々のトンボが狩りをしているわけだからこの
場合は文字通りテンデバラバラに飛んでいる。
「渦まいて」という表現からは、
それなりの数のトンボが群れをなして同じ方向を向いてぐるぐる回りながら飛んでいる、
そういうイメージが浮かぶと思うのだが、
記憶を辿っても渦巻いて飛んでいるトンボを見たことがない。
表現にリアリティーがないという批評になるわけだが、
歌会のあとで作者に聞いてみたら、
赤とんぼではなかったが、確かに渦を巻いて飛んでいたという。
うーん、渦を巻いて飛ぶトンボがいるのか...。
考えられるのは交尾のために雌を複数の雄が追いかけて飛んでいた。
そういう集団がたまたま同じ方向に飛んでいれば、渦まいてという感じになるかな...。
ネットで調べてみると、
チョウトンボなどは池や田圃のうえをかなりの群れを作って飛ぶらしい。
「光りながら」という表現は翅が光っているのであろう、そうすると、ウスバキトンボか? 
あれも確かに群れをなす。でも、渦巻くのだろうか?
ま、トンボの種類はどうあれ、
渦まいているトンボを思い浮かべることがどうしても出来なかった。
数か月前、花山多佳子さんが選者派遣で湘南に来たとき、花山さんの歌は、
吹き降りの日に鳥の声が・・・というような歌で、
「吹き降り」という風が強く吹き雨が激しく降っているような時に鳥は鳴かない、
リアリティーがないという批評になった。
しかし、歌会のあとで花山さんは、確かに鳥が鳴いていたと言っていた。
結局、読者は自分の経験に縛られる。
あるいは激しい雨のなかで鳴いていた鳥はいたのかもしれず、
渦をまいて飛んでいるトンボもいたのかもしれない。
で、読者がおのれの経験に縛られるのは仕方ないとして、
問題は表現のリアリティーだろう。
そしてそれは、事実かどうかとはまた別の問題である。
「渦まいて」飛んでいるという表現からどういうものを思い浮かべるかと言えば、
例えば、夕空をひとつの生き物のように渦を巻きながら飛んでいる椋鳥の群れ、
そんなイメージ。
多少のトンボが同じ方向にぐるぐる回りながら飛んでいるというのは、
私のイメージのなかでは「渦まいて」ではない。
「渦まいて」という表現は、渦を巻いているものの密度がもう少し濃い気がするのだ。
その辺で言葉が強すぎるということだろうか。
花山さんの歌もやはり「吹き降り」が強すぎて鳥の声が聞こえてくるのを邪魔していると
私は思った。
そんなふうに思うわけだが、
しかし、人はおのれの経験に縛られるのである。
あるいは、渦を巻いて飛ぶトンボの群れがあるのかもしれないわけで、
そんなふうに考えていると、人知れず熱帯のジャングルのなかでまるでひとつの生き物のように渦巻いて飛んでいるトンボがいてもおかしくない気もしてくる。
うーん...。
世界は広いからな...(^^;
表現のリアリティーの問題とはまた別に、
歌を詠む者は見聞も広げなければならぬということか...。
Date: 2012/09/28(金)


英勝寺・寿福寺&仲の坂
毎月第4日曜は湘南歌会。そのついでに午前中は鎌倉を歩いたりするのだが、
今回は彼岸花を見に英勝寺に行ってきた。
英勝時は鎌倉の扇が谷にある。
扇が谷といえば扇が谷上杉氏が居を構えたところで、
その家臣であった太田道灌の屋敷跡が英勝寺である。
なんでも道灌の子孫で徳川家康の側室だったお勝の方が、
家康の死後、落飾して英勝院となり、先祖である道灌の屋敷跡に寺を建て、
そこに住んだのだそうだ。
鎌倉駅の西口に出てその先の交差点を右へ、その道が今小路。
鎌倉の東口はいつも観光客が一杯だが、西口は少ない。
こちらの方で観光スポットといえば銭洗い弁天と源氏山くらいか。
大抵の観光客は東口に行くのである。
あいにく雨が降っている。
傘を差して人通りの少ない今小路を歩く。
道がJRの線と並行するようになってしばらく行った左が英勝寺。
小さな入口を潜るようにして入る。
寺自体、小さな寺で、なんというか、狭い敷地に細い道をくねくねと這わせて
土地を最大限有効に使っているような印象。
奥の木戸に栗鼠がいて、こちらの様子を窺っていた。
彼岸花が綺麗だというので来てみたのだが、ほんの少ししか咲いていない。
今年は暑い日が続いたせいか、彼岸花が咲くのが遅い気がする。
というか、小さな寺なので満開になってもそう見栄えがしそうな気もしないが...。
それでも鐘楼のあたりに多少咲いていた彼岸花はなかなか綺麗。
10月に入ればもっと沢山咲くのかもしれない。
ひとつだけ白い彼岸花があった。
私のほかには若い女性の二人連れが二組。
こんなマイナーな寺に来るのは今はやりの歴女というやつか。
外に出て、隣の寿福寺に立ち寄ってみる。
こちらはこの時期に綺麗な花が咲いているとか、そういう話は聞かないが、
英勝寺より大きな寺で奥に伸びる参道は落ち着いた雰囲気がある。
ただ、本堂などは公開しておらず、あまり観光客向けの寺ではない。
ちなみに寿福寺には源実朝と北条政子の墓がある。
人の墓を見る趣味はないのだが時間があるので行ってみた。
寺の奥の墓域にやぐらがあり、そこに実朝と政子の墓があった。
土の崖を穿ち供養塔が置かれている。
暗い少し湿った感じのいかにも鎌倉時代のやぐらという感じの墓である。
いずれも質素。権力者の墓という感じはまるでしない。
実朝と政子に限らず、鎌倉時代の武家の墓はみな質素である。
ふたりの墓は7〜8m離れているだろうか、微妙な距離。
北条政子は情愛の激しい女性であったようだが、子供に対してはどうだったのだろう?
長男の頼家の失脚について政子は関わっているようだが、
情愛よりも政治的判断を優先できる女性だったのだろうか?
政子は自分の子や孫が次々と非業の死を遂げるのを見なければならなかった。
どういう女性だったのか、暗いやぐらを見ながらそんなことを思いつつ、
墓に手を合わせ引き返す。
銭洗い弁天の方に行こうと思えば行けるのだが、
雨が降っているので歌会前の道草はこの辺にして、
少し早いが昼飯を食って歌会に行くことにする。
鎌倉駅に戻ってくると、駅前の道に「仲の坂」という看板が出ているのに気が付いた。
和食の店であるらしい。
看板だけ道に出ていて奥の方に細い砂利道が続いている。ここを入れということか?
試しに入ってみると確かに奥に店があった。
入るとカウンターがあり奥の方は座敷のようになっているらしい。
伝統的な和食屋という感じ。
「おひとり様ですか? カウンターへどうぞ」と言われて座る。
メニューを見ると、平政やまぐろ、さんまなどの定食がある。
刺身とフライを選べるらしい、とりあえず、さんまの刺身定食とビールを注文。
よく冷えたビールを飲みながら壁を見ると、
大きな魚を釣り上げている写真や魚拓が飾られている。ここの主人か?
静かな音楽が流れている。
ちょうどビールを飲み終わったところで、さんまの刺身定食がきた。
山葵ではなく生姜で食べる。なかなか美味しい。
普段は山葵で食べているのだが生姜で食べるのも悪くない。
大根の煮物と漬け物がついているがどちらも程よい味。味噌汁も美味い。
定食屋などで、あまり美味しくないコメを使っていると、
おかずがいくら美味しくても、なんだという気になってしまうものだが、御飯もまあまあ。
ぱくぱく食べていたら常連らしい老人が入ってきてメニューを見ないで注文している。
駅前の道から細い砂利道を入ったところにある店なので、あまり観光客は来ない店で、
地元の人が通う店なのかもしれぬ。
うん、うまかった。たまにはこういうクラシックな和食屋もいい。
新鮮な魚とかが食べられそうでいい店を見つけた。
食べ終わって勘定をして出る。
外は相変わらず雨。江ノ電に乗って藤沢に向かう。
Date: 2012/09/27(木)


マナスル
ヒマラヤのマナスルで大規模な雪崩がありかなりの遭難者が出た。
最初、ネットニュースで知ったとき、えっ! と思った。
確か、山岳会の後輩がマナスルに行っている。
山岳会のMLで、あいつマナスルに行ってるんだよな? 帰国予定は10月らしいとか
話していたらその夜、当の本人からメールが来た。
なんでも23日の未明、C4の直下から大規模な雪崩が起こり、
C3は全滅。彼のいたC2にも爆風が来たが人的被害はなかったという。
ともかく無事が確認できてホッとした。
それにしてもヒマラヤの8000m峰にいる人間とメールで話が出来てしまう。
つくづく文明だなと思った。
彼は高校生のときに会に入ってきた、その頃は細い体をしていたが、
どんどんたくましくなって、今では山岳ガイドをしている。
10代の頃から知っている若者が活躍するのを見るのは嬉しい。
マナスルの遭難はまだ全容は明らかでないらしい。
現場は6100mから6600mぐらいのところで、
サッカー場数面ぐらいの大きさの氷塊が氷河から落ちてきたのが雪崩の原因だそうだ。
それだけ巨大な氷塊が崩れてくるのは、
温暖化でヒマラヤの氷河が緩んできているのだろうか。
一番新しいニュースで、12人が死亡、13人が負傷となっているが、
他にも行方不明者がいるらしい。
Date: 2012/09/25(火)


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