*--Diary--*


代表権  2012/09/24(月)
上高地その2  2012/09/19(水)
上高地  2012/09/18(火)
会議  2012/09/13(木)
東京平日歌会  2012/09/10(月)
「真珠の耳飾りの少女」続き&ダクシン  2012/09/07(金)
ふたつのフェルメール  2012/09/06(木)
花火  2012/08/30(木)
学歴  2012/08/28(火)
おみたまプリン  2012/08/23(木)


代表権
「社長が成年後見の被後見人になったのなら今は誰が会社を代表しているんですか?」
「はい、社長さんの登記はそのままですから」
「登記そのままでも取締役欠格じゃないですか、会社を代表できませんよ。
今、会社を代表している人の委任状を持ってきてください」
「はぁ....」
以前、関与していた会社について弁護士事務所から電話。
社長に認知症の症状が出、それに伴う社内の権力争いがあり数年前に関与を打ち切った。
その後、社長は成年後見がスタートし、権力争いの結果、会社はぼろぼろになったらしい
のだが、私のあとを引き受けた税理士が意味不明な申告をしていたらしい。
ま、権力争いで会社をぼろぼろにした御仁が連れてきた税理士で、早い話、
その御仁に都合のいいように仕事をしてくれる税理士だったらしいのだが、
話を聞くかぎり、かなり質の低い税理士。
で、成年後見人となった弁護士としては、被後見人の財産保全との関係もあるので、
会社の内容について調べたいらしく、私が以前関与していたときのデータを見せて欲しい
とのこと。それ自体はどうでもいいことなのだが、
税理士には守秘義務がある。
業務上知り得た秘密は一切他に漏らすことは出来ない。
会社のデータなので、その会社からの依頼があれば見せることはできる。
で、その会社を代表しているのは誰だ?という話。
登記はそのままですからなんてよく言ったよな(^^;
こっちが、それぐらいの法律知らないと思ったのかね?
現在、会社を代表している人からの委任状がそう簡単にとれそうにないので、
登記はそのままですからとすっとぼけたこと言って、
税理士が気か付かないでデータ出してくれればそれでいいと思ったかな?
あとでトラブルになったとき、誰が会社のデータを勝手に出したんだと言われたら、
その弁護士さん、どうする気だったんだろ?
税理士が勝手に出したので当方は関知しませんとでも言うつもりだったのかな?(^^;;
なめるんじゃないよないよ、まったく。
税理士が法律も知らずに仕事しているとでも思ってるのかね?
ま、委任状持ってきてください。
書いてもらうの大変だと思うけど(^^;;;
Date: 2012/09/24(月)


上高地その2
今日の宿泊は上高地アルペンホテル。
テントを持ってきて小梨平でキャンプしても良かったのだが、
たまには上高地のホテルに泊まってみようと思った。
若い頃、上高地に来ても穂高の岩を登ったりするには横尾や涸沢のあたりにテントを
張った方がいいわけで、上高地は通過するところで泊まるところではなかった。
だから上高地のホテルには一度も泊まったことがない。
帝国ホテルや河童橋のたもとの五千尺ホテルが有名だが、
どちらも高いし、そもそもひとりでは泊まれない。
で、今回泊まる上高地アルペンホテルは安曇村村営のホテルで(今は合併で市営か?)、
通常の部屋とは別に登山者のためのハイカーズルームというのがある。
早い話、相部屋。一部屋に二段ベッドがふたつあって4人泊まれるようになっている。
もともと上高地は登山者の世界だったわけで、他の観光地と違い、
こういう登山者向けの相部屋を用意しているホテルが幾つかある。
五千尺ホテルとは反対側、河童橋を渡り少しいったところに上高地アルペンホテルがある。
木々に囲まれて静かなところ。ロビーに入ると中央に大きな暖炉の煙突がある。
確か、帝国ホテルにもあるがそれと同じようなもの。
チェックインをすませ、ふとロビーの窓の外を見たら猿の親子が庭を歩いていった。
今年生まれたのであろう子ザルが母ザルの背中につかまり、母ザルの後ろを去年生まれた
子ザルだろうか、少し大きめの子ザルがついていった。ほほえましい。
部屋に行ってみると先客がいた。東京から来た単独行の登山者、同じくらいの年頃。
挨拶をしてとりあえず風呂に入りにゆく。展望風呂となっていたが確かに穂高が見える。
ビールとつまみを買って部屋に戻り、先程の先客と一杯飲みながら話をする。
聞いてみたらすごかった。遅い夏休みと連休をつなげて8泊9日で上高地に来ているのだ
そうだ。明日は西穂に登り、明後日は降りてきて明神に泊まり、そのあと横尾に行ってと
9日間の計画を聞いた。最後の日はまたこのホテルに泊まって風呂に入って帰るのだそう
だ。なんともうらやましいバカンスである。
食事は飛騨牛が出たりしてまずまずの内容、日本酒も美味い。
食後、ロビーで新聞を読んでいたら、ジャズのコンサートが始まった。
この連休の間だけやるそうで、水割りのサービス付き。
上高地の夜、豊かな声で懐かしい曲を幾つか聞き、すっかりいい気分になって部屋に戻っ
て寝てしまった。相部屋だと他の人のいびきがうるさいということもあるわけだが、
もともと寝つきがいいところにもってきていい気分で酔っているので、
その辺は記憶にない。
翌朝、まだ早い時間に起きて河童橋に穂高を見にゆく。
昨日は頂上の稜線が雲に隠れていたが、今日は見事に見える。朝焼けの穂高。
ひさしぶりに見る美しい穂高である。
朝の早い登山者がいるので、6時くらいから何軒か店が開いている。
そのうちの一軒に入り、テラスに座ってのんびりコーヒーを飲む。
朝の木立ちが気持ちいい。なにか日本じゃないような気がしてくる。
朝食後、サンダルをつっかけ手拭をぶらさげて梓川の川べりをぶらぶら歩き、
ウェストン園地を抜けて上高地温泉ホテルに朝風呂に入りにゆく。
ここの温泉は朝7時から入れるのだが源泉かけ流しで気持ちのいい温泉である。
露天風呂に入って見上げると木々の緑と空の青が美しい。
風呂から戻りチェックアウトしてまだ時間は早いがバスターミナルに向かう。
行楽シーズンの休日の午後、上高地のバスターミナルは帰る観光客で長蛇の列になる。
若い頃、何度かこの帰りの長蛇の列にうんざりしているので、午前中に帰ってしまう。
昨日と今朝でもう充分楽しんだ。せっかくだからと午後までいると長蛇の列にはまる。
まだ早いので沢渡へのバス停には数人しかいなかった。
沢渡に着いたのは10時過ぎだったが、既にすごい状態。駐車場に入れない車が延々と
つながっている。この列は数キロ続いていた。たぶん、列の終わりの方の車が駐車場に
入れるのは今日の夕方である。上高地に慣れていない人はこういう時間に来るのだろうが、
行楽シーズンの休日はこういう時間に来たらダメ。子供連れだと子供が可哀そうである。
観光客がまだいない時間に来て、観光客がまだ帰らない時間に帰る。
上高地はそういう感じで来た方がいい。なにしろ日本一の山岳リゾートなのだ。
長蛇の列を尻目にすいすいと走って帰る。昨日今日と天気がいい。ひさしぶりの上高地、
充分楽しめた。
ちなみに今回泊まった上高地アルペンホテルはこちら↓ 感じのいいホテルである。
     http://www.kamikochi.or.jp/facilities/stay/kamikochi-alpen-hotel/
Date: 2012/09/19(水)


上高地
三連休のうち2日間で上高地に行ってきた。
最初は3日フルに使って槍ヶ岳にでも登ろうかと思ったのだが、
所要で2日間しか出かけられなくなったので、槍ヶ岳はやめて焼岳に登って上高地に
泊まることにした。槍ヶ岳も1泊2日で行こうと思えば行けなくはないが、
せっかく久し振りに上高地に入るならもっとゆっくり出来る山行をしたいと思った。
考えてみると上高地は20年ぶりくらいである。
若い頃、穂高の岩壁を登ったり、雪の稜線を歩きに入ったものだが、
だんだん足が遠ざかり気がつけば20年たっていた。
連休前日の金曜の夜に出て沢渡の駐車場に入ったのが日付の変わった0時10分。
さすがにこの時間に来れば沢渡の駐車場もまだガラガラだが、たぶん、夜が明ける頃には
一杯になる。車のなかで仮眠するのだが何気なく外を見たら凄い星だった。
天の川。都会では見られなくなって久しい星空である。
早朝5時前に目を覚ますと案の定、寝ている間に駐車場はもう一杯になっていた。
上高地行きのシャトルバスの始発が5時なので暗がりのなかで動き始めている人達が
沢山いる。支度をしてバス停へ、5時15分のバスに乗る。
この時間ならたいして待たないで乗れるのだが、それでも座席は満席。
これがもうあと数時間して一般の観光客が来るとどうにもならない混み方になる。
30分程で上高地、焼岳に登るのでバスターミナルの手前の帝国ホテル前で降りる。
降りたのは私だけだった。
バスが走り去ったあと、ザックを背に静かな森のなかの道を歩き出す。
朝の森の空気が気持ちいい。
右手の木々の向こうには木造の帝国ホテルがある。感じのいい建物である。
しばらく行った先で西穂への登山口を分け左に進み、林道から細い登山道に入る。
森のなかの静かな道を辿り、だんだん高度をあげたあたりで梓川の向こう側の霞沢岳の
うえに朝日が出てきた。暑い。さっきまで涼しかったのだが、日が差してきたら途端に
暑くなった。北アルプスの9月中旬はもう少し涼しかった気がするが、
今日が特別暑いのか、それともやはり温暖化しているのか?
途中、ふたりの登山者に会い軽く話を交わす。ひとりは女性の単独行でなかなか元気、
若いというのはやはりうらやましい。すたすた歩いていくその若い女性を見送り、
こちらはマイペースで登る。
人間、ある程度の年になったら自分のペースを崩さないことである。
焼岳小屋の手前で高さ10mほどの岩場に架けられた梯子を登る。
登山案内などでは難所と書いているものもあるが、傾斜がきついだけで、
しっかり梯子を登ってゆけばどうということはない。
焼岳小屋は静かな峠にたっている小さな山小屋。
休憩していたら中からギターが聞こえてきた。
頂上まであと1時間半くらい。
ここからは森林限界を越えるので見晴らしが良くなる。
尾根筋を登り、岩のごつごつした斜面を左に巻き気味に登ってゆくと稜線に出る。
反対側の中の湯から登ってくる道との合流点で、右の岩峰が焼岳の北峰。
硫黄で黄色くなった小さな穴から噴煙が噴き出している脇を登ってゆくと頂上に出る。
ある程度の広さがあるのだが、登山者が大勢いた。
頂上の端に座り、紅茶を飲みながら景色を眺める。
穂高は頂上付近が雲に隠れている。
正面には岐阜側の笠ガ岳がどっしりと聳えている。
その右側に見えるのは黒部五郎のあたりか?
南峰の方を見るとガスがのぼってきており、下の方に南峰と北峰の間の火口湖が見える。
南峰の方が標高が高いので焼岳2455mの本当の頂上は南峰なのだが、
崩落の危険があるということで現在は登山禁止になっていて北峰しか登れない。
しばらく休憩したのち下山。頂上付近ではガスが出ていたが、くだるとともにまた晴れて
きた。上高地周辺の山では焼岳は所要時間が少なくて登り易い山なので、
下からハイカーが次々と登ってくる。いわゆる山ガールも大勢いてカラフルである。
登ってきた道をすたすたと降りて上高地に下山。河童橋は観光客であふれていた。
まだ昼前なので、河童橋から岳沢湿原を経て明神池まで歩いて河童橋に戻る上高地の
一番ポピュラーなハイキングルートを散策する。いつ来てもやはり綺麗。2時間くらい。
さすがに朝から歩き通しなので最後は少し疲れて、今日の宿泊先に向かった。
ちなみに今回登った焼岳、登山案内の映像で見るとこんな感じ↓
http://www.japanesealps.net/north/yakedake/kamikouchi.html

Date: 2012/09/18(火)


会議
「私が考えていたのと違うようですので帰らせて頂きます」
・・・。
あ〜あ、帰っちゃった(^^;
支部の租税教室の打ち合わせ会議。
募集した講師担当者に集まってもらい打ち合わせをしたのだが、
現在、支部でおこなっている租税教室は、
税務署が租税教室を希望する学校を募集し、その一部を支部がやっているという感じ。
日本税理士会連合会が作成した税理士会独自の租税教室のブログラムもあり、
それを実施している支部も幾つかあるのだが、まだ少数派で、
大部分の支部は税務署が募集した学校で税務署のプログラムにのっとった租税教室を
しているというのが現状、うちの支部もそうである。
帰ってしまった御仁は税理士会主催の租税教室を期待していたのだが、
税務署のプログラムでやるのならお断りしますということ。
ま、気持ちは分かる。
税務署のプログラムは当然、国の立場からのもので、
授業で使用するDVDも、税金がなくなってしまったら大変なことになるという
感じでかなり誇張されている。
もっと、国民の権利・義務として税金を考える視点が必要なはずで、
税理士会のプログラムを使いたいという気持ちは充分分かる。
実は、会議前に彼からそういう話は聞いていたので担当部内で話をした。
それで部内でひと悶着あったのである。
「税理士会のプログラムを使いたいという人がいるなら、それでいいじゃないか・・・」
「いや、税務署との打ち合わせがあるから今回は・・・」
「打ち合わせってなんの話? どちらでもいいって国税は前から言ってるでしょ・・・」
そんなこんなの話し合いが内々であったのだが、
結局、決めるのは学校であり、
税理士会のプログラムでやるのなら、
学校への働きかけからして税務署頼みでなく支部で動かなければならない。
税務署が募集した学校は、事前に税務署のプログラムに目を通しているわけで、
税務署が我々にはどちらのプログラムでもいいですよと言っても、
学校の方は自然、目を通している方のプログラムでという話になる。
来年から支部には租税教室だけを担当する部が出来る。
今後、力を入れるらしいので、支部独自での動きがとれるようになるかもしれない。
帰ってしまった御仁にも、
とりあえず一度、租税教室の現場を経験してもらいたかった。
まず、現場を知るところから一歩を踏み出すのであり、
最初の一歩を踏み出さなければ物事は変わらないのである。
でも毅然として帰ってしまって止めるヒマもなかったから、
ま、しょうがないか...。
まとめる方はまとめる方でいろいろ気を使ってるんだけど(^^;;
Date: 2012/09/13(木)


東京平日歌会
東京平日歌会、今月は結社の根拠地のある京都の歌会から大森静桂さんが参加された。
一昨年の角川短歌賞を受賞したうら若き女子大生。
こんな若いうちから短歌をやっているのかとうらやましくなる。
自分など学生の頃はタンカなど縁もゆかりもない暮らしをしていた。
で、東京平日歌会はその日の席順にふたりずつ順番に詠草の批評をしていくのだが、
大森さんが批評の順番になった歌、例によって発表前なので出せないが、
凍ったペットボトルの膨らみの黙っているときには怒っている人、
というような歌意の歌。
大森さんは上句を序詞的なものとして読み、
下句に作者の言いたいことがあるというふうに評した。
ちなみに、もうひとりの評者は、上句と下句のつながりがよく分からないと言っていた。
で、それはいいとして、大森さんが読みを披露したとき、
会場から、おお〜そうなんだ!という感嘆の声が漏れ、拍手している人もいた。
えっ!? 
なんでそんなに感嘆するの?(^^;
勘違いされると困るのでハッキリ書くが、
角川短歌賞受賞者の大森さんの批評にケチをつけているのではない。
その歌は一読して三句切れで読む歌である。
大森さんは上句を序詞的なものとして内容を三句で切ってこの歌を読んでいるわけで、
いたって普通の読みである。
もうひとりの評者の、上と下のつながりが分からないという意見は、
その歌を三句切れとして読んでいないからである。
いたって普通の読みに感嘆の声があがったということは、
当たり前に三句切れで読む歌を三句切れで読めなかった人が大勢いたという
ことであろう(@@
ちなみに三句切れの歌というのは別に珍しいものでもなんでもない。
私も今回の詠草に近いものを以前、誌面に出したことがある。

 七輪の素焼きの肌の罅割れの・・・路地裏の昭和遠くなりにき

私の歌の場合、上句と下句を「・・・」でつないでいるので今回の歌より分かりやすい。
今回の歌はこの「・・・」がないパターン。
この種の三句切れの歌は読めて当たり前の歌である。
私はその歌については大森さんのように上句を序詞として読まず、実景として読んだ。
凍ったペットボトルを手にして、脈絡もなくある人のことを考えている。そんな歌として
読んだ。上句を序詞として読んでしまうと上と下が付きすぎという問題が発生してしまう。
実景として読んだ方がそういう問題が発生しない。むしろ下句がなにやら当たり前で、
そちらの方が問題ではないだろうか。
最近になって結社の女性選者三人そろい踏みになった東京平日歌会。
本来ならかなりのレベルの歌会になっていいはず。
実際、選者の方々はするどい批評を聞かせてくれるし、
良い批評をする何人かの人がいて、その人達が歌会を支えてくれている。
しかし、全体としてのレベルという話になると、どうなんだろ?
他の歌会に出ていて感じるのは東京平日歌会のおとなしさである。
出された歌について評価する側と評価しない側との論争がない。
私はこう思う、私はこう読みました、という応酬はあるのだが、
大抵の場合、感想の表明にとどまっていて、
歌の表現にもとづいて意見を戦わせるというものは少ない。
あるいは、座った席順で詠草を批評していくという遣り方に問題があるのか...。
自分の批評の順番が回ってくる歌を数えて、
その歌について卒のない批評をすることを考えている。
それはつまり、歌会で恥をかかないことを考えているのだ。
仕事でもそうだが、恥をかくのを怖れている限り力はつかないのではないか?
感嘆を受けて大森さんは内心思っただろう、「私、そんな凄い批評したかしら?」と。
恥をかかずに歌会をやることを考えてきて結局、大恥をかいたような、
そういう感嘆の声だった。
厳しいことを書くようだが、東京平日歌会にはいい歌会になってもらいたいと思っている。
角川短歌賞受賞者のフツーの批評に感嘆する前に、
なぜ自分には読めなかったのかを考えるべきである。
Date: 2012/09/10(月)


「真珠の耳飾りの少女」続き&ダクシン
昨日、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」について書いた。
「真珠の耳飾りの少女」と「真珠の首飾りの少女」、どちらも素晴らしい絵なのだが、
評価が高いのは「真珠の耳飾りの少女」である。
ただ私は、なにかしらひっかかる部分があるのだ。
もちろん、「真珠の耳飾りの少女」が素晴らしいな絵であることになんの異論もないのだが、
なにかしら、ひっかかる部分がある。
その辺を昨日書いたあとで、また考えてみた。
昨日、「真珠の耳飾りの少女」について、
短歌にたとえれば定型にはまった美しさ、技巧もはまり一般受けするような感じが
あるというようなことを書いたが、
考えてみると、「真珠の耳飾りの少女」は短歌に通じる表現なのだという気がしてきた。
青いターバンを巻いた少女がこちらを振り向いたその一瞬の切り取り。
黒の背景に少女の姿だけを浮き上がらせる余計なものの省略。
画面のなかで少女にだけ光が当たっているような焦点の絞り方。
これらはみな短歌の表現にそのままあてはまるものである。
「真珠の耳飾りの少女」はいたって短歌的表現の絵であって、
短歌をやっている自分のような人間にはある意味、慣れ親しんでいる表現である。
そして、その分、見えてしまうものがある気がする...。
以前、ある人から頂いた歌集を読んだとき、
上手い歌だが、歌の作り方を知って詠っている人だな、と思った。
なにやら妙な言い方をしているようだが、
つまり一冊の歌集を読んだとき、
こう詠ってきて、ここで飛ぶ、決して予定調和にならず離れすぎもせず、
そういう作歌の手法を身に着けて歌を作っているのがかすかに透けて見えるような...。
そういうものが見えてしまっても歌はだめだと思うのである。
上手いと思わせる歌がすべていい歌ということではない。
いい歌=上手い歌ではないのである。
「真珠の耳飾りの少女」には、なにかそれに似たものを感じるのだ。
あるいはモデルの少女が現実の少女ではなく、
理想化されたものである印象があることも関係しているのかもしれない。
あるいは手法がバッチリきまっている、ということが見えてしまうのが問題か。
完璧感のある絵なのだが、たとえばヴィーナスは完璧でないから美しい。
完璧感が出てしまうということも問題か。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を通して、
そんなふうに短歌に通じる表現の問題をつらつらと思ってみたのである。
もちろん、「真珠の耳飾りの少女」については、かすかにそういう感じがするという話で、
素晴らしい絵であるということに変わりはない。
そういう、「かすかな感じ」に興味がない向きにはどうでもいい話である(^^;
さて、昼飯。
上野には池之端藪があるが水曜は休み。それに蕎麦ばかり食っていても芸がないので、
今日はカレーでも食ってみようと思った。
歌会の会場の近くにはナマステカトマンズというネパール料理の店があるのだが、
以前、馬喰町の駅の近くを歩いていたらダクシンという南インド料理の店があった。
今日はそこに行ってみる。
JRで浅草橋に出て歌会の会場の方へ、途中から地下鉄の馬喰町の駅の方に行き、
その後ろの方にダクシンがある。
入ると昼食時だが割と空いてる。
この辺は昔からの問屋街なのでビジネスマンは多そうな気がするが...。
日本語のうまいインド人の店員の案内で二階へ、一階は喫煙可の席らしい。
二人掛けのテーブルと椅子が並んでいて、窓は黒いカーテンで日差しを避けている。
メニューを見て手っ取り早く本日のカレーというのを注文。
インド料理の店でよく見かける小さい丸い器にカレーが入ってそれが幾つか出てくる
というやつ。辛口と中辛と甘口の三種のカレーとなってる。
しばらく冷たいビールを飲んで待つ。やはりサラリーマンが多い。
あとからやってきた何人かも皆サラリーマンで注文し慣れている感じ。
飲み終わったあたりでやってきた本日のカレー、見るとナンではなく、揚げパンのような?
ナンを揚げたような感じ。
食べてみると日本の揚げパンほどの甘さはないが、雰囲気は確かに揚げパンである。
その揚げパンを三種類のカレーにつけて食べる。
うーん、ちょっとパンチのないカレー。辛口のカレーも辛口というほど辛くなく、
全体的にマイルドにしている。
ライスも頼んであったのだが、南インドならインディカ米かと思ったらジャポニカである。
なにやら米と米がぐちゃっとくっついた感じ。
うーん、あまりいい米使ってないよね...。というか炊き方が悪いな。
ダクシンって八重洲にも店があって割りと評判いいらしいけど、ふーん...。
どうも他で食べてもマイルドなカレーが多い気がして、
やはり、日本人向けにアレンジしていない本物のカレーを食べてみたいものだ。
あとから来たサラリーマンはメニュー見ないで辛いチキンカレーを注文していた。
あるいは美味しいメニューもあったのかな?
そう思うことにして勘定をすませ店を出る。
相変わらず暑い。途中、ペットボトルを買って歌会に向かう。
Date: 2012/09/07(金)


ふたつのフェルメール
東京にふたつのフェルメールが来ている。
ひとつは国立西洋美術館の「ベルリン国立美術館展」、
こちらに来ているのは、フェルメールの代表作のひとつ「真珠の首飾りの少女」。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2012berlin.html
もうひとつは東京都美術館の「マウリッツハイス美術館展」、
こちらにはフェルメールの作品のなかで一番有名な「真珠の耳飾りの少女」。
http://www.tobikan.jp/museum/2012/mauritshuis2012.html
東京平日歌会のついでに見に行ってきた。
上野の駅から公園に入ると、平日だというのにぞろぞろぞろぞろ人が行く。
この時点で嫌な予感がしたのだが、案の定、東京都美術館に行ってみると長蛇の列。
しかも、建物の内部までその列がくねくねと続いている。
待ち時間1時間と表示されているが、1時間ですむのか?という感じ。
8月に契丹展を見にいったとき、ここの前を通ったが、そのときは全然すいていた。
だからたいして混まないだろうとたかをくくっていたのだが、当てが外れた。
このあと国立西洋美術館の方のフェルメールも見ていくつもりだったのだが、
ここで1時間列に並んでいてはとても無理なので、あきらめて西洋美術館の方に行く。
こちらは列もなくスムーズに入れた。
列の有無がつまり「真珠の耳飾りの少女」と「真珠の首飾りの少女」の人気の差であろう。
ベルリン美術館展はフェルメールだけでなくいろいろな絵や彫刻が出ている。
昔、教科書に載っていたマルチン・ルターの肖像画もあった。
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」は展示の半ばあたり、やはり人だかりしている。
鏡に向かい、真珠の首飾りをかけている少女、室内には窓から差しこむ光が静かに
満ちている。美しい絵だ。
しばらく眺めていると、隣に二人連れのおばさんが来た。
「ああ、これねフェルメール、この絵、『真珠の耳飾りの少女』には負けるのよね。
青も使ってないし」
思わず苦笑した(^^;
ま、そういう評価が一般的なのだろう。
「真珠の耳飾りの少女」は確かに美しい。
しかし、今、目の前にある「真珠の首飾りの少女」も充分に美しい絵で、
別に、「真珠の耳飾りの少女」に負けているとか、青を使ってないからだめだとか、
そういう気はしないのだが...。
フェルメールの絵は静かな光が美しい。
「真珠の首飾りの少女」も窓から差し込む光が部屋に満ちていて、
その光と影の具合がとてもいい。そういう静かな美しさがある。
「真珠の耳飾りの少女」は光の美しさとはまた違い。
青いターバンを巻いた少女がこちらを振り向いたその一瞬を切り取って
黒の背景に浮かび上がらせたのが印象的な絵である。
たぶん、現代の人には、写真的な一瞬の捉え方をした「真珠の耳飾りの少女」の方が
表現の手法としても分かりやすいのだろう。
それに、あの少女は実在のモデルというより理想化された少女像という感じがする。
それらが「真珠の耳飾りの少女」をかなり一般受けする絵にしている。
短歌でいえば定型にはまった美しさ、技巧もはまって一般の読者受けする歌みたいな。
そういうものと似たものを感じて、
それが多少の過大評価につながっているような気がしなくもない。
絵をやったことがないので絵の巧拙は知らないが、
表現としては「真珠の首飾りの少女」の静かな光に満ちた美しさに私は充分に惹かれる。
そんなことを思いつつ美術館の外に出るとぎらぎらとした日差し。
ここしばらくまた暑さがぶり返している。
東京都美術館の方には相変わらずぞろぞろと人が行く。
「真珠の耳飾りの少女」は見られなかったがもう時間だ、歌会に行く。
Date: 2012/09/06(木)


花火
8月の最後の週末、長野の天竜川へ花火を見に行った。
その時期になると、メジャーな花火大会はもう一通り終わっていて、
田舎の花火大会である。
ついでに美ヶ原と木曽路の妻籠を歩き、夕方、ホテルから車で花火の会場へ。
祭りは昼間からやっていて、天竜川の川下りとかのど自慢とか、いろいろプログラムが
あるらしい。花火は夜の7時から9時。
天竜川沿いの田圃のなかの道の片側が駐車スペースになっていて、
そこに停めて会場に行くのだが、既にたくさん車が停まっていて結構歩く。
川のほとりの公園の屋台はすごい人だかりである。
行列に並んで晩飯の弁当などを買っていると、案内の放送があり、
最初の花火があがった。
弁当を手に車両通行止めになっている天竜川の橋の上に移動して陣取る。
田舎の花火大会らしく、ひとつひとつ案内の放送をしてから花火を打ち上げる。
たぶん、地元の個人や会社が花火のスポンサーになっているのだろう、
有限会社〇×8号玉とか、孫の成長を祈って〇〇尺玉という感じで、
ひとつひとつ案内があってから一発ずつ打ち上げるのだ。
なかには、〇△さん△〇さん結婚おめでとう△〇8号玉というのもあったし、
学校の同窓会らしく、延々とひとりひとりの名前を読み上げたのち、
ようやく一発打ち上げられたというのもあった。
ネットで調べていたとき、この花火大会の花火の打ち上げ数は300発となっていた。
この時期、諏訪湖では観光客へのサービスで毎晩15分間、花火を打ち上げるのだが、
そちらは800発。
うん?
一方は2時間で300発。もう一方は15分で800発。
天竜の花火大会が貧弱なのかなと思ったが、考えてみると、
2時間で300発ということは1分で2.5発。もう一方は1分で53.3発。
1分で53発って、どういう打ち方だ?
調べてみたら分かった。
数え方が違うのである。
ドンと打ち上げて1発と数えるのと、
ドンと打ち上げた花火が開いてさらに10個の小玉が散らばりそれが開いたら、
その小玉も数えて11発と数える。
花火の数にはそういう二通りの数え方があるらしく統一されていないのである。
後者で数えた方が数は膨らむわけで、
何年か前、関西の某花火大会で、それまで10万発と称していたのを、
ある年から数え方を変えたら2万発に変わり、
どうしたのだと問い合わせが沢山あったらしい。
1発が11発に変わる数え方というのも、なにやら誇大広告めいている気もするが、
どちらの数え方が正しいということは特にないらしい。
つまり、諏訪湖の花火は小玉も数える数え方をしているので数が多い。
一方、天竜の花火は地元の個人や会社がスポンサーになって1発ずつ打ち上げるので、
小玉は数えず、あくまでもドンとあがって1発と数えているのだろう。
スターマインと尺玉の競演はそういう案内がなかったので、
たぶん、それは祭りの予算で打ち上げるのだろう。
この競演がなかなか凄かった。
距離が近いのである。
打ち上げる前に「堤防の上で見物している人は避難してください」という放送があったが、
橋のすぐ向こうの川岸から次々と打ち上げられるスターマインと尺玉はかなりの迫力。
火のついたままの燃え滓が何度か橋を越えて落ちていったが、あの辺にも見物していた
人はいたんじゃなかろうか?
娘と一緒に来た娘の友達も「今月見た花火のなかで一番凄かった」と言っていた。
田舎の花火大会とあなどるものではない。

私は周囲にあがる歓声のなかで、その見事な花火を見上げながら、
震災の被災地で鎮魂のために打ち上げられた花火を思った。
今年、被災地では鎮魂のために各地で花火が打ち上げられた。
仙台では3月にもあったし、今月も各地で打ち上げたはずである。
子供の頃から花火というのは祭りで見る楽しいものだった。
私はまだ被災地の鎮魂の花火を見に行ったたことはない。
途切れることなくあがるスターマインと尺玉の美しい競演を見上げながら、
鎮魂の花火は海のかなたから見えただろうか?
そんなことを思っていた。
Date: 2012/08/30(木)


学歴
業界誌をぱらぱらとめくっていたら、主税局・国税庁の新任幹部の略歴が載っていた。
国税は毎年7月に異動があり顔ぶれが変わる。
で、主税局長から各地の国税局長、不服審判所長など国税の新任幹部24人が紹介
されているのだが、そのうちのひとりは必ず高卒である。
これは昔から。
生年月日と略歴が出ているので何歳で国税に入ったかを見ていけば分かるのだが、
必ずひとり、幹部のなかに高卒で国税に入った人がいる。
逆に言えば、ふたりということはない。
個人の能力と学歴にどれほどの相関関係があるのかと思うと、
ひとりだけで決してふたりということはない、ということは、
能力ではなく、人事の方針としてそういうことになっているのであろう。
あるいは高卒で入った人達に、頑張れば幹部になれるのだということを示すために、
毎年の異動で必ずひとり幹部のなかに高卒者をいれているのか?
この辺は国税の歴史も多少からんでいるのかもしれない。
これは昔聞いた話なのだが、
戦後の混乱期、シャウプ勧告によりそれまでの賦課課税中心の税制が申告納税中心に
変わった。それに伴い大幅な人員増が必要になったわけだが、
この時、国税は戦争で親を失ったりして進学を諦めなければならなかった若者達を
大勢採用した。戦争という事情で進学の道を閉ざされた若者達のなかには
大学こそ出ていなくても優秀な者達も大勢いたわけである。
彼等に対し、大学を出ていなくても出世できるのだということを示すために、
国税はその後、毎年の新任幹部のなかに必ずひとり、高卒者を入れるように
なったとか。
聞いた話でホントかどうかは知らない。
戦後に大量採用された職員が一線を退いて、
現在の税務署は比較的若い職員が多いのだが、
たぶん、大学出が多いのであろう現在の若い職員と、
戦争で進学できなかった人が大勢いた昔の職員と比べると、
今の若い職員の質は落ちている気がする。
そういうのを現場で見ていると、学歴なんか関係ないじゃないかという気がするのだが、
役人の世界はそうではないのであろう。
支部の管轄の税務署で今年異動していった課長補佐は、
租税教室の担当だったので少し話をしたのだが、
家の事情で進学せず高校を卒業したあと国税に入ったと言っていた。
能力のある女性だった。
彼女も学歴という壁にぶつかるのだろうか。
Date: 2012/08/28(火)


おみたまプリン
全国大会で大阪に行ってきたが、ひとつ書くのを忘れていた。
大阪に行く前日の土曜はアーチェリーをしていたのだが、
射場の仲間と、明日大阪に行くんだけど大阪の土産にはどんなものがある? 
という話になり、そのとき仲間のひとりがスマホで調べながら、
「おみたまプリン」というのがあると言い出した。
なんでも芸能人おすすめの美味しいプリンで、一個500円するらしい。
プリンで一個500円というのも結構高いが、
丁度、入院している常連のひとりが退院して次の週末くらいに来るだろうから、
じゃ、その退院祝いも兼ねて次の土曜に射場に届くように大阪から送ろうという
話になった。
で、大阪からの帰り、伊丹の空港でその「おみたまプリン」というのを探した。
しかし、神戸のなんとかプリンというのはあったが、
「おみたまプリン」というのは見つからず、
諦めて他の土産を買って帰ってきたのである。
帰ってから、大阪のどこで売っているのだろうとネットで探してみたら、
あった→http://www.omitamapurin.com/
なるほど、美味しそうなプリン。
説明を読んでみると、帰ってきた伝説のプリンなんだそうで、
「おみたま」という意味不明な名前は、小川町・美野里町・玉里村が合併して新しく
できた小美玉市から名前を取ったそうで、茨城空港開港に向け町おこしのため・・・、
えっ!? 
茨城空港?
茨城って、関東の茨城?
...。
じゃ、大阪で探してあるわけないじゃん(^^;
あいつ、スマホでどういう探し方したんだ? 
茨城の土産探してどうする。確かに大阪に茨木という地名はあるけど(^^;;
ということで、このブログを読んだ射場の常連の方、
今度の土曜、射場でほかの方々に伝えてくださいませ。
待っていても「おみたまプリン」は届きません(^^;;;
俺のせいじゃないよな、大阪の土産探すのに間違えて茨城の土産を探してもらってもな...。
ま、来年の全国大会は奇しくもその茨城。
「おみたまプリン」は来年までのお預けということで(^^
Date: 2012/08/23(木)


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